虜囚
「お早いお目覚めでございますな、殿下」
将軍は上を向いて話す。アルバリウスは櫓の上にいる。
「いや将軍、そなたの言った通りであった。昨夜は一睡もできなかったぞ」
「それは何とも。しかし我らも今すぐに打って出ることはできませぬ。せめて今日はゆっくり休むのがよろしいのではないかと」
「とてもそんな悠長な心持にはなれぬ。全く。王都は目と鼻の先だというのに」
「無理は続きませぬぞ」
将軍は笑う。アルバリウスは櫓を降りて言う。
「ここからの首尾は何とする。両翼の軍はどうしているのだ」
「左軍も右軍も敵と戦っておると申しております。すぐにこちらに向かわせるのは難しいかと」
「ならば我らだけで王都を包囲するのか」
「確かに、本来ならば王都を完全に取り囲み、降伏を迫りたいところですが、もし外から敵が来れば、横に伸びて薄くなった我らの兵が挟み撃ちにされますからな。敵の数と居場所が分からぬうちは危ういかと。しかも此度は食料に余裕がございませぬ故、王都を取り囲んだところで、どちらが兵糧攻めにされておるのか分からぬことになります」
「敵の数と居場所、と言えば、クロードが捕らえた敵兵は口を割ったのか」
将軍は笑う。
「口を割るも何も、まだ話も通じておりませぬ。嘗て学術院で学んだという工兵がおったので、話をさせてはみたものの、相手が何を言っておるのか見当もつかぬと。本人もハンの者と実際に話したことはないと申しておったので、致し方ありますまいが、いやはや、何とも」
「先生がいてくれればよかったのだが。確か昔、ハンの土地で暮らしたことがあると言っておった」
「殿下の教師を務めておる、あの者ですな。学術院の世捨て人どもは、戦も政も、我関せずと徹底しておりますからな」
アルバリウスは笑う。
「世捨て人か。確かに出陣の前、武運を祈るとは言わぬ、そう申しておった」
「それは流石に学術院の者とは言え、なんと不遜な」
「いや、我や帝国に仇なすような事を言っていたのではない。武勲など要らぬから、無事で帰ってこい、と言うのだ」
将軍は笑う。
「そういうことでありましたか。しかしそれはそれで、何とも世捨て人らしからぬ物言い。その者、まるで母親のようなことを申すのですな」
「そう言えば先生から家族の話を聞いたことはなかったな」
アルバリウスは遠くを見る。そして唐突に「あっ」と声を上げる。
「いかがされましたか、殿下」
「商人がおるではないか」
「お前たちの軍勢の数と布陣を話せ」
アルバリウスの言を商人が虜囚に伝えると、虜囚は笑う。しばし商人と虜囚は話す。将軍は言う。
「何と言っておるのだ」
商人は笑う。
「未開の辺境人は言葉も知らぬのかと思ったなどと、軽口を叩いておりますよ。それと、金をやるからここから逃がせ、とも申しております。しかしこの者、わたくしを買収しようにも、そこのお二方の所為で今は一文無しの様でございますからな」
商人はそう言ってクロードらを見る。友は笑う。
「そりゃあ悪いことしたなあ。商人、可哀そうだし、返してやったらどうだ」
商人は笑う。
「お戯れを」
将軍が合図すると、クロードは虜囚に近づき、腕を蹴る。虜囚は悲鳴を上げる。将軍は言う。
「もう片方も折って欲しいか。さっさと真面目に答えよ」
虜囚は腕を押さえて呻く。将軍は舌打ちをする。そこに兵が走ってくる。
「殿下、捕虜となっていた王都の兵が解放され、こちらに向かっております」
アルバリウスは首を傾げる。
「また女神の慈悲とやらなのか。しかし流石に兵を解放するというのは、どうなのだ」
「それが、解放された兵は皆、手の指を切られておるのです。中には更に酷い有様の者もおります」
将軍は虜囚を蹴り、声を荒げる。
「奴ら、どこまでふざけておる」
アルバリウスは言う。
「商人、今の話をこの者にも伝えよ。お前はハンゾの慈悲をどう思うのだ」
商人の言に虜囚はしばし沈黙した後、何かを話す。
「自分には兵力も布陣も分からぬが、万人長がいたので二万はおるのではないかと。それよりお前達、水は足りておるのかと、こちらの心配をしておりますよ」
将軍は「ふん」と鼻で笑い、言う。
「急に口を割りおって、そんなに指が大事か。まあ馬上で弓を扱えぬとなれば、ハンの中ではとんだ生き恥なのであろうな」
アルバリウスは言う。
「我は脅しのつもりではなかった。ハンの者どもが何を考えておるのかと思ったのだが」