流民
「その日、わたくしは夫や子らとともに城外の畑で働いておりました。すると突然誰かが叫んだのです。『ハンが攻めてくる』と。慌てて家に戻ると、そこには城の兵士が来ておりました。彼らは食料を奪い、家に火を放ち、こう言ったのです。『これより籠城となる故、お前たちは城内には入れぬ。ハンが来る前にどこへなりと行くがよい』と。城外の民は見捨てられました。泣く泣く、わたくしどもはこの山裾の街を目指したのです。街道は同じような者達で溢れておりました。そして二日ほど歩いたところで、ハンの騎兵が現れました。彼らは瞬く間に民を取り囲み、捕らえました。逃げようとした者は足を射抜かれて首を斬られたので、皆怖くて動けませんでした。僅かな持ち物は全て奪われました。皆が死を恐れて泣いていると、突然、彼らは年寄りと子供を解放したのです。しかし残った内から何人かは手を縄で縛られ、彼らに連れて行かれました。夫もその中にいました。わたくしは直ぐには解放されませんでしたが、最後には解放され、この街まで辿り着きました。子供達とは再会できましたが、これから何の当てもないのです。兵士様、どうか、お恵みを。子供たちの分だけでも構いません」
クロードは痣だらけの女に銅貨を何枚か渡し、その場を後にする。女はずっと頭を下げていた。
商人の馬車の周りに椅子と机が並べられ、即席の酒場になっていた。クロードは腰掛け、言う。
「同じような話ばかりで気が滅入る」
「仕方ないだろ。俺達が代わりに話を聞いて回るって言わなきゃ、殿下が来るところだったじゃねえか。それにしても殿下というお人は分からんな。もっと馬鹿で我儘な小僧だと思ってたのにな」
「年相応に馬鹿で我儘だ。それが悪いとは言わんが」
「お前、そんなこと言ってると今度こそ首が飛ぶぞ」
「お前こそ、殿下への悪口を諫めるようになるとはな」
クロードは酒を飲み、静かに笑う。すると女がやってきて、机に酒を置く。友は立ち上がり呼び止める。
「頼んでないぞ」
その後ろから、声が掛かった。
「これはわたくしからでございます」
「誰だ、あんた」
「しがない商人でございますよ。お二方でございましょう、先頃、殿下の従者となられたというのは」
クロードは友と顔を見合わせる。商人は笑う。
「いやいや、突然のことで失礼いたしました。まあ、噂話と商売は番いのようなものでございますから、自然と耳に入った次第でございますよ。この酒にも他意はございません。ただのご挨拶でございますから、どうぞ、遠慮なさらず」
「商人に他意はないと言われて信じるほど初心じゃない。俺ら幾つだと思ってんだ」
友の言葉にクロードは続ける。
「そんなに耳が早いなら王都やハンのことも詳しく知っているのだろうな」
「ご期待に添えるかは分かりませんが、存じ上げている限りのことはお話いたしますよ。差し詰め、お気になされているのは流民のことではございませぬか」
クロードは頷く。
「ハンは抜け目なく残忍で容赦がない。女子供でも皆殺しにして、その首を城攻めの機械で城壁に飛ばすような奴らだ。それが何故、この街にこんなに流民が辿り着いている。しかも奴らに見つからずに逃げて来たのではなく、一度は捕らえられ見逃されたという者が多くいる」
「ハンと一口に言いましても、色々なのでございますよ。『竜王』を名乗る者も幾人かおりますれば、その様も色々でございます。此度の攻めを率いているのは恐らくは竜王ハンゾ、年寄りや子供をあまり手に掛けぬ故、慈悲深き女神ハンゾ、とも呼ばれております」
「女神だと。女なのか」
「はい。帝国では女は男に従うのが慣わしとされておりますが、遊牧の民の女は皆、馬に乗って弓も使えます故、男の言いなりにはならぬのでございます。とはいえ、普通は体躯や力比べでは男の方に分があります故、女で竜王を名乗る者は多くはございません。と申しますより、過去を含めても知る限りではハンゾ只一人でございましょうな」
「野蛮人を率いる慈悲深き女神様か。まるっきり、お伽噺じゃねえか」
友は笑ったが、クロードは笑わない。
「慈悲深き女神とは悪い冗談だ。分かってやっているなら、とんでもない外道だ」
商人は頷く。
「ここより遥か東、山の国は多くの流民を抱えて兵糧が尽き、最後には味方同士の殺し合いとなったと言われております。また砂漠の国は流民を殺して多少は長く持ちこたえたようでございますが、やはり敗れ、王は民に袋叩きにされて殺されたと言われております。負け知らずと言われるハンゾが相手となれば、帝国はこれから重く苦しい決断を迫られることになりましょう」
クロードは酒を呷る。
「そして敵は兵糧を狙って、あんたの隊商を襲う。この酒で俺達に前払いしているつもりか」
商人はにやりと笑い、クロードに紙片を渡す。
「前払い、と言えばこんな面白いものがございますよ」
「なんだこれは」
「これは配分票と呼ばれております。ハンの兵は掠奪品を自分の物にできるが故、我先にと危険な敵へ向かっていくのでございます。しかし流石にそれだけでは戦術も何もございませぬ故、掠奪に加われぬ務めの者には、竜王がこの配分票を与え、後からの分け前を約束するのでございます。初め、この配分票は兵と兵の間でやり取りする為の物でしたが、次第に商人も扱うようになり、今では街の者も芋を買うために配分票を使っておりますよ。これは金貨や銀貨のように嵩張りませぬし、随分と便利なものです。大きな声では言えませぬが、ハンの配分票は帝国の徴発証などより余程信頼されているのでございますよ」
「何が言いたい」
商人は笑う。
「わたくしも家族を竜に喰われておりますから、商いの力で帝国を強大にすればハンを滅ぼすことができるのではないかと、商売を始めたばかりの時分には考えてみたものでございます。しかし交易に関して言えばハンは帝国よりも余程進んでおります故、帝国の内側だけで商いを考えたところで全く勝負になどならないのでございますよ。竜はハンの力のほんの一端、交易の力こそが、かの者達の力の源でございましょう。野蛮人などと、侮らぬ方がよろしいかと存じます」
暫く商人と話し、クロードらは幕舎に戻った。
「慈悲深き女神ハンゾ、俄かには信じがたい。子供や年寄りをそのような形で戦の道具とするなどと、我には到底思いも及ばぬことだ。だが敵の狙いが何であれ、我は流民を見殺しになどせぬ。我らは民を守る為、ここまで兵を進めてきたのだ」
アルバリウスの言にクロードは返す。
「それは嘘だな。民の為、と言うならば、森丘の国はハンに降伏させ、兵を引けばいい。長く籠城するほど、負けた後の扱いは酷くなるのだからな。結局あんたらが兵を起こしたのは、帝国の威信だとか利益だとか、その類の為だろ」
クロードの言に友は返す。
「おいおい、女神様の慈悲は単なる作戦なんだろ。俺達が引き揚げたら慈悲も終わって、森丘の民は皆殺しになっちまうじゃねえか」
「いや、商人の話を聞く限り、遊牧の民の生活は街の民との交易に依存している。従う相手をわざわざ殺す、戦略的な意味はない。征服を受ければ奴隷にされる民もいるだろうが、いつ飢え死にするかも分からぬ流民と、どちらがましだろうな。人は普通、少なくとも生きていたいものだ」
「なるほど、確かにそうも考えられるな」
クロードと友のやり取りに近衛兵が割り込む。
「何がなるほどだ。お前ら黙って言わせておけば、殿下の御前で帝国を軽んじた物言い、斬られても文句は言えぬぞ」
将軍が静かに口を開く。
「お前達の言うことは間違っておらぬ。我らが戦うのは帝国の為である。今日の帝国は先人が多大な犠牲を払い、大小多くの国々をやっと一つにまとめ上げたものだ。だがハンに森丘の国を与えるということは、力で国を奪うことを認めるということ。悪しき先例となるであろう。これに倣い、力に訴える輩が割拠すれば、帝国全土は戦乱の時代に戻るであろう。そうなれば此度のようなことが至る所で起こるのだ。どれほど多くの者が死ぬことか。今ここにいる流民の数どころではないぞ。故に帝国の為とは万民の為である。故に帝国に敗北は許されぬ。そしてそれ故に、勝利への憂いとなる流民は、ここで我らが殺さねばならぬ」
アルバリウスは立ち上がる。
「馬鹿を言うな。敵を追い払い、民が再び王都で暮らせるようにすれば済む話であろう。高が口減らしのために民を手に掛けるなど、我が断じて許さぬ。王都はもうすぐそこだ。帝国と民の為、必ずハンに勝利するのだ」