領主
「間もなくこの街に殿下が到着される。民は下がれ。兵は整列せよ。領主はいるか」
旗手が叫ぶ。長い隊列に続き、馬車が通る。小川の街の守備兵クロードに、その友が囁く。
「豪華な馬車に乗ってご登場とは。皇子の坊ちゃまはお遊び気分なのかね」
「ハンは弓と馬を使った奇襲を好む。十四の殿下が馬上で身を晒して行軍する方がお遊びだ」
「腕の立つお前からすればそうも見えるのかもしれんがね。普通の奴はそうは思わんだろ。見ろ、帝都の奴らが御館様に渡しているあの紙切れ。あれが徴発証ってやつなんだろうな。あんな紙切れ一枚で兵士から食い物までみんな持ってっちまうんだから。大した奴らだよ」
程なくして兵長が「荷を運べ」という。
クロードと友が荷を運び終えると辺りは既に暗かった。酒場の前で兵が女を追いかけている。
「商売女は書き入れ時か。ん、もしかして、あれは本気で逃げ回ってるのか。まあどっちにしても帝都の兵と喧嘩にでもなったら、首を刎ねられちまうからな。文句は言えないって落ちか。本当にこれでもハンの奴らに掠奪されるよりましなのかね。あいつら昼間も随分と巻き上げてたよな。戦と関係ねえだろって物、結構あったじゃねえか」
「そんなことよりさっさと報告を済ませるぞ。もうだいぶ遅い。俺たちも飯だ」
領主の館に戻ると人影が見えた。
「おい、あれは御嬢様じゃないのか。こんな時間に何だ。あっちは客人用の建屋だろう」
「手に何か抱えていた。殿下に酌でもするのかもしれないな」
「酌だと。十四の小僧が。大体、御嬢様は分かっているのか。酌だけで済む訳がないだろう」
「やめろ。俺達が立ち入る話ではない。次第によっては御館様に面倒をかけることになる」
追おうとする友をクロードは止め、領主の部屋まで連れていく。
「御館様。クロードです。荷の受け渡しを終え、只今戻りました」
「入れ」
領主は一人、酒を飲んでいた。
「ご苦労だったな。問題はなかったか」
クロードが答える。
「帝都の者には好き放題持って行かれておりますが。それでも小麦の量が思ったより少ないなどと小言をこぼす始末です」
「全く。帝都の方々は田舎の貧しさを知らんのだな。まあいい。お前たちも早く休んで、明日の出立に備えよ」
「御館様。帝都の小僧が娘を差し出せなどと抜かしたのですか」
クロードの友が吠え、領主は酒器を置く。
「口の利き方に気をつけろ。帝都の者に聞かれれば何とする」
領主は溜息をつく。
「言われたのではない。あいつが殿下に気に入って戴ければ、我ら一族の為となろう。そしてひいては領民の為ともなる」
「それで良いのですか。御嬢様はクロードのことを」
「俺と御嬢様はそういう関係ではない。お前も弁えろ」
「クロードよ。わたしはお前が気に入っているし、信頼もしている。貧しい領主の娘が、さらに貧しい一兵卒と一緒になるなど、酷い話だが、お前たちがそれでも良いならばと考えてみたこともある。しかし知っておろう、あいつの母のことを。信じられぬであろうが、わたしとあれはかつて、本当に愛し合っていたのだ。だが駄目だった。不作の年に、酷い喧嘩をした。そしてこの通りだ。貧しさとはそういうものだ。わたしは何より、あいつ自身に、今よりもっと良い暮らしをして欲しいのだ」
領主は顔を覆い、黙る。そして顔を上げ、今度は二人を睨む。
「あいつが殿下に気に入って戴けなければ、今宵は何も無かったということだ。分かっているだろうが、お前達が見たことは二度と口にしてはならぬ。あいつが貶められるようなことがあれば、絶対に許さんからな」
「心得ております」
一礼して、館の外に出る。友が口を開く。
「お前はこれでいいのか」
クロードは友を殴り飛ばした。
「少し黙ってろ」