テバタキンギョはジョーチョチョチョ
「ね、フナキくん、もう帰宅したかな」
桜香ちゃんはソワソワしている……どちらかというとクルクルパタパタかもだけど。
「まだ返事してないんでしょ?」
「そーなの……だって」
桜香ちゃんはスカートをなびかせて振り返る。
日が傾いた教室で、オレンジ色の光に包まれた窓を背にした彼女は一匹の金魚のように見えた。
「……だってアオイちゃんの幼馴染でしょ?」
私に遠慮しているときの、だけど瞳の奥ではもう決めているときのこの表情、桜香ちゃんは本当に可愛いと感じる。
「オーカちゃんの好きにすればいいじゃない」
「じゃあ……返事しよっかなぁ。あ、でも、すぐに返事したら尻軽ガールだと思われちゃうかも……ガルガールって響き、好き」
この唐突に浮かべる笑顔は、桜香ちゃんの一番攻撃力が高い武器だと想う。
「一文字ずつ返事するのってどう? ツ・キ・ア・イ・マ……五日間はどっちかわからないでしょ?」
「テバタキンギョで送るの? オーカちゃん、テバタキンギョ好きよね」
「そー! だってテバタキンギョってジョーチョチョチョだもん」
桜香ちゃんは私が座っているとこまでスキップしてくると、私の目の前の机にふわりと腰を下ろした。
「それ前も言ってたよね」
「うん。なかなか世間様の賛同を得られなくってー。だってメールってさ、LINEよりは面倒でしょ?」
「まあね」
「だからジョーチョなの。で、メールよりも物理手紙の方がもっと面倒でしょ。だからジョーチョチョ。となると、一文字ずつしか送れないテバタキンギョは物理手紙よりもっと面倒だからジョーチョチョチョ」
「面倒だからチョが増えるってあたりが、どうもね」
「想いを伝える準備に時間をかけるってことはね、その間ずっとその人のために自分の時間を使うってこと。それだけ想いがこもるってことだから情緒的なのよ。それにね、テバタキンギョが作られたきっかけ、知ってる?」
私は当然知っているんだけど、あえて首を横に振る。
「開発者の祖父さんがね、奥さんに伝えたい気持ちを生前は伝えられなかったから、死後、金魚に転生して手旗信号で伝えたって話。すごくない? ジョーチョチョチョチョチョチョくらいじゃない? そんな思い出からアプリ開発しちゃうシュロさんって人もジョーチョチョチョチョだけど」
そのシュロの中の人は修路……私の兄貴だから。
船舶関係の仕事をしていたおじーちゃんの部屋には手旗信号のポスターがあって、小さい頃、おばーちゃん家でかくれんぼしたとき、亡きおじーちゃんの書斎は、私達の鉄板の隠れ場所だった。
そんなことは知らずに感動に肩を震わせながら語る桜香ちゃんの無防備な太ももは、斜陽を浴びてやけに艷やかだ。
「ね、今日はそろそろ帰ろっか」
私は鞄からタッパーを取り出し、蓋を開ける。
「草餅! 調理実習で作ったやつ、残してたんだ?」
桜香ちゃんは一つつまんで食べる。
満面の笑み。
今食べたのは、お家から持ってきた方だけどね。
「オーカちゃん。私ちょっと部室に忘れ物取りに行ってくるね」
「んむ……はっふふ!」
教室を後にした私は真っ先に職員室へと向かう。
「先生。昼間、理科室に忘れ物したのを思い出して……開けてもらうことってできますか?」
先生と一緒に理科室へと到着。
昼間のうちに机に置き忘れておいた教科書を回収すると、先生と一緒に教室へと向かう。
そして桜香ちゃんが倒れているのを、先生が発見……予想通り十分くらい。
慌てる先生が救急車を呼んでいる間に、私は桜香ちゃんのすぐ近くに落ちている金魚を拾い、用意しておいたマグボトルへと隠す。
救急車で運ばれる桜香ちゃんと先生とを見送った後、私は急いで帰宅して金魚を水槽へと移した。
あー、なんかパタパタやってる……えーと。
ナ・ン・デ。
「ダ・イ・ス・キ・ダ・カ・ラ」
テバタキンギョで一文字ずつ再生して金魚に見せたら、くるくる回りだす。
頭が混乱したとき、逆向きに回転するとほぐれる気がするっていつも言ってるもんね。
金魚、本当に桜香ちゃんなんだね。
金魚はまた手旗を始める。
モ・ド・シ・テ。
ごめんね、戻す方法は知らないの。
私も驚いてるんだ。
おばーちゃんから聞いたレシピが本物だったってことに。
おじーちゃんの浮気が酷かったから試したって話、冗談だと思ってたのよね。
知ってる? 魂が蝶になって口から出る中国の話。あれの金魚版なんだよ。
でもね、安心して。
私は親友の死にショックを受けて引きこもりになるから、桜香ちゃんの世話を二十四時間してあげられるんだよ?
ずーっと、桜香ちゃんのために私の時間を使うの。
ね。
ジョーチョチョチョでしょ?
<終>