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ある喫茶店の朝のこと

作者: 黒川 禄

 瑞季はなは朝から大忙しだった。6時にはベッドから起き抜けてすぐに着替え、1階の喫茶店に降りた。店のキッチンはそれほど大きくはないが、あたり一帯に箱に詰まった大量のさつまいもと調理器具が所狭しと並んでいる。


 2月1日に自治会主催で子供会をすると連絡を受けたのが昨晩、1月30日の話だ。店の貸切と子供50名程に配るお菓子を用意して欲しいとのことだった。

もっと早くに連絡出来ただろうと電話をしてきた町会長に抗議したが、馬に念仏だった。やむを得ずすぐに五軒隣の八百屋のおじさんに電話をかけ事情を説明したところ、さつまいもが沢山あると言ってくれたので朝一で10キロほど届けてもらった。自分が構えた店が商店街の真ん中で良かったと思えた瞬間だった。


 店に降りてさつまいもの納品を確認すると、冷蔵庫にかけていた赤いエプロンをつけ、肩甲骨まで伸びたこげ茶の髪を手早く一つにまとめる。エプロンと同じ色の三角巾を結んで、最近目にかかってきた前髪をヘアピンでとめる。汚れることを想定して服は黒のトレーナーにジーパンだ。今日は平日なので客は常連ばかりだろうし、多少適当でも笑って許してくれるだろう。開店まではまだ3時間ほどあるが、さつまいもの下処理をしていればすぐにすぎるだろう。

 町会長からの電話の内容は子供たちに渡すお菓子と店で出す料理の作成。量を考えるとそれなりに時間がかかる。


 こうしてはなは突然忙しくなった訳だが、先に結論を言うならば「できる」のだ。店を作った時に小さいけれど本格的なガスオーブンを設置したし、コンロは三口にしてもらった。洗い場が少し狭いのは難点だが、カウンター席を広くして裏側に上手く収納しているので作業スペースは意外ととれる。趣味と実益を兼ねて店のメニューに季節のお菓子を手作りしていたのでレシピは複数持ち合わせもあり、その中にさつまいもを使ったお菓子ももちろんあった。同じ理由で小麦粉や卵の買い出しには行かずに済んだ。その為朝一から作業に取り掛かることができ、今に至る。


 さつまいもは1番最初に下処理を始める。、洗って土を落とすと湿らせたキッチンペーパーで包み、その上からアルミホイルで包み込む。そして巻けたものから大きめの鉄板に10個並べた。朝一で余熱していたオーブンに入れるとタイマーを40分に設定する。それとは別で皮を向き大きめに切ったさつまいもを鍋で蒸し始め、粉類の計量と下処理を済ませる。


 起きてから1時間、ようやく一息つけたはなは店周りを掃除してコーヒーカップを温めたり豆を挽いたりと開店準備を手早く済ませ、自分用にと一杯コーヒーをいれた。起きてすぐに動いたせいか朝食を食べる気も起きず、客席に腰をかける。それとほぼ同時に店のドアが開かれた。はなは驚いて立ち上がる。


「すいません、まだ開店は」


 そこまで言ったところで客の姿がハッキリ映り、はなは気が抜けてまた腰を下ろした。灰色のスウェットを着てミディアムの黒髪に寝癖をつけた青年がはなの目の前まできた。右手にコンビニのレジ袋を、左手にはコンビニのコーヒーが握られている。


「おはよ。朝ごはん」


 青年が短くそういうとレジ袋をはなに差し出し、はなは複雑そうな目で青年を見上げた。渋々レジ袋の中を見るとたまごサンドとヨーグルト、グリーンスムージーがはいっている。はなはグリーンスムージーを取り出してストローを躊躇い無く刺した。


「ありがと、あおくん」


 あおと呼ばれた青年、紺野碧斗こんのへきとははながグリーンスムージーを口にふくんだのを見て向かいの椅子に座った。眠そうな見た目とは裏腹に目はしっかり開いていて、手にあるコーヒーを啜っている。


「喫茶店にコーヒー持って入ってくるなんて君くらいだと思う」


「コーヒーの味はわかんないから、はなに入れてもらうのは申し訳ないよ」


「……そう」


 キッチンからタイマーの音が鳴り響き、はなは立ち上がってコンロの火を止める。鍋からさつまいもの入った大きなザルを取りだし、一度水を捨てて空になった鍋に水を再度入れて火をつける。あらかじめ切っておいたさつまいもを新しいザルに移し鍋の中にゆっくりと入れた。ちょうどオーブンも止まったので鉄板ごと取りだし、串で刺してある程度火が通ったことを確認して後ろの棚に置いておく。もう一枚の鉄板を取り出してこちらもまたアルミホイルに包んでおいたさつまいもを並べ、再度オーブンに入れて過熱する。キッチンにはあと一回同じ工程をする用意がしてあり、下処理すらまだ時間がかかるようだった。はなはそのままコーヒーを入れて席に戻り、淹れたてのコーヒーを碧斗の前に置いた。


「……なんで?」


「ご飯のお礼」


「じゃあジュースがいい。コーヒーあるし」


「あおくんにうちのコーヒーの方が美味しいって知ってもらうためですー。残すのは許しませーん」


 はなは碧斗を見てべぇ、と舌を出して立ち上がるとキッチンに戻る。冷蔵庫にたまごサンドとヨーグルトを片付けお菓子作りに励む。粉と牛乳と卵、バターと砂糖を混ぜながらカップケーキのタネを作り始める。碧斗は入れてもらったコーヒーを啜りながらその様子を眺めていたが、やがてコーヒーを持ってカウンターに移動した。カウンター越しにみるはなは手際がいい。


「なにか手伝うことある?」


「いいの? じゃあテーブル拭いて」


「……料理」


「今はないかな」


 はなは布巾を絞って碧斗に渡す。碧斗は少しむくれながら店に並んだテーブルを拭いた。四名掛けのテーブル3セットに二名掛けのテーブル2セット、カウンターも拭き、最後に店の入り口側にある棚も拭いた。この棚にははなの作ったお菓子が並び、買って帰れるようにいつも並べられている。今は冬らしく青と水色がベースのレイアウトだった。店の壁紙が白の為、こうした季節を意識した色の遊びが引き立つ。カウンター周りから奥のキッチンはダークブラウンで統一されているのでこちらはコントラストが映えた。


「そう言えば、仕事は?」


「今日は夜勤。多分5時までじゃないかな」


 考えたら眠気が来たのか、大きく欠伸をひとつ。そしてカウンターに戻ってきてコーヒーを啜る。


「飾り付けいるでしょ。お昼になにか買ってこようか?」


「そうだった。ちょっと待ってて」


 はなは店の奥に入ると大きなダンボール箱を持ってきてカウンターに置く。中からは色々な飾りが出てきた。しかし使えそうな物は少なく、強いていえば以前誕生日会をした時に使ったペーパーフラワーくらいだった。あるものは使ってしまえと碧斗は脚立を借りて天井に画鋲で吊るしていった。そして中にあった折り紙を何枚か取り出し、今度はハサミを借りて色々な形に切っていく。


「ごめん、任せちゃって」


「いいよ。あんな怒り狂ったメール見たら手伝うよ」


「……ホントにごめん」


 はなも突然すぎる依頼に苛立ちはあったらしく、昨晩のうちに碧斗にメールで愚痴を吐いていた。それを見て碧斗は朝食を買ってきて、こうして手伝っている。メールを見た時に碧斗は今日が夜勤の日で良かったと考えていたらしい。


 器用に切り取られた雪だるまやうさぎなどが店内に飾り付けられていく。白い壁紙に色つき切り絵はよく映え、雪の結晶など細工の細かいものはカウンター周りの色が背景となるように貼付けられていく。碧斗が飾り付けを始めて1時間が過ぎた頃、お菓子作りに集中していたはながふと視線をあげた。店内は雰囲気を崩すことなく、しかし新たに増えた飾りのおかげですっかりパーティムードとなっていた。しばらくその変化に呆気に取られ、視線をずらしてカウンターで休んでいる碧斗を見るとすっかり冷えたコーヒーを啜っている。


「あ、終わったの?」


「えっと、下ごしらえは終わりかな」


 あっけらかんと聞いてくる碧斗に驚きを通り越して少しあきれながらも手伝ってもらえたうれしさがこみ上げて来る。棚の上に置いていた食パンを下ろして1.5センチの薄さのものを三枚切る。作業台下の冷蔵庫からトマトとハムとレタスを取り出し、サンドウィッチを作って3つ切りにして皿に載せた。冷蔵庫からオレンジジュースを取り出しコップに注いでその二つを碧斗の前に並べる。碧斗は何度か瞬きをしてはなを見ると、はなは嬉しそうに笑っていた。


「飾り付け手伝ってくれたお礼。このくらいしかできなくてごめんね。ありがとう」


 はなのその言葉を聞くと碧斗は嬉しそうに笑った。


「どういたしまして。じゃあいただきます」


 碧斗が喜んで食べはじめるのを見てはなはほっと胸を撫で下ろすと時計を確認する。時刻は8時30分を回っており、喫茶店の開店は9時である。はなは開店準備に取り掛かった。

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