青春と藁人形
「悩みがあるから相談に乗って欲しいだと?」
「ああ。頼む!」
夕日の差し込む放課後の教室。
俺は親友の岩本に頭を下げる。
他のクラスメイト達は恋に部活に忙しいらしく、教室には俺達二人だけしかいなかった。
「ほら、これが例のブツだが」
そう言って、紙束の一部を岩本の方に手渡す。
これは今朝、俺の靴箱の中に入っていた物だ。
白い紙には『死ね、死ね、死ね』と汚い字で端から端まで書き連ねてある。これが何十枚もある。
「……こりゃあ、ひでえな」
「だろう?ここんとこ、毎朝靴箱の中にこれが入ってんだぜ」
タチの悪い悪戯だ。
高校へ通っている者ならば悪戯の一つや二つくらい経験があるだろうが、にしてもこれは過激すぎる。
笑い事では無く、言い知れぬ狂気を感じる。
「お前は人に恨まれるようなタイプじゃねーと思うが」
「ああ。俺もこんな経験生まれて初めてだ。ラブレターなら何度か経験あるんだけど……」
自慢じゃないが、俺は剣道部の部長をしていて顔も整ってるから結構モテる。
廊下でウインクすれば、
「キャーッ氷山先輩っ!」
と女子達からは黄色い歓声が上がるし、男子達からは、
「氷山さん今日も凄え……!」
と羨望の眼差しを向けられる。
けど、それで思い上がったりせず、歳の差関係無く他人には優しく接してきたつもりだ。
それ故、こんな事される理由が分からない。
「犯人の目星は付いてんのか?」
「いや、それが全く……あっ!」
「どうした⁉︎」
「一人いたわ、犯人候補」
俺は一人の女子生徒の顔を思い浮かべる。
艶のある黒髪を三つ編みに束ねた美少女。
いつもは大体無表情だが、たまに見せる笑顔には茶目っ気がある。
「犯人は、椎木さんだ!」
「しいき?……あ〜。お前の隣の席の人か」
彼女は学校ではさほど目立つ存在ではない。
しかし、整った顔立ちのためか密かなファンが多い。
「なんで椎木さんが犯人だと思うんだよ?」
「うん。俺さ、あいつにこの前告白されたんだよね」
「はあ⁉︎」
岩本は思わず、椅子から床に転げ落ちる。
その後、照れ臭そうに頭をポリポリと掻いた。
「はえー意外だなあ。そういうタイプには見えなかったけど……」
「俺も正直驚いたよ。まあ、すぐフッたんだけどな」
「ケッ。これだからモテる男はずるいわ」
僅かな間、岩本は脚を組みながら考え込む。
そして目をカっと見開いた。
俺の言いたい事が読めたらしい。
さすがは俺の親友。
「つまり、お前はフラれた仕返しに椎木さんが悪戯してるって予想してるわけだな?」
「ああ、多分そうだと思う。つーか、それしか考えられん」
犯人が特定できたのだ。
後は然るべき対処をするだけだが……。
「犯人が分かれば話は簡単だろ。椎木さんに直接言えばいい、タチの悪い悪戯は止めてくださいって。それか先生に相談するとか」
「それが、そういうわけにもいかないんだよ」
「ん、なんで?」
俺は溜息を一つ吐き、岩本の方に顔を近付かせた。
岩本はゴクリと生唾を飲みながら俺の顔を見る。
「最近誰かに見られてる気がするんだ」
「み、見られてる?」
「うん。何処にいても不自然な視線を感じるんだよなあ」
困り果てて俯く俺を岩本は冷や汗を垂らしながら見つめてくる。
「それってストーカーされてるってことか!?お前はそれも椎木さんの仕業だって言いてえのか⁉︎」
「落ち着け。あくまで可能性の話だ」
視線を感じるってだけで具体的な証拠があるわけじゃないし、一連の犯人が椎木さんだって確証も無い。
「でも、もし全部椎木さんの仕業だったとしたら、下手に刺激しない方が良いかもな」
「ああ。逆上して何するか分からん……」
しかし、このままでは問題は解決しない。
解決案の出ないまま、俺と岩本は暫くの間互いの顔を見つめ合った。
やがて、岩本が声を上げる。
「そうだっ!」
「なんだ岩本。何か良い案があるのか?」
岩本は学生鞄をガサゴソと乱暴に引っ掻き回すと、それを俺の眼前へと掲げた。
「ジャジャーン!」
「何それ……?」
「何って見たら分かんだろ。ただの人形だよ」
岩本の手に握られたそれは、小さなクマの人形だった。
モコモコとしたスポンジのような素材で作られているようで、体表はピンク色に塗装してある。
「だがお前にとってこれは……呪いの藁人形だ」
「え、呪い?」
岩本は人形を右手で弄びながら、得意気に話を続ける。
「フフッ。これに釘を打ち込めば、嫌いな奴を殺すことが出来るんだ……」
「おい、ちょっと待て。岩本まじで言ってんの?」
その人形はどこにでも売っているような普遍的な物だ。別段、特徴らしい特徴は見られない。
「よく聞け氷山よ。呪いの根源は感情だ。対象のことを強く念じながら釘を打ち込めば、呪いは確実に効く。それは人形がスポンジで作られてようと、藁で作られてようと同じことだ」
「つーか、何で俺が椎木さんを呪い殺すって方向で話が進んでんだよ……」
物騒すぎるだろ。
岩本は構わず話を続ける。
「軽く念を込めれば、相手を怪我させる程度ですむさ。これを使って椎木さんを怖がらせれば悪戯も無くなると思うぜ」
「うむ、成る程」
呪いなどという非科学的な物に絶対的な信頼を寄せるつもりは無いが、親友の岩本の言うことだ。
少しくらい信じてみても良いだろう。
岩本はピンクのクマ人形を俺に手渡した後、思い出したかのように付け加えた。
「あ。ただし、人に見られたらダメだぞ!呪いの儀式を他人に見られてしまうと、効果が倍になって自分に返ってくるからな!」
「お、おう。人のいない所でやるよ」
危ない物らしい。
取り扱いには要注意だ。
「にしてもさ、なんで氷山は椎木の告白を断ったんだ?あいつ結構可愛いのに」
「あれ、言ってなかったっけ」
岩田が首を傾げていたので、俺はあっさりと答えた。
「俺、好きな人がいるんだよ。隣のクラスの佐藤さんって子」
「え、初耳だ。へえ……」
岩本は結構驚いていた。
驚きのあまり、持っていた学生鞄を床に落とす。
俺はそれを見て軽く笑った。
そして、帰り際。
岩本は俺に謝ってきた。
「余り役に立たなくてすまなかったな」
「何言ってんだ。充分だよ親友」
「よせよ、照れるだろ」
岩本との熱い友情を確かめ合った俺は、ピンク色のクマを学生鞄に詰めた後、教室から去った。
◇
その夜。
時刻は午前二時。
俺は呪いの儀式を開始した。
場所は家から少し遠い所にある朽ちかけた神社だ。
神社といっても名ばかりであり、近寄る人間は皆無と断言していい。
「よし。ここでするか」
俺は親友から受け取ったピンクのクマ人形を大木に押さえつけると、怒りに任せ、釘へ向かってハンマーを振り下ろす。
「椎木ッ!お前がッ!悪いんだからなッ!逆恨みでッ!嫌がらせなんかするからッ!」
無我夢中でハンマーを振り下ろす。
釘が突き刺さっていく独特の感覚が癖になり、ハンマーを振り下ろす手にもつい力が入る。
「くそっ!くそっ!くそっ!くそっ!」
暫く儀式を行った後、ふう、と一息つく。
大木に刺さった人形を見てみると、形が崩れて中身のスポンジがはみ出ていた。
「うん……ちょっとやりすぎたな」
俺は苦笑した。
つい夢中になってしまい、余計な力が入りすぎたのだ。
「しかし、呪いって本当にあるんだろうか」
呪いなんて物を本気で信じているのかと誰かに問われれば、正直言って信じちゃいない。
今晩の俺の行為だって半分本気で、半分冗談みたいなもんだ。
オカルトなんてバカらしいと思う気持ちもある。
しかし、あの時に教室で見た岩本の鋭い目。
俺は迷信を信じたんじゃない。
岩本を信じたのだ。
「さ、帰ろ」
俺は疲れて欠伸をすると、朝日を眺めながら来た道を引き返す。
林の中から覗く、怪しげな視線に気付かぬまま……。
◇
次の日。
現代文の教師が話す念仏のような授業を聞き流しながら、俺は時が訪れるのを待った。
(さあ、そろそろだぞ……!)
呪いの儀式に成功しているとすれば、あと一分で何かしらのアクションが起こるはずだ。
(さあ、来い……呪いよ発動せよ!)
高鳴る胸の鼓動を抑えながら、俺は隣の席に座っている椎木をチラ見する。
(三、二、一)
ガッシャン!
瞬間、身体が椅子から転がり落ちる。
教室の空気は一転、たちまち修羅場と化した。
「きゃあああ!」
「うわあああ!」
「どうしたああ!」
椎木や岩本達の悲鳴がけたたましく響き渡る。
それを床で倒れながら、ぼんやりと聴く。
(なんで、俺が……⁉︎)
呪いが作用したのは、俺の身体だった。
異常な胸の痛みに堪らず床でのたうち回るが、いくらそうしても痛みが引く気配は一切無い。
(なんで、なんで、なんで、俺なんだよ!!)
昨夜の儀式を誰かに見られていたのか?
いや、それは考えられない。
あの神社には滅多に人が来ないんだ。
ましてや時刻は午前二時だぞ。
くそ、なんでだ。
「がっ……はっ……」
意識が朦朧とする最中。
口から鮮血を撒き散らし、地べたを這いずりながら岩本の方を見上げる。
岩本は口元を押さえながら不敵に微笑んでいた。
「い……わ、もと」
そこで俺の意識は途切れた。
◇
「きゃあああ!」
「うわあああ!」
「どうしたああ!」
氷山という名の生徒が授業中に突然暴れだした。
数分手足をばたつかせた後、眠るかのようにパタリと動かなくなった。
現代文の教師はその光景を暫くの間、唖然とした表情で見つめていた。
が、やがて飛び上がったように生徒を見回し、氷山の近くに居た美人の女子生徒に声をかけた。
「岩本、百十九番だ!」
「は、はい!」
呼ばれた岩本陽奈は、急いで携帯電話を取り出して救急車を手配してもらう。
近くの女子生徒達が小声で話し合う。
「ねえねえ。岩本さんの顔、笑ってるように見えない?」
「え?気のせいでしょ……こんな時に」
「うーん。それもそうね」
岩本陽奈の心中は黒々とした狂喜に満ちていた。
様々な感情が入り混じった暗黒は、少女の端正な顔を不自然に歪ませる。
(氷山、あのとき言ってたよな。隣のクラスの佐藤さんが好きだって……つーか誰だよそれ、ふざけんな!)
氷山と岩本陽奈は幼い頃から仲が良かった。
昔からよく一緒に遊んだ。
いつしか陽奈は氷山に好意を抱いていた。
しかしそれは、陽奈の一方的なものでしか無かった。
陽奈の男勝りな口調や態度に、氷山の男心は反応しなかったのだ。
結果、氷山は陽奈の気持ちに気付かないまま、いつしか親友というポジションに収まっていた。
(あたしの方がお前を何十倍も好きだったのに!)
陽奈の心は既に限界だったのだ。
靴箱への悪戯も、不自然な視線も、神社での行為を見ていたのも、全ては陽奈の仕業だった。
(何が親友だよ……。お前なんか死んで当然だ、バカヤロウ)
大粒の涙を流しながらも、岩本陽奈は微笑を浮かべる。
その表情はいささか複雑で、喜んでいるようにも、悲しんでいるようにも見えた。