スタンドプレイ
(1)
その視線が鬱陶しいんだけど。
頭上から斜め後ろら辺にかけて、戸惑いを含んだ空気が纏わりついてくる。
「吉岡さん。書類渡すのにいちいち声掛けようとしなくていいから」
デスクトップ画面から目は逸らさず。
キーボードを叩く指も止めず。
書類を机に置くよう呼びかける。
「え、でも、この間は黙って置いていくのはやめて、と……」
「その時は私が席を外していたからでしょう??せめてメモ書きの一つでもあればよかったけど、それすらもなかった。だから注意したまで。今、私はここに座っているし、手が放せないことくらい見てわかるよね??」
「……はい……」
「いいからさっさと置いて。時間を無駄にしないで」
「…………はい…………」
吉岡さんは消え入りそうな声で返事をすると、おずおずと机上に書類を置いた。
あぁ、あからさまに落ち込んだ顔しないで欲しい。
まるで私が苛めているみたいじゃない。
逃げるように私から離れていく吉岡さんを気配だけで感じながら。
机上に置かれた書類を視界の端でちらりと確認する。
「吉岡さん」
キーボードを叩くのをやめ、私は初めて画面から視線を移動させる。
吉岡さんの肩が大袈裟にビクリと跳ね上がり、ぎこちなくこちらを振り返った。
「な、何ですか……」
「何がおかしいか、分かる??」
「え」
書類を差し出せば、吉岡さんは徐に首を傾げて眉尻を下げる。
なーんで気付かないんだろう。
この子の目は正面についているはずなのに、何にも見えてない。
否、見ようとしていないし見る気もない、と思う。
「ホチキス打つ場所が違う。右上じゃなくて左上だよね??」
「あ……」
「……って、ホチキスしてある書類、今までに見たことあるよね??どれも左上に打ってたと思うけど。何度も言うけど、こういうことくらいは私が教えなくても自分で気付いてやってよ。ちゃんと周りを見ていれば分かることでしょ??」
「……すみません……」
パソコンやコピー機から放たれる機械音が低い唸りを上げる室内で、私のため息がやけに大きく響く。
先程まで他のデスクから聞こえていたタイピング音はいつの間にか止んでいる。
手を休めている余裕があるのかしら。
一分一秒でも速く仕事を進めなさいよ。
かくいう私自身、そうしたくて堪らないのに。
「もういいわ。私がホチキス打ち直すから自分の仕事に戻って。こうしている間の時間が無駄だし」
有無を言わさず、吉岡さんの手から書類を奪い取る。
私は間違ったことは言っていない。
いい加減な適当仕事をして欲しくないだけ。
肩を落として持ち場に戻る吉岡さんに代わり、手早くホチキスの針を外し新たに打ち直す。
僅かな時間かもしれないけど、無駄にした時間を取り戻すべくタイピングのスピードを上げる。
つられるようにして、周囲のデスクからタイピング音が再び鳴り始める。
「高橋さん、悪いけどこのデータも打ち込んでくれない??」
「ここに置いておいてください」
機嫌を窺うような、媚びを含んだ気弱な笑みで課長がデータを纏めた書類を机上に置いていく。
「課長、これ、先月末の分……、しかも期限は今日までじゃないですか!」
「いやー、忙しくて、つい忘れていてね……」
「忘れてた……って!以前も同じようなことがありましたよね!?何でまた繰り返すんですか!!」
「いや、本当、すみません。でも、高橋さんなら仕事が速くて正確だし、どうにか期限に間に合わせられるかなぁ、と」
「すみませんじゃないですよ!!私だって自分の仕事や吉岡さんへの指示で忙しいんです!今回は私がやりますけど!!課長も自分の仕事くらい自分で片付けてください!!ただでさえ人手不足なんですから、もっとしっかりして頂かないと私だけじゃなくて皆が困ります!!」
ぐうの音も出ないと言った体の課長をきつく睨む。
とりあえず、言いたい事、もとい、言うべき事は言い切った。
腹の虫は全然収まっていないけど、最優先すべきは目の前の仕事。
頭を切り替えなきゃ、ね。
どのみち課長がやるより私がやった方が速いことには違いないもの。
開いていたウィンドウを下に下ろし、別のウィンドウを新たに開く。
苛立ちをぶつけるかのごとくタイピングの動きは更に速まり、キーボードを叩く指には力が籠っていった。
(2)
合間のトイレ休憩も昼休みも返上し、仕事がひと段落就いた時には定時近い時間だった。
軽い頭痛と眩暈を和らげるため、目を閉じて瞼を緩く揉み解す。
首を二、三度回し、ようやく席から立ち上がる。
帰り支度を始める人も見掛ける中、束の間の休憩のためにトイレと給湯室に向かった。
廊下を間にアイボリーを基調とした両側の壁の白さが、痛む目には少々眩しく映る。
自然と眉間に皺が寄り、目が細くなる。
機嫌が悪そうに見えるのか、同僚や後輩が避けるように擦れ違っていく。
怒っている訳じゃないのに。
却って私の機嫌は少しずつ傾いていく中、ゴミの入った袋を手にした吉岡さんを見掛けた。
吉岡さんは私に気付くと、軽く会釈をしてみせた。
「これは何??」
「あ、給湯室のゴミが溜まっていたので捨てに行こうかなと……」
「そういうことは気付けるんだ」
吉岡さんの顔色が青褪めたかと思えば、頬が朱に染まっていく。
嫌味じゃないの、まだ続きがあるんだから。
早とちりしないでよね。
「ゴミが溜まってきたから捨てる、っていう気遣いができるなら、仕事でも生かして欲しいし、できる筈よね??」
「……はい」
「今後、努力するように」
呆然と佇む吉岡さんを尻目に私は進む。
ボーッとしている暇なんて私にはないの。
だって、私の代わりになる人は誰もいない。