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軽薄

友人からのお題「悪気なく人を簡単に傷つけるダメ男」を元に書いた話です。


(1)

 カランと音を立てて、店の扉が開いた。


「いらっしゃいませー」


 入ってきたのは、手入れが行き届いた長い黒髪の女性、聡美さんだ。

 鼻筋がシュッと通った端正な顔立ちにスラリとした長身の聡美さんは、女優やモデルみたいなんだよな

 彼女を初めて見る何人かの客はそれとなく視線を玄関に集中させている。


「聡美さん、久しぶりっすね」

 自然と逸る気持ちを隠して聡美さんに声を掛ける。

「そういえば、一か月はご無沙汰していたわね。最近、仕事が忙しかったから」

 白地のダウンジャケットを丁寧に畳み、カウンターの回転椅子の背もたれに掛けながら聡美さんは悪戯っぽく笑う。 

 ツンとすましていそうな印象なのに実は人好きのする気さくな人なんだから、この俺が惚れない訳がない。


 席に着くと、聡美さんはスマホを弄り出したため、会話はこれで打ち切りとなった。

 仕方なく俺は厨房に入り、他の客が注文したフードを作り始める。

 このナポリタンは木村が注文したんだっけ。

 あ、 ちょっと量多くなるけど、これ全部使い切っちゃおうかな。

「こんなに食べられないぞ?!」ってクレームきそうだけど、まっ、いっか。どうせ木村のだし。


 俺が働く夜カフェはオーナーのいい加減な性格を表してか、良く言えば自由でアットホーム、悪く言えばとにかく雰囲気が緩い。

 常連客に対して、遊び心でちょっとした悪戯やサプライズを仕掛けたりするなんて日常茶飯事。

 だから、フードの量が適当でも笑って許されるって訳。


「恵梨香っちー、悪いけど、聡美さんの紅茶よろしくー。あ、ホットね」


 俺は厨房から顔を出し、カウンターでビールサーバーを操作している、柔らかい茶髪ボブカットの女――、俺と同じくこの店のバイト、恵梨香っちの背中に告げる。

 恵梨香っちはグラスに溜まった泡を捨てることに神経を集中させていて、返事をしない。

 聞こえてねぇのかよ、と若干苛ついたが、「恵梨香っちー??」ともう一度名前を呼ぶと、「聞こえてる!紅茶ホットでしょ!!」とつっけんどんな言い草で返事を返された。

 聞こえているなら返事くらいしろよ、と、心の中で悪態をつきながら、俺は再び厨房へ引っ込んだ。




(2)


「お待たせしましたー、ナポリタンっす!」

「ちょっとちょっとちょっと!これ、量多すぎでしょ?!」


 二人掛けのテーブル席に座る、メタルフレームのださい眼鏡を掛けた地味な中年男、木村は、皿から溢れ返りそうな大盛りのナポリタンを見た途端、素っ頓狂な声を上げて苦笑いを俺に寄越してきやがった。 

 予想通りの反応とはいえ、いちいちうるせえよ、と心中で舌打ちする。


「いやいや、木村さん!男ならこれくらい、いっちゃいましょうよ!!」


 いい年してこいつは気が小さいから、開き直った態度で構えればそれ以上は何も言えなくなる質なのだ。

 現に、明るく笑い飛ばしてやったらさ、明らかに困った顔をしている癖に次なる文句を飲み込んでいる。本人としては自分の方が二回り近く年上だから、あえて黙っていてやるのが大人の対応だと思っているのだろうけど。


「木村さん、私ちょうどお腹が空いてるから手伝うわよ」

 木村と同じ席で向かい合わせに座る若い女、香織がすかさず助け舟を出してきた。

「菅原―、小皿とフォークとスプーンを持ってきてよー」

 椅子の背もたれにだらしなく寄り掛かり、香織は俺を振り返って偉そうに言ってのける。

 切れ上がった大きな猫目で誘うように見つめながら。

 他の男ならドキリとさせられるかもしれん。

 でも俺は、媚びを含んだ眼差しに心底うんざりするばかりだ。

「へーい、ちょっとお待ちー」


 返事しながらも香織の目線をさりげなく避ける。 

 何回か遊んだことがあるぐらいで馴れ馴れしいんだよ。

 大体、俺以外にもこの店に来ている男と遊んでいる癖に。

 それも一人や二人どころじゃない。


「へーい、小皿、スプーン、その他諸々でーす」

 香織となるべく目を合わせないよう、小皿をさっさと木村に手渡す。

「香織さん、ありがとうねぇ」

「いーえ」


 香織と木村の妙な仲の良さ。

 傍から見れば、付き合っているように見えるかもしれないが、香織曰く「木村さんは私のお父さんみたいな人」らしい。

 俺から見ても、この二人に限っては、男女関係は存在しないような気がする。

 木村はこの店の常連客の女、特に精神的に弱い女の世話を焼くのが好きだからか、こう見えて女の知り合いはやたらと多い。

 だが、誰一人として奴を男として見ずに「良いお兄さん・お父さん」としか見ていない。

 誰とでも寝る公衆便器女の香織ですら。

 まさに、良い人=どうでもいい人の図式を見事に体現していると感心すらしてしまう。


 カウンターに戻ったはいいが、聡美さんは恵梨香っちとのおしゃべりに夢中で俺に目もくれようとしない。


 避けられているのだろうか。

 いや、それならば、店に来ることはないだろう。

 あぁ、避けるも何も相手にすらされていない、ってことか??


 自分の存在を誇示するように、俺は聡美さんにチラチラと視線を送る。

 すると彼女は横目で視線を受け取ってくれた。


「菅原くん、今ね、恵梨香ちゃんにうちの子の動画を見せていたんだけど、君も見る??」


 聡美さんがいうところのうちの子とは、彼女が飼っている犬の事だ。

 動物にはてんで興味ないが、聡美さんと話す口実になるので「ぜひ見せてくださいよー」と答えた。

 スマホ画面に映し出されていたのは、テディベアを思わせるモコモコの毛並みの子犬がボールを鼻先で転がしている映像。

 女二人は可愛いだの、ボールで遊ぶというより遊ばれているだの、キャッキャッと嬌声を上げている。

 俺には何がそこまで盛り上がるのかさっぱり分からない。

 場の空気を読んで「かーわーいーいーー!!」としきりに連呼しておいたが。


 そんなことよりも……、俺が聡美さんに「付き合って下さい」とラインを送り、「考えさせて欲しい」と返事を保留されてから早二カ月。


 一体、いつになったらはっきりしてくれるのだろうか。

 片や一流企業の受付嬢、片や夜カフェのアルバイト店員。

 おまけに俺の方が六つも年下。


 駄目モトでの告白とはいえ、ここまで相手にされないと流石に落ち込んでくる。

 最近では、恵梨香っちにまで愚痴をこぼす始末だ。はぁ。


 隣に佇む恵梨香っちを見てみると、さっきまで浮かべていた笑顔がどんよりしている。

 理由はすぐに判明した。

 眼鏡を掛けたシャープな顔立ちのスーツ姿の若い男が、今し方店の中に入ってきたから。


「いらっしゃいませー。子安さん、久しぶりですねぇ」


 カウンター席の端に座った子安に声を掛けるが、奴は俺を一瞥した後、「……ハイネケンお願いします」と言うやいなや、すぐにスマホを弄り出す。

 まったく、聡美さんといい子安といい、この店の従業員の想い人は揃いも揃ってこうもスマホ中毒者なんだろうか。

 ……俺も人の事言えた義理じゃないけどな。


 恵梨香っちはカウンターの中のシンクで無心にグラスを洗っている。

 そうでもしていないと気持ちが落ち着かないのだろう。

 子安も恵梨香っちから顔を背けるかのように、肘をついてスマホを弄り続けている。

 そんな態度を取るくらいならわざわざ来なくてもいいのに。

 二人の関係を知っている客も変に気を遣うだろうが。

 あぁ、面倒臭い奴ら。そう、子安は恵梨香っちの元彼だった。







(3)


 閉店後の深夜二時過ぎ。

 俺と恵梨香っちは店の後片付けに勤しんでいた。


「ねぇ、菅原くん。聡美さんから返事はきたの??」

「きてまっせーん」

 唐突に地雷を踏まれて心が折れかけたものの、俺はわざとおどけた物言いで答えて暗い気持ちをごまかす。

「そうなんだ。聡美さんが店に来たから、てっきり返事が返って来たのかと」

「多分、なかったことにされてそうー。そういう恵梨香っちだって、子安のこと吹っ切った訳??」

 恵梨香っちは憮然となり、口を噤む。

 言わなくたって分かるでしょ、とばかりに。

「……オーナー、今日も来なかったね……」


 質問に答える代わりに、全く違う話題にすり替えられてしまった。

 俺も地雷を踏んでしまったらしい。

 お互い、傷だらけじゃ世話ないもんだ。


 それから俺達は無言でそれぞれの作業に徹した。

 口を開いたら、また互いに地雷を踏みかねない気がしたからだ。


 ふと恵梨香っちを横目でじっと盗み見る。

 身長が一七〇ちょうどの俺から見ても彼女は小さいし、クリっとした大きな瞳に小ぶりな鼻や唇、丸顔な部分を合わせると、リスやハムスターと言った小動物のよう。

 世間一般の目で見ても可愛い部類だろう。

 気分の浮き沈みが激しい性格は玉に瑕だが、それを除けば充分良い子だと思う。


 俺の値踏みするような視線に気付いた恵梨香っちは、怪訝な顔をして見上げてきた。

 その表情が反則的に可愛かったので、勢い余って俺はとんでもない台詞を口走ってしまった。


「この際、俺と付き合わない??」

「……は??」


 恵梨香っちは、ただでさえ大きな瞳を更に拡げて俺を凝視した。

 呆気に取られ過ぎてか、言葉を失ったまま。

 当然の反応だよなぁ……。


「二カ月も返事が来ない時点でもう振られたも同然だしー……。振られた者同士でさぁ、仲良くならない??傷の舐め合いだって別に良いじゃん。最初から相思相愛なカップルなんて滅多にいないって。付き合っていく内に好きになっていけばいいじゃん??な??」


 よくまぁ、次から次へとポンポン言葉が出てくるなぁ、と、自分自身に呆れる。

 でも、恵梨香っちにときめいてしまったことに嘘はないし、付き合っていけば、きっともっと好きになれるような気がする。そう思ったから、言ったまでだ。


 恵梨香っちは頬を赤らめて狼狽えていて、これまた俺の気をそそった。

 一年以上同じ仕事をしていて、何で今更彼女が気になったのだろうか。

 まぁ、深く考えるだけ無駄だな。

 だって、今好きになってしまったのだから。


 再び俺達の間に沈黙が訪れてしまったので仕方なく後片付けを再開した。

 沈黙は空気が気まずければ気まずい程、苦痛ばかりが増していく。

 勘弁してくれないかなぁ。

 俺、暗くて重いのは大嫌いなんだ。

 ほら、さっきから溜め息ばっかり吐き出してしまう。


「……ねぇ、溜め息つくの、やめてくれない??」


 やっと口を開いたかと思いきや、苦情の申し出かよ。

 こういう部分は本当可愛くねぇ。


「私が返事しないから、怒っているの??」


 別に怒っていない。多少苛ついてはいるけど。


「……正直なことを言うと、少し迷っているの。菅原くんのこと、嫌いじゃないし、実は頼りになるところがあるし」

「実は、は余分じゃね??」

「あ、ごめん……。それと、子安くんと別れたばかりですぐに次、って、何だか軽い女みたいだし……」

「恵梨香っちは軽くないよ。軽いっていうのは、香織みたいな女のことだよ」

「そうかな……」


 恵梨香っちの、いまいち煮え切らない態度に苛々が募るが、あともう一押しのような気がするので我慢だ、菅原。


「俺のこと嫌いじゃないなら試しで付き合ってよ。子安みたいな顔だけの朴念仁なんか忘れさせてやるから」


 とどめで爽やかに一発笑い掛けてみせる。

 これで落ちなきゃ、無理かもしれない……。

 俺の爽やかな笑顔に対し、複雑そうな笑顔を浮かべつつ、彼女はこう言った。


「じゃあ、菅原くんを信じて……、私で良ければお願いします」


 陥落成功。

 失恋直後の女程落としやすいものは他にない。





 店の施錠後、恵梨香っちを家まで送り帰路に着く。


 ベッドに寝転がってスマホに届いたメッセージチェックしていると、ラインにメッセージが。送り主は聡美さん。

 内容を確認した俺は、危うくスマホを手から取り落としそうになった。


「……何で今頃になって、付き合ってもいい、とか送ってくるんだよ……。遅ぇよ!!」


 深夜にも関わらず、大声で叫ぶ。これが叫ばずにいられるものか。


 一年前に店に初めて訪れた聡美さんに一目惚れして以来、ずっと好きだったんだ。

 あんな綺麗な人を連れて歩けたら、男としてさぞや鼻が高いだろうと何度妄想したことか。

 まぁ、その間にも香織を始めとした色んな女と遊んではいたけど。

 それなのに、つい一時間程前に恵梨香っちと付き合うことになったのだ。

 さすがの俺も、どうしたもんかと頭を抱える。


 恵梨香っちと同時進行で付き合うか??

 いやー、職場関係での二股は上手く立ち回る自信は正直ないかも……。


 考えること数分。

 俺は結論を出すとスマホに文字を打ち込んでいく。

 送り主は聡美さんと恵梨香っち。


 まず聡美さんへの返信。

『お返事ありがとうございます(スタンプ)これからは彼氏彼女として仲良くしてね(スタンプ)』


 次に恵梨香っちへのメッセージ。

『お疲れ!(スタンプ)さっきの告白だけどなかったことにして!(スタンプ)聡美さんからOKの返事がもらえたから(スタンプ)』


 それぞれにラインメッセージを送った後、「うん、これでよし」と呟く。

 恵梨香っちから送られてくるであろう、怒涛のラインメッセージの数々で安眠を妨害されたくないのでスマホの電源を落とし、眠りについた。






(4)




   ――三か月後――



「時々ここに来る、モデルみたいに綺麗な黒髪の女性って菅原くんの彼女って本当――??」

 最近常連になりつつあるショートカットの若い女、亜由美さんが興味津々といった体で俺に尋ねる。 「えぇ、まぁ、そんなとこですねーー」


 わざと素っ気なく答えつつ、俺は内心、『そうだろう??あんな良い女が俺の彼女なんだぜ??』と、こっそりほくそ笑む。

 同時に自然と愚痴が口をついて出てくる。


「あんな素敵な人が彼女さんだなんて、菅原くんも隅に置けないわね」

「そうでもないですよ??ほら、綺麗な女性って俗に我が儘って言うじゃないですか。僕の彼女も例に漏れず、すっごく我が儘で!年上なのに僕より子供っぽいし、束縛激しいし、扱いが大変で……」

「そうなのー??じゃ、気苦労絶えないんじゃないの??」


 亜由美さんは大袈裟なまでに目を丸くして驚いてみせる。

 聡美さんに関する愚痴を聞き出したそうな、妙な好奇心を宿した目を。

 期待に応えるように俺も更に言葉を重ねた。


「うーん、どうなんですかねぇ。でも、ぶっちゃけ、疲れることも多くて別れたいなーと思う事もありますよ??まぁ、根は良い人だし美人だし、どうしようかなーと悩んでますけど」

「ふーん、悩むくらいならさっさと別れたら??」

「別れたい訳じゃないんですよ。ただ、優しくしてくれる人が別に欲しいかな、とは偶に思いますが。たまにですよ??」


 俺は亜由美さんに向かって曖昧に微笑んだ。

 そして、今は自分一人だけになったカウンターにもたれ掛かり煙草に火を付ける。

 煙草と共に、新たな関係に火が付きそうな予感を感じながら。


(終)

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