突然のガン告知
現在進行形・・2017年に入ってからの今。
1.何か変
2.想定外
3.時間
4.価値観
5.4月になれば彼女・・
6. 決めて進む
7. 想定外2
8.これから・・
9 ただ・・
10 いよいよ・・
11.One Month Husband
12.体調不良
13.転換期
1.何か変
2016年、季節は秋になろうとしている中で夏風邪をこじらせたまま咳だけが残ってしまいもう紅葉に。
これまでも夏風邪の後に咳だけが残り、コホンコホンとしていた事があったが、今回はあまりに咳が続いて仕事にも支障が。
僕の斜め向かいに座る、普段は人を馬鹿にしたような態度の部下でさえも咳のひどさでマスクを持ってきましょうかと気遣う始末。やはり尋常ではない咳をしているという事か・・・
市販の咳止め薬、台湾や香港で買った漢方の咳止め薬を使用するも咳は止まることをせず会社内にも響き渡る咳となってきた。
煙草もこの数十年止めた事なく、随分とヘビースモーカーになってしまいひどい時には一日5箱を吸うまでに。そこから気管支炎などで普段から咳が出ていた事もあり、また咳が止まらないなぁといつもの事だと思いながら過ごしていた。
この年は会社の組織が変わり、新たな部下がついたりそれまでの人間関係にも変化があったりで、ストレスだけは近年では一番多かったかも知れない。
紅葉時期を越えても、予想外に咳き込んだりおかしなタイミングで気が遠くなるような咳が続いたりでさすがに少し変だなぁ。
何だろうと思うように。
毎年の健康診断が迫る中、何かあればその時に分かるだろうと思っていたが。その1年前の健診ではドクターより「レントゲン、きれいですよ」と言われ、こんなに煙草を吸っているのに?と問うた自分にもまだ自信があったんだろうな。
12月の健康診断。前年の健診の診断項目が少なく、新たな病院での受診となった。
レントゲンが終わり次の検査に行こうとしたところ、レントゲン技師より呼び止められ「健診で何か言われた事ないですか?」と問われたが、「いえ、交通事故の後があるかな位です」と答えたところ、「あー、それかも。何か肺が縮んでるので」と言われ、初めて言われたなと思いながらその場を後に。
その日、健診から会社にもどったところ病院から連絡があり「血糖値が異常に高いのでどうされますか?教育入院もあります」との事。
肺の事を訊いたらレントゲンについては1月に入ってから健診結果が届くのでそれをご覧になって下さいと。
血糖値についてはもう数年単位で上下動を繰り返していたが、今回の数値がストレスからか過去最悪の数値となっていた為に、今回は入院治療を行おうと決め、以前から糖質制限食を実施していた京都の病院へ行き、2017年1月中旬からの入院依頼を行い入る事に。
血糖値はそろそろまともに下げていかないと、合併症も怖く会社の産業医からもしつこく言われていたので、この数字ではもう対処しなくては、いよいよだなと1月からの入院準備へ。
2017年1月に入り、中旬からの血糖値による入院準備を行っていたが、健康診断結果が会社に届きやはり胸部レントゲンは再検査との指示が。京都の病院への入院前であったが、少し気になったので入院2日前に近くのクリニックへ行き事情説明を行ったところその場でレントゲン。ドクター曰く「これは肺に水が溜まってますね、京都での血糖値入院も良いがこれは緊急性を感じるし、
今から紹介状を入れるので、明日総合病院へ行くように」また京都の病院は一度延期の連絡をしてもらい、総合病院での血糖値入院が良いかもとアドバイスを頂いた。翌日早朝から総合病院へ行く事に。
2.想定外
2017年1月17日
総合病院でまずは血糖内科へ。数値を見るなり「2週間から1か月の間の入院で血糖値を下げましょう。インスリンを打ってもらうかも知れません」との話であったが、自分としてはこれまで糖質制限食で血糖値を落としてきた事もあり、インスリンは最初から使わないで欲しいと依頼の上入院を翌日より行う事とし手続きへ。これはまずい事になったな、ほんの数日前に東京の本社で社長や副社長に京都の病院ですぐ戻るのでと挨拶をした手前、早く戻れるようにしなくてはと少し気が焦る自分がそこに。
また同時に紹介状を書いてもらった呼吸器内科も受診。まず感染症、結核など色んな疑いを晴らすべく血液検査、痰やCTなど何種類かを受けて明日からの血糖値入院の準備もあり帰宅。
実は以前事故で入院した時は結婚していたので身の回りや家の事などは何とかなったのだが、今回は一人住まいの身で用意や不安が全部自分自身にきて困ってしまっていた。愛する彼女は東京在住でもありいきなり無理な依頼もできず。ただ、血糖値が下がればすぐ戻れるし気楽な気持ちで翌日からの入院荷物の準備を粛々と行っていた。
1月18日
いよいよ血糖での入院開始。個室に入り落ち着いていた所で、呼吸器内科のM医師が入室。「昨日紹介状をもらっており、血糖入院は了解しているが今日は様々な気になる検査の結果が一部出ているのでと。。
ご家族は?と聞かれ一人暮らしで肉親はもう兄だけと答えたところ、「今から来てもらえませんかね」と言われたが、兄もすぐに来れる感じはなく、すぐは難しいですと返答。
そうしたら、M医師より「昨日の検査結果が一部出ていて伝えないといけない事があるんだけど・・」と。「でもお兄さんもすぐに来れないとしたら先にご本人だし話しておいていいかなぁ」との事だったので「いいですよ、聞かせて下さい」と返答。
M医師より、「まだ全部の結果は出ていないけど検査結果からして肺ガンですね」「えっ、肺ガン・・・・」「この検査結果からすると肺線ガンで、非小細胞性の・・・」そんなんいきなり言われても分からないし。ただただこれまずいなぁって感じで。
「肺ガンですかぁ、どれ位のガンなのでしょう?でこのまま放っておいたらどうなるのですか?」
「う~ん、肺の中に悪性の水が溜まっておりそれでステージ4です」
「え、ステージ4・・・で何もしないとどうなりますか?」
「厳しいようですが、あと3~4か月持てばですかね」
「そうなんですか・・・・」(簡単に言ってくれるなぁ、昔は本人に告知もどうするかだったのに・・・・)
平静を装っていたものの、これからどうしよ~など頭の中で色んな単語が飛び交い困った状態に。
まずは検査結果ももう少しまってまた呼吸器のM医師と再度診察を持ち、そこからは糖尿内科の病棟で血糖値を下げる事に。
病室で「想定外やなぁ、誰にどう伝えたらええねん?」「このまま血糖値の事メインでええんかな?」などなど考えながら入院初日はバタバタの間で終了。と言いたかったが、神経質な部分もある僕はガンの事を考えると寝れない羽目に。
夜中看護師が来て「寝れませんか?呼吸器の事見ました。急にそんな事言われたら考えますよね」と同情的な目つきで言われ。まぁしょうがないのでって答えるのが精一杯だったがその後3、4日はずっと夜中は寝れない状態に。
以前からの煙草の量などを考えると、病気は有り得る事かもと思ってはいたがまさかのステージ4とはこれこそ想定外!だった。
彼女へどう伝えるか、兄にどう言うか、会社にはどうしたら良いのか。まずは整理をし早めに伝えるべき人には伝えようと思う。
入院中の事もあり、まず兄には連絡がついたのでガン告知について話す。本人「ええーっ」の後があまり言葉が出ず。
詳細は電話ではという事もあったので、次回来院の時にM医師と同席の上話を聞いてもらう事に。
彼女へは・・糖尿入院したものの、検査の結果どうも肺は悪い病気になっている様子と伝える。彼女も「ええ、そうなの?」の次が出なかった。自分も逆に言われたら言葉は続かないなと思う。大阪に来てくれた時にもう少し詳細を医師同席で伝える事に。
まだ後はどうするとか細かいガン治療の方針も出てないし、不安ばかりが大きくなっていくような気がする。
3.時間
入院後は糖尿内科の教育プログラムも受けながら生活となった。食事やカロリー他これまでやってきた糖質制限食とはまた違ったもので行うため、一体どっちがええねん!と思う事がしばしば。これって糖尿に関わらず色んな病気でも言える事なんだろうな。
一般的な総合病院や大学病院は、法律で縛られた中で出来る事をエビデンスを元に行い効果がありましたね~、薬が合わなかったのでしょうか?など辻褄合わせが行われていくような気がする。そこに西洋以外のモノや根拠のないサプリや治療方法などは入り込む余地もないし。
何を信じればいいのかってあるけど自分も少しは勉強をして知識も得た上で、自らがどう身体を、細胞をキープし向きあっていくか、良く考えていかないと何をされているか?自分の状態がどうなっていくかすら分からないまま入院生活を送る事になるのでは、と思ってしまう。
糖尿は、現状の中で考えられる合併症がないか、臓器気機能は大丈夫か、目は弱っていないか、神経は?など様々な検査を行いながら結果への対応と、今の上がりまくった血糖値や一定期間内の血糖変動の数値であるヘモグロビンA1cの数値を下げるべくの薬を飲み、毎日の数値変動を見ながら朝は先生や栄養士さんの糖尿に対する講義を聞く時間が組み込まれた。確かに教育だ。・・
呼吸器M医師からガンの事を糖尿内科にも共有された為、一定の数値が出てくれば早目の退院としガン対策に比重を置く事になった様子。約1週間で血糖の方は早目の退院となった。
その合間を縫うようにM医師からは検査の追加が入り行う事に。M医師は部屋に来られ説明をしてもらう。先日分かった病気を今後どう対処していくかの為の検査。つまり薬剤が効くかどうか、使えるかどうかの見極めの為の遺伝子検査などを行って治療計画を立てまた話をしてくれるらしい。
その前に転移の可能性も調べたいと、退院後も1月31日にMRI,PETについては別の病院で検査を行うようにスケジュールされた。
どうやら自分の今の現状はパターンからすると転移もあるだろうし、それが分かってからの計画立案って感じかな。
時間が思った以上にのんびり過ぎているような気がする。きっと激しい痛みもないせいだろう。
4.価値観
1月31日の頭部MRI,2月2日に他院でPET検査を受ける。結果、MRIは頭部に数か所転移が見つかる。これについてはM医師より「脳は早目に放射線で叩いた方が良い。何故なら腫瘍の場所によっては神経を圧迫したり大きくなった場合、運動神経や言語系にも影響を及ぼすので、今のような意思疎通も出来なくなる。まずはPETの結果も出るが脳を優先してほしい」との話。
確かに抗がん剤に対する考えなどもあり、自分の意見をM医師には何度か話していたが、それも出来なくなるのはある意味「されるがまま」の状態になるので、まずは優先順位を上げて進もう。と考え紹介を受けた大阪では有名な病院へ2月14日に。人気があるのか待合も人が一杯。脳外科は普段は行かないしこんなに患者さんがいるものだと驚きながらの待合室。
いよいよ順番が来たが、どうも担当医師とマッチングが良くないと感じる。冬場は患者さんが増えるみたいで「今日にでも予約をしてもらわないと部屋を押さえれないし、どうする?早くしないと知らんよ」的な態度。ベルトコンベヤ式でしかも開頭手術でもなくいわゆるγナイフと呼ばれるコンピュータ制御の手術なので、人の手は関係ないからねと。担当医師からすると大した難易度の高いオペでもないのでさっさと決めろよと思っていたのでしょうが、自分にとっては大事な事。ペンディングにして考えさせてもらいますと帰宅。
帰宅後すぐに別の病院を探し、少し遠くはなるが神戸の新しい医療エリアにある病院のアポを翌週に取り行く事に。ここは設備も最先端のものを導入し万が一は紹介状がなくても受けてくれるので、次を探す意味では最良であった。
2月20日に診断で伺い、オペ内容も説明を受け神戸で数日間入院の上放射線治療を行う事で決定。
2日後に主治医M医師へ外来。断った大阪の脳病院から手術を受けずと連絡が来ていたようで、M医師には任せられる方では無かったので止めたと説明。また神戸は説明も分かりやすかったのでそちらで決めましたと報告。
M医師から先日のPETの説明もあったが、リンパ転移、骨転移もあり全くいい話ではない。ただ脳をまず叩くので、それが無事終了してから原発の肺をどうしていくか話し合いましょうとなった。
会社にも休ませて頂き迷惑を掛けている。自分の年齢の事もあり世代交代は既に行われているものの、迷惑だけを会社に掛けるのって辛い。現状報告をメールにて副社長に行い、とにかく治療に専念するよう言葉を頂く。もう入社してから変化をしつつも30年以上お世話になっている現社長には感謝の言葉以外に思い浮かぶ言葉がない。
この辺りから兄や彼女と今後の治療について話を何度もし、またM医師にも何度か自分の考えを話す事となる。
例えば遺伝子を調べ、この抗がん剤が効きそうだからやりましょう。と言われてもすんなりと受け入れない自分がいる。それは病気とどう向き合うか、また今後の生き方をどうしたいか、などと関係する事なので安易な結論は出せないが自分らしい今後というものを考えて治療について方向性を出そうと思った。
3月4日には親戚の姉と息子とも食事会を兄と共に行う事に。
病気の話をし、これまでも世話になっているのでお礼とこれからも生きる限りは仲良くしていきたいと思う.
両親や親戚の叔父叔母も関西ではほぼ亡くなり、今の住まいから会えるのは兄と、このお二人のみ。感謝して長生き出来るようにしたい。
また転移も分かってからは、一旦自分の中で体力があり話せる間に人と会っておこうと思い、3月は元同僚や取引先の古い知り合いにあったりで一応病気の事は伝えておいた。ほぼ元気に話し歩いていたので、ほんまにステージ4のガンですか?って冗談を言ってくれる方も。確かにガンが発覚し、どこかの病院で医師の言うまま抗がん治療をすぐに受けていたら、外に出て話している事は無いと思う。
東京の会社の方が大阪に来た時にも少しだけ話す機会を頂いたが、脳への転移の放射線治療の後だったので少し心配されていた様子だったが元気そうで安心したとコメントを頂いた。
生活の質を少しでも保ちながら、ガンとどう向き合っていくか・・時間は無いがこれから。
5.4月になれば彼女・・
昔聴いていたS&Gの「4月になれば彼女・」をエーィプリル~と少し口ずさんでしまった。
東京からご両親、お母さんの体調の事もある中、彼女が4月から大阪に来てくれると言う。
これまでの年月の中で色んなタイミングの事もあり、東京と大阪で別の住まいと時間を過ごしていたが、今回の病気で色々話していた時に4月位から行けると思うと話をもらった。
こんなもういつまでか分からない自分の元にプライオリティを変え来てくれる。何と感謝をしてどう色んな事で返していけばよいだろう。自分の命に関わる事に人生の中で入ってもらう。その事に対する感謝と自分の責任もしっかり考えて生きないと。
本当に嬉しくてありがたい。
一人で通院や入院の事をしていたが、徐々にだけど身体の変調も感じていた。肺の中が何か動いている、心臓が前よりもかなり早い。
疲れやすい、肺に胸水が溜まっている為に体力が段々と落ち、場合によっては息が上がり倒れそうな事もある。
いずれは一人では生活は無理だろうなと考えていた。
どう一緒に生きていけるか、例えそれが1か月になったとしても全力で考え過ごしていきたい。
4月10日・・彼女が我が家へきてくれた。それまでと生活の色合いがどんどんと変わっていくのを感じる。これでガン細胞が少し遠慮をするではと思う位に自分でも明るくなったり前向きに考えられるような気がする。
6.決めて進む
元々、ガン宣告を受けてからいわゆる一般的なガンの標準治療は止めようと考えていた。それは自分の父親が抗ガン剤の副作用で辛そうなのを感じたり、母親がガンではなかったが難病指定を受けていた病気の治療で担当医師にいいように治療をされていると感じたりと自分に置き換えた場合の事を感じていたからに他ならない。
日本だけがガンの死亡率が上がり、標準治療から改革を進めてきている他の国は死亡率が下がっている現状をこの国はどう考えているのか。
自分は生きる為というより生きている自分の価値感の為にこれからの予後について決めていきたい。
ある人は「早くいいお医者さんに頼んで、さっさと治療を始めないと」と言う。そんなのんびりしていたら命が短くなるよと。
良いお医者さんに診てもらい、抗がん剤で副作用に苦しみ、結果何もしないより短命になったり色んなパターンを見てると何が自分にとって良いのか?って何度も考えてしまう。色んな書籍やネットから情報を得てその裏を取り、何が正しいかを自分なりに精査しながら人の意見も聞きつつ決めていきたいと思う。決断が遅いも早いも自分が納得済で決める事に何の後悔にないし、受け入れるしかない。
7.想定外2
ガン発覚後、総合病院の主治医M医師と話しつつも、転移した脳を叩いた後の事をかなり積極的に調べ大阪、兵庫、京都の病院へ多い時は一日3件も回ったりして情報と治療方針について様々な意見を3月から聞いてきた。結果ある程度の方向性を自分の中で出しながら、いよいよ決め込み動き出そうとしていたのだが・・
総合病院の診察ではレントゲンで段々と胸に水が溜まり増えてきているのは見えていた。ただ、治療を開始する事でこの胸の胸水が減少するだろうと甘く考え、治療の方向性を出す事に注力していたところ、3月のある時点から呼吸が段々と辛くなってきていた。
総合病院のM医師はレントゲンを見て「水が増えてきていますが、今日は抜くのを止めましょう」と2度レントゲン結果で胸水を抜くことを行わなかった。あまり増えた場合に肺に水が溜まらくする施術方法があり、それに最終切り替えようと思ってたのではと思う。
それまでは、一人で京都まで車で運転をしラドン温泉や病院まで行っていたが、4月に入ってから呼吸の苦しさと共に体力が落ち、家の中で数歩歩いたりマンションの駐車場まで行くだけで息があがり、ゼイゼイと意識が遠くなる位に辛くなってきていた。
4月に彼女が来てくれてから思ったのだが、一人で暮らしているままだと既に苦しさからギブアップし、総合病院へ緩和措置で入っていたと
思う。自分で血中酸素状態を測ったりはしていたが、いよいよ寝る時も苦しくなってきた為に主治医に酸素の事を話し相談。
その日のレントゲン結果が右の肺がついに上まで真っ白になり呼吸出来ていない事も分かった。検査の結果、在宅の酸素吸入と移動時の酸素ボンベのレンタルがOKとなり4月中旬より使用を行う。使う事で何と利用前と呼吸状態が違う事か。
移動の時も少し楽になったが、ただこれを利用出来ないとお口パクパクの魚のようになりそうで怖い部分もある。
自分の中では想定外の順序が逆になってしまった胸水増加による体力低下。これを何とかしないと本題の原発のガン治療に入れない。
悔しいのとどうしたら良いか悩んでしまう。彼女は僕を車に乗せて病院へ治療方針など様々な情報も取りに同行してくれている。
その動きにも何とか報い少しでも元気になりたいと願う。
8.これから・・
5月ゴールデンウイーク前。総合病院で再度レントゲン。この2週間で肺から2Lほど胸水を抜いている、
溜った水は栄養素も入っているらしく、腹水もそうだがあまり抜くと栄養素が出てしまい、身体の弱り方が顕著になってしまうらしい。
ただ病院もドクターの休みの事もあり休み前に水を抜いて呼吸を楽にさせてくれている。
休み明けにまた呼吸状態を診て、内容によっては水から抜けていく栄養を再度体に入れる措置を別の病院で行いながら、今後について決めていければと考えている。総合病院はもうステージ4でフルでの抗がん剤治療を行わないとと言ってからは、ガン治療というより残った時間をどう過ごすかへシフトしておりガンとの向き合いについてはもう頼れないと感じている。
早くどうにか体力をリカバリして、出来る範囲と自分でこれはと思った対ガン治療を動かしたい。
9. ただ・・
ただ、思った以上に胸水のたまりが早く、それに伴う体力低下も著しくなってきた。以前なら病院の中も何とか歩けていたのが、少し歩くとゼイゼイとなり呼吸も苦しくなる。
血中酸素を測るモノを常備し測っているが、トイレ後など90%を切り高山登頂にようになり苦しさが増す事に。
胸水を抜くだけではなく、そこから抽出した栄養分をまた体内に戻す施術を行うべく、リスクを含め他院の実施実績を調べ行おうと。
この辺りから、不安からか夜の不眠がひどくなり1時間に一度目をさましたりトイレが入り、パートナーには大変な労力をかけだした。不眠不休の看病だ・・・・
10.いよいよ・・
6月以降は何度かの胸水を抜き入院から戻ったが、体力の落ち込みが厳しく夜中も尿瓶の世話になる程に低下、それを1時間ごとに処理し喉が渇いたと何度も氷を入れた飲料水作りでパートナーも疲弊が見えてきてしまった。しかも関東のご両親が体調不良で月に何度か実家へ。見ていてもかなりの負荷がかかりだして顔付きも変わってきたかも。
僕はガンとの闘いなのか、毎晩寒くなったり暑くなったり一瞬で切り替わり、吐き気と共に発作のように咳き込みを日々何度か繰り返すように。もう嫌だ、苦しむのをじっと見てるしかないのも辛いと思う。
毎日、調子の上下動もひどくなり夜中に何度もいよいよだからと呟くようになってしまった。
こんな辛いと、もうどうでもいいからこのまま楽にと何度も思ってしまう。
でもね、辛い人を見る辛さはもっとあるかもと・・
いよいよかも知れないけど、来週から入院で少しゆっくり胸水など調べてもらう事に。
11.One Month Husband・・
6月も末になり主治医の言うタイミングに。誰がそんなん決めたんやと心の中で叫びながら、でも不安がいっぱいで。
そろそろいろいろな方に挨拶をしないといけないかなと思っている自分がもう一方で居る。
そんな中近況報告をしていた会社の会長と社長が見舞いに来て下さった。ありがたい。
あまりの嬉しさに話過ぎ、あとで彼女から『本当によくしゃべってたわね』と言われる始末。
でもそれほど二人の顔を見て元気が出てうれしいひと時だった。
少し、生きていこうと言う気が湧いてきた。
目の前で背中が見える彼女とone month husbandになってしまうかも知れないけど、籍を入れる事に。
親兄弟でもなかなかできない領域での看護に感謝しながら。ほんとうにありがとう。
7月に入り籍を入れた。これから先1ヵ月か半月かいつまで命が持つかわからない。
その中で自分の責任の事もあるとは言え、よく理解してくれて結婚してくれたと思う。
まずは感謝したい。と同時にどこまで自分が努力して生きるかも必要と思う。
12.体調不良
7月に入り急激に食欲が落ちてきた。ともに毎日が辛い。少し食べても飲んでも戻し、朝も昼も夜も家で迷惑をかけるようになる。
肺の水もまた溜まりだして来た。いったん肺の水を出しその中から栄養を取り出し、身体に戻すCARTという施術を梅田にある病院で再度やろうと決める。
CARTはうまくいったと思ったのもつかの間、肺に穴が開く、肺気胸というものになっているようだと、担当医から報告があり、あまり食事も何も摂れない中で気が滅入っていく自分がわかる。
食事もゼリー食だけ。いつまでこうしているのか。
ほどなく肺気胸の症状は薄れ、一旦自宅療養に戻った。
戻ってからも体調は優れず、食事も摂れず。その上に恐れていた肩のリンパの腫れによる痛みが出現した。まるで100本の赤く熱した針で刺されたような熱さと痛みだった。夜中中家内に喚き散らした。
ベランダから落とせとか、車に乗せてくれたら自分で運転して死ぬ、みたいな理不尽な事を言い妻を困らせていた。肺の水が溜るスピードも速まりすぐに息苦しくなってしまった。
あまりのしんどさに2週間後またCARTを受けることとなった。
病院へはやむなく救急車で。
その時には栄養状態も悪く、CARTをすること自体がリスキーになってしまった。
何も食べられず、朝昼晩栄養ゼリーを出され見ただけでえずく始末。栄養状態の改善もできるはずがない。
肺の水を抜くことだけをして、また自宅へヘロヘロになりながら帰った。
13.転換期
また自宅療養になってからというもの、毎晩苦しく、暑さと寒さが交互に訪れ寝ることもままならず、家内に随分と迷惑をかけた。
そこには8月のお盆が山だと言った主治医の言葉を不安に思う自分がいたかもしれない。
そのころになると体重も減少しかなり痩せ衰え、自分でもこれはまずいと思うようになった。
実は抗がん剤以外の民間療法的なことも行っていたが、その効果のほどは全く持って分からなかった。
その間実は主治医の元へは、外来で診察へも行けない僕の代わりに家内が主治医の元に行ってくれていた。
その時に治療の方向を変える方法を家内からもらったように思う。それは主治医との話で、出来る限りの事をやりましょうということに外ならない。




