Act 1-1:異世界の少女たち
「えーと……」
ぼくは、咳ばらいをした。
職業柄、人見知りをするほうではないが、相手は、異世界の少女たちだ。
えび茶色の壁に囲まれた空間には、大きな丸テーブルと、高い背もたれのついたイスが置かれている。
壁ぎわには簡素なソファや、脚つきのコルクボードもある。
ここは、森のなかに設営された、〈捜査騎士団〉の本部だ。
メンバーの居住空間も兼ねた施設で、そのなかのミーティングルームにて、ぼくとQ、そして三人の少女たちは、たがいに打ち解けないまま、とりあえず共通の話題となりうる事件の話に入ろうと、準備を始めていた。
ぼくは、あらためて、出逢ったばかりの三人の少女に目を向けた。
「もきゅう~」
床であぐらをかいている、獣耳や尻尾が生えた、背の高い少女。
獣人族のモクは、弓術・体術や自然学を得意とする。
動物の言葉を理解し、わずかな土から地域を特定するといった技能もあるらしい。
彼女は言葉を発さず、基本的にボディランゲージで意思疎通をおこなう。
弓と矢筒を背負い、動物の皮でできたムダに露出の多い服を着ている。
とくに胸部は、そのサイズもあって、やけに強調されている。
……あぶない。必要以上に、見入ってしまった。
次だ。
「…………」
無表情でイスに座り、ぼーっとしている短髪の少女、ナズナ。
モクとは打って変わって、小柄だ。幼女体型といってもいい。
だが、見た目からは想像もできないほど俊敏な動作を可能とし、情報収集や潜入捜査など、隠密行動を担当としている。
「歩き疲れたのだ。眠いのだ」
最後は、背たけほど長い杖を手にした、ローブ姿の少女。
〈捜査騎士団〉のリーダーであるピュグマ。
魔術と薬学のスぺシャリストだ。
その外見は、ローブこそ身に合わず大きすぎるように見えるが、身体は大人すぎず子どもすぎず、ぼくにとって等身大、という感じだ。
だが発言に関しては、どことなく、子どもっぽい部分が目立つ……ような気もする。
魔術師に獣人族……。
異世界。
そんなものが存在するとは、信じてもいなかった。
けれどいま、ここでこうして、その世界で仕事をしている。
ぼく──在間恒一は高校生であり、フリーランスのプロファイラーだった。
犯人の人物像・プロフィールを収集整理・ファイリングし、統計学や行動分析により犯人像を浮き彫りにしていく、犯罪心理分析官だ。
異世界ソフィアと極秘裏に接触し、技術などを交換し、親交を深めている最中であるという日本政府の任命を受け、ぼくは相棒であり護衛であり保護者でもあるQとともに、半信半疑のまま、異世界へと召喚されてきた。
ソフィアが真っ先にもとめてきた技術というのが、意外なことに、犯罪捜査であった。
対魔獣に焦点をしぼってきたというかの地では、衛兵のほかには、警察機関という概念すら存在しなかった。
このたび、犯罪に対処する専門チーム〈捜査騎士団〉を新設するにあたって、ぼくが〈導き手〉に任命されたというわけだ。
ぼくに白羽の矢が立ったのには、当然、理由がある。
異世界には〈魔術〉という技術が存在し、科学捜査が意味をなさない事件も起きうる。
そこで、心理学や行動学から犯人を追うことのできる技術──プロファイリングに、目をつけた。
いまだ日本ではあまり浸透していない技術であり、候補者は少なく、結果、ぼくが選ばれた。
そういうことだ。
ぼくは、慣れ親しんだ世界、日本という国の自分の部屋に残してきた、マホガニー製のデスクや書棚、ベネチアン・ブラインド、巨大なホワイトボード、額入りの学位記や表彰状を、現実的日常の表象として思いかえした。
人生はおどろきに満ちている。
森を抜けた丘の上から、見知らぬ世界を見渡したときの感動を思い出す。
風景が多彩で変化に富んでいた。
湖にかこまれた首都、城塞都市、小さな農村、森や山をつらぬき各都市をむすぶ細い街道、その街道にそって花の咲き乱れる丘陵地帯、川ぞいの湿地帯、遠くに見える雪の積もった山脈地帯……。いまいる広大な森林地帯の裏側に抜けると、臨海都市や荒野もあるという話だ。
むかしに起きた魔術戦争により、自然界のバランスがくずれたという話だから、気候の変化にも影響をのこしているのかもしれない。
目の前に広がる世界を、現実を、現在置かれた状況を、俯瞰する。
幾度となく、世界を呼吸する。
現実感を、肉の内側から満たそうとした。
異世界への召喚、アレはキツかった。
無重力遊泳とジェットコースターが融合したら、あんな感じかもしれない。
とにかく、二度と経験したくない。
電波ものはあぶないということで、スマートフォンやパソコンを回収されたあたりから、イヤな予感はしていたのだ。
惜しみつつ、それなりに高かった電波腕時計をはずしたときのことを思いだす。
それから、ドロリとした緑色の液体──飲むだけで異文化の言語を習得できるものだったようだが、いくらなんでもマズすぎた。
Qは、この飲み心地はバリウムにならぶ、と称していた。
その後ぼくたちは、国王だというオッサンのまえに連れていかれ、あれやこれや話し、いま、ここにいる。
異世界、異世界、異世界だ。
この本部に来るまでの道中、山賊に襲われた。
空をドラゴンが飛んでいった。
剣と魔法が跋扈し、街の門を出ればモンスターが徘徊する。
訪問して、たった数時間で、異世界オンパレードだ。
「くっそ、あのエロおやじ。何度思い出しても、ムカムカする」
ブツブツと怨念を漏らしながら首の骨を鳴らすQの赤毛の髪が、外から差しこむ太陽光を受け、燃えているように見える。
ちなみに、あのオヤジとは、あろうことか、国王のことだ。
Qは、詳細は伏せるが、国王のセクハラまがいの発言を受け、ブチギレ寸前だった。
相手を選ばないその態度は、ある意味、すがすがしい。
これは、そうとう怒ってるな……。
声がおそろしく低い。
顔がわずかに笑っているのが、よけいに怖い。
Qは美人だが、こういうとき浮かべる表情は、男性さえもおそれさせる。
それは、日本国内だろうが海外だろうが、地球外だろうが異世界だろうが、おなじことだった。
「Q……そろそろ機嫌なおしてくださいよ」
「これがニコニコしていられるか。あんなブタみたいな顔しやがって、よくも」
「言葉に気をつけてくださいって……相手は国王ですよ」
「それがなんだ、あんなヤツが一国の帝王だってなら、私は一夜の嬢王だ」
「ちょっと意味がわからないです」
「ああああ、怒りがおさまらん。おい、一発なぐらせろ」
「やつあたり! かっこわるいですよ!」
「好きだ。抱かせろ」
「変な流れで口説いてこないでください!」
「ストレス発散なら、殺すか抱くか、二択だろ」
この人は……。異世界でもキャラがくずれないとは、立派だ。
「そろそろ、ちゃんと話をさせてください」
「いいけど?」
フランクだな……。
「これからこの世界で仕事を始めますが、なにか気になること、ありますか?」
「んー……」
Qは首に手をあて、天井をあおいだ。
「文化差について、どう思う?」
やがて言った。
「こっちの世界で、私らの技術が通用すると思うか?」
「ある種の犯罪行動には、通文化一貫性があります」
ぼくは答えた。
「そもそも、アメリカやヨーロッパで開発された分析枠組みが日本で通用するわけがない、日本の犯罪の質はそのほかの国とは異なる、というたぐいの批判は、よくなされてきたことです。科学的に犯罪データを用いてパターンを検討した結果、異なる文化上でも、ほぼ応用できることがわかりました。だから、ぼくはこの世界でも、対応は可能と考えます。この世界の人々は、すがたも思考も、基本的にはぼくたちとおなじです」
「たしかに、この世界とそっちの世界は、どうやら似通ってるようなのだ」
杖を手にした魔術師ピュグマが、長すぎるローブのすそを引きずりながら近づき、会話に参加してきた。
「平行世界と呼べば、わかりやすいのだ。〈魔術〉の有無という大きなちがいがあるけど……たがいに干渉しあっているふしがあって、文化にもそれほど差異がみられないのだ。言葉も、たとえば暦や単位、独特の固有名詞など、かんたんに変換できる程度のちがいしかなかったのだ」
「魔術、ね」
Qが杖を見た。
「それだけのトンデモ技術があれば、文化に大きなちがいが出そうなものだが」
「魔術でできることは、案外かぎられてるのだ」
ピュグマは説明した。
「魔術で可能とされてることは、ざっとあげて、炎・冷気・雷などのエネルギーを用いた〈破壊〉、肉体の〈治癒〉行為、魔法の武器〈召喚〉に魔力壁〈展開〉、〈念動〉力、生命〈探知〉、〈通信〉、〈念写〉……。魔術を用いるにはマギクスジェムと呼ばれる魔石の仲介が必要で、魔術師の杖の先端には、かならず埋めこまれてるのだ。魔術は万能ではなく、一種の道具としてあつかうのが現在の一般的な考えかたで──」
「〈通信〉?」
「複数のマギクスジェムを接続し、はなれたところでも通話したり様子を見たりできるようにする魔術なのだ」
「ふうん。携帯電話みたいなものか」
「そっちの世界──魔術がないなら、こういうこともできない?」
ピュグマが杖から火柱を発生させた。
ぼくは呆然と、その火柱を見守った。
「ライターとか使えば、似たようなことはできるよな」
Qが言った。
「そう考えると、そんな変わらないか。こっちの人間が見れば、きっとアレだって、立派な魔術だろ。魔術は万能ってわけではなさそうだ」
「一種の道具としてあつかうのが現在の一般的な考えかたって話でしたね。プロファイルと一緒だ。あくまで犯罪捜査のうちの有用な道具の一つにすぎない」
「いま担当してる事件の話をしても?」
ぼくよりすこし背の低いピュグマは、こちらを見上げて訊いた。
「もちろん。お願いします」
ぼくがうなずくと、ピュグマはこめかみに手を添え、整理する様子を見せてから、口を開いた。
「事件は、首都の周囲にある、いくつかの宿屋や農家で起きたのだ」
「事件現場ですね。ある程度まとまった区域内で起きたということですか」
「現場を見に行くよりさきに、まずは、全体像を話したほうがいいのだ?」
「そうですね。捜査の方針を固めるまえに、各事件の分類をしないと」
「さっさと始めよう。観光にきたわけじゃない」
Qが言った。
口ではそう言いつつも、きっと観光したくてたまらないにちがいないと、ぼくは思う。
Qがその男前な性格とは裏腹に、ファンタジー小説やアニメが大・大・大好きだということを、知っていたからだ。
実際、部屋の奥であぐらをかいている獣人族モクの尻尾がフルフル揺れると、そのたびにQはそれを凝視している。
「Q」
「なんだよ。集中してるさ」
年上の相棒は、心外だなあと目玉を回した。
「この世界について知ることは、絶対にプロファイリングに役立つ」
「もちろん、それには同意ですけど」
「もきゅ?」
ぼくたちの視線に気がついたモクが、すばやい身のこなしで、こちらへ近づいてきた。
モクは、ぼくの手を握ると、いきなり引っ張ってきた。
「わっ?」
そのままぼくの頭は、彼女の──彼女の胸にはさまれ、顔をペロッと舐められた。
ざらざらとした感触だった。
おどろき頭をひっこめようとするぼくを見て、彼女は楽しそうに笑っている。
どうやら、からかわれているというか、もてあそばれているようだ。
「よし、恒一。そのまま、つかまえていろ」
いや、つかまっているのは、ぼくなんですが。
顔を動かしてQを見ると、モクの獣耳にさわって、うなられていた。
「集中するのだー!」
突然、ピュグマが声を張った。
「まだたったの三人しかいない、できたてほやほやのチームなのだ! 解散させられたらどうするのだ! もっと危機感をもつのだ! 事件の話をするのだ! ち、ちちくりあうのは、ここまでなのだ!」
顔を赤くし、バンバンとテーブルをたたいている。
「コーイチもコーイチなのだ! 〈導き手〉として来てもらってるのだ! ちっ、ちちくりあうために来てもらったわけではないのだ! たたた、たぶらかさないでもらいたいのだ! 責任感をそなえるのだ!」
はたして、いまのは、ぼくのせいだろうか……?
「さあ、血なまぐさい話をするのだ! はじめるのだ! 血みどろみどろの話を!」
ムリにそんな言いかたしなくても……。
「いいかげん、そこから出てくるのだー!」
言われて、ぼくはいまだモクの胸にはさまれていた自分の頭を、あわててひっこめた。