第5話 ~ あなたは家族の中で我々の親です ~
外伝Ⅲ第5話です。
よろしくお願いします。
「ロイ……」
かすかに声が聞こえた。
「ロイトロス!」
自分を呼んでいた。
ロイトロスは目を覚ました。
金獅子のような髪に、色白の男の顔が、ぼやけた視界の中でドアップで映っている。髪も、顔も、衣服も泥だらけ、加えて薄暗がりだったが、誰であるかはすぐにわかった。
「殿下……?」
「気がついたかい? ロイトロス」
――――!!
「カールズ殿下!!」
がばっとロイトロスは起き上がった。
カールズの狭い肩を抱き、唾を飛ばした。
「ご無事ですか?」
「痛い痛い! 痛いよ。ロイトロス。僕は大丈夫だから」
「……はあ。良かった」
胸をなで下ろす。
だが、皇子の世話係から今度は討伐隊の副官の顔に戻る。
「……こ、ここは? スペルヴィオは?」
「どうやら、あそこから落ちてきたみたいだ」
カールズは上を指さす。
暗くてよく見えないが、ぽっかりと穴が空いているのが見えた。
城壁よりは高くないが、かなりの高さがある。
「我ながらよく助かったよ。……鎧の中に少し多めに詰め物をされたのが、功を奏したね。帰ったら、侍従長に礼を言わなければならないね」
「褒賞も与えてよろしいかと――――」
と、その時だった。
頭上の穴から太い吠声が聞こえた。もう一度、見上げる2つの赤い光点が怪しく光っていた。
ロイトロスはぐっと奥歯を噛み、目を細める。
スペルヴィオだ。
虫かごに入れた蝶でも観察するかのように、濁った赤目をこちらに向けている。
だが、穴が小さくてここには降りてこないらしい。大木槌で破壊すれば、1発だろうが、そこまでの知恵はないようだ。
「ともかく移動しましょう。ヤツがここに来ないとは限りません」
「まあ、そうしたいのは山々なんだけどね」
カールズは苦笑を浮かべる。
同時に、背後から呻き声をロイトロスは聞いた。
振り返ると、数人の兵士が座ったり、壁にもたれかかったりしているのが見えた。皆、怪我をしており、辛そうに顔を歪ませている。すでに包帯や添え木が巻かれ、応急処置を施されているが、今度の戦闘に耐えるとは思えなかった。
「一応、処置はしておいたけど、何人かは早く医師に見せないと不味いかもしれない。魔法で処置を出来ればいいんだけど、モンスターで受けた傷じゃないと治せないからね」
「まさか殿下が?」
「看護長に色々な包帯の巻き方を教わってて良かったよ」
「あ――――」
“いや、あれはそのぅ……。看護長のところに――”
昨日の『豚の小躍り亭』のことを思い出す。
――このためだったのか……。
いや、感心している場合ではない。
ロイトロスは改めてカールズに向き直る。
「殿下、脱出しましょう」
「そのつもりだよ。けど、兵たちはどうする?」
「捨て置きます」
「ダメだ」
「殿下!」
即答した司令官は、じっと意見してきた副官を見つめた。
深い緑色の瞳から放たれる眼光は、いつになく厳しいものだった。
「命令したはずだ。『死ぬな』と……。同時にそれは『死なせるな』ということでもある。司令官自ら、命令を無視するわけにはいかない」
「しかし! 何より優先すべきは殿下のお命です。君主のために命を散らせるなら、それ騎士としての本懐です」
「兵は僕の家族だ。家族を見捨てることなんて出来ない!」
「家族というなら、あなたは家族の中で我々の親です。大黒柱なのです。父や母がいなければ、子供は生きていけません! どうか……ご自重下さい」
「…………」
カールズとロイトロスは、息荒く睨み合った。
先に視線を外したのはカールズの方だった。
兵たちに近づいていく。
「歩ける者はどれくらいいる?」
兵たちはお互い顔を見合わせた後、手を挙げた。
ざっと半分以上だが、無傷なものは皆無だった。
「わかった。すまないが、負傷者に手を貸してやってくれ。ここを脱出する」
カールズは自らも負傷者に手を差し伸べ、肩を貸した。
兵たちは躊躇いながらも、司令官の言うとおりに動き始めた。
「殿下!!」
ロイトロスは叫んだ。
カールズは振り返ることなく、呟いた。
「親がいなくても、子供は育つものさ……」
「――――!」
途端、脳裏にカールズ殿下とクフ陛下の関係性を思い出し、ロイトロスは沈黙してしまった。
己のうかつさを呪う。
「わかりました……。殿下。ご命令に従います」
「うん。ありがとう、ロイトロス」
やっと振り返ったカールズの顔は、いつもの青年の顔だった。
負傷者計9名。そのうち、動ける者は5名。2名は歩行困難。内2名は内臓にまで傷が達していて、即席の担架を使って運ばなければならなかった。
無傷なのは、カールズとロイトロスだけ。モンスターが現れれば、2人で対処しなければならない。しかも負傷者を守りながらだ。
残った【聖水】を使って、なんとか遭遇を抑えているが、つい今し方――最後の瓶を捨てたところだった。
ロイトロスが先頭に立ち、殿には副官の大反対を押し切って、カールズが付いている。しかもその肩には、負傷した兵士を担いでいた。
「殿下……。申し訳ありません」
「大丈夫だよ。鍛錬だと思えば、何のことはない。ロイトロスが課す訓練に比べれば、まだ楽な方だよ」
「何か言いましたか、殿下?」
先頭のロイトロスが振り返る。
「何でもないよ。本当に地獄耳だね、君は」
「はっ?」
「何でもない。…………ロイトロスへの悪口はこれぐらいにしよう」
冗談を言いながら、兵士たちを励ましている。
ロイトロスは上へとのぼる通路を探し、松明をかざした。
こうしてカールズの意見を了承した後でも、やはり兵は捨て置くべきだったのではないか、という考えが頭によぎる。
なりふり構わぬのであれば、【死転移】という方法がある。自らの【体力】を削る事によって教会に転送するやり方だ。
ただ洞穴のような閉鎖空間では、転移は行われない。そのため一旦遺体を回収しに戻らなければならず、最悪封印した洞穴を開ける事態にもなりかねない。
理由は不明だが、プリシラ様がオーバリアントに顕現した際に「通信状況が悪い」という謎の言葉を残されている。
それに――仮死とはいえ、仲間を傷つけるのはあまり褒められたものではない。カールズなら絶対に反対するだろう。
「ロイトロス、上の本隊は無事であろうか?」
「おそらく大丈夫でしょう。ここにいる兵と同じく優秀な連中です。ボス種の討伐を諦めて、殿下の捜索に回ってるはず。それと合流できれば――」
「――だそうだよ。だから、皆の者……。もう少しの辛抱だ。頑張ろう」
はい、と兵士たちは半分涙ぐみながら、洞穴を歩いた。
つとロイトロスの動きが止まる。
手をさっと挙げ、ハンドシグナルが送られる。意味は「声を殺して止まれ」だ。
――魔物か……。
カールズは忌々しげに胸中で呟いた。
その胸の心臓が徐々に高鳴っていく。フィールド上で、よってたかって倒されるモンスターを見て、「かわいそう」と言った心優しい青年も、この時ばかりは存在を呪わずにはいられなかった。
場所は崖と壁に挟まれた一本道。逃げ場はない。
ロイトロスは一振りの剣をゆっくりと抜いた。
その抜きの音に反応するように、天井に赤い光が灯る。それも無数にだ。
「ディーバルドだ」
兵の1人が恐怖のあまり声を上げた。
すると一斉にモンスターの鳴き声が洞穴に響き渡った。
赤い点と無数の影が、天井から降りてくる。
ロイトロスは剣を振った。
剣先に1羽の大きな蝙蝠が突き刺さっていた。
ディーバルド。
形状こそ大きな蝙蝠だが、鋭い牙と爪を持ち、人を襲うモンスター。1個体ごとの強さはさほどではないが、群で襲いかかってくるため洞穴にするモンスターの中では厄介な種類だ。
そして何よりもディーバルドには――。
「殿下! 毒に気を付けて下さい」
「わかってるよ」
遅効性だが、【体力】を削る毒を持っている。
カールズは負傷者を下ろし、剣を振るって近づけさせないように腐心する。
素早く、しかも暗がりのため的を絞る事が出来ない。
広域の魔法で殲滅するのが定石だが、今この場でまともに魔法を使える者はいない。
さすがの帝国の黒豹も苦戦をしていた。
何とか地道に倒していき、モンスターを全滅することは出来た。
【体力】は多少減ったが、幸いなことに毒状態にならずにすんだ。
「殿下……。お怪我は?」
「僕は大丈夫だけどね。それよりもロイトロス、握手しようか?」
「今はそんなことをしている場合では――」
「いいからさ」
カーズルは無理矢理ロイトロスの右手を握った。
「あ、痛ッ――――」
「やっぱり痛めていたね」
「か、かすり傷です」
「そんな顔で言っても説得力ないよ。実は相当痛いんだろ?」
「…………。実を申しますと。しかし、殿下は必ず――――」
「わかったわかった。とりあえず、包帯で固定だけさせてよ」
カールズは懐から包帯を取り出し、処置を始めた。
「いつから気付いておられたんですか?」
「君が剣を抜く時は、必ず2本抜くはずだからね。それを見るまでは気付かなかったけど」
「面目ありません。うかつでした」
「謝ることじゃないよ。……でも、ロイトロス――」
「わかっています。今、満足に動けるのは、私と殿下しかいません」
「僕を戦力として数えてくれているんだね」
カールズはにこやかに笑った。
ロイトロスは眉根を寄せて、渋い顔を見せた。だが、この兵たちを1人で守りきるには、力不足である事を認めざる得なかった。
「訓練の成果を見せる時ですな」
「なぁに……。ロイトロスの稽古に比べれば易いものさ」
「その稽古をすっぽかす人はどこのどなたですか?」
「それは……。ここでは言いっこなしだよ」
死が目の前にぶら下がる極限状態の中――ロイトロスは笑みを浮かべた。
カールズもまた笑みを浮かべる。
それを見て、兵たちもほっと息を吐き、わずかに口元を緩めた。
そして――それはやってきた。
ガアアアアァァァァアアアアアンンンン!!
突然、上の方で壁が崩れた。
瓦礫が飛び散り、カールズたちの方へと落ちてくる。
ロイトロスとカールズは岩や砂を払いながら、上を見上げた。
「スペルヴィオ……」
巨大な貪鬼が赤目を歪めて笑っていた。
気になる方もいらっしゃると思うので、言っておきますと、
この「スペルヴィオ」は一章で宗一郎が倒したとは、別種です。
大型の貪鬼を帝国は一緒くたに「スペルヴィオ」に呼称しているに過ぎません。
本来、本文に記載しても良かったのですが、未来の情報でもあるので、
あえて省かせてもらいました。
ご理解お願いします。
明日も18時になります。