第4話 ~ 陛下の寵愛をお望みか? ~
外伝Ⅲ第4話です。
よろしくお願いします。
行軍は多少の戦闘はあったものの順調に進み、予定通りの時刻に目的地であった洞穴に辿り着いた。
休息の後、待機させる馬の番と入口を固めるための兵を残し、総勢400名が穴の中に入っていく。
洞穴は入口こそ小さいが、中は広大な空間になっていた。
2個中隊が易々と入ることができ、挟撃のようなダイナミックな布陣は出来ないが、運用には支障のない広さだった。
しかし、閉鎖空間であることに変わりはない。街道沿いのような開けたフィールドと比べれば退避場所はかなり限定される。そのため、より一層の警戒と退路の確保が必要になってくる。
これまでの行軍でほぐれた兵士たちの身体は、また固くなり、発汗の量が増えた。
逆に言えば、若輩の皇子のことを危惧し、初陣を飾ってやりたいという心の表れなのかもしれない。
「死ぬな」と命じたカールズの下知は、しっかりと兵士たちの心を鷲づかみにしていた。
そんな兵士たちの忠誠心などつゆ知らず、カールズは洞穴内の壁面や、転がっている鉱物を物珍しそうに眺めている。
実は、こうした洞穴はモンスターがオーバリアントに現れると同時に、発見された。
そのため洞穴は元々あったものをモンスターが掘り起こしたのだという説と、モンスターが作ったという説で二分しており、いまだ詳しいことはわかっていない。
松明と魔法の明かりをしるべに、行軍は順調に進んだ。
ここでも多少の小競り合いはあったが、【聖水】の効果は抜群であまりモンスターと遭遇しない。カールズもただ後ろで、兵士たちが戦う姿を眺めているだけだった。
ロイトロスはちらりとカールズの薄い唇を見つめた。
初戦の街道沿いでの発言が気になって、またあの言葉を呟かないか、確認したかったのだ。
だが、さすがに露骨にやり過ぎたらしい。
カールズが視線に気付き、ロイトロスを見つめた。
「なんだい、カールズ。何か落ち着かない様子だけど」
「いや、別に――」
「もしかして、本気で僕のことをす――」
「だから、私にはそんな趣味はないと申したでしょう!!」
思わず怒鳴ってしまった。
カールズはケラケラと笑いながら、奮戦する兵士たちに視線を戻す。
「戦いたい?」
「は――」
「鞘に手がかかっているよ」
「あ……」
ロイトロスは慌てて手を離した。
戦闘中とはいえ、上司を見ながら鞘にずっと手をかけているなど、命を狙っているぞと公言しているようなものだ。
いくらカールズの事が嫌いとはいえ、あまりに軽率な行動だった。
「失礼しました」
「別にいいよ。僕は気にしてないから。それより、暴れてきたらいい。ストレスを溜めるのはよくないよ、帝国の黒豹」
「いえ。今の任務は、殿下の参謀としての役目と護衛ですから」
ついでにお目付役だ。自分が目を離したら、何をするかわからない。
ダンジョン攻略がかくれんぼになりかねないのだ。
「ちぇ。……折角、かくれんぼでもして、ロイトロスを困らせようとしたのに」
予想が当たったが、素直に喜べなかった。
行軍が再開され、カールズたちは洞穴の奥へと入っていく。
報告では聞いていたが、かなり広く深い穴だ。モンスターのレベルが高ければ、かなり苦戦しただろう。
息苦しい。精神的にも肉体的にもだ。
魔法で入口から風を送ってもらってはいるが、深すぎるとそうした対処も徒労に終わる。加えて、この数だ。空気の消費も激しいのだろう。
「ねぇ、ロイトロス……」
なのに、カールズは涼しい顔で話しかけてくる。
本当に初陣なのかと疑ってしまうほど、落ち着いていた。
「1度、聞いてみたかったことがあるんだ」
「何でしょうか?」
「父上のことをどう思ってる?」
濃い緑の瞳が、副官を見つめる。
ロイトロスは心中を見透かされているのではないかと、皇子の目を見て思った。
「…………。尊敬すべき武人かと」
「そう言うと思った」
馬鹿にされているような言い方だった。
思わず出かかった罵倒をぐっとこらえる。
「殿下はどう思われているのですか?」
「それがよくわからないんだよね」
「…………」
気持ちは分からないわけではなかった。
現皇帝クフは戦場でこそ勇猛な武人だが、平時においてはただ寡黙な男だった。 政治にはあまり口を出さず――というよりは興味がないといった態度で、元老院や家臣に任せっきりになっている。
そのため利権主義者が横行し、足の引っ張り合いが行われ、政治的腐敗が続いていた。他国がギルドシステムを試験運用する中で、マキシア帝国が一歩後退しているのは、そういう背景があったからだ。
さらにいえば、クフの私生活もあまり褒められた状況にはない。
家族に対しても同じで、公式の場以外に揃っているところをロイトロスは見たことがない。正妻との関係もすでに冷め切っているというのが、もっぱらの噂だった。
カールズにしてもそうだ。
次期皇帝の最有力候補であるにも関わらず、歯牙にもかけない。
最近、執り行われた成人の儀場で――。
『奮励せよ』
『は……。これからも精進して参ります、皇帝陛下』
という短い掛け合いが、ここ何年かでロイトロスが見た父と子の会話だった。
はっきり言う。異常だ。
カールズが父のことを尋ねるのも無理からぬ事だと思った。
ロイトロスは思い切って聞いてみた。
「殿下はお父上である陛下の寵愛をお望みか?」
「ぷ――。なんでそうなるんだよ。僕はこの前、成人の儀をしたばかりだけど、一応大人だよ。いつまでもおんぶにだっことはいかないさ」
「…………」
「ロイトロスの言いたいことは分かるんだよ。普通の親子じゃないって言いたいんだろ?」
「それは――」
「隠すほどでもないさ。実際、異常であることは確かさ。ここ1年ぐらいでかわした言葉は、子供の絵日記よりも少ない文量だからね」
――やはり気にしておられたのか……。
「でも、逆に考えれば何も言われないということは、自由にしていいってことじゃないかな。正直にいって、僕もあれこれ言われるのは好きじゃないし。ただでさえ、うるさい人間がいるしね」
「それは私のことですか?」
「誰がいるんだい?」
返答はしなかったが、ロイトロスは前を向いて真顔になった。
カールズが城を抜け出して、人を困らせるのは父に構ってほしいという裏返しではないか。ふとそんな事を思った。
ロイトロスは1度咳を払う。
表情はそのままで、カールズに言葉をかけた。
「殿下……。お、およばずながら、私めを父と――――」
言い終わらぬうちに、ロイトロスはやめた。
カールズが嫌いだからではない。
その皇子が今にも倒れそうなほど顔を青くして、げっそりとした表情をこちらに向けていたのだ。
そして――。
「え? 絶対イヤなんだけど……」
あっさり全否定された。
カールズ率いる帝都西部方面魔獣討伐部隊は、予定通りの時刻にボス種がいるいわゆる『ボス部屋』に辿り着いた。
一旦、行軍を止めて、兵に武器の点検を命じる。
その間に、斥候とともにロイトロスが、ボス種の様子を窺うことになった。
「陛下はここでお待ちを」
「わかった」
カールズは頷く。
さすがにここまで来て、おいそれと洞窟内をうろつくことはしないだろう。
ロイトロスは数人の兵を率いて先に進んだ。
曲がりくねった狭路を進み、開けた場所の一歩手前で止まった。
――いた……。
帝都の城壁と同じぐらいの大きさの貪鬼が、洞穴の地面に寝そべっていた。
低い唸りのような寝息を上げ、完全に寝入っている。
緑色の肌に、禍々しく曲がった耳。口からは紫色の舌をだらしなく垂らしている。腹は小屋ぐらいなら丸呑みでいけそうなほど大きく、ぶよぶよとした脂肪で肉体は覆われていた。
その近くには、巨木を引っこ抜いたような大きな木槌が転がっている。
大型の貪鬼。帝国で名付けられた呼称はスペルヴィオという。
「あの木槌を使われる前に、倒したいな」
「寝込みを襲うしかないね」
「ああ……。少々武人としては気が引けるが、これも殿――――」
――――って!
「殿」
下!! と叫ぼうとした大口が、当人によってふさがれる。
白い肌のまだ少年といっても差し支えない皇子の顔が、ド真ん前にあった。
そっと口元に指を当て、「しー」と小さく空気を震わせる。
ロイトロスは1度深呼吸をして落ち着くと、小さく囁いた。
「待っているように忠告したはずです」
「仕方ないだろ? 背後から魔物の群が現れたんだ。逃げるように兵たちにいわれて、ここまで押し込まれたんだよ」
「魔物? 数は!?」
「暗くて正確な数字はわからないけど、20じゃすまないかもね」
20体以上――。
ロイトロスは戦慄した。
モンスターが集団で現れる数としてはかなり多い。全くないというわけではないが、かなり希有な事例である。
――【聖水】を使い過ぎたかもしれない……。
【聖水】を使い過ぎると、反動でモンスターの遭遇率が高まったり、数が多くなるという現象は確認されている。多少リスクを背負っても、ボス部屋手前で使用を控えた方がよかったかもしれない。
「私が行ってきます」
「待て待て。ロイトロスが行った後で、今度は貪鬼が目覚めたらどうするんだよ」
「――――!?」
「ロイトロス1人だけで戦ってるわけじゃない。兵たちを信じよう。――大丈夫。兵たちは僕に『死なない』と約束してくれた。僕はその約束を必ず守ってくれると信じている」
ロイトロスは1度上げた腰を元の位置に戻した。
カールズの言うことは全面的に正しい。
――情けないぞ、ロイトロス。
初陣の皇子に諭されるなど……。本来は自分がリードしなければならないのに。
「殿下の言うとおりです。軽率でした」
「いいよ。……ロイトロスが判断を見誤ったのも、僕がいたからだ」
「そ、そんなことは決して――――」
「そういう戦場もあるということさ。お互い良い勉強になったじゃないか」
「…………」
「それよりもどうする? 仕掛ける? それとも後方の兵士たちの戦闘が待ってからにするかい?」
百戦錬磨のロイトロスも、判断に悩んだ。
万全を期すなら、後方の戦闘が終わってからだろう。しかし20体以上となると、戦闘が長引く可能性がある。その間に、スペルヴィオが起きてしまうと、絶好の奇襲チャンスをみすみす逃す事になる。
だが――。
ロイトロスはカールズを見つめた。
「どうしたんだい? ロイトロス」
「いえ……。後方の兵の合流を待ちます」
「わかったよ」
さすがに今、仕掛けるのはギャンブルだ。
殿下に何かあれば、死んでお詫びしても許されるものではない。
「ロイトロス様!」
兵の悲鳴が聞こえた。
振り返る。
スペルヴィオが目を開けた。巨体がゆっくりと持ち上がる。
「バアアァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
吠声が洞穴の中で反響した。
「殿下、お下がりください」
「下がれって言われてもねぇ……」
狭い通路には兵が溢れ返っている。
後退する隙間はない。さらに言えば、後退したところでその先にいるのはモンスターの群だ。
完全に囲まれていた。
「チィイ!」
己のうかつさを呪いたくなる。
時を戻せるなら、1発ぶん殴ってやりたい。
スペルヴィオは地面に突き刺していた大木槌を拾い上げた。
部屋の入口にいる人間を見つけると、涎をまき散らしながら大地を蹴った。
重い音が徐々に近づいてくる。
「くそ!」
ロイトロスは剣を取る。
差し違えてでも、殿下をお守りしなければならない。
「殿下を頼む」
ロイトロスはスペルヴィオに向かって駆け出そうとした矢先――。
黒のマントをぐいっと引っ張られた。
マントを握った手の先には、カールズ殿下の顔があった。
「何をするのです! 殿下!」
「ダメだ、ロイトロス!! 死ぬことは許さない!!」
「そんなことを言ってる場合では!!」
「き、来ます!」
狭路に大きな影が現れた。
見上げると、醜悪な顔の鬼が木槌を振り上げているのが見えた。
「しま――――」
容赦なく振り下ろされる。
直撃こそしなかったが、側面の壁に激突した。
狭い道に瓦礫が殺到する。亀裂が蔦のように走り、岩盤が崩れていく。
瞬間、ロイトロスの地面がなくなった。
ふわりと浮遊感を全身で感じる――刹那、真っ逆さまに落下しはじめた。
暗い闇の中――。
男たちの悲鳴が重なり合った。
安心してください。ロイトロスはホモォではありません。
明日も18時に更新します。