第1話 ~ 我らが皇帝陛下に…… ~
さて外伝Ⅲ『献杯』の始まりです。
その記念すべき第1話の登場人物がみなおじいちゃんという暴挙……。
た、楽しんでくださいね。
『豚の小躍り』亭は、表通りから少し脇に外れた場所にあった。
店は小さく、5つの席が並んだカウンターと、暖簾を隔てて店の奥の方に2つのテーブルがあるだけ。
店員は1名。少々太った女将がメインの子豚の姿焼きを焼いている光景は、初めて来店した客にはおぞましい光景に見えるだろう。
しかし、ここの豚肉を食べると他の店の豚が食えなくなるというほど、地元では有名な店で――いわゆる隠れた名店というヤツだ。
カラリ、と音が鳴る。
牛のカウベルをそのまま取り付けただけのドアが開くと、今日の客のために子豚を焼いていた女将は顔を上げた。
「ロイトロス……」
いらっしゃいともいわずに、女将の口から漏れたのは人の名前だった。
店に入ってきたのは、半袖半パンを着た老人だった。
白髪を麻で出来た布でまとめ、立派な白鬚はいつもよりも綺麗に整えられているような気がする。白眉に隠れた目を少しだけ開くと、ロイトロスは女将に手を挙げて応えた。
「久しぶりだな、女将……」
「いやあ、何年ぶりだい? うちに来るなんて?」
「さて忘れたわい。20年ぐらいかの?」
「そんなに経ってないよ。……せいぜい5年ぐらいさ」
「5年も20年も変わらないだろ?」
「あんたの感覚はそうかもしれないけど、20年も前だったら、私もこんなに年を取っていないさね」
「ほっ! 案ずるな。お前さんはまだ若い」
「じじいにくどかれてもねぇ」
言葉とは裏腹に、女将は満更でもないような顔だった。
そんな彼女を尻目に、ロイトロスはキョロキョロと店の中を窺った。
「他に客が来てないか?」
「ああ、そういうことか……。今日はどおりで懐かしい顔を見るわけだ」
そう言って、女将は奥の部屋を指し示した。
「後で今日一番の豚を持ってくからね」
というと、ロイトロスは軽く会釈して、店の奥に入っていく。
暖簾を分けて、半個室のようになっているそこには、2脚のテーブルが並べられていた。
その1つに、2人の老人が座っている。
「おお……。ロイ」
「遅かったですな」
2人は立ち上がって、身体をロイトロスの方に向ける。
ロイと愛称で呼んだのは、元老院の議長を務めるブラーデルだった。
ロイトロスと同じく白髪の男で、鋭い三白眼と大きな鷲鼻が特徴的な老人だ。文官でありながら、ロイトロスよりも身体は大きく胸板も厚かった。
もう1人は、ハイリヤ家に継ぐ地位をもつマリリガ公爵家の現役家長ゼネクロだった。穏やかな緑の目と、豊かな茶色の髪、鼻の下に立派な髭を生やした男だ。今年で60になるが、今でも前戦に出られるほど身体は鍛え込まれており、精悍な顔つきは若い頃とあまり変わっていない。
両人とも長衣と鎧を脱ぎ、平民が着るようなラフな服装だった。
その2人の前のテーブルには、すでに酒と肴が並べられている。
「すまんな。……今、預かっている孫がちょっとぐずついてな。あやしておるうちにこんな時間になってしまった」
よっこらせ、という言葉が似合う緩慢な動作で、ロイトロスは椅子に腰を付けた。
ブラーデルはニヤリと笑う。
「あれほど結婚を嫌がっていたロイが、いまや3人の子供に、孫までいるとはな。……年を取るはずだ」
「兵長は誠の武人ですからな」
「ゼク。こんな時ぐらい、その兵長というのはやめんか」
ロイトロスはたしなめる。
ゼネクロは何度かロイトロスの指揮下で副官を務めたことがある。まだ彼が家長を継ぐ前の話だ。
もちろん爵位の序列からみれば、ゼネクロの方が遙かに上だが、今でも「兵長」といって慕ってくれている。
「女将……。熱い麦酒を頼む。砂糖は多めでな」
「相変わらず変わった飲み方をするなあ、ロイは。麦酒はキンキンに冷えたものに限るだろう」
「ブラン……。その割には、グラスが凍っていないようじゃが」
ブラーデルは一度持ち上げたグラスをテーブルに戻す。やや突きでたお腹をさすった。
「年かの……。最近、冷たいものが身体に応える」
「熱い麦酒はいいぞ。暖まるし、腹にも優しい」
「会って早々、健康の話とは……。我々も年を取りましたな」
この中で一番年少のゼネクロは「はっはっはっ」と笑った。
ブラーデルは常温の麦酒を一口飲み込む。口に付いた泡を手の甲で拭うと、横に座ったロイトロスを睨んだ。
「そういえば、ロイ……。聞いたぞ。お前、死ぬつもりだったらしいな」
「誰から聞いたんじゃ?」
毛量の多い眉の下から、ロイトロスの目が覗いた。
「当の勇者殿だ。少し話をする機会があったのでな。戦場で死ぬぐらいなら、死ぬほど働かせてやってくれと言われた」
「あの方はお若いのに、妙にお節介なところがあるのぅ。おかげで、こき使われておるわ」
「その割には城内で楽しそうに仕事しているお主を見かけたぞ」
「あれは気を遣っておるのだ。ひめ――女帝陛下の影武者になってくれておる娘のな」
「「な!」」
驚きのあまり2人は椅子を蹴って立ち上がった。
ロイトロスは頬杖をついた状態で、老人たちを見つめる。
最初に口を開いたのは、ブラーデルだった。
「……それは誠か?」
「なんじゃ? お主ら、気付いておらんかったのか? まあ、ひめ――女帝陛下は気付いていないとでも思っておるようだが、わしの目は誤魔化せん。何せ女帝陛下の産まれた日に陛下よりも早く抱いたのは、何を隠そうわしじゃからな」
「なるほど。……どおりで、最近女性っぽいと言うか気品があるとは思っておりました」
「ゼネクロ……。それを家臣がいる前で言うなよ。ライカ殿は姫君ではなく、女帝陛下なのだからな。さすがに、友人の死刑執行書と領地お取りつぶしの書類に判子を押すのは嫌だ」
「し、失礼しました」
「ブランの冗談は、全く笑えないな」
「何を言う……。ホントのことだぞ。ロイも気を付けろ」
…………………………………………………………。
『豚の小躍り亭』に妙な空気が流れた。
話題を変えようと最初に試みたのは、ゼネクロだった。
「し、しかし……。兵長が無事で良かった」
「そうかのぅ。わしとしては、死ぬには最高の舞台だったのだな」
「勇者殿のお手並みはどうでした、兵長?」
「うむ。そうさのぅ」
ロイトロスは白髭をさすって考えた。
「陳腐な表現だが、化け物じゃの」
「兵からは、その化け物と互角以上に渡り合っていたと聞いたぞ」
「わしの土俵で戦ってくれたからのぅ。まあ、それもわしがそうさせたんじゃが……。もし、勇者殿の得意な戦場で戦っておれば、瞬殺じゃっただろう。わしと近衛兵が束になっても勝てなかったスペルヴィオを一撃で倒したのだからな」
「兵長をそこまで言わしめる相手か……。帝都にいる間、一度は手合わせしたかったのだが」
ゼネクロは腕を組み、残念という感じで項垂れた。
「その勇者殿はいずこへ? 尾行させている間諜の話によれば、ローレスト三国に向かったらしい。女帝陛下も一緒だ」
「早い婚前旅行というところか。……まあ、ローレスト三国は外遊の1番手だったからちょうど良い。それに少々きな臭い話も聞いたしな」
「ブラン、何だそれは?」
ゼネクロが前のめりに尋ねる。
「詳しくは明日の議会で話すが、ローレス、サリスト、ムーレスに派遣している大使と連絡がつかん。それに三国から産品の輸入が滞っており、先週0になった。何かあったとしか思えん」
「私の方にも似たような情報が入っていますな。さらに西方エジニアの動きも慌ただしくなっていると」
「ローレスト三国とエジニアはモンスターが出現してからも、いざこざを起こしておるからな。少し心配だ」
「なあに……。大丈夫じゃろう」
ロイトロスがテーブルの上で手をこねながら言った。
「おそらく勇者殿と女帝陛下がローレストに向かったのも、そのためだ」
「なるほど。兵長の推理は、一理ありますな」
「ならば、一言いってくだされば良いものを――」
ブラーデルはパンと膝を叩く。
「必要以上に人を巻き込まない。お優しい方なのじゃよ、お2人は」
「故にお似合いのカップルというわけですな。2人の結婚の儀が待ち遠しい」
「なんだいなんだい。男3人、雁首並べて、景気の悪いツラをして」
暖簾をくぐって現れたのは女将だった。
その手には大きなお盆を持っている。
「ほっとけ……。景気が悪いのではない。老い先が短いのじゃ」
「はっ。違いねぇ。――ほい、熱い麦酒」
ロイトロスの前に、湯気立った麦酒を置く。
「あと、子豚の魚醤焼きだよ」
テーブルの上に、丸焼きになった子豚が置かれた。
魚醤油をなみなみと注がれ、ゆっくりと弱火で焼かれた子豚の肉からは、とろけるような油が滴っている。
「おほっ! 待ってました」
「久しぶりにここの姿焼きを食べたかったのだ」
ブラーデルとゼネクロは子供のようにはしゃぎ、手を叩いた。
「全くお主らの胃袋は若いのぅ」
ロイトロスは麦酒を口に付けようとするが。
「ああ、待て待て。今から献杯するのだ」
「なんだと、ブラン……。お主はもう飲んでるではないか」
「今から替えを持ってきてもらうのだ。女将、もう1杯……。あと同じものを」
「あいよ」
しばらくして、女将は2杯の麦酒を持ってくる。
1つはブラーデルの前に置く。もう1つをゼネクロの前に差し出そうとして、動きが止まった。しかし、ゼネクロの前には果実酒が入ったグラスが並べられている。
「女将……。それはこっちに置いてくれ」
ブラーデルが指し示したのは、4人席で空席になっている場所だった。
「いいのかい?」
「ああ……。今日の主賓は、ここに座っている人間だからな」
それを聞いて、女将はピンと来たらしい。
わかったよ、と言って、麦酒を置き、半個室から出ていった。
「では、皆そろったな?」
ロイトロスが仕切る。
ブラーデルとゼネクロはそれぞれ杯を持ち、軽く頷いた。
「では――」
“我らが皇帝陛下に……”
「「「献杯」」」
カン、と小さく杯を鳴らす音が、静かに『豚の小躍り亭』にこだました。
店の奥から響いてきた小気味よい音を、女将は料理を作りながら、目を閉じて聞いていた。
「「「ぷはぁ……」」」
同時に3人は杯を空にすると、テーブルに置いた。
「さて、今夜は皇帝陛下を交えて、昔話に話を咲かせますか」
「その前に、豚を切り分けよう」
「好きじゃのぅ」
「兵長! 前に話していた陛下の初陣の話を聞かせていただきたい」
「ゼク……。その話、何度目だ」
「最近、年のせいか物覚えが――」
ゼネクロは苦笑を浮かべながら頭を掻いた。
「良いではないか。俺も聞きたいぞ。お前の苦労話……」
「はあ……。そうさのぅ」
“もう40年以上前の話になるのか……”
『豚の小躍り亭』のマスコットキャラ(?)が書かれたレリーフを見ながら、ロイトロスは呟いた。
というわけで、次の話からはカールズとロイトロスの若い頃のお話になります。
しばらくの間、主人公たちは出てきませんが、
ちょっとしたインターバルだとおもっていただければ幸いです。
お若いカールズにも注目!
明日も18時投稿です。
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