第10話 ~ 危険な匂いします…… ~
第3章第10話です。
よろしくお願いします。
ライカは絨毯に手を突いた。
一歩でもいい。
側に近づきたかった。
この世でもっとも会いたかった人物がすぐ側にいるのだ。
幽霊などではない。
出会った頃に比べれば、幾分痩せたような気がする。だが、精悍な顔つきも、自信に溢れた口元も別れた時となんら変わらなかった。
「宗一……」
名前を呼びかけた瞬間、視界が臙脂色に覆われた。
バサリとマントがたなびく。
宗一郎とライカの感動の対面――。
それを阻んだのは、指摘するまでもない。
マトーだった。
「随分と遅いご帰還だな、似非勇者……。一体どこで油を売っていたのだ」
1度敗北したのを忘れたのか。マトーが怯む様子はない。
皇帝になるという自尊心からか。
貼り付いた笑みからもわかるように、闘技場で戦った時よりも、その不遜な態度は強くなっているような気がした。
「なんだ? オレのことを心配してくれていたのか? それは申し訳ない。帝国ナンバー2殿……」
「なんだと……」
マトーは眉間に皺を寄せ、一瞬激高しそうになる。
しかし、すぐ平静を取り戻し、腰に手を当てた。
「世界を救うと嘯いておきながら、女だけを帝都に帰したのは、恥辱にまみれた顔を見られたくなかったからであろう。……それをのこのこ帰ってきて。うまい言い訳でも思いついたのか?」
「それについては、まあ……申し開きがないな」
「違う! 宗一郎はよく――」
「黙っていろ、ライカ! ふん! 化けの皮がはがれたな。蜥蜴1匹を狩れない男が、世界を救う勇者などであるはずがない」
「案ずるな。蜥蜴なら今から狩るさ。……帝国にへばりつく蜥蜴をな」
マトーを指さす。
さしもの元帝国最強も怒り狂うかと思いきや、涼しげな顔で大きな肩を竦めた。
「蜥蜴は貴様の方だろ、似非勇者。……衛兵! 何をしている! 捕らえろ!!」
手で指示を送る。
クリネとフルフルを追いかけ、状況をオロオロしながら見つめていた衛兵たちは顔を見合わせた。
その中には、宗一郎の温泉宿の建設にも携わった兵もいて、マトーの命令に従うべきか真剣に悩んでいる様子がうかがえた。
今度は、宗一郎が肩を竦める番だった。
「まあ、そう急くな。ナンバー2……。お前が皇帝になると聞いて、駆けつけたのだぞ、オレは」
「お前の祝いの言葉など聞きたくもないわ」
「それは考えていない。ここに来たのは、お前に忠言を授けにきたのだ」
「ご、ご主人……! ライカを助けにきたんじゃないんスか?」
フルフルは目を丸くした。
主は何の躊躇いもなく返答をした。
「何故だ? ライカは未来の皇妃だ。それは揺るがぬ事実であろう。彼女を帝国から奪うことは、何者にもできない。たとえ、オレが異世界最強の魔術師であろうとな」
「な――! なに言ってんスか!!?」
「できるとすれば、彼女自身が手を下すしかない」
「私に皇族をやめろ……と――」
目を見開きながら、譫言のように尋ねる。
「そうだ。……皇族であることが苦痛であれば、辞めろ。それだけでお前は自由になる」
「ちょ! ご主人! 女心が分からなすぎッスよ!」
「そうです。勇者様!」
口論に参戦したのはクリネだった。
「皇族を辞めるなど! そんなこと……。口に出すことすら恐れ多いことですよ」
「何故だ?」
「は?」
「例えばだ。……ここでオレがライカをさらって、少しロマンを重ねるなら駆け落ちしたしよう。しかし、それでライカは満足するのか?」
「――――!!」
ライカの心臓が一拍強く打ち鳴らされる。
大人しくなった皇女を尻目に、マトーは叫んだ。
「お前とライカがどうなろうと知ったことではない! だが、そうもさせんし。させる気もない。……それで、忠言とはなんだ?」
「忠言は2つ。1つはお前が帝国皇帝にふさわしくないこと……」
「なに――!」
「もう1つは、お前にライカはふさわしくないということだ!」
「え? ちょっと! もう何言ってるかわからないッスよ」
フルフルは頭を抱えた。
一方、マトーの鬣のような茶色髪が、怒髪天を衝くといった感じで盛り上がった。
我慢していた怒りを吐き出すように叫ぶ。
「きさまあああああああああああああああああ!!!!」
ロングソードを抜き、斬りかかった。
宗一郎との間合いを一瞬で縮める。
そのスピードは明らかに闘技場で見せたものよりも速かった。
しかし――。
「30の悪霊を従えし、力強き風の王者フォカロルよ……。我が手に纏いて、敵を穿て!!」
宗一郎の手に風が渦を巻いた。
「なに!!」
驚愕に顔を歪ませ、マトーは急停止する。
時すでに遅い。
渦を巻いた大気はあっさりと偉丈夫を飲み込み、部屋の壁に叩きつけた。
マトーはそれでも意識があったが、恐ろしいほどの風圧に息ができない。
喉に風がなだれ込み、吐くことができない。人体のキャパシティを超えるほどの空気が内臓に充満すると、そのまま気を失ってしまった。
次第に、部屋に渦巻いた風が止む。
壁に張り付けられたマトーは重力に従って、落下し、昏倒した。
マトーを案じて、ライカは腰を上げようとする。
「心配するな。気を失っただけだ」
すぐ後ろで声が聞こえて、ライカは振り返った。
改めて懐かしい声――そして顔だった。
「宗一郎……」
「遅くなってすまない」
ライカが首を振ると、金砂が揺れるように髪が輝いて見えた。
「よ……」
良いのです……という満足にいえず、皇女は宗一郎の首に手を回していた。
「良かった……。本当に…………。本当に良かった……」
目を腫らし、青白かった顔を赤く染め、幾筋もの涙を頬に伝わせた。
フルフルから「生きている」と聞かされた時以上に嗚咽をあげ、それは部屋の外にまで響き渡る。
クリネもそれを見ながら、目に浮かんだ涙を払い、ずっと意気消沈していた姫君のことを心配していた衛兵たちも、袖で涙を拭って感動の対面を見ていた。
宗一郎は空いた手をどうしようか悩んだ後、細いウエストを抱きしめる。
1ヶ月ほど前とは違う。
明らかにやつれているのがわかった。
声には出さなかったが、宗一郎はもう一度心の中で詫びた。
そんな中、フルフルだけが釈然としない顔で、2人を見ていた。
「ご主人……。どういうことッスか?」
むうっと口を尖らせ、フルフルは主人を睨む。
「帰ってきたことについては及第点ッス! けど、ライカ自身の問題ってどういうことッスか!? そのまま『オレのところに来いよ』でいいじゃないスか! 男らしくないッス! 見損なったッスよ」
「いや……。フルフル殿。それでいいのだ。私は宗一郎にまた会えれば――」
「殊勝なことを言ってもごまかせないッス! ライカだって、本当はご主人に連れて行ってほしいでしょ!」
「それは――。出来ない!」
「そうです! お姉様が、皇族をおやめになるなんて……。残された私や父上は」
クリネが間に入って参戦する。
「いいじゃないスか! クリネにはフルフルが付いているッスよ」
「……フルフルさんはいい人ですけど、危険な匂いします……」
クリネはフルフルに視線を外しながら、はっきりと言った。
危険、と判断された当人は、涙目になりながらがっくりと項垂れる。
それでも気を取り直すと、悪魔は訴えた。
「ともかく! フルフルとしては、ご主人とライカが駆け落ちして、それでハッピーエンドを迎えてほしいッス!」
2人はお互いの身体を密着させたまま、顔を見合わせた。
そしてフルフルを見つめる。
「フルフル……」
「フルフル殿……」
「「それはできない」」
はっきりと言い切った。
しかし宗一郎は言葉を続ける。
「だから、オレはその外堀を埋めに来たのだ」
「え?」
「どういうことですか?」
ライカが驚き、クリネが尋ねるが、宗一郎は首を振る。
「今はまだ言えん。……それよりも誰か取り次いでくれないか?」
「なんでしょうか?」
クリネが応じる。
「皇帝に会わせてくれ」
いつになく、宗一郎は真剣な表情で答えた。
相変わらずマトー君はざっこいなあ~。
明日も18時です。
よろしくお願いします。