第8話 ~ 人間はなんでそうやって、自分の欲望を他の言葉に置き換えようとするッスか!? ~
第3章第8話です。
よろしくお願いします。
帝都に帰ってから、様々なことが変わった。
鎧を脱ぎ、ドレスを纏うことが多くなった。
兜を置き、ティアラをかぶった。
剣をしまい、何も触れずに日々を過ごすことも少なくなかった。
気付けば、空を見つめていた。
ライカ・グランデール・マキシアの目に映っていたのは、輝ける無数の星。
しかし、その緑色の瞳は、暗い井戸の底のように沈んでいた。
姫騎士であった時には、あれほど苛烈に、または情緒豊かであったのに、今は汚泥に沈んだ宝石のように光を失っている。
瞳だけではない。
真珠の肌は粗雑な和紙のように毛羽立ち、生気はなく、頬のこけ具合から見ても、満足に食事を摂っていないことがわかる。
細剣を自由に振るっていた腕も、やせ細っていくばかりだった。
失意の理由は明白だった。
月並みな言い方だが――心の臓に、穴が空いたような心境だった。
そのような状態でも、公務はこなしている。
周りからすると、その姿は痛々しく映ったが、何か仕事をしている時の方がまだ心の穴の中に何かが詰まっていく感触があった。
本人は精力的に動くつもりではあったが、周りがおもんばかるあまり公務は次第に減り、やはり星を見る時間が増えてしまった。
そんな星ばかり見つめていた姫の瞳に、人の形をしたものが映った。
驚いた事に、それは四肢が逆転し、首が逆さまになった状態だった。
窓の外。そこにいたのは、蜘蛛のように宙吊りなった褐色肌の少女だった。
「フルフル殿!」
ライカは慌てて窓を上げて、フルフルを呼び込んだ。
悪魔の少女は器用に腰に巻いたロープを切り、外気とともに部屋に滑り込んでくる。
「むふふ……。ミッション・イン・ポッシブル完了ッス」
「そなたは本当に神出鬼没だな」
「悪魔界のトム・〇ルーズと呼んでほしいッス」
悪魔もトム某もよくわからなかったが、ライカに少しだけ笑顔が灯る。
「それよりもライカ! 聞いてほしいッスよ」
「どうしたのだ?」
“ご主人が生きてたッス!!”
何か暗い淵にポンと放り出されたような気がした。
驚きのあまり、自分の中に灯る蝋燭の火が一遍に消されたような心地がした。
「まことか……?」
かろうじて喉の奥から絞り出す。
自分が今、声を出せたことにすら驚いた。
目の前の少女は大きく頷く。
「フルフルはそんな安っぽい嘘は吐かないッスよ」
聞いて――。
緑の瞳から波立つように涙が溢れてきた。
顔を覆う。
かさかさの手の平の感触を感じながら、皮膚にじわりと涙滴がしみこんでいく。
大きく口を開け、嗚咽を漏らす。
垂れた涙と涎にかまわず、化粧がはがれ醜くなっても、少女は声を上げ続ける。
フルフルの豊かな胸を貸してもらい、美しい金髪を撫でられても、姫は子供のように泣き続けた。
――良かった……。
その一言だけだった。
下女だけがいて、何故この場にあの方がいないのか?
その顔が見れないのか?
そんな疑問……浮かびもしなかった。
ただ――生きていてくれたことが嬉しかった。
ひとしきり泣いた皇女は、顔を上げた。
真っ赤に腫らした瞳を拭う。
化粧が落ちた顔は、お世辞に言っても無様だったが、垣間見える輝きはここ数日で1番のものだった。
鼻を啜りながら、ライカは尋ねる。
「それで宗一郎は今、どこに?」
「それが――。ちょっと…………」
今度、フルフルの顔が沈む。
ライカは「そうか」と言って、フルフルの手を取った。
「よい! あの方が無事であれば――。それに……」
そう――。
素直に喜べない事もある。
「私はもうすぐ皇帝の后になる。ならば、もう――。おいそれと会うことはできない」
「前にも聞いたッスけど……。ライカはいいんスか、それで? 本当はライカだって……」
フルフルの唇をそっと人差し指で押した。
「何度も言わせるな、フルフル殿。……父上があのような状態の今、これは必要なことなのだ。帝国のため、果ては民草のためだ」
「けど! それはライカにとって必要なことなんスか?」
…………。
ライカは一瞬押し黙る。
胸に刺さった矢尻を抜き放つように、言葉を返した。
「これが運命だ。……私は皇女。人ではない」
「もう! 人間はなんでそうやって、自分の欲望を他の言葉に置き換えようとするッスか!?」
フルフルは頭を抱える。
主も主なら、理不尽とも言うべき運命を受け入れようとしている目の前の少女も大概だと思った。
それは悪魔である彼女にとって、何千年と付き合いながらいまだ理解出来ない人間の心だった。欲望に忠実な悪魔の方が、よっぽど正しく思える。
その時、部屋の扉の向こうが騒がしいことに気付いた。
「フルフル殿……」
「もう! 仕方ないッスね!」
フルフルは闇を纏い消え去る。
扉を吹き飛ばすように入ってきたのは、ライカの未来の夫。
マトー・エルセクト・ハイリヤだった。
金色の鎧に、厚手の臙脂の外套という出で立ちは、宗一郎たちが出会った時と同じだ。だが、さらに光る真珠のようなネックレス、腕や指輪にも宝石をちりばめた装飾が光っている。
特に容貌は大きく変わっていた。
伸びた髪を後ろで荒々しく束ね、隈取りのようなラインが顔に幾重に引かれている。本人はそれが気に入っているのかはわからないが、完全に元からある素材の良さを消え、醜男になっていた。
だが、身体の大きさは相変わらずで、宗一郎と戦った時よりも肩幅が大きくなっているような気がした。
マトーは部屋に入るなり、顎を上げ、未来の后を見下す。
そして軽く「チッ」と舌打ちをした。
「なんだ? 俺の女が泣いていると聞いて、駆けつけてやったのに……。もう泣き止んでいるではないか?」
「無礼ですよ、マトー殿。いくらあなたが伴侶といえど、ここは女の住処です。ノックも無しに入ってくるのは礼儀作法以前の問題です」
ライカは睨む。
姫騎士に戻ったように、その眼光には覇気があった。
そんな伴侶の腕を捕まえ、マトーは乱暴に顎を掴んだ。
「やっと喋ったかと思えば、それか! 昨日見た時よりも元気ではないか?」
ライカは無理矢理払おうとするが、弱った筋肉では、マトーの太い腕からは逃れられない。万力に固定されてしまったかのように動かす事が出来なかった。
マトーは目を細める。
身体から漂ってくる香水の香りを浴びせるように、顔を近づけた。
「何かあったのか?」
「べ、別に何もありません……」
「夫に隠し事をするのか? 皇女殿下は」
「まだあなたは私の夫ではない。……それに私は皇女ですよ、あなたが言うように。今のあなたの行動は不敬罪に当たります!」
「ふん! 口は達者だな」
そう言うと、マトーは離れて行く。
腕は取ったままだ。むしろ絞め上げる。ライカは歯を食いしばり、小さく悲鳴を上げた。
紫色の瞳が、やつれた皇女を見下した。
「弱くなったな。ライカよ」
「――――!」
ライカの瞼が、大きく開かれた。
「昔は、身分を引き合いに出すことを嫌っていたお前が、今はそういうのか……。確かお前はこう言ったな。対等に人間として見て欲しい。騎士として、帝国を守るため姫騎士になったのもそのためではないのか?」
「うるさい! 黙れ、下郎!!」
「夫を下郎呼ばわりか。些か口が過ぎるのではないか、皇女殿下……」
「だから、まだあなたは――」
「いくらでも否定するがいい。だが、忘れるな。お前はいずれ俺のナニを食み、股を広げておねだりしなければならないのだ。……それはお前の大好きな帝国のためなのだぞ」
「――――!」
ついライカは顔を逸らした。
汚い淫語に、顔を真っ赤にしながら、恥辱で歪んだ瞳を伏せた。
そして、再びマトーの顔が近づいてくる。
その香水の匂いは一生好きになれないと思った。
「優しくされるなど期待をするなよ。貴様の頑い子壷にたっぷりと俺のを喰らわせてやるからな」
殴りつけるようにライカの顎から手を離す。
臙脂のマントが翻り、部屋の入口に向かう。
「あの方さえいれば…………」
つと耳に飛び込んできた言葉に、マトーは足を止めた
ライカはハッとして口を覆う。
思わず呟いた自分の失言に驚いていた。
中途半端なところですいません……。
次話は本日18時になります。