外伝 ~ イセカイでオンセンカイ ~ 前編
温泉回1話目です。
楽しんで下さい。
―― 宗一郎が世界を救う旅に出ると宣誓して、29日後 ――
「陛下……。ただ今、帰還いたしました」
謁見の間にて傅いたのは、ライカだった。
その後ろには、フルフルも頭を垂れている。
「おお! ライカ! 少したくましくなったのではないか?」
娘の帰還に、皇帝は思わず身を乗り出す。
「は! 勇者殿をお守りするための力は付けて参りました。今からでも出立できます!」
「まあまあ、そう急くな……。どうだ? これから“おんせん”に入らないか?」
「…………は?!」
ライカは首を傾げる。
一方、フルフルは猫のように角を立て、皇帝の言葉に反応した。
2時間後。
専用の手桶と手ぬぐい、着替え一式を持ったライカ、フルフル、皇帝がある建物の前に立っていた。
「な、なんだ? この建物は!」
彼女の前にあるのは、オーバリアントでは珍しい木造2階建ての建築物だった。
ライカはまず木が剥き出しになっていることに驚く。
マキシア帝国では、外壁は石造りか漆喰で塗り固めるのが基本的だ。木を外にむき出すと、風雨の時に腐り、虫食いにあうと考えられているからだ。だから、漆喰の中に入れ込んでしまう。
その点、この建物はあまりに常識から外れていた。
しかし……無性にカッコ良くみえる。
今まで美しいと思ってきた帝都の町並みが、あまりに味気なく見えるほどにだ。
正確に測量されたと思われる組み木。何枚もの焼き物で並べられた屋根。
木を1本丸ごと使い、どっしりと仕上がった門構え。
形は武人そのもの。なのに柔らかい木のぬくもりが、客人をもてなす粋に溢れている。
ライカは知らない。
これが日本建築における温泉宿の姿であるということを……。
「おお! まさか異世界に来て、温泉に入れるなんて!」
いつの間にかというか、どこからというか、すでに浴衣を着たフルフルが「テンションマァァァックス!!」という感じで、興奮している。
「お前ら、戻ってきたのか?」
声を掛けられ、振り返る。
作務衣に羽織、足には下駄を履いた青年が立っていた。
一瞬ライカは「誰?」と首を傾げそうになったが、すぐに宗一郎だと気付き驚いた。
「勇者殿! その格好はどうしたのだ?」
「どうしったってぇ――」
自分の格好をしげしげと眺める。
「これがこの宿の制服だからな」
「制服とは?」
「ああ。なんだ? まだ聞いてないのか? この宿はオレが経営しているのだ」
「「えええええええええええええええええええええええええ!!」」
ライカは心底驚いた様子だが、フルフルはそれに便乗するように声を上げた。
「父上」
横にいた皇帝に顔を向ける。
我が子の驚嘆した姿に満足そうに見つめ、頷いた。
「陛下……。ようこそお越し下さいました」
宗一郎は膝を折って挨拶しようとすると、皇帝は手で制した。
「堅苦しい挨拶は抜きじゃ。……早速、案内せよ」
「はっ! では、どうぞ――」
手慣れた様子で、温泉宿の引き戸を引く。
戸車のガラガラという音が、心地よく玄関に響いた。
「「いらっしゃいませ!」」
2人を出迎えたのは、まだ小さな2人の子供だった。
「おいおい。勇者殿。子供が働いておるぞ」
「手伝いです。給金は発生しておりません」
「そうか。ならば、良しとするか」
皇帝が一段高くなった床に足をかけようとする。
「あ! おじちゃん土足!」
小さな女の子が指さした。
「こら! ヤーヤ! そんな風に言っちゃあダメだ。お客様、ごめんなさい。当宿屋は靴を脱ぐようになってまして」
「靴を――」
「――脱ぐ!」
皇帝親子が息ぴったりといった感じで、声を上げた。
そして宗一郎に「誠か?」というように顔を向ける。そんな親子の顔を見て、若き経営者は苦笑する。
「陛下。姫君……。天界の作法にございます」
「そ、そうか……。ならば仕方ないな」
「う、うむ」
大人しく従う一方で、フルフルは。
「ご主人! 温泉はどこにあるッスか。フルフルのパライソはいずこに!?」
玄関にポーンと草履を履き散らかす。
それを丁寧に並べる人物――いや、悪魔がいた。
「全く……。相変わらず、そそっかしいですね。あなたは――」
浴衣の襟元をきっちりとしめた少女は、垂れた水色の前髪を掻き上げた。
「おお!! クロたん!」
「クローセルです。その気色悪い呼び方はやめて下さい!」
「もしかして、クロたんが温泉を掘ったんスか?」
「そうです。主の命令で」
「そっか。クロたんは昔から、温泉を掘り当てるのがうまい悪魔ッスからね」
今にもキスしそうなぐらい接近し、フルフルはクローセルに抱きついた。
「ちょ! 離れて下さい! 主が見てます。それにあなた、なんか汗臭い!」
「そんな堅いこといわずに! 久しぶりに旧交を温めましょうよぉ」
クローセルの魚鱗が付いた頬に、自分の頬をスリスリと擦り付ける。
「おっほぉ! クロたんの魚鱗は相変わらず気持ちがいいスなあ」
「や、やめろ! フルフル! 気色悪い……」
「うほほほ……。本当は気持ちいいんやろ? ワイ、知ってるンやで。ここがクロたんの性感帯やって……」
「は、はにゃあ……。ひゃめろ……。気持ちよくにゃんてにゃいぃのぉおお」
「 やめんか!!! 」
バキッ!!
ゴンッ!!
「おお……。久しぶりにご主人の鉄拳制裁ッス。なんかちょっと懐かしいッス」
「な、なんで私まで……」
フルフルは頭を抱えて蹲り、クローセルはうるうると涙を流しながら、恨み節を呟いた。
「お前はとっとと温泉にでもなんでも浸かってこい。クローセル、フルフルが客に何かしようとしたら――」
親指を立てて、下にする。
「埋めろ!」
「はい! かしこまりました、我が主君!」
敬礼すると、フルフルを奥の方へと引きずっていった。
皇帝親子は、それを呆然と見送る。
「相変わらず、フルフル殿は騒がしいな」
「あは……。はははは……」
この1ヶ月、身を以てその奔放さを思い知らされたライカは、皇帝の言葉に引きつった笑いで返すしかなかった。
宿のフロントでは、ハシューとその妻カララが作業をしていた。
ハシューは渋い作務衣姿、そしてカララは色鮮やかな着物を着ていた。
これらすべてのものは、カララと一部ヤーヤが手伝って出来たものだ。
どうやら盛況らしく、モンスター狩りから帰ってきた冒険者でごった返していた。
その光景を見ながら、皇帝は子供までかり出されて手伝っているのも頷けるな、と列を見ながら得心した。
列に並んでいると、ライカはふと冒険者がいう注文を気にしていた。
「宗一郎殿……。“ヒガエリニュウヨク”とはなんだ?」
「ああ、お気づきになられましたか、姫君」
「そのこそばゆい言い方はよしてくれないか?」
「では、ライカ……。当宿では、温泉だけに入ることが出来るのだ」
「なんと! 宿屋なのにか?」
横で聞いていた皇帝が声を上げた。
「まだ、さほど部屋数もないので。皆に入ってもらうためにも、温泉を開放しております。むろん、お代はいただきますが」
「ほほ……。しっかりしておる」
「おかげさまで、冒険者だけでなく、その口コミによって、家族連れなどにも好評です」
「なるほど。この後、中心部で泊まる冒険者に宣伝してもらっているというわけか」
皇帝は感心しながら、顔を綻ばせた。
「だが、宗一郎殿。ここに泊まる冒険者もいるのだろう?」
ふと浮かんだ疑問を、ライカはぶつけた。
「そういう冒険者は消耗した武器防具、道具などはどうするのだ? いちいち帝都の中心まで行って帰ってくるのか?」
「そんなことをしては、冒険者が泊まりにこないだろ? メインはやはり冒険者だからな」
「ならば――」
「あらかじめ言ってもらえれば、伝書鳩飛ばして、提携した武器防具屋の方からここに持ってきてもらうことが出来るようになっている」
「「な、なんと!」」
皇帝親子はまたも声を揃えた。
「交渉には骨が折れたぞ。わざわざここまで持ってくる労が発生するからな。何十件と回って、なんとか武器防具屋、道具屋と提携したのだ」
はあ、と2人は感心しきりだった。
そうやって会話していると、皇帝たちの出番が来た。
「ああ……。陛下。わざわざの起こしありがとうございます」
「ありがとうございます」
ハシューが頭を下げると、カララも続いた。
田舎くさい口癖はなくなっている。これも宗一郎の教育の賜物だった。
陛下という言葉を聞いて、どうやらやっと周りが気付いたらしい。
思わず距離を取り、傅いた。
「お忍びじゃ。主人、皆のものも、今日は無礼講じゃ」
1ヶ月ほど前に、覚えた天界の言葉を披露する。
皆、何を言っているかわからなかったが、「気にするな」というのは文脈で伝わったのだろう。
やや戸惑いながらも、姿勢を崩した。
「しかし、こうも人気だと。……部屋が取れないかもしれないのう」
「いいえ。陛下……。すでに陛下のお部屋はご予約させてもらっております」
「予約!?」
「はい。当宿屋は、完全予約制になっておりまして。あらかじめご宿泊の日取りを指定して泊まっていただくことになっております」
「なんと! そんなシステムが……」
皇帝は宗一郎の方を向く。
「これも天界式か?」
宗一郎は深く頷いた。
「ほう……。何もかも天界式というわけか。これはなかなか……。まさに天国の予習ようなものじゃな」
「そんな! 恐れ多いことでございます。陛下には長生きしてもらわねば」
「冗談じゃ。ジョークじゃ。ジョーク! ……ふはははは」
相当気分良いのだろう。
皇帝は、普段ではやらない高笑いを浮かべ、宿の奥へと向かった。
お色気シーンは次なんじゃ。
明日は一気に中編と後編をお送りします。
1話目は12時。2話目は18時になります。