第86話 ~ 私は魔法使いなのよ ~
終章第86話です。
よろしくお願いします。
突如、現れた謎の少女。
ラフィーシャの第一印象は――。
「なんだ、こいつ?」
――だった。
格好は英雄譚から出てきそうな魔女の姿。
一方、その相貌は随分幼く見える。
ローランよりも少し上程度といったところだろう。
しかし――。
この胸を大きく圧迫する威圧感はなんだ。
まだ何もしていない。
ただ立っているだけの少女に対して、腕を上げて備えることも出来なかった。
異世界に来て早々。
まさかこんな大物と出くわすとは、予測できなかった。
もしかして、この世界では格好も含めて、これが普通なのだろうか。
冷や汗が止まらない。
まるで怒り狂ったあの勇者を前にしているかのようだ。
「へぇ……。さすがは異世界の神さまね」
「な、なにかしら……」
「わかってるんでしょ? 私とあなたの絶対的戦力差」
「――――ッ!!」
咄嗟にラフィーシャは手を掲げていた。
攻撃をしたかったわけではない。
戦力の差を指摘したところで、少女が自分と敵対する意志があることを悟った。
やられる前にやる!
そう判断したのだ。
ラフィーシャはエルフの魔法を唱えた。
笑ってしまうほど、魔力が充実している。
今なら、あの勇者すら黒こげに出来そうだ。
掲げた手の先から炎が生まれる。
迷わずラフィーシャは解き放った。
パシィ!!
鋭い音が響き渡る。
何か鞭のようなもので弾かれた。
「っつ!!」
ラフィーシャは苦悶の表情を浮かべ、膝を折る。
掲げた手の平を見た。
肉を抉り、さらに火傷の痕が刻まれていた。
次の瞬間、目の前が赤く光る。
チリチリと、血のように赤い女神の前髪を焼いた。
なんだ?
顔を上げる。
瞬間、ラフィーシャは目を見開いた。
赤い瞳に上塗りするように、紅蓮の炎が映り込む。
それは1匹の地竜だった。
紅蓮の鱗に覆われ、巨木のような尻尾をヒラヒラと動かしている。
口を開けた。
飛び出してきたのは長い舌ではない。
炎を伴った吐息だった。
「今のは異世界の魔法といったところかしら……。でも、悪いけど魔法は私の専売特許なのよね。だから、動かないでくれるかしら、異世界の神さま」
「お前、何者だ!?」
「名乗らなかったかしら? 私はこの世界の魔法使い。この子は火の精霊サラマンダー。下手に刺激しない方がいいわよ。久しぶりに召喚されて、とても機嫌がいいみたいだから。ちょっとした弾みで、あなたをバターみたいに溶かしてしまうかもね」
召喚主がいうと、サラマンダーはくわっと口を開ける。
ポッと炎を吐きだした。
「ああ……。そういえば、1ついい忘れていたわ」
あなたの宿敵――杉井宗一郎は私の弟子よ。
ゾクリと背筋が凍った。
ラフィーシャはすべてを理解する。
目の前にいる人間が、勇者の師であることなど些末なことに過ぎない。
何故、勇者とラフィーシャの関係性を、この女が知っているのかもだ。
問題はここが嘗て勇者がいた世界だったということ。
ローランが語った――オーバリアントとは違う“カガク”という力がある世界。
「ふふふ…………」
新女神は笑った。
気が触れたように草葉の上で踊り狂う。
天を望むと、青い空が見えた。
同時に灰色の大きな建物が見える。
薄汚れた大気。しかし、満ち満ちた魔力。
文明の世界……。
素晴らしい!!
ラフィーシャは喝采を上げる。
1万人の自分がいるなら、まさしく万雷の拍手を浴びせただろう。
「この世界を気に入ってくれた」
魔法使いの問いかけに、ラフィーシャの瞳は妖しく蠢いた。
「ねぇ、あなた……。あの勇者の弟子といったわね」
「ええ。そうよ。不肖の弟子だったわ」
「私も弟子にしてくれないかしら」
「いやよ」
アカリはあっさりと断る。
ラフィーシャは思わず口を噤んだ。
「正確にいえば、あいつも弟子とは言い難いのよ。勝手に魔法とは違う魔術を学んで、勝手に強くなっただけ。私はあいつが悪さや無茶をしないか見張っていただけに過ぎないわ」
「そう――。それは残念ね」
ラフィーシャはがっくりと肩を落とす。
だが、想定の範囲内だ。
簡単に手に入るとは思っていない。
新女神の瞳が輝く。
赤い閃光が真っ直ぐ魔法使いを貫いた。
プリシラの即死呪術。
オーバリアントならず、この世界でも通じるはず。
何故なら、この呪術はこの世界で生まれたものだからだ。
捉えた!
ラフィーシャは確信する。
事実、アカリの心臓を光が貫いた。
たちまち身体が石化していく。
対して、異世界の魔法使いは対抗する術がなかった。
やがて石になる。
だが、すぐに安心できなかった。
側にいたサラマンダーがラフィーシャに襲いかかる。
すかさず女神は、【魔眼】を解き放った。
紅の地竜もまた、主と同じく石化する。
ホッと息を吐いた。
最初出会った時は、存在の大きさに戸惑った。
が、所詮は小娘。
それにこの即死呪術は、あの勇者すら防ぐことが出来なかった。
たとえ、その師であろうと、抗うことは不可能だ。
「さて……」
ラフィーシャは振り返った。
再び遠くに見える灰色の街を見つめる。
まずは潜伏する。
そしてこの世界を堪能する。
その上で、自分が統治するに足るものか見定める。
どういう文明の利器があるのかは知らない。
軍隊の規模、戦力、“カガク”を使った武器の原理もわからない。
しかし、問題ない。
この即死呪術があれば、造作もなく、人間を屈服させることができる。
全人類を平伏させなくて良い。
この世界に影響力が及ぼすトップを引きずり出して、忠誠を誓わせればいい。
「そういえば、面白いことをいっていたな」
ローランの妹が、この世界のトップにいるらしい。
まずは、そいつを抑えよう。
思わず舌で唇を舐めた。
どんなご馳走が出てくるのか。
楽しみで楽しみで仕方がなかった。
ラフィーシャは1歩踏み出す。
「あ~ら。すげないわねぇ。もう少し遊びましょうよ」
再び背筋が凍った。
それは先ほどとは違う。
明確な恐怖だ。
ラフィーシャは振り返る。
同時に、パリパリと音が聞こえた。
魔法使いが包んでいた石が、剥がれ落ちていた。
やがて、ガラスが割れるような音が響く。
現れたのは、全く無傷の清川アカリの姿だった。
「かなり強力な呪術のようね。なるほど。馬鹿弟子が手こずったのもわかるわ。でも、この呪術ってあなたのものじゃないでしょ。随分と作りが荒いわよ」
そんなまさか!
即死呪術は完璧に機能していた。
これまで全身が石化した状態から復帰した者はいない。
なのに――! 何故だ!?
「訳がわからないって顔をしてるわね、女神様。最初にいったでしょ。私は魔法使いなのよ。魔術師でも、呪術師でもない。まして神さまでもね」
「な、何がどう違うんだ?」
「レクチャーを求めているのかしら。まあ、いいわ。面倒だけど教えてあげる。魔法使いというのは、法――つまり自然摂理から離れた存在なのよ。有り体にいうと、人外ね」
「人外……」
「神さまと近いといえば、近いかしら。つまり、人間の摂理から離れた存在。呪術や魔術は、人間の摂理の中で生まれた術理よ。私はその法の外にいる存在……。あなたの呪術が通じるわけがないのよ」
アカリはそっと側のサラマンダーに手を置いた。
あっという間に、石化を解いてしまう。
元気よく「があああああ!」と鳴くと、同時に炎を吐きだした。
ラフィーシャに炎の渦が襲いかかる。
咄嗟に地を蹴り、回避した。
炎が周囲を薙ぎ払う。
かわしていなければ、宣言通りラフィーシャはバターのように溶けていたかもしれない。
心臓が早鐘のように鳴っている。
なのに、身体は冷水を浴びせられたかのように冷たい。
これが恐怖――。
ラフィーシャが常に他者に対して振りまいてきた精神の毒……。
いや、それだけではない。
もしかしたら……。本当に自分は――。
死んでしまうかもしれない。
「そんな怖い顔することないわ、女神様」
「な、なにを……」
「私はあなたを殺さない」
「え――ッ!?」
「私は、ね……」
その時だった。
急に空気が冷たくなる。
同時に魔力が渦を巻いた。
ある一点に、力が注がれていく。
強烈な魔力の圧力は、やがて光となった。
「なんだ!?」
続いて現れたのは、魔法陣だ。
魔力が収束し、次々と幾何学模様あるいはルーンを描いていく。
まるで自動書記を見ているかのようだ。
激しく明滅を繰り返す。
地に刻まれた魔法陣から現れたのは、人だった。
ゆっくりとせり上がってくる。
それは2人の男女だった。
伏せた瞼が、おもむろに光る。
黒とピンクの瞳が、ラフィーシャを見据えた。
「馬鹿な!!」
新女神は叫ぶ。
驚嘆する女神を見ながら、男の方は笑った。
「見つけたぞ、ラフィーシャ」
後ろに撫で付けた固い黒髪。
茶色の虹彩は薄く、笑みを浮かべた口元には、白い歯がこぼれていた。
ダークスーツに、派手な赤いシャツ。
首元には、ネクタイではなく、赤い宝石が下がっている。
ラフィーシャはその姿を見ながら、今にも腰を抜かしそうだった。
魔法使いと出会う前。
己に恐怖を与えた唯一の人物。
目の前に、勇者――杉井宗一郎が立っていた。
ラスト4話です。
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