第85話 ~ 文明の音がする ~
終章第85話です。
よろしくお願いします。
プリシラが消えた瞬間、闇が降りた。
同時に沈黙も落ちる。
それぞれがどう受け止めていいのかわからず、映像が消えた場所を見続けていた。
現代世界、そして今まさにオーバリアントという異世界をクリアしたばかりの勇者もまた、言葉の取捨選択に迷っている。
すべてはプリシラの手の平の中だったということ。
そして、託された膨大な宿題。
クリアしてあった先には、何もない砂漠も同然の光景だったわけだ。
女神すら果たせなかった現実を突き付けられ、宗一郎は珍しく立ち止まった。
「おい、こら。折角、プリシラちゃんが祝福してくれたんだ。もう少し嬉しそうにしたらどうなんだ?」
闇の中から、男がモンスターの合間をかいくぐりやってくる。
焚いた炎のように立った髪。
鼻の上にかけた丸眼鏡の奥からは、髪と同じ色の瞳が輝いている。
ボロボロのゴールド製の鎧を纏った男は、宗一郎もよく知る人物だった。
「ミスケス……! お前――」
「ああ……。この通りピンピンしてるぞ。訳は聞くな。俺様が説明してほしいぐらいなんだからな」
おそらくプリシラの呪いのご褒美によって、復活したのだろう。
こうして自分の目の前で死んだはずだの人間が、何事もなかったように肩を回している光景は、少なからず宗一郎に衝撃を与えた。
「てめぇはプリシラちゃんに選ばれた。そして彼女が作ったげぇむってヤツをクリアした。今はただそれだけだ。この化け物たちと共生するのかしないのかは、このオーバリアントの人間が考えたらいい。異世界人のお前が首を捻ることでもないだろう」
「そうだよ。その通りだよ、宗一郎君! みんなで考えればいい。いいこというじゃない、つんつん頭の人!」
「ミスケスだ、ローレスのお姫様。――で、プリシラちゃんの代わりに聞いてやるが……」
面白かったか、|プリシラちゃんのげぇむは《たのしんでよ》……。
ミスケスの台詞が、今際の際にプリシラが漏らした言葉と重なる。
宗一郎はそっと天を仰いだ。
魔王がぶち抜いた天井からは、空を見ることが出来る。
すっかり夜になっていた。
世界が未曾有の危機になっているというのに、星はただ穏やかな光を讃えている。
そこに神の座はない。
だが、そっとプリシラがどこかでその答えを待っているような気がした。
「ああ……。面白かったよ、あいつが作ったゲームは」
宗一郎は笑う。
初めは馬鹿にしていた。
レベリングによって、強さが左右される世界。
それはむしろ弱さだと吐き捨てたこともあった。
だが、1つレベル上がるごとに聞く祝韻に、いつの間にか胸がときめいていた。
スキルを1つ習得するごとに、ワクワクもした。
強敵、あるいはモンスターに対し、手持ちの戦力だけで戦略と戦術を練り、戦うのも悪くなかった。
確実に強くなっていく充足感があった。
そして、クリア後の充実感……。
「なるほど。あいつが夢中になるのもわかるな」
悪魔の癖に、ゲーム狂のあいつ。
もっと遊んでやれば良かった……。
相変わらず、人生というヤツは、失ってからわかることの方が多い。
「これでお前の勇者稼業も終わりだ。だが、お前にはまだやることがあるんだろ」
ミスケスは宗一郎の胸を軽く叩く。
ほんのわずかに緩んだ気を、一瞬にして引き締めてくれた。
「ああ……。ここからは勇者じゃない。魔術師として戦いだ」
現代最強魔術師の瞳がギラリと光る。
その瞬間だった。
ワンダーランドの上部で別の光が輝いた。
太陽のように広範囲に広がる光。
しかし、その色は白光ではない。
禍々しい赤紫の光。
それはまるで血のようだった。
「なんだ?」
宗一郎は目を細める。
答えを求めても、誰も口を開くことはなかった。
ただただ歪んだ光を望んでいる。
1つわかるのは、オーバリアントにある薄い魔力が、ワンダーランドの上部層に吸い込まれていっていること。
大気が渦巻き、髪や衣服を激しく揺らした。
何が起こっているのかわからない。
だが、こんなことが出来るのは、1人しかいない。
いや、1人しか知らない。
「ラフィーシャか……」
宗一郎が呟いたと同時だった。
ワンダーランドから一条の光が解き放たれる。
放物線を描くように夜空の中に吸い込まれていった。
◆◇◆◇◆
「あはははははははははははは……!!」
ラフィーシャは笑っていた。
宗一郎から受けた傷も癒え、歪んだ表情で哄笑をあげている。
彼女がいるのは、光の世界。
幾億幾万という星が流れる宇宙。
異世界と異世界を繋ぐ次元のトンネルだ。
ラフィーシャはあらかじめ用意していた次元のトンネルを開いた。
すでにオーバリアントを脱出。
今まさに、異世界へと赴こうとしている。
「いくらなんでも、勇者様も追ってこられないかしら」
異世界は全くのランダム。
生命活動と、次元トンネルを渡すことが出来る世界構造。
2つの性質を持つ世界に限定される。
だが、ラフィーシャの観測によれば、軽く万を越える世界が対象となる。
勇者も異世界へ渡る能力を持っているようだが、その1つ1つの世界を観測するほどの魔力は残っていないだろう。
良くて1回。
その1度だけで、新女神が逃げた世界を特定するのは、ほぼ不可能だ。
しかし――。
ラフィーシャは笑顔から一転、爪を噛む。
それでも勇者に復讐が出来ないのは悔しい……。
これでは勝ち逃げではなく、負け逃げだ。
だから、ラフィーシャは久遠に誓う。
いつかきっと勇者――杉井宗一郎に復讐してやると……。
しばらくして、出口が見える。
短い異次元ツアーを終える瞬間が、間近に迫っていた。
口惜しさ全開だった表情に、再び笑顔が灯る。
思いがけないサプライズに子供が大喜びしているかのようだ。
…………ひゅっ!
白い光をくぐり抜けた瞬間、聞こえてきたのは風鳴りだった。
強い風圧を瞼に感じながら、ラフィーシャは目を開ける。
見えたのは、青い空と雲海だった。
地平線の向こうまで果てしなく広がっている。
上を見れば、太陽と似た光球が空に浮かんでいた。
ここまではオーバリアントにもよくある姿だ。
やがて雲を越え、陸地が見える。
次第に明らかになっていく姿に、ラフィーシャの顔はさらに華やぐ。
要塞にようにそびえ立つ灰色の尖塔。
人間の静脈のように張り巡らされた真っ平らな道。
その上を走る鉄で出来た馬車。
違う……。
明らかにオーバリアントにあるもの――いや、ダークエルフの技術にも存在しないものだった。
文明の音がする。
オーバリアントなど比べ物にならない文明の音。
あるいは匂い……。
何より新女神を歓喜させたのは、人の姿だった。
尖塔の中に、あるいは道に。
たくさんの人がいた。
幸せそうな顔をしている。
ぐちゃぐちゃに歪めたいほど、幸福そうな表情……。
ラフィーシャは滅茶苦茶に笑った。
落下しながら、腹を抱えた。
最高だった。
最高に壊しがいのある世界だった。
そして、自分が君臨するに足る世界だった。
「喜びなさい。あなたたちの幸福は、私の幸福になるかしら」
ラフィーシャは手を掲げた。
その瞬間だった。
何か横から影が現れた。
かわす暇もなく、ラフィーシャと激突する。
そのまま高速で吹き飛ばされると、新女神は近くの野山に激突した。
多くの野鳥が飛ぶ。
隕石でも激突したかのように、土煙が上がった。
「な、何かしら……」
ラフィーシャは顔を上げる。
幸い激突する瞬間、エルフの魔法で防ぐことが出来た。
この世界はオーバリアントとは違い、むせ返るほど魔力が濃い。
おかげで威力が上がり、ほとんどの衝撃を吸収できた。
「占術で妙な相が出ているなと思って、山から降りてきたんだけど……。飛んでもないものに出会ったわね」
「お前は……」
ラフィーシャの前に立っていたのは、奇妙な格好をした女だった。
鴉羽のような真っ黒なマント。
先が折れたとんがり帽子。
手に杖こそ持っていなかったが、それはオーバリアントでも有名な古典的な魔女の姿だった。
しかし、帽子の下にあったのは、面妖な老婆ではない。
15、6歳に見えるまだあどけない少女だった。
驚愕に彩られたラフィーシャを見ながら、少女は薄く微笑む。
「私は清川アカリ。魔法使いよ。初めまして、異世界の人」
さあ、いよいよラストが近づいて参りました!




