外伝 ~ その現代魔術師、異世界で温泉宿を経営する ~ ⑤
温泉宿経営5話目です。
よろしくお願いします。
いつものように大図書館マルルガントで、本に囲まれ勉強していると、マフィが話しかけてきた。
「…………」
「うん? 私がオススメした本を読まずに何をしているか、か?」
「…………」
ふんふん、とマフィは頷く。
宗一郎はすっかり彼女の“つぶらな瞳で訴える語”を習得しつつあった。
「今日のノルマを達成しているぞ。『ペリシテル部族の生活様式』は面白かった」
「…………」
でしょ! でしょ! とマフィは目を輝かせる。
「…………」
「そうだな。人類最古の魔法儀式を完成させた――あの高度な文化はなかなか興味深かった。オレはてっきりオーバリアントの魔法は、エルフが作ったものかと」
「…………」
「ほう……。90%はエルフが作ったが、人間が使えるようにしたのは、人間の成果のおかげなのか。……また、その資料があれば見せてくれ」
「…………」
マフィは大きく頷いた。
「…………」
「ああ。今、読んでるのはこれだ」
宗一郎はそっと本の表紙を見せた。
少し眉根を寄せながら、マフィはじっと見つめた後、首を傾げる。
「…………」
「なんで建築関係の本を読んでいるのか――か」
「…………」
マフィはフンフンと頷いた。
「ちょっと事情があってな。宿屋を1つ作らねばならなくなったのだ」
「…………?」
「本当なら専門の建築士を雇うのがいいのだろうが、予算と私が思い描いているものと隔たりがあってな。だが、オーバリアントで用意できる資材は限られているし、いっそのこと自分で作ってみようと、今建築の資料を読み漁っているところだ」
「…………」
「そんな付け焼き刃で大丈夫か――か? 耳が痛いなマフィ……。だが、一応オレもオーナーとして経営に参画しているのだ。あまり妥協はしたくはない」
「…………」
マフィは平たい胸をポンと叩いた。
「任せろ、とはなんだ?」
「司書長は建築士の資格を持っておられるのですよ」
横から口を挟んだのは、アリエラだった。
あらあら、といつもの柔らかい笑みをたたえながら、こちらに近づいてくる。
「司書長はマルルガントの修繕や改装なども担当されていて、ご自身で設計することもあるのです」
「…………」
マフィはぴょこぴょこと跳ねて、頬を膨らませる。
「『こら! 私の台詞を取るな!』。……ああ、それは申し訳ありません」
「本当なのか?」
「…………」
「『嘘偽りなどあろうはずがない』と。……しかし、宗一郎様スゴいですね。帝都に来て間もないのに、宿屋を経営されるなんて」
「成り行きでな……。だが、オレがやるからには妥協など許さん。帝都でナンバーワンの宿屋を作るつもりだ」
「それは楽しみです。……私も泊まりいこうかしら」
「是非来てくれ。アリエラなら大歓迎だ」
「やった!」
「…………!!」
談笑する2人の間に、マフィは割って入る。
目を三角にして、またぴょんぴょんと跳ねながら、怒りを露わにしていた。
「『私の前でいちゃつくな! アリエラ! 頼んでた。資料の整理はどうした?』ですか? もうすぐ終わりますよ。今は少し休んでいるだけです」
「…………」
「『まだ他にもやらせることがあるから、とっとと整理を終わらせろ』。はいはい。わかりましたよ、司書長」
微妙にパワハラ的な発言も、アリエラは全く苦にせず、あの柔らかな笑みとともに一礼して、立ち去っていった。
「もう少し部下を大事にしたらどうだ?」
「…………」
「最近の子はすぐに『疲れたあ』とか『しんどい~』とか言うから、あれぐらい発破をかける程度がちょうどいい――か。適度な休憩は必要だ。あまりアリエラをいじめるな」
「…………!」
「随分とアリエラの肩を持つのだな――。別にそう言うわけではない。先ほども言ったが、部下を大事にしろっということだ」
宗一郎はフォローするが、マフィは全く聞く耳を持たずという感じだ。
おかっぱの前髪をくねくねといじりながら、頬を膨らましている。
「わかったわかった。建築を手伝ってくれたら、マフィも招待するから」
「…………!?」
つぶらな瞳が輝いた。
「本当だ。……だから少しは機嫌直せ」
「…………」
腕を組み、「仕方ないわね。手伝ってあげるわよ」と、ちょっとニヤケながら答えた。
すると宗一郎は小さな手を取る。
いきなり男の顔がどアップが目の前にあった。
幼女(40歳)の顔が一気に赤く沸騰した。
「ありがとう、マフィ。助かる」
「…………」
べ、別にあんたのためじゃないんだからね……というテンプレ台詞ではなく、完全にボーとしていて、沈黙していた。
「では早速だが――」
パッと手を離し、宗一郎は持ってきた荷物を漁りはじめる。
感触が残る手を恍惚とした表情で見ていたマフィの前に、大判の皮紙を広げられた。
見た瞬間、マフィは眉根を寄せた。
「…………」
「そうだ。これがオーバリアントで全く新しい宿屋だ!」
宗一郎はニヤリと笑った。
宿屋の建設予定地に戻ると、クローセルはまだ温泉を掘っていた。
彼女曰く、かなり岩盤が固く、掘り進めるのは容易ではないそうだ。
昼夜を問わず働かせれば、1日半で温泉を掘り当てることができる。だが、クローセルの魔力の供給源は、宗一郎本人である。先に契約者の方がバテてしまうので、適度に休憩するように申し渡している。
宗一郎が近づいてきたのに気付いたのだろう。
作業を中止し、クローセルは一旦穴から飛び出した。
「どうだ? クローセル」
水に濡れた髪を滴らせながら、少女の姿をした悪魔は傅いた。
「は。もう少しです。我が主君」
「そうか。ご苦労だったな。少し休め」
「いえ。あともう少しなので……」
「そうか。なら、これでも食え」
図書館でマフィにもらったサンドウィッチを渡してやる。
ありがたく……と静かに感謝し、咀嚼する。
「どうだ?」
「美味です」
「そうか」
宗一郎もサンドウィッチをつまむと、一緒に食べた。
「おーい。宗一郎の兄ちゃん」
声が聞こえて、振り返る。
私はこれで、と言って、クローセルは作業に戻った。
ハシューとカカが手を振って近づいてきた。
「手続きは済んだか?」
「うん」
「よし!」
「しかし、あんな大金どこから?」
「帝国からだ」
「て、帝国!」
「喜べ。この宿は帝国のお墨付きになった。いかなるものも邪魔立てはできん」
「「…………」」
親子はただただ絶句するだけだ。
「母ちゃんとヤーヤは?」
「オレが泊まっている宿屋で、DMを書いてもらっている」
「DM?」
「宣伝用の紙だと思ってもらえばいい。最低1000枚は書いてもらうつもりだ」
「せ、1000枚!」
ハシューは驚くが、宗一郎としては少ないぐらいだ。
コピー機も、まだ活版印刷もない世界である。
手書きで出来るのは、せいぜいそれぐらいだった。
「そうですか」
とその時だった。
ゴゴゴ……と地鳴りが響いてきた。
何がなんだかわからないカカは、父親にしがみつく。ハシューも目を丸くして「女神様……」と情けない声を上げた。
宗一郎は慌てることなくクローセルが空けた穴に視線を向ける。
瞬間――。
ぷしゃああああああああああああああああああ!!!
鋭い飛沫の音とともに、大量の水が噴出した。
もくもくと白煙を上げ、熱いお湯が降り注ぐ。
「あつあつあつ……!」
横でダンドリー親子が頭を抱えて飛び跳ねる中、宗一郎はにぃと笑みを浮かべた。
噴出したお湯柱の上には、クローセルが立っている。
主に報告するように、腰を曲げて一礼した。
「でかしたぞ! クローセル」
宗一郎の宿屋が、一歩前進した瞬間だった。
夢の温泉回まで後少し。
明日も18時です。




