第51話 ~ ぼくは邪な気持ちで勇者様に取り入るから ~
アーラジャの艦艇が空に打ち上がる少し前。
船檣から戦場を眺めていた1人の船員が、海の異変に気付く。
影だった。
それも巨大な、だ。
何やらうねうねと動き、水平線の彼方まで続いている。
初めは海面に映った雲だと思った。
ちょうど曇天に晴れ間が見えた頃だ。
時々、細長い雲が大蛇だと思いこみ、新人を驚かせることなどしばしばある話だった。
確認した船員も、はじめ見間違いだと思い、1度遠見鏡から目を離す。
だが、おかしい。
ゆらり……。
明らかに影は動いた。
水面の反射のせいだとも考えたが、やはり違う。
なにかいる!!
船員が叫んだ瞬間、船体は空の彼方にあった。
仲間あるいは甲板上にあった道具や荷物が、宙に浮くのが見える。
はっと顔を上げた時、味方艦が真下に並んでいた。
そこで船員は自分が空を飛んでいることに気付いたという。
数瞬後、船と共に海の藻屑へと消えるのだった。
◇◇◇◇◇
一体何が起こっているのかわからなかった。
突然、船が爆薬でも仕掛けられたように跳ね上がった。
ただそれだけが現実だった。
自然とドクトルとパルシアは身体を寄せ合う。
艦長はだらりと握った刃をおろし、側にいたゼネクロも大剣を担いだまま固まっていた。
その場で冷静であったのは、ライカ1人。
いや、彼女とて興奮を抑えられない。
飛沫をとばし、いまだ滝のように海水を流した黒い影を見上げた。
金色の双眸が光る。
くっくっくっ……と奇妙な音がした。
それが腹音なのか、魔獣の唸りなのかわからない。
映った影には、大きな舌がぴろりと出るのが見えた。
「遅いぞ、クローセル」
『それについては謝罪する』
現代最強魔術師、杉井宗一郎が使役した悪魔。
48の軍団を指揮する悪霊の侯爵だ。
『だが、主にも反省してもらう。我より離れすぎだ。せめてどこへ行くか教えておいてくれ。我が水属性に特化した悪魔でなければ、主を見つけることができなかった』
痴女か幼女趣味だったら、たとえ見つけることが出来ても、戦場への到着は遅れたかもしれない。
「すまない。それについては反省しよう」
『そうしてもらう。さて――』
クローセルの巨体が動く。
ぐるりと首を回し、周囲の戦況を確認した。
『主よ。何をすればいい』
「敵軍艦を駆逐しろ。出来る限り、命を奪わない方法で」
『まどろっこしい。この程度のヤツら、ひと呑みに出来るのに』
頭の下の皮膚を動かした。
クローセルにかかれば、例え砲門を持った軍艦だろうと関係ない。
巨体で竜骨を破ることも、船体自体を飲み込み、咀嚼することもできる。
宗一郎が契約する悪魔の中で、クローセルは特に水上戦に特化した悪魔だ。
水妖を指揮し、その領主を務めるのが、悪魔の世界での彼女の役目。
艦船をひと呑みするなど造作もない。
『だが、主の命令であれば、そうしよう』
「頼む」
ゆらり……。
悪魔は動いた。
海の上を這うように進む。
「撃てぇ! 撃てぇ!!」
甲板から悲鳴が聞こえる。
慌てて砲門に火を入れた。
そのほとんどがクローセルの横をかすめていく。
彼女が早すぎるのだ。
だが、さすがにまぐれ当たりはある。
1発の砲弾が、クローセルの眉間付近を貫いた。
「やった!!」
指揮した部隊長が腕を掲げる。
しかし、爆煙から現れたのは、巨大な1匹の竜――いや、蛇だった。
船体の側面に激突する。
甲板にいた船員は吹き飛ばされ、海面に叩きつけられた。
船体が大きく傾く。そのまま横倒しになり、軋みをあげてひっくり返った。
クローセルは次々とアーラジャ艦を無力化していく。
まさしく無敵の強さだった。
「ねぇ、陛下……。あれって……」
恐る恐るといった様子で尋ねたのは、パルシアだった。
仲良くドクトルと手を取り合っている。
その仲の睦まじさに、ライカは少し嫉妬を覚えた。
安心させるように笑う。
「心配してくていい。あれは味方だ」
「味方? あの化け物が?」
パルシアが指さすと、一瞬クローセルがこっちを向いたような気がした。
黄色の瞳が閃く。
さしものダークエルフも肝を冷やしたらしい。
きゃ、と生娘みたいな悲鳴を上げて、ドクトルの後ろに隠れてしまった。
そのドクトルは落ち着いている。
次々と艦艇を破壊していく化け物に、憧憬の念すら抱いているように見えた。
「もしや、あれが勇者の力か」
「その通りだよ、元首。あれが我らが勇者――宗一郎の力だ」
「へ? ホント? あんな化け物を勇者様が飼っているの?」
「ああ……」
パルシアはへなへなと崩れ落ちる。
ついにはペタンと海水に濡れた甲板にへたり込んだ。
「ぼくたち……。なんてところに、喧嘩を売ってたんだろう」
「ぬはははは……。ようやくマキシア帝国の力がわかったか、ダークエルフ」
ゼネクロは豪快に笑う。
いつもは人族や獣族、エルフなどを馬鹿にするダークエルフたちが、ここまであからさまに絶望的な表情を浮かべるのが楽しくてたまらないのだろう。
今、目の前で地獄絵図が広がっているのに、髭を伸ばしながら上機嫌だった。
やがて、すっくとパルシアは立ち上がる。
「ねぇねぇ……。ライカ陛下!」
「なんだ、パルシア」
「あれちょうだい! いいでしょ! 1匹ぐらいほしい!!」
「ほしいといわれてもな。あれは宗一郎から借りてるもので、元々は宗一郎と契約している……」
「じゃあ! 勇者様に取り入れば、あれもらえるかな?」
「とり――。パルシア……。宗一郎はそんな気安い人間では」
「大丈夫だよ。陛下でも取り入ることができたんだから」
「わ、わわわ私は宗一郎をそんな取り入るなんて」
「わかってるよ。陛下は純粋に宗一郎くんのことが好きなんでしょ。だったら、ぼくは邪な気持ちで勇者様に取り入るから」
「言ってることが無茶苦茶だ!」
先ほどまでの緊張感が霧散していた。
何か思い詰めていた表情をしていたパルシアも、普段のノリに戻っている。
その姿を見ながら、ドクトルは薄く微笑んだ。
自分がよく知る参謀役が戻ってきて、素直に嬉しそうだった。
戦況はライカたちの勝ちで揺るがない。
ついに最後の軍艦が真っ二つに折れる。
船員は他と同じく海に投げ出され、艦艇は深海へと旅立っていった。
すると、クローセルは何かを見つけたらしい。
口の中からプッと吐き出す。
その何かがライカたちがいる甲板上に転がった。
魔法言語が刻まれた石――伝聲石だ。
そこから声が聞こえる。
カリヤの声だ。
必死に戦況を報告しろと喚いている。
おもむろに石を拾ったのは、ドクトルだった。
「アーラジャ艦隊はたった今全滅した」
『――――ッ!』
石の向こうに緊張が走るのを感じた。
声音ですぐわかったのだろう。
何せ自分たちの元首の声なのだ。
忘れるはずも、聞き間違えることもない。
『そんな馬鹿な……』
「信じられないなら、自分の眼で確かめるんだな、カリヤ」
『ドクトル、貴様!!』
「まだ随分と強気だな。わかっているのか? お前が頼りにしていたアーラジャ艦隊は全滅した。つまり、アーラジャには俺たちに対抗できる戦力はないということだ」
『ふ、ふん……。まだ我らには切り札が――』
内商大臣カリヤは強がる。
だが、ドクトルの想定ではアーラジャに戦力は残っていない。
彼らが辿れる道は、国を捨てて逃げるか、それとも親しいエジニアに助けを求めるしか残されていない。
ただ気になることはある。
1つは【太陽の手】。
だが、本国にあるのは、ドクトルの計算上0のはずだ。
そしてもう1つは……。
ドクトルの想定が、アーラジャに限るということだった。
「へーんだ。カリヤ! 首を洗って待っているんだよ」
パルシアは挑発する。
すると、不意に通信が切れた。
すぐに回復すると、聞こえてきたのは、別の声だった。
『随分元気な声ね』
熟したワインのような甘い声が、伝聲石から響き渡った。
久しぶりの登場から約5か月。
そりゃあ、遅いぞって怒られますわ。




