第34話 ~ ティータイムといきませんか? ~
終章第34話です。
よろしくお願いします。
海洋国家アーラジャは商人の国だ。
初代アーラジャも商人であり、その元首も商人の中から選ばれる。
初代が一地方都市を国としたのも、国そのものを店として捉え、国にしか出来ない商売をするためでもあった。
つまり、元首である前に、商人でもあるのだ。
国家元首である立場を優先するのか。
商人としての商売を優先するのか。
マキシアの女帝が問うたのは、その2択である。
ライカが提示した条件は、帝国元首としての信念は守れないかも知れない。だが【太陽の手】をすべて売却されれば、抑止力による平和を目指したドクトルの野望は瓦解する。
商人としてみれば、これ程の条件はない。
勝ちすぎるほどにだ。
まさにその勝ちすぎるという点が、ある種のデメリットかもしれない。
ともかく、この破格の条件提示を無下にすることは、国家元首としては当然であっても、商人ドクトルにとってマイナスイメージとなる。
ここまで破竹の勢いで商売を成功させ、アーラジャの元首にまで上り詰めた男が、大国相手の商売でひよった――となれば、国の大商人たちから反感を買うだろう。
実は、ドクトルは島国連合全体から支持を得られていたが、本国アーラジャからの支持には陰りが見え始めていた。
理由は簡単だ。
抑止力による平和を望む島国連合。
とにかく儲けたいし、無駄な出費はしたくない海洋国家アーラジャ。
ドクトルは、2つのジレンマに板挟みになっていた。
アーラジャの大商人の中では、グアラル王国王都を破壊したことに憤慨するものが多い。
それは人の命がどうのこうのというわけではなく、ただ単に大口の商売相手がなくなったことによる怒りだった。
黙らせることは容易だ。
それこそ【太陽の手】を鼻先に突き付けてやればいい。
しかし、島国連合の活動費の約7割を、アーラジャが負担している。
大半が大商人たちから巻き上げた税なのだ。
今、商人たちを敵に回すのは得策ではない。
――やはり、島国連合も一枚岩ではないのだな。
逡巡するドクトルを見ながら、ライカは心中で呟く。
交渉に当たって、マキシア帝国はそのネットワークをフルに活用し、島国連合と海洋国家アーラジャのことを調べ上げた。
結果、商人の中には、島国連合の活動をあまりよくないと思っているものが多いことがわかった。
さらにいうと、この交渉の場にも島国連合とは関係ない人間が紛れている。
居並ぶ島国連合の重鎮たちの一番端に座った男。
如何にも商人然とし、ふっくらとした体型の男は、興味深く交渉の場を注視していた。
海洋国家アーラジャの商務副大臣ホセ・ブレリンカだ。
昨日の社交界でライカも挨拶した。
彼女が抱くアーラジャ商人らしい人物で、国のことよりも今自分がやっている商売の自慢をするような男だった。
すべての人となり把握したわけではないが、二次会に誘ったバダバ市長ジエゴによれば、やはり島国連合の活動には懐疑的らしい。
おそらく島国連合の閣僚ではないホセが帯同しているのは、ドクトルが暴走しないようにするためのお目付役なのだろう。
そんな男がいる場で、ライカは元首か商人かを問うた。
お前は島国連合の代表なのか、それともアーラジャの元首なのか、
信念を優先するのか、利益を優先するのか。
ホセが睨みを聞かせる中で、その答えは1つしかない。
ドクトルには強い信念があることは、ライカもわかっていた。
耐え難いジレンマであることは、長い沈黙から察っせられる。
「陛下……」
気まずい沈黙が流れる中、言葉をかけたのはパルシアだった。
「事案が事案です。ここはティータイムといきませんか?」
ダークエルフとは思えないほど、建設的な意見だった。
ライカは立ち上がる。
「ええ……。私もそれを願い出ようと思っておりました」
ニコリと笑い、沈黙する元首を気遣う振りをした。
ライカは1度、客間へ引っ込んだ。
息を吐きながら、ソファにもたれかかる。
侍従長から熱いお茶を差し出されると、一口啜った。
熱い。しかし、舌にぴりりと来るほどでもない。
適温に温められ、かつ旨みを最大限にまで引き上げられたお茶は、交渉の席で切り刻まれた内腑を優しく包みこんだ。
礼をいうと、侍従長はゼネクロや他の閣僚たちにもお茶を振る舞う。
皆、思いは同じだろう。
お茶を飲んだ瞬間、ホッと息を吐いた。
ゼネクロはお茶を受け皿に戻し、鼻の下の髭を撫でる。
「とりあえず、第1戦は我らの勝利と見て良いのでしょうか」
「いいや。良くて引き分けだろう。事実、交渉は何も進んでいない」
「とはいえ、事前のシュミレーション通りではあったとは思いますが」
「ゼネクロのアドリブがなければな」
「ナイフを出してきたのは、あっちの方ですぞ」
お茶を飲む振りをして、老将は誤魔化した。
ライカは小さく笑い、同じくお茶を楽しむ。
島国連合がまともな交渉をしてこないことは、初めからわかっていた。
そもそも大帝国にいきなり宣戦布告するような国である。
交渉内容がまともではないことは、子供でもわかることだ。
ジーバルドがどうやって交渉を取り付けたのかは、未だにもって謎ではあるが、今回の交渉で一端を垣間見たような気がした。
おそらくだが、ジーバルドはドクトルと交渉していない。
全くないとは言い切れないが、それでも門前払いされたのは、想像に難くない。
ジーバルドの交渉の相手は、おそらくホセだ。
つまり、島国連合ではなく、ドクトルのお膝元でもあるアーラジャの閣僚級か大商人たちを対象に外堀を埋めていったのだろう。
ジーバルドは大商人にこういったはずだ。
『もし、帝国との交渉が叶えば、必ず有利な条件を貴国にもたらすことになる』
商人たちとしては、金だけがかかる戦争をやるよりも、自分たちが有利になる通商条約を結ぶことの方が、よっぽど魅力的であるはずだ。
そしてアーラジャの有力な大商人や閣僚から、ドクトルに進言してもらった。これから戦費が必要になる島国連合代表としては、無下に断ることは出来なかっただろう。
今回の交渉が実現した背景は、おそらくそんなところだ。
ライカがそれに気付いたのはつい先ほどだが、ドクトルとアーラジャの商人との間がうまくいっていないという情報は聞いていた。
だから、あえてライカは交渉を続けようとしたのだ。
さらに美味そうな人参をぶら下げて……。
「今頃、泡を食ってるおるやもしれませんな、あの若造」
「島国連合にとって、飲めるはずのない内容に我々が逆上して、逆に宣戦布告するというのが、筋書きだったのであろう。大帝国のプライドに火を付ける作戦だったのだ」
ドクトルは大国を舐めすぎていた。
グアラル王国に壊滅的な被害を与えた余勢もあったのだろう。
作戦があまりに単調だった。
「向こうとしては望まぬ交渉だったであろうからな。安易に考えても仕方がない。『どう転ぼうとも、自分たちには【太陽の手】がある。いざという時は』と考えていたのだろう」
ドクトルの弱点はそこにもある。
【太陽の手】という絶対的な力が、思考を短絡化させているのだ。よって作戦が読みやすい。
しかし、危機的状況にあるのは、マキシア帝国だ。
圧倒的といってもいい。
ドクトルが強行し、1発でも【太陽の手】を撃てば、形勢はあっさり逆転する。
「次の一手……。向こうは撃ちますかな? 【太陽の手】を」
「いや、まだ撃たない。あれを撃つには大義名分が必要になる。グアラル王国のように問答無用で撃てば、今度こそアーラジャの商人を怒らせることになる」
「では――――」
「ああ……。ドクトルはおそらく――――」
★★★
ドクトルはどっかりと革張りの椅子に腰を落ち着けた。
顔には、怒りがありありと浮かんでいる。
苛立たしげに、爪を噛んだ。
そんな主を見ながら、パルシアは逆にニコニコしていた。
「いやー、なかなかの策士だねぇ、ライカちゃんは。それとも参謀がいいのかな。もしくは愛しの勇者様の入れ知恵かな」
「あまりあいつを褒めるな、パルシア」
「あははは。君がそんなに拗ねているのを見るのは何年ぶりだろうね」
「うるさい」
ドクトルが大きくなっても、2人の関係性はあまり変わっていない。
年の差が埋まることなどあり得ないのだが、ドクトルへの子供扱いはずっと続いていた。
「そういう君の負けず嫌いなところを、あのお姫様にやられたんだよ。自覚してる?」
「くそ!」
ドクトルは寝ころんだ。
頭を隣に座っていたパルシアの膝枕に置く。
ダークエルフは蠱惑的に微笑んだ。
「どうする、ドクトル?」
「どうするもこうするもない。この交渉の席で俺たちがすることはただ1つだ」
「よろしい。では、元首様、お下知を」
ドクトルの隻眼が光る。
「ホセを殺せ」
吐き出した言葉は、室内の空気を凍てつかせた。
血なまぐさくなって参りました。




