第32話 ~ “抑止力”という考えをご存じか? ~
スローペースでホントすいません。
終章第32話です。
「久しぶりに肝が冷えましたよ、陛下」
ゼネクロは額の汗を拭う。
社交場で舞“闘”を演じたライカよりも、疲れた様子だった。
一時の混乱はあったものの、晩餐会は滞りなく終わりを告げた。
出席者は三々五々解散し、気の合う者同士は、街のサロンや別荘、あるいは色街へと消えて行く。
ライカもジエゴから誘いを受けたが、さすがにそんな気分ではなく、早々にあてがわれた客室へと引っ込んだ。
ライカはメイド長が用意した氷嚢を頭に当て、椅子にもたれかかっている。
一国の元首の鼻面に、物の見事に頭突きを食らわせた勇敢なる額は、見事に腫れ上がっていた。明日には瘤が出来ているかもしれない。そんな姿で、明日の交渉の場に立つのは、少々億劫だった。しかし、鼻に大きな包帯を巻いたドクトル元首を想像すると、幾分気分が楽になった。
あまり無茶はなさらないように、と苦言を呈したのは、帯同しているメイド長だ。
幼い頃から数えて、3代目となるライカの付き人は、優秀であり、何よりも物怖じしない。姫であっても、陛下になっても、その態度が変わらないところが、ライカは好きだった。
故に、恐ろしく冷ややかな一撃は、マキシア帝国女帝の心胆をこの日1番に震え上がらせる結果となった。
「まさか本気で斬りかかってくるとはな」
「何を考えておるのか」
ゼネクロは踵で床を蹴る。怒りを露わにした。
「こういうのもなんだが……。私の予想の範疇内ではあったぞ」
「晩餐会で斬り合いを挑むのが、予想の範疇と――」
「考えてもみろ。ドクトルはわざわざ敵陣にありながら、私だけを狙ったのだぞ。周りはわんさかマキシア帝国の要人いるのにだ」
「まさか……。陛下はここで戦争が起こらなかったことに関心してるのですか」
「悪いか」
ゼネクロはやれやれと首を振る。
「女帝陛下も、肝が据わってきましたな」
「皮肉か、ゼネクロ?」
「失礼しました!!」
ゼネクロは大きな声を上げて、直立する。
ライカはたいして気にすることもなく、話を進めた。
「やりようはいくらでもあったはずだ。毒殺、暗殺、爆殺。ここに私がいるのはわかっているのに、その手段を行使せず、衆人環視の前で戦いを挑んだ。こういうのもなんだが、随分紳士的に思えたぞ」
「紳士的……ですか……」
若い者の感覚にはついていけん、という感じで、ゼネクロは首を振る。
今さらながら、帝都で療養中のロイトロスの苦労がわかったような気がした。
「それでいかがなさいますか?」
「ともかく、明日の交渉に出席する閣僚を集めよ。私が感じたドクトル元首の人となりを伝えておく。その上で、明日の交渉の出方を協議しよう」
「かしこまりました」
ゼネクロは足先を揃えると、一礼し、部屋を出て行った。
ふー、と大きく息を吐く。
ややゆだっている頭を少し整理するため、今日ドクトル元首と会話したことを思い出す。
つと別のことが泡のように浮き上がる。
次第に、ライカの頭を埋め尽くしていった。
また大きく息を吐く。
1人の乙女は心の中で呟いた。
宗一郎に会いたい。
翌日――。
交渉の時刻となった。
係の者がライカを呼びに来る。
「行くぞ」
立ち上がると、ゼネクロ以下閣僚たちが服装を正した。
部屋を出て、ぞろぞろと廊下を進む。
交渉場の前まで来ると、ドクトル元首と鉢合わせした。
予定では、時間差を付けて部屋に入室する手はずだ。
係の者が慌てて、ドクトル元首に待つように促す。
本人は構わず口を開いた。
「失礼。陛下」
「どうした、ドクトル殿」
「交渉の場に入りますと、機を逸すと思い、失礼ながら陛下を待たせていただきました」
「まさか昨日の続きをしようというのではあるまいな」
「ゼネクロ、控えよ」
最初から喧嘩腰の部下をたしなめる。
ライカはドクトルに向き直った。
「それで――」
「昨日はご無礼を」
頭を下げる。
垂れた蓬髪を見ながら、ライカはそれなりに驚いていた。
目線をドクトルの後ろに控えたダークエルフに向ける。
こちらは至って笑顔で、隣人に挨拶でもするかのように手を振っていた。
「私もいささかムキになってしまったきらいがある。一元首に対する態度ではなかったと反省している。どうか、顔を上げていただきたい」
ドクトルは逡巡することなく顔を上げた。
その言葉を待っていたかのような変わり身の早さだ。
「どうです、元首。一緒に部屋へと参りませんか」
手を差し出す。
ドクトルは迷ったが、女帝の細い手を握り返した。
思った以上にごつごつとして、古傷の跡がザラザラと纏わり付く。
彼の人生を感じさせる手だ。
「陛下がよろしければ」
別人のように素直だった。
昨日、晩餐会であれほどの大立ち回りを演じた人物とは思えない。
2人は手を取り合い、開かれた扉をくぐる。
この時、誰もが両国の関係が良好なものになると考えた。
アーラジャ陣営以外は……。
両国間で盛り上がった機運は、たった1枚の紙によって打ち砕かれた。
それは交渉が始まってすぐに、島国連合から提示されたものだ。
様々な文言と条件が洪水のごとく書き示されている。
紙に書かれた内容は、主に3つだった。
1つは島国連合が常々主張し続けていた関税の撤廃。
これは予想通りだ。
ライカはこの条件提示に対して、入念に帝都でシュミレーションを繰り返してきた。飲むかどうかはさておき、島国連合側にもメリットがある代案を用意している。
しかし、予想されたのはここまでだった。
ゼネクロは思わず立ち上がった。
「この――――不当に搾取された徴税の返金を求めるとはどういうことだ!?」
提示された文章には「60年前までの記録を遡り『全額』の返金を求める」とある。言うまでもなく、膨大な額だ。マキシアの版図を半分割譲したとしても、払いきれる額ではない。実質不可能といっていい。
故に、文章には返還金を債権とし、書かれた再建計画に則って、島国連合に支払うと書かれていた。
60年分の税金の返還。
言うまでも無く前代未聞の条件である。
だが、ライカが気になった――いや、むしろ不快感を露わにせずにはいられなかったのは、次の文章だった。
怒りに震える唇を1度、キュッと結び直す。
緑の眼光を向かいに座るドクトルに叩きつけた。
挑戦とも取れる威圧的な視線に、元首は全く動じていない。
濁った水色の隻眼は、夜の海のように不気味だった。
「元首にお尋ねしたい」
「なんだ?」
口調が変わる。
扉の前での礼儀をわきまえた元首はいない。
帝国という船に殴り込みにきた海賊のようにぶっきらぼうな言い方だった。
ライカは自分の怒りを抑えつけながら、冷静に言葉を選んだ。
「この最後の文言に――――」
マキシア帝国は、島国連合より【太陽の手】を購入すること。
「――――とあるが、どういうことか?」
「どういうこともこういうこともあるまい。文言通りに意味だ。我らが保有している【太陽の手】1基――いや、2、3基――マキシアの大きさから考えて、5基でも良いかもしれない。ともかく、【太陽の手】を我が島国連合から購入せよということだ」
「ふざけるな!」
激昂したのは、またゼネクロだった。
交渉条件を書かれた紙をテーブルにぶちまける。
この場において、感情をむき出すことは失礼に当たるかもしれない。だが、もしゼネクロが叫んでなければ、ライカが向かいの島国連合陣営に罵声を浴びせていただろう。
おかげで、ライカは少し間を置き、己の律することには成功した。
しかし、1度全開にしてしまったスロットルを戻すことは難しい。
まずは自分の感情との交渉となった。
「何故、我が国に購入を迫るのですか?」
「それは我が国が陛下の国を敵だと考えているのに、かな」
猫撫で声で尋ねたのは、交渉の出席者でもあるパルシアだった。
昨日の変わったドレス姿からは一変し、地味な色の正装を纏っている。
「貴国がどう考えているかは、貴国にしかわからないことです。先にも申し上げておきますが、マキシア帝国は島国連合と良好な関係を持ちたい。そう考えているからこそ、交渉の場を持ちました。それだけは明言させていただく」
ライカの台詞は続く。
「しかし、貴国は1度我がマキシア帝国に宣戦布告した。それを廃し、こうした交渉のテーブルについていただけたこと、感謝する。だが、1度矛を向けた相手に――万が一、戦争になった時に――切り札となる兵器を、我が国に供与する意図を知りたい」
「供与じゃなくて、購入してもらうんだけどね」
「言葉尻はどうでもいい。元首、お答え願いたい」
ライカは身を切る思いで、低姿勢を貫いた。
もし、交渉が破断すれば、帝国のみならず、アーラジャは島国連合に加盟する国の人々を戦火に巻き込むことになる。
そうなれば、10万単位の人間が死ぬ。
国の威信や個人の意地などよりも、もっと重たい物がこのテーブルにはあるのだ。
ドクトルの隻眼が動く。
初めてその瞳に魂が宿ったような気がした。
「陛下は“抑止力”という考えをご存じか?」
こういうシーンって結構好きなのですが、書く方は大変。
でも、楽しい……。
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