第30話 ~ まるで恋する乙女だな ~
お待たせしてすいません。
終章第30話です。
よろしくお願いします。
「あははは……。面白かったよ、ライカ陛下」
パルシアは手を振り、部屋を出ていった。
ふっと息を吐く。
何かエルフの魔法でもかけられるのではと思っていたが、たいしてそういうこともなかった。本当にあのダークエルフは、母親の話を聞きたかっただけらしい。
意外といえば、意外だ。
あのダークエルフにも、家族というものがいることを、ライカは初めて痛感した。
入れ替わるようにゼネクロが入ってくる。
「陛下! ご無事ですか?」
「案ずるな。私は無事だ」
「すいません。不覚をとりました。今すぐ賊を――」
「もうよい。大事の前の小事だ。あまり事を荒立てたくはない。それよりゼネクロ……」
「は?」
「私は着替えの途中だ」
ゼネクロの視線が下がる。
ドレスはまだ背中の紐が完全に結ばれていない。ライカの大きな胸が今にも零れそうになっていた。
かあ、と赤くなったのは、ゼネクロの方だ。
暗に出て行けといわれたのにも関わらず、入口の前で固まる。
侍従長がスタスタと歩いていくと、開け放たれた扉をそっと閉めるのだった。
「ありがとう、侍従長」
寡黙な侍従長は頭を下げると、パーティの支度を再開した。
こんこん、とノックが聞こえた。
迎えが来たらしい。
支度を整えたライカはすっくと立ち上がる。
化粧を施された瞼を開いた。
「行くか」
赤いルージュが引かれた唇を動かす。
同じ色の絨毯の上を歩いた。
会場の前の扉で止まる。すでに扉越しからも、その熱気が伝わってきた。
「ライカ・グランデール・マキシア陛下です」
名前が呼ばれると同時に、扉が開く。
ふわっと空気が動き、美しい金髪を乱した。
盛大な拍手が、若き皇帝を迎える。
一方、ライカの目にはパーティ会場というよりは、白亜の神殿が映っていた。
帝国旗とアーラジャ、そして島国連合の国旗のもと、多くの人とテーブル、そして古今東西のあらゆる食材が並んでいた。奥方の香水に混じって、濃い料理の香りが漂ってくる。端を見ると、料理人が直立不動で皇帝を迎えていた。どうやらパーティ会場内で直接料理人が腕を振るっているらしい。
テーブルを彩る花。差した花瓶。
調度品や食べるための食器。
サーブする奴隷の容姿にまで、このパーティを主催した者のこだわりが見えた。
ジーバルドの嗜好ほど悪趣味ではないにしろ、少々やりすぎだ。
国賓待遇を求めたのは帝都中央だが、どうやら過度に伝わったらしい。戦争が落ち着いたら、こうした行事の規範を作るべきだな、と密かに考えた。
「ようこそ、陛下」
大きな影が覆い被さったと思ったら、ジエゴだった。
金銀と宝石をじゃらじゃら着飾っているかと思いきや、白地の服に、帝国の赤を意識したベストを着ている。少々派手なのは、二重顎の下に巻いた金のネックレスぐらいだ。
たぶん、主賓であるライカに遠慮したのだろう。
その辺りの強弱は付けられる人間らしい。金持ち然とした人間よりも、よっぽど厄介だ。とはいえ、ジエゴは味方側なのだが。
「なんとお美しい……。まるで大輪の薔薇だ」
「ありがとう、総督」
儀礼上、手を差し出す。
分厚い唇を手の甲に押しつけると、ジエゴは上機嫌で皇帝をエスコートした。
会場の奥の主賓席に座った。
――まるで披露宴をしてるみたいだな。
もし、自分が披露宴をするならこれぐらい派手な方がいいだろうか。
それならジエゴに頼んでみるのも悪くないかもしれない。
――いや、宗一郎が嫌がるかもしれないな。
などと考えていると、ふと視線を送った。
席が2つ空いていた。
「申し訳ありません、ライカ陛下。ドクトル元首と参謀長殿は遅れてやってくると」
しょぼくれた顔でジエゴは報告する。
「よい。体調が優れないこともあるだろう。明日の交渉の席で謁見が叶うなら、それに越したことがない」
「恐れ入ります」
ジエゴは頭を下げた。
パーティーはつつがなく進んでいった。
ライカの挨拶に始まり、賓客の紹介、さらに今日の一押し料理と紹介が進む。
楽団による音楽の演奏が始まると、ムードは最高潮に達した。
ライカの席には、貴族たちがひっきりなしに挨拶にやってくる。
その中には、アーラジャの閣僚級も存在した。
「海洋国家アーラジャで、商務副大臣を務めております。ホセ・ブレリンカと申します。どうかお見知り置きを。陛下」
「よろしく頼む、副大臣殿」
「明日の交渉の場ではよしなに」
「そなたも出席されるのか?」
明日の会議は一応、マキシア帝国と島国連合の交渉ということになっている。
ドクトルがアーラジャの元首であるから、不思議なことではないが、サポート役というなら、あのダークエルフで十分なはずだ。
少々きな臭い感じがした。
「副大臣殿、ドクトル元首の人となりを教えていただきたいのだが……」
それとなく話を振るも空振りに終わった。
1つ言えることは、ドクトル・ケセ・アーラジャという男が、とても優秀な元首であり、商人であること。既存勢力に屈さず、常に変革を求める革命家であるということだ。
だが、ここまでは予想通りだ。
プロフィールと、若いながらアーラジャの元首となり、島国連合をまとめる才知とカリスマ性を考慮するなら当然のことだろう。
ライカが知りたいのは、そんな表層的なものではない。
裏だ。いや、むしろ素顔といってもいい。
本当の――本物のドクトル・ケセ・アーラジャが、どんな人間か知りたかった。
――まるで恋する乙女だな。
ライカは挨拶を受けながら、自嘲する。
正直、どんな男であるにしろ、これっぽっちも興味がない。
宗一郎以上の男などどこにもいないし、たとえそうであっても、ライカは興味を示さなかっただろう。
そう言えば……。
ふと思い出す。
ジーバルトはアーラジャに旅立つ前にこんなことを言っていた。
宗一郎に似ている、と――。
ライカは首を振る。
――いかんいかん。集中しろ。
外交はもう始まっている。
今、ここにいるのは乙女ライカ・グランデールではない。
マキシア帝国皇帝ライカ・グランデール・マキシアとして立っているのだ。
人知れず気持ちを引き締めていると、ライカの肩が叩かれた。
「やっほ!」
気さくに手を振る。
その相手は、薄紫の髪に、浅黒い肌をした少女だ。
「パルシア!」
周りを見る。
だが、誰も彼女のことを見ていないようだった。
「大丈夫だよ。誰もボクに気付いていない」
「エルフの魔法か」
「それもあるけど……。気付いたところで、皆酔っていてわからないさ。それよりも、ドクトルがもうすぐここに来るよ」
「社交界に参加しないのではなかったのか?」
「気が変わったみたい」
「最初から来る気だったんじゃないのか?」
だとしたら、何のために嫌いなアフィーシャのことを話したかわからない。
「そんなおっかない顔で睨まないでよ、陛下。笑顔。え・が・お」
「それでドクトル殿は?」
「多分……。ほら、来た」
不意に扉が開かれる。
現れたのは、精悍な顔つきの若い男だった。
黒いターバンを巻き、黒いコートを羽織っている。
肌は浅黒く、程良く筋肉質な腕と足は如何にも海の男という感じだ。
左目に巻いたごつい眼帯。それを補うように水色の瞳は、鈍い光を放っていた。
聞いていた容姿と一致する。
間違いない。
ドクトル・ケセ・アーラジャだ。
突如、現れた男に、貴族たちは動揺する。
一方、ご婦人方は甘いマスクを見て、うっとりと頬を染めた。
元首は周囲を探るような視線の送り方をする。
ライカを認めると、真っ直ぐこちらにやってきた。
「ライカ・グランデール・マキシア陛下とお見受けする」
「如何にも……」
返事を返す。
10秒ほどの間があった。
2人は睨み合う。
お互いの腹を探るように。
その性質を見定めるように。
やがて、先に口を開いたのは、ドクトルの方だった。
「失礼した。我が名はドクトル・ケセ・アーラジャ。海洋国家アーラジャの元首にして、島国連合を代表する者です。お目にかかれて光栄です、陛下」
儀礼としては正しいのだろうが、そこに誠意など全くなかった。
決められた口上をただ垂れ流す自動人形のようだ。
ライカは心に浮かんだ様々な感情を押し殺す。
やがて真っ赤な唇を動かした。
「改めて……。マキシア帝国第120代皇帝ライカ・グランデール・マキシアです。こちらこそお目にかかれて光栄です、元首」
すっと手を差し出したのは、ライカからだった。
ドクトルは一瞬、躊躇する素振りを見せたが、そっと手を握った。
歓声が会場に広がる。
両国の名前が連呼され、拍手が沸き上がった。
緊張し、冷え切った両国の関係が、今この瞬間、正常なものに戻ったのだと勘違いするほどだった……。
後に随行した関係者が、そう述懐するほどの盛り上がりだった。
お互い示しを合わせたかのように手を離す。
ドクトルは胸に手を置き、西国式の謝罪のポーズを取った。
「遅れて申し訳ありません、陛下」
「構いません。体調はよろしいのですか」
「はい。……ところで、陛下。1つ謝罪する代わりにといってはなんですが、剣を指南していただけないでしょうか?」
「はっ?」
耳を疑った。
抑揚のない――ドクトルのつっけんどんな物言いは続く。
「陛下は、皇帝になる前に数々の武勇でその名を轟かせたとお聞きしております。どうか私に指南していただきたく」
演武を見せてほしいというなら、まだわかる。
剣を指南しろとは一体なんだ。
しかも、謝罪の代わりとは……。
そもそもここは社交の場だ。
みだりに剣を振るえる場所ではない。
いや、武器すらないのだ。
すると、その思惑を読みとったのか。
ドクトルはさも当然のように二振りのナイフを放り投げた。
さくっと音を立て、ナイフは会場に突き刺さり、立った。
さらに元首は周りを見渡す。
一瞬、口の端に浮かんだ笑みを、ライカは逃さなかった。
――こいつ……!
それは強烈な意思表示だった。
もし応じなければ、ナイフは他の会場の人間に向けるぞ、という脅迫。
緑色の瞳を光らせ、ライカは明白な敵意を向ける。
「如何ですか……。陛下」
ドクトルの水色の瞳もまた、苛烈に光っていた。
それを見ながら、ライカはようやく本物のドクトルを見たような気がした。
新作『3000年地道に聖剣を守ってきましたが、幼妻とイチャイチャしたいので邪竜になりました。』の方もよろしくお願いします。




