第5話 ~ 魔王の城じゃないスかね ~
終章第5話です。
よろしくお願いします。
ラフィーシャの長い口上はようやく終わりを告げる。
皆が沈黙する中、マキシア帝国皇帝ライカの声が寝室に響き渡った。
「なんだ!? 今のは――」
顔を赤くし、肩で息をしながら昂揚している。
緑色の瞳は真っ赤に充血し、姿なき新女神を睨んでいた。
「会談中、失礼します!!」
寝室に入ってきたのは、衛兵だった。
質問を挟む間もなく、兵はまくしたてる。
「物見より連絡あり! 魔物たち列をなし、東に向かって移動しているとのことです!」
「東……。まさかマキシアにか!?」
兵に掴みかかるように、ライカは尋ねた。
真っ赤だった顔は、次には青くなっている。
「ご主人……。ここから見えるッスよ」
窓の外を覗いていたフルフルが手招きする。
宗一郎、さらにライカ、クリネ、ローランが窓際に立った。
王城、城下町が広がる向こう。
城壁の外に、大きな砂煙が見えた。
「――――!」
息を呑む。
それはまさしく魔物の群れだ。
大軍と称していいほどの数のモンスターが、列をなして東に向かっている。
先ほどまで怒髪天を衝くほど怒っていたライカも沈黙した。
幼い頃から魔物の存在が、側にあったオーバリアントの民にとって、これは確かに衝撃的なシーンだろう。
エンカウントしなければ、姿を現さないはずの魔物が、その身をさらし、加えて群をなして進んでいるのだ。
【太陽の手】での攻撃、その被害に匹敵するほど、希有であり恐ろしい光景であった。
魔物たちを見ながら、宗一郎は「始まった」と確信した。
宣言通り、ラフィーシャはモンスターの撤退を始めたのだ。
問題は行き先だ。
その疑問を宗一郎は、つい口走る。
「ヤツらはどこに行くのだ?」
東にはいうまでもなく、マキシアがある。
ラフィーシャは、あたかもマキシアが悪のように扇動していた。
モンスターを操作し、帝国を攻めることも十分考えられる。
ちらりと、ライカを見た。
唇まで青くなりながら、緑色の瞳にモンスターの群を映している。
小さな肩をそっと抱こうとした瞬間、フルフルが口を出した。
「たぶん、魔王の城じゃないスかね」
「魔王の城?」
宗一郎が反答する。
彼だけではない。
ライカやローランも、金色の瞳を持つ悪魔を見つめた。
「覚えてないッスか? ご主人がオーバリアントに来てすぐの時に、先代のカールズ皇帝から頼まれ事をされたじゃないッスか」
宗一郎はカールズの頼まれ事を思い出す。
マキシアの東部に、モンスターが集まる城がある。そこを偵察してほしい。
道中でオーガラストに出会い、その後もカールズの死去やプリシラとやりとりする中で、今の今までうやむやになっていたことだ。
カールズが何故、そんなことを頼んだのか。
終ぞ、それを知ることは出来なかったが、確かにあの頃――オーバリアントを知る上では、非常に重要な拠点であったことは間違いない。
「つまり、あやつらは自分たちの根城に戻ろうとしているということか?」
「絶対とはいえないッスけど。可能性としては高いッスね」
「しかし……。やはりマキシアが心配だ」
唇を噛み、女帝は苦しい胸の内を明かす。
「ライカ……。お前は、ロイトロスを連れて、1度本国に戻れ」
宗一郎の提案に、今日散々驚き、あるいは怒り狂っていたマキシア新皇帝は言葉を失う。やがて感情の緒を切った。
「何を言うのだ、宗一郎! 私が退けば、ローレスはどうなる? エジニアがもうすぐそこまでやってきているのだぞ!」
「落ち着け、ライカ」
「これが落ち着いていられるか!」
「落ち着け!」
宗一郎はライカの手を握る。
強く。
そして緑の色の瞳を真っ直ぐに見つめた。
愛する者の熱烈な視線。
まだ10代の皇帝は頬を染める。
婚約者の前で、取り乱した己を恥じた。
宗一郎は落ち着いたのを見計らい、説明を始めた。
「おそらくエジニアはサリストの王都を陥落させた後、しばらくは動けないはずだ」
「どういうことだ?」
「あいつらは海からやって来て、サリスト王国の深部まで侵攻してきた。当然、兵站は長くなっている。得意の海上輸送も、ニルビコーザ半島の切り立った崖のおかげで船が着岸できないと聞く」
ニルビコーザ半島の海岸線は、そのほとんどが垂直に切り取られた断崖だ。
船を付けるには、南の緩やかな傾斜となっている平原しかない。そのため海洋国家であるエジニアは、この天然の要害に苦しめられてきたという歴史がある。
「なれば、ローレス侵攻の前にどうしても息継ぎが必要になる。オーバリアントの軍の運用方法には疎いが、文明レベルから考えて早くて14日、遅くとも1ヶ月はかかるだろう。それに――」
「皆まで言わなくていい、宗一郎。ローレスに残ったマキシア軍は今や壊滅状態だ。私がここに残るよりも、本国に戻り、体制を整えるべきだと言いたいのだろう」
「理解してくれたか……」
「すまない。……少々頭に血が昇りすぎていたようだ。私はまだまだ皇帝の器ではないな」
「血気盛んであることは、若い皇帝にはあることだ。それをポジティブに捉える者もいる。ようはバランスが重要だとオレは思う」
「ありがとう、宗一郎。……これからも私を支えてくれ」
ようやくライカの顔に余裕が生まれる。
やるべきことをはっきりと見つけたようだ。
しかし、婚約者の願いに対し、宗一郎はスッと握った手を離した。
「すまない、ライカ……。オレは一緒にはいけない」
「な、なんと――」
ライカの顔を見て、宗一郎はますます二の句を告げることを躊躇う。
不意に目を反らしてしまった。
横に立っていたローランと目が合う。
その顔は少し怒っていた。
ライカを支えること。
それは、ローラン――まなか姉からも頼まれていたことだ。
どういうことだと聞きたいのは、彼女も同様だろう。
「あまりこういうことを言いたくないのだが……」
観念して、宗一郎は口を開いた。
「おそらく、今のままではオレはラフィーシャには勝てない」
「「「――――!!」」」
その場にいた全員が息を呑んだ。
当然だろう。
オーバリアントに来て、初めて宗一郎が呟いたネガティブな発言なのだ。
特にライカたちには衝撃的だった。
「何を言う、宗一郎。お主は強い。あのプリシラ様ですらお認めになったのだろう。何を弱気な――」
「ダメッスよ。ライカ」
言葉を発したのは、フルフルだ。
文字通り、宗一郎とライカの間に割ってはいる。
「ご主人は今、全盛期の10%の実力も出せてないッス」
「それはまさか……。魔力が戻っていないという」
「クリネから聞いたんスね」
ライカは神妙に頷いた。
「ご主人は何も言わないッスけど、今までのご主人からすれば、魔術が使えないというレベルにまで魔力が減衰してるんスよ」
「そ、そんなにか……」
ライカは声を震わせた。
「フルフル……。ライカを無闇に不安にさせるな」
「いいや。ここはみんなに知っておいてもらうッス。でないと、ご主人は際限なく無理するッスよ」
「心配するのもわかるが……。今は不安を煽っても仕方ないだろう」
「でも――」
「フルフルちゃんも、宗一郎君のことが心配なのよね」
「まなかお姉さん、ナイスフォローっス! その通りッス」
「宗一郎君は、昔っから無理してばかりだったからね。『痛い』とか言わなかったし」
「わかるッスよ。フルフルも苦労したッス」
うんうん、と頷く。
――苦労したのは、主にオレの方だがな。
というツッコミは、あえて封印した。
ライカは金髪を掻き上げる。
一旦落ち着きを取り戻し、婚約者に向き直った。
「わかった。……では、どうするのだ?」
「2、3やりたいことがある。すまないが、ここからは別行動だ」
「了解したが……。――少し……さびしい」
ライカは俯く。
まだ宗一郎の手の感触が残る指をモジモジと動かした。
すると、不意に顔を引き寄せられる。
気付けば暖かい胸板に顔を埋めていた。
「オレもだ」
「うん」
「……必ず戻ってくる。心配するな。マキシアに何かがあれば、すぐ戻ってくる」
「ああ……。だが、そうならないようにするのが、私の務めなのだがな」
顔を離す。
見つめ合い、そして笑みを浮かべた。
「ヒューヒュー! お熱いね、お2人さん」
側でローランが2人を煽る。
ニヤッと嫌らしい笑みを浮かべていた。
「むー。フルフルも抱きしめてほしいッス!」
辛抱たまらん、という風にフルフルが飛びかかってくる。
それを華麗に避けると、従者悪魔の背中に足を乗せて、押さえつけた。
「これは新しいッス!」と逆に喜び、フルフルはさらに性交を求めてきた。
ライカは顔を真っ赤にしながら聞き、ローランが腹を抱えて笑う。
もはやお馴染みとなった光景だ。
「うほん!」
大きな咳払いが聞こえる。
4人の動きが止まった。
咳が聞こえた先にいたのは、ベッドで静養するラザール王だった。
「若い者はいいのう」
「し、失礼した。ラザール王」
顔を真っ赤にしながら、ライカは直立する。
「ははは……。羨ましい限りだ。なんなら部屋をご用意しよう。ムード満点の」
「お、お戯れを」
口端をヒクヒクさせながら、ライカは乾いた笑い声を上げる。
昔から知っているが、カールズに負けず劣らず、彼もユニークな皇帝だった。
内政に置いては堅実だが、時々驚くような妙案を持ってくるのが特徴だ。
冒険者政策の転換期において、優秀な国務大臣をマキシア帝国の大使に任じた人事は、帝城でも語りぐさになるほどの逸話だった。
「それはさておき、ライカ陛下。マキシアにお戻りになるのですな」
「はい。……陛下には誠に申し訳ないのですが」
「いや、私もその方が良いかと存じます。ただその前に、お時間をいただいてよろしいでしょうか」
「勿論です」
ライカは差し出された椅子に座る。
「出来れば、勇者殿も」
「わかった」
「お父様、私は?」
ローランが尋ねると、ラザールは――。
「そなたは言われなくともそうするであろう」
「さすがはお父様」
そう言って、自ら椅子を動かし、父の側に座った。
そしてラザールの話は始まった。
今週はもう1回上げる予定です(週に2回ぐらいのめどで投稿していきます)




