第1話 ~ この世界の命のレベル ~
1ヶ月後――。
王都ロダルの崩れかけた城壁の上で見張りをしていた兵士が、2つの人影を見つけた。
1人は少女。
その姿は美麗であること以上に、異形だった。
ツーサイドアップにした髪の根本から、小さな角が生え、黒のスカートから、【神に囚われた悪魔】のような細い尻尾がふりふりと動いていた。
肌は褐色。愉悦に歪んだ瞳は金色で、青い空のもとで嬉々として輝いている。
胸元が大きく。遠眼鏡で確認した兵士は、思わず鼻の下を伸ばした。
兵士は気を取り直し、もう1つの影を追う。
男だ。
普通というには、少々着ている物が変わっていて、見たことがない服装だった。
材質こそ布地のようだが、貴族が着るようなゆったりとした印象はなく、また華美でもない。シンプルでありながらも、どこか先鋭的で、兵士たちの興味をそそった。
かく男の様相ということになると、特段筆致に値する部分は少ない。
後ろで無理矢理なでつけたような黒髪に、茶色の虹彩。
体格は細く、冒険者や兵士というよりは、学者のように見える。
しかし、口角を上げた笑みは邪悪といっても差し支えなく、城壁に向かってくる足取りに迷いはなった。
先ほどから2人は大声で話し合っていた。
まだかなりの距離があるのに聞こえるのだから、相当だろう。
カップルの痴話喧嘩か……。
だが、2者の手にはそれぞれ武器が握られていた。
女の手には、馬をも軽く一刀してしまいそうなバスターソードが握られている。 対して男は剣を持っていた。
一見、普通のロングソードに見えるが、柄の拵えにはいくつかの魔石と呪字が施されている。それから考えても、業物であることは確かだった。
それぞれ抜剣していた。
城壁から確認した兵士は上司に報告。
後に戦端は開かれた。
「ご主人……。ところでレベルはいくつになったッスか?」
ソロモン72の悪魔の1柱にして、杉井宗一郎の契約悪魔フルフルは尋ねた。
敵前だというのに、その口調は昼休みの高校生のようにのどかだ。
宗一郎の眉根がピクリと動く。
緊張感のかけらもない問いに憤ったというよりは、質問の終着点を予想して、煩わしく思ったのだろう。
ともかく、現代最強魔術師の内心は、穏やかからはほど遠かった。
「226だ」
聞くものが聞けば、腰を抜かしていただろう。
ギルドが確認する限りにおいて、最高レベルはミスケス・ボルボラのレベル190だった。
人類未踏の200レベルを越え、さらに26を加えた数字は、常軌を逸していた。
が、これが最高レベルではない。
次のフルフルの言葉が証明する。
「むっふっふー……。勝ったッス! フルフルは231レベルッスよ」
いやらしく歪んだ口元を隠し、悪魔は主人を見下げた。
逆に宗一郎の眉間の皺は深くなっていく。
やがてあっさりと堪忍袋の緒は破裂した。
「うるさい。オレは貴様と違って色々と忙しいのだ!」
「何を言うスか。暇人じゃなきゃ、ゲーマーなんてやってられないッスよ」
「なにげにゲーマーをディスるなよ。オレが言いたいのは、時間がなくてもお前と5レベルしか大差がないということだ。つまり、お前よりオレの方が効率的にプレイングを出来ていたということだろう」
「何を言ってるッスか。ご主人にレベル上げに良い猟場と方法を伝授したのはフルフルッスよ。感謝こそすれ、怒鳴られる謂われないないはずッス」
「ぐ……」
宗一郎の舌鋒が止まる。
確かに……。
たった1ヶ月と少しで、破格のレベルになったのは、フルフルの功績が大きかった。
このまま従者悪魔の勝利かと思われた。
だが、負けず嫌いな主人の反撃は始まる。
「そもそも貴様……。一体いつレベル溜めしていたのだ?」
「そんなの寝なければいいだけッスよ」
「…………」
宗一郎は絶句する。
ぐうの音もでないとはこのことだ。
一方、フルフルは「チッチッチッ」と指を振った。
「徹夜はゲーマーの嗜みっていうより、初期装備ッス。24時間ゲームをやる体力なくして、ゲーマーは語れないッスよ」
――お前はオーバリアントにゲームをしにきたのか!
頭痛がして、宗一郎は額を抑える。
このままフルフルと喋っていると、自分の目的を忘れそうになるような気がした。
口を噤み、主人はこのまま終わらせようとする。
悪魔はまだ喋り足りないらしい。
「そもそもご主人がフルフルに構ってくれないのが原因なんスよ」
「どういうことだ?」
「ほら。例えば、夜伽とか。下の世話とか。セックスとか。尺八とか」
「下ネタ悪魔め。そんなに欲求不満か」
「当たり前ッスよ。オーバリアントに来て、どんだけやってないと思ってるんスか!?」
「まるで現代世界ではやりまくってたみたいに聞こえるから、そういう言い方はやめろ!!」
「いいや! やめないッス! 今度、ライカかまなかにも言うッスよ! フルフルも混ぜろって!」
「暴走するな、淫乱悪魔!」
「くそー! もー! 3Pでも、4Pでもいいから、とりあえずチ●コついてたら、誰でもいいからやらせてほしい――」
ッス、と言う前に、フルフルは飛来した物体を反射的に掴んでいた。
手の平を見て、初めてそれが矢だったことに気付く。
宗一郎も確認した。
両者の顔は目の前の王都ロダルの城壁へと向けられる。
その上には、弓兵が矢をつがえ、横一列に並んでいた。
城門が開かれ、中から中隊規模の兵がぞろぞろと現れ、隊列を組む。
騎馬兵も含まれていた。
エジニアは海洋国家というイメージが強いが、見事な手綱さばきで馬をコントロールしている。
「この話は後だ」
「ええッ! フルフルはもっとお話したいッス。ご主人に言葉責めとかされてみたいッスよ」
「そうか。なら、後で聖書朗読という最高の言葉責めをしてやろう」
「それは勘弁ッス!」
気を取り直し、2人は眼前の敵を見据えた。
瞬間、「放てぇ!!」という怒号が轟く。
無数の弓音が響いた。
空気を切り、矢が雨のように2人に降り注ぐ。
「警告も威嚇もなしに発射ッスか。なかなか蛮族ぶりッスね」
「大方、オレたちがマキシアに荷担していることを知っているものがいるのだろう」
「有名になった者ッスね。ご主人も」
「どちらかといえば、お前の方が目立っていると思うが」
「謙遜しなくていいッスよ」
「ともかく、殺すなよ。オレたちはオーバリアントに戦争しにきたわけではないのだ」
「わかってるッス。あと――」
「なんだ?」
フルフルは一瞬、言い淀んだ後、珍しく真剣な表情で尋ねた。
「悪魔の力は使うな――とは言わないッスね」
「…………」
「ご主人?」
「あ、ああ……。…………なるべく頼む」
「了解ッス!」
フルフルは矢の雨が降り注ぐ戦場へと駆け出す。
顔には嬉々として笑みを浮かべ、はしゃいでいるようにも見えた。
何かにつけて性交を求める悪魔だが、その本質は戦場にあるように思えた。
一歩遅れ、宗一郎も駆け出す。
矢避けのスキルはMAXだ。
自分を越えるレベルの者が現れたところで、命中確率は3%にも満たない。
剣林矢雨の中、悪魔とその主人は、一国の軍隊の中に踊りいでた。
2人の速度は、筆舌に尽くしたがった。
あっという間に、城門にいた中隊規模の兵士に致命判定を入れる。
フルフルは城壁を駆け上り、弓兵たちが腰に差したショートソードを取り出す前に、隊の半分を教会送りにしていた。
一瞬で警備兵の70%を失った兵士たちは逃げを打つ。
その理由は、いまだ王都に駐屯する主力部隊への報告だ。
2人の悪魔は逃がさない。
さらに20%に致命を与え、消滅させる。
残り10%を逃したのは、2人が突然、足を止めたからだ。
「う……」
普段は冷静沈着な宗一郎の顔が歪む。
鼻についたむせ返るような血の匂いに、スキルとステータスによって強化された足が止まる。
サリスト王国王都ロダルは、さながら地獄と化していたのだ。
焼け落ちた家屋。
折れた尖塔。
城外から投擲されたであろう岩が、石造りの教会を粉砕したまま残っていた。
何よりも息を呑んだのは、無数の人の遺体だ。
道ばたでくの字になった子供遺体。
井戸の手前で手を伸ばしたまま絶命した性別不明の焼死体。
槍が突き刺さったまま亡くなった親子。
貴族と思われる男が縛り首に吊されたまま放置され、その一族と思われる遺体が並べられていた。
およそ人の所業とは思えない。
悪魔すら思いつかない光景だった。
「ご主人……」
フルフルは恐る恐る尋ねる。
顔を見るのが怖かった。
今、目の前にあるのは、主人がもっとも嫌いなものだからだ。
宗一郎は変わり果てたロダルを見つめていた。
怒りに震えているというわけでもない。
顔が紅潮していることもなかった。
ただ静かに怒っていた。
それが余計、長い付き合いのフルフルには恐ろしく感じた。
ようやく宗一郎が口を開いたのは、1分後だった。
「フルフル……」
「あ、はいッス」
「前言撤回だ」
それは予想していた回答だった。
「しかし、ご主人……。ご主人の魔力はもう――」
「前言撤回だ」
「でも――」
フルフルはなおも食い下がった。
「お前はオレの悪魔だろ」
「は、はいッス」
「ならば、主人がもっとも憎むべき者のことは知っているな」
「わかってるつもりッスよ。……でも、ここはオーバリアントっス。ご主人がいた現代世界とはちょっと違うッスよ。これが戦争なんス。この世界の命のレベルなんス。だから――」
「だから、我慢しろと」
振り返った主人の顔は、鬼すら逃げ出すほど怒りに歪んでいた。
「お前がやらなければ、オレがやるだけだ」
その一言で、フルフルは陥落した。
「わかったッス。ご主人」
そして少女悪魔の姿は、さらなる異形へと転じる。
変身を遂げる手前、その容貌は少なからず憂いを帯びていた。
明日も18時に投稿予定です。




