エピローグ《後編》
こちらは《後編》になります。
《前編》をお読みでない方は、そちらからお読み下さい。
後編は長めなので、読む時はご注意。
やがてアーラジャの舟が浜についた。
乗っていた兵が、島長を見つけ、一斉に取り囲む。
何やら長い鉄筒をこちらに向けた。
それは火薬の爆発力によって、鉄の玉を撃ち出す鉄砲というものだったが、ウラガに閉じこもっていた島長が知るところにはなかった。
ただ兵たちから発せられた殺気に、思わず両手を挙げた。
陰部からせり上がってきた恐怖をごくりと飲み込む。脂汗が滴り、足の裏に浮き上がった水分をウラガの浜が吸い込んでいった。
目を大きく開く。
兵達の一挙手一投足を見逃すまいと、様子をうかがった。
兵達の輪が崩れる。
一カ所が開かれると、若い男がこちらに向かって歩いてきた。
若いといっても、20代後半といったところだろう。
顎に鬚を生やし、女性を魅了するに足る顔にはアーラジャの意匠が入った眼帯と、頭にターバンが巻かれていた。
黒魚の鱗のような黒い装束を着用し、飾り気はなく、首に金のペンダントをぶら下げていた。
肌は褐色で、手足は細いが程よく筋肉がついている。
その体格と肌の色から、男がかつて漁師だったのでは、と島長は推測した。
次の瞬間、それは確信に変わる。
「久しぶりだな。ミグラ……」
衣擦れの音が、表浜に響く。
男がターバンを解いたのだ。
髪が露わになる。
島長は「ああ!」と叫声を上げ、指さした。
ウラガの海を思わせるような水色の蓬髪が、海風になびいていた。
それはウラガの島民特有の色だ。
眼帯。
かつて漁師だったと思われる体格。
水色の蓬髪。
何より男は、島長の名前を知っていた。
つまり、男はウラガの出身者である可能性も高い。
そんな経歴を持つと思われる人間が、海の向こうからやってきた。
ウラガに生まれて36年。
ミグラが知る限り、そんな人間はただ1人しか知らない。
「まさか……。ドクトル?」
「ああ」
かつて少年だった男は、あっさりと認めた。
改めて表情をうかがう。
すっかり大人の顔といったところだが、確かに面影が残っていた。
どこか感情が掴みにくい表情も変わらない。
余計、目の前の男がドクトルだと確信させる。
「よ、よく生きて……。戻って……」
17年ぶりの再会。
瞬間、ミグラの脳裏に浮かんだのは、ドクトルとの思い出ではなく、彼が去った後の17年間の労苦だった。
手を伸ばし、思わずドクトルを抱きしめようとする。
だが、即座に鉄筒を向けられ、我に返った。ミグラは疑問に思う。かつてウラガを出た少年が、何故アーラジャの国旗を掲げてやってきたのか。
ミグラは鉄筒を向ける兵士を見ながら、尋ねた。
「ドクトル、これはどういうことだ?」
「こいつらは俺の兵士だ」
「は?」
聞き間違えだと思った。
しかし、再度尋ねるも答えは一緒だった。
「なんでお前が、アーラジャの兵士を率いているんだ?」
「話すと長くなる」
「僕は構わない」
「俺が構う。話してる時間はない」
ドクトルの声音は明らかに高圧的だった。
さらに踏み込めば、殺される――少なくとも何らかの危害が加えられると予感させるほどだった。
故にミグラはあまり踏み込まず、話題を変えた。
「つまり……。君がこの兵士達をコントロールしていると考えていいんだね」
「ああ……」
またぶっきらぼうに言い放つ。
その言動が、ミグラの不安を募らせることになったが、胸の奥にしまい込んだ。
「わかった。じゃあ、ここに来た理由は? 里帰りにしては物々しいけど」
「そうだ。違う」
「じゃあ、このウラガを占領でもしに来たのかい? ……別に構わないよ。占領するがいい。君たちのような裕福な国の眼鏡にかなうなら、それは誉れというものだ。その代わり、島民には危害を加えないと約束してくれよ」
「そういう事は、島長と会ってから話す」
「僕が今、このウラガの島長だ」
ミグラは薄い胸板に己の拳を当てる。
初めてドクトルの表情が動いた。
わずかに口の端を動かしただけだったが、やっと人間らしい反応を見せた。
「ゴーザはどうした?」
わずかにミグラの顔が曇る。
やがて重い口を開いた。
「……死んだ」
再びドクトルの顔が動く。
今度は、はっきりと片方の目を大きく見開いた。
すぅっと息の飲む音が、ミグラの耳にまで届く。
「何故?」
「ゴーザは島を変えようとした。けど、年長の漁師や前島長派の人間の反感を買い――」
殺された……。
ドクトルは大げさに驚くわけでもなく、涙するわけでもなかった。
ただギュッと片目を閉じた。
少し顎を下げる。黙祷しているかのようだった。
ミグラにはドクトルの気持ちがわかるような気がした。
一時ではあったが、彼らは同じ女に惚れ込み、相争った仲なのだ。
戦友と言い換えても良い。
その片割れがなくなったのだ。
表情にこそ出ないが、惜しんでいるに違いなかった。
「そう言えば、あの黒い妖精のお姉さんはどうしたんだい?」
ミグラが聞くと、ドクトルはゆっくりと瞼を開いた。
「船で俺の合図を待ってる」
「合図?」
「ああ……」
昔は、どこか間の抜けていても、憎めない男――それがミグラだった。
しかし、ゴーザの後を継ぎ、島長となってからは、多少感情や気配を察することが出来るようになった。
島民の意を察し、島を運営することこそが、長としての役目だからだ。
だから、この時――場に流れた空気は、あまりにも冷たく、そして……。
残酷だった。
ミグラの右足がわずかに下がる。
自然と腰を引いていた。
「な、なあ……。ドクトル。そろそろここに来た理由を教えてくれないか?」
「そうだな。もう思い残すことはないからな」
ドクトルの腕が上がる。
鉄筒が構え直され、ミグラに照準が合わされる。
それが一体何かはわからないが、何かの殺傷武器であることは、男たちの気配で想像がついた。
ミグラは踵を返す。
悲鳴を上げながら、背中を向けた。
瞬間、ドクトルの腕が振り下ろされた。
ミグラは逃げる。
しかし、一向に何も起こらなかった。
思い過ごしか……。
そう思い、距離を取ったところで後ろを振り返った。
バァアアンンン!
落雷でも落ちたかのような轟音が背後から聞こえた。
慌てて元の方向へと身体をひねる。
表浜から山の方へ向かった場所。
島民の寝家が並ぶ場所が、吹き飛んでいた。
放射状に石や寝家に使われていたと思われる梁や藁が飛んでいくのが見えた。
濛々と煙が昇り、火の手が上がる。
「――――!」
ミグラは言葉を失う。
さらに沖の方で光が見えた。
空の彼方から何かが落ちてくるような音が鳴り、次第に近づくと――。
再び爆音が響き渡る。
村の数カ所に着弾すると、一帯を吹き飛ばした。
ふっと風を切り、ミグラの前にボタリと黒焦げた物体が落ちる。
脂汗にまみれた顔を下に向けた。
「ヒッ――」
鋭い悲鳴を上げ、ミグラは尻餅をついた。
それは手だった。
おそらく男の――漁師の手。
その先にあるはずの男の身体はない。
血も蒸発しきったのか、ただ炭化した人の手が、何かの像のように転がっていた。
持ち主を探すまでもない。
絶命していることは明白だった。
沖が光る。
怪鳥の鳴き声のような音が響く度、島村が吹き飛んでいく。
何が起こっているのかわからなかった。
ただ無秩序に島が破壊され、無慈悲に人の命が摘み取られていく。
ひどく現実感のない光景が脳裏に焼き付いていった。
次第に爆発は島の上の山へと狙いが変わる。
女達を逃がした山だ。
ミグラはそこでやっと気づいた。
自分がウラガの島長であることを……。
ドクトルに振り返る。
「やめろ! やめてくれ! ドクトル!!」
ミグラは喉が枯れても叫び続けた。
若干、酒に焼けた声を振り絞り、年下の男に向かって唾を飛ばす。
しかし、ドクトルは相変わらず無表情にウラガが壊れていく様を見つめていた。
ミグラは砂を蹴り、かつてともに島で過ごした少年の元に駆け寄る。
だが、寸前で止められた。
鉄筒がミグラの眉間を狙う。
汗と鼻水、涙をほとばしらせながら、なおミグラは訴えた。
「やめろ! なあ、やめてくれ! ドクトル! お前が指揮してるんだろ? お前が、あの船で待ってるっていう黒い妖精の女に指示してるんだろ」
「…………」
「俺たちを恨んでるからこうしてるんだろ? だったら謝るよ。小さな子供を村八分にして悪かった! お前の両親を救えなくてすまなかった。この通りだ! 許してくれ!」
ついにミグラは膝を突く。
指を組んだ手を掲げ、額を砂浜に埋めた。
最大級の礼儀を持って謝罪する。
誠意が通じたのか。
ドクトルはようやく声をかけた。
「ミグラ……」
「なんだ? お前が許してくれるまで、俺は頭を上げないぞ」
「別にいい」
「へっ?」
「謝ってくれなんて、俺は頼んでない」
「だったら、なんで!?」
「お前たちがそう望んでいるからだ」
意味がわからなかった。
許しを得るまで頭を上げない、という誓いをあっさりと撤回し、顔を上げた。
ドクトルの表情から読み取ろうとしたのだ。
アーラジャの人間として現れたかつての少年は、やはり無表情だった。
……ミグラはわからないというように首を振る。
「意味がわからないよ。もっとわかりやすくいってくれ」
「お前たちは滅びたいのだろう。変化を望まず、滅びるとわかって掟を守り続けた。破るものがあれば、徹底して粛正した。それほどに死が望みなら、いっそくれてやろうと思ったんだ」
「――――!」
息を呑む。
胸に去来したのは。
狂ってる……。
ただ1つの言葉だった。
「喜べよ、ミグラ。笑えよ、ミグラ」
ドクトルは手を掲げた。
その先にあるのは、今なお破壊され続けて行く島村の姿だった。
「これがお前達が望むものの姿だ」
そしてドクトルは肩を切る。
舟へと歩き出した。
それが決別のゼスチャーだと知った途端、ミグラは叫ぶ。
野獣の咆吼のように罵詈雑言を吐き出した。
呪詛の言葉を叫んだ。
意味すらわからず、悲鳴を上げ続けた。
兵がそっとドクトルに耳打ちする。
「どうしますか?」
「……望み通りにしてやれ」
次の瞬間、乾いた音が鳴り響く。
麦袋を砂浜に落ちた――そんな音がした。
ドクトルが振り返ることはなかった。
◆
黒船に戻ると、パルシアがドクトルを迎えた。
首に手を回し、労うように頬に口づけをする。
その姿は17年前と何ら変わらない。
若干、髪が伸びたぐらいで、本人曰く、身長も体重も変わっていないそうだ。
「久しぶりの島はどうだった?」
「相変わらずだ。……そろそろ艦砲を止めていいぞ」
「はーい。砲雷長、聞いてた?」
側の兵員を呼び止める。
すると、ドクトルが舟に戻る間も続いていた艦砲射撃がようやく止んだ。
ウラガは見るも無惨な光景になっていた。
艦砲の打ち過ぎで、山の稜線が変わり、放射状に広がった穴がいくつも空いていた。
まるで無数の口がある醜い化け物のようだった。
「そう言えば、ゴーザ君は元気にしてた?」
「死んだ――そうだ」
パルシアは目を細める。
やや強くなった海風に煽られた薄ピンクの髪を抑えた。
そう――とだけつぶやき、それ以上追及することもなかった。
「ともかく北上しよう。すまないな。晴れの門出だというのに、回り道をさせた。弾も使わせてしまった」
「良いじゃないかな? 後顧の憂いは断っておくことに越したことはないし」
ドクトルは集まった船員や海兵たちも見つめる。
各々の顔に不満も不安もなかった。
ただギラギラとした目で、ドクトルの指示を待っていた。
「みんなも異論ないってさ」
「……ありがとう」
ドクトルは感謝の言葉を口にする。
ようやく人間らしい穏やかな表情を浮かべた。
「海洋国家アーラジャ元首。ドクトル・ケセ・アーラジャ様。改めて下知を」
家臣の1人が奏上する。
すると、船員たちは作業を止め、各々デッキに膝をついた。
ドクトルの目線と等しくするものは、パルシアを除いて誰もいない。
精悍な顔を足元に向け、元首の言葉に傾注した。
「パルシア……」
「何?」
「お前がやってくれ」
「んもう! ドクトルはアーラジャの元首! 王様なんだよ! 部下に命令をするのは、王様の役目でしょ」
「どうも慣れない。それにこういうのは、お前の方が向いてるだろ」
「別に難しいことじゃないよ。ドクトルがやってほしいことを素直に言えばいいんだ」
ドクトルはしばらく考える。
2人のやりとりに、失笑が漏れ出す始末だ。
それを上級の家臣達が、咳を払って鎮めた。
ドクトルはようやく口を開く。
「俺の命令はただ1つだ!」
すっと息を吸い込んだ。
海の匂いが、胃の中まで広がった。
超大国マキシアを落とす!!
瞬間、爆発的な歓声が上がった。
水夫たちは止めていた作業を再開する。
錨を上げ、帆を広げた。
さらにドクトルが乗る〈ドーマ号〉の後ろに数隻の黒船が現れる。
その数は実に100隻に及んだ。
オーバリアント始まっての大艦隊。
そこにはすべて、パルシアが考案した火薬式の大砲を備えられている。
この艦隊により、海洋国家アーラジャは海では負けなしの存在となった。
それだけではない。
蓄えた国力は、大国の経済すら脅かすようになり、とうとう宗主国でもあるグアラルすら飲み込んだのである。
そして次なるドクトルの目は、マキシア帝国へと向けられていた。
ドクトル・ケセ・アーラジャ。28歳。
後に海王もしくは大商王と付けられ、歴史に名を残すことになる男。
その滅びの船出は、生まれ故郷ウラガから始まった。
これにて外伝Ⅴが終了です。
再来週から本編を再開します。
相変わらず不定期連載になりますが、Twitterや活動報告にて告知させていただきますので、
今後とも『その現代魔術師は、レベル1でも異世界最強だった』をよろしくお願いします。




