エピローグ《前編》
予告してましたが、長くなったのでエピローグが前後編です。
よろしくお願いします。
17年後……。
マキシア帝国から南に位置する島群――中央諸島が『島国連合』として併合されてから3年。
かつて漂流者の息子が生まれ、黒い妖精が行き着いた【ウラガ】も――彼らが預かり知らぬところで――その一部となっていた。
あまりに小さく。
経済的にも困窮し、脆弱な島など、連合は歯牙にもかけていなかった。
そのため併合されてからも、島の生活は相変わらず――いや、それ以上に内へと向かい、最盛期には400人以上いた島民の数も、わずか10分の1となっていた。
滅びを止めようとするものなどいなかった。
考えもしなかった。
ただ毎日を食う寝るだけに頭を回すだけ。
変化を望まず、変化を望んだものを罰した。
ただ目の前の火に手を伸ばし、ゆっくりと己が焼けていくのを見続けるような――無為な日々が、相変わらず続いていた。
つまり、ウラガは少年と黒い妖精が逃げ去った頃と、何一つ変わらなかったのである。
そして改めて、17年後のその日。
変化は訪れた。
天気は晴天。
雲はなく、底が抜けたように青い空が広がっていた。
最初に気づいたのは、海鳥たちだった。
いつもなら魚群に群がるはずの彼らが、今日は1羽も見当たらなかったのである。
漁に出た漁師達は首を傾げた。
何故なら、今日は大量だったからだ。
いつもより魚が多い。晴天の日ならなおさらだ。
そんな日に海鳥たちがいない……。
不気味な感じがして、漁が終えてからも漁師たちは首を傾げるばかりだった。
「なんだろうなあ、今日の海は……」
「俺たちの知るウラガの海じゃねぇみたいだ」
「なあ、これってこの前の頭の中に聞こえてきた声となんか関係があるんだろうか?」
「なんだ、それ?」
「お前は酒によって寝てたから知らないだろうけどな……」
「あの神様が変わったとか言ってた」
「あの意味不明の……」
口々に意見を出し合う。
普段寡黙な漁師ですら、輪の中に入り、己の心の中に滞留する恐れを吐き出した。
輪の中に入りそびれた漁師が、ふと沖を見る。
「ああ――!」
鋭い悲鳴を上げて、腰を抜かした。
一斉に振り返る。
腰を抜かした漁師は、水平線を指さしていた。
漁師達の瞳に、それが映る。
同じく悲鳴を上げ、どよめき、あるいは腰を抜かした。
雲一つない空と、一波もない穏やかな海に挟まれた向こう。
そこに――山のような1隻の黒い船が浮かんでいた。
知らせを受けて、島長は寝家から飛び出した。
日課の飲酒をしている最中だったが、一口飲んだだけなので足下は問題ない。
それよりも報告を聞いた時に、こぼしてしまった酒のことだけを悔いていた。
ひょろりと長い手足を動かし、若い漁師の背中を追いかけ、表浜へと急ぐ。
浜についた時、黒い船が否応にも瞳に飛び込んできた。
思わず悲鳴を上げそうになったのを必死にこらえる。
なんとしても島長としての威厳を保たなければならない。
島の危機の最中、病的で陳腐な使命感が、今代の島長の唯一の長所だった。
しかし、横にいた若い漁師おろか、他の島民は愛くるしさすら感じる島長の短所《ヽヽ》にとっくに気づいていた。
「島長、あれは?」
漁師の1人が一応尋ねる。
先代から譲り受けた遠眼鏡を出して、のぞき込んだ。
黒い船をあますことなく観察する。
やはり他国の帆船だろう。
時折、島を横切るのを見たことがあるが、船体をあれほど黒くした船は見たことがなかった。
掲げられた国旗を確認する。
水色の生地に、妖精が羽根を広げたマークがついていた。
よく見ると、その妖精は黒い眼帯を帯びている。デザインとしては、ひどく攻撃的だ。可愛いと思うのか、恐ろしいと思うのか。判断が付かない。
だが、この時島長の胸に去来したのは、恐怖だった。
「海洋国家……アーラジャ…………」
島長は遠めがねから視線を外し、呟いた。
いくらウラガが他国や他島と交流が少なくとも、その名前と国旗の形状を知らないわけがない。
西の大国グアラル。
その一都市に過ぎなかった海洋都市が、戦乱のごたごたの中、独立したのはもう70年も前だと聞く。
以後、グアラルと、ドーラ海峡を挟んだマキシアとの中継貿易地として栄え、世界最大の商業国家にまで発展した。
そのアーラジャが、ウラガを含めた中央諸島を【島国連合】として併合したのは、5年も前だ。
以来、アーラジャは『変化を求めるものには紙を。拳を上げるものには剣を』と標榜し、両極端な融和政策を押し進め、中央諸島をあっという間に併合してしまった。
それは商業国家とは思えないほど、大胆で野蛮な政策だった。
が、アーラジャの恩恵を受けた島国は、急速に発展していったのも事実だ。
ウラガには、アーラジャはやってこなかった。
小さい島だ。人口も多くない。相手にされていないというのが、島長を含め、事情を知るものの大方の予想だった。
故に、アーラジャの籏を見た時、島長の脳裏をよぎったのは、「とうとう、ウラガにも来たのか」という不安と、「やっと来てくれたか!」という高揚だった。
ウラガは遅かれ早かれ滅亡する。
もう何年も新生児が生まれていない。
奴隷商との交渉もなくなった。アーラジャが【島国連合】として併合したことにより、奴隷の売買が一部禁止され、奴隷商人達は隠れて他国の海岸線で商売するしかなくなった。
滅亡を待つぐらいなら、他国に頭を下げようが、靴を舐めようが構わなかった。
「船だ。小さい船がこっちに来るぞ」
漁師達が指をさし、どよめく。
感慨に耽っていた島長は、慌てて遠眼鏡をのぞき込んだ。
黒船から一艘の舟が降ろされ、こちらに向かってきていた。
舟といっても、ウラガで使われている舟よりもずっと大きい。
ウラガの舟はせいぜい3、4人が限度というところなのに、その舟には、10人以上が乗り込み、櫂を回していた。
「島長、どうしますか?」
側の若い漁師が尋ねた。
島長はしばし爪を噛んで、考えた。
癖なのだろう。親指が刃物のようにギザギザになっていた。
「俺、武器を持ってくる」
1人の漁師が振り返った。
島長は慌てて止める。
「武器は持たなくていい。敵意を見せるな」
「でも――」
「いいか。敵意は絶対に見せるな。あれはアーラジャの船だ。僕たちが戦ったところで勝ち目はない」
「じゃあ、どうするんだよ。ミ…………島長!」
「ともかく、ここは僕に任せてくれ。あと、念のため女子供……女たちを山へ非難させてくれ。終わったら漁師は家で待機」
「島長はどうするんだ?」
「ここで1人で彼らを待つ」
「危険なんじゃ?」
「人数がいる方が危険だ。何より優先すべきは、僕たちに敵意がないことを示すことだ。……わかったか?」
「……あ、ああ」
優柔不断な島長とは思えないほど、建設的な意見だった。
あまりその言葉に耳を傾けない漁師達も、この時ばかりは素早く動く。
あっという間に、表浜から人の気配が消える。
残されたのは、島長ただ1人だ。
潮風だけが、海の男の蓬髪を弄んでいた。
後編も投稿していますので、どうぞよろしくお願いします。




