第23話 ~ 僕たちにはそれが息苦しい ~
外伝Ⅴ第23話です。
よろしくお願いします。
90日後……。
「出来た……」
パルシアは呟く。
汗を拭うと、手についた塗料が額に線を描いた。
女の顔はまるで子供のように満足げな顔をしている。
口角を伸ばし、にぃと笑った。
「出来たぁぁぁぁああああああ!!!!」
絶叫した。
持っていた鳥の羽毛で作った刷毛を放り投げる。
草屑、島に眠っていた石灰、海で少しずつ浮かんでいた油。
彼女自ら考案し、ブレンドした舟のためにひつような水止め塗料。
その最後を余すところなく使い終えたパルシアは、すべての力を使い切り、地面に寝ころんだ。
時間は深夜。
船渠から少し離れた砂浜には、オレンジ色の明かりが灯っている。
周りにドクトル、ベリエ、モロがうつらうつらと首を動かしていた。
3人はパルシアの声を聞き、顔を上げる。
寝ぼけ眼を擦った。
「おお……」
普段は無感動なドクトルも、歓声を上げずにはいられなかった。
少年の水色の瞳に映ったのは、灰色の木造船だった。
だが、漁に使う“舟”ではない。
中央には、帆が張られている。
帆船だ。
【ウラガ】史上はじめのて帆がついた“船”が、いまやっと出来上がったのである。
「改めてみると、大きいね。ね、親方」
「…………」
ベリエは巨人でも見上げるように顔を上げる。
側にいたモロは、半ば口を開き、帆船を見つめていた。
パルシアもごろりと転がり、まるで茶の間にでもいるかのように横臥すると、船に視線を向けた。口がむずむずと動き、興奮を隠せていない。
…………。
長い90日だった。
様々な苦労があった。
何せ、ここにいる者は、帆船作りの素人だ。
ドクトルもワットから習っていたとはいえ、実践するとなるとまるで違う。
ベリエやモロにしてもそう。
ダークエルフとして知識をため込んだパルシアも、戸惑うことばかりだった。
膨大なトライ&エラーの繰り返し。
否応なく突き付けられる現実。自分の無力さ。
島民からは白い目で見られ続けた。
それでも4人は成し遂げた。
爆発的な歓声も、葬式のような号泣もそこにはない。
全員が船を見つめていた。
ただまったりとした空気が流れ、苦労を噛みしめていた。
「これで終わりじゃないぞ」
厳しい言葉をかけたのは、ドクトルだった。
「そうだ」
モロも同調する。
普段は寡黙な親方は、二の句を告げる。
「まだこれが浮くかどうかはこれからだ」
「だね」
パルシアは立ち上がる。
脇や太股についた砂を払った。
「そうだね」
唯一涙を滲ませていたベリエが、目を揉み、再び船を見つめた。
ドクトルの方を向く。
手をすっと差し出した。
「ありがとう」
ドクトルは顔を上げた。
自分よりも頭半個ぶん大きい年上の男は、穏やかに笑っている。
その手に触れた。
自分よりも大きく、そしてゴツゴツしていた。
漁師の手ではない。職人の手だ。
ドクトルの手に、ベリエはさらに手を重ねる。
両手でがっしりと握りしめた。
ベリエは言った。
「そしてずっと言いたかった」
ごめんなさい……。
若者の声は、夜の【ウラガ】の砂浜にぽっかりと浮かんだ。
ドクトルは目を広げる。
改めてベリエを見つめた。
「何故、謝る?」
「君を――子供を1人にしてしまった。本当なら、1人残った君を僕たち大人が保護してやらなければいけないのに。僕たちに勇気がなかったから。放置してしまった」
「…………」
「君のお母さんのこともそうだ。……助けてあげるべきだった。僕はそう思ってる。今さらだけど……。謝ることしか出来ないけど……。もう君に謝る事が出来ないかもしれないから。今、言っとく。ごめんなさい」
「別にいい。過ぎたことだ」
「そ、そうか」
ベリエは苦笑する。
「ドクトル……。あっさり言いすぎだよ」
「何故だ? 今、謝ってもらっても結果は変わらない。母さんが戻ってくるわけじゃない」
「それはそうだけどさ……。もうちょっと情緒っていうか。――ま。ドクトルらしいけど」
パルシアは肩を竦めた。
「ベリエ」
「なんだい、ドクトル」
「ありがとう……」
「え? いや……。別に感謝されるようなことは――」
「船を造るのを手伝ってくれた。俺とパルシアだけなら、ここまで早く出来なかった」
「島の船大工として、当然のことをしただけさ」
「でも、島長から何か圧力はあったんじゃないのか?」
「え? そうなの?」
初耳――というように、パルシアは目を丸くする。
ドクトルとベリエはようやく手を離した。
「島長ならやる」
「お見通しか。でも、大丈夫。頭と島長は旧知の仲ってヤツでね。全部突っぱねちゃった」
「モロ……」
ドクトルが視線を移す。
モロは子供の瞳から逃れるように、明後日の方向を向いた。
照れを隠すように耳の穴に指を入れて、ほじくる。
「ベリエが言ったとおりだ。俺は俺の仕事を真っ当したにすぎない」
威厳のある答えが返ってくる。
すると、背中を向けた。
「明後日……。塗料が乾いたら試水するぞ。今日はもう遅い。それぞれのねぐらに帰れ」
そう言い残し、モロは浜を後にした。
やや疲れているらしい。いつも以上に、足がおぼつかない。
「まったく……。年なのに無理しちゃって」
ベリエは目を細める。
ドクトルに向き直った。
「あれで親方は君たちに感謝してるんだよ」
「……? どういうことだ?」
「親方は僕よりも何倍も木に向かってきた。それを誇りにして生きてきた。でもね。帆船を作っていた時の親方は、僕が知る中でも最高に嬉しそうだった。昔気質だけど、新しいものを習得することが好きなんだ」
「確かに……。おじいちゃんの目は輝いていたように思うね」
パルシアはうんうんと頷いた。
「だろ? ……だからかな。親方は島を維持しようとする島長に反発して、舟を取り上げられた。親方は事故で足を怪我したっていうけど、古い漁師に聞いたら、あれは島長と喧嘩してああなったらしい。……つまりは粛正さ」
「ひどい! あの島長……」
「島長も島長で【ウラガ】を守ろうとして必死なんだと思う。……だけど、僕たちにはそれが息苦しい」
ドクトルくん……。
と、ベリエは顔を寄せた。
「ここだけの話なんだけど……。実は僕たちはもう1艘。帆船を作っているんだ」
「え?」
「もちろん、内緒にね。作業の合間をみて、親方と一緒に作ってる」
「帆船はどこに? そもそも材料がないんじゃないのか?」
「山の中……。漁師たちがあまり近づかない場所で、隠れて作業をしている。たぶん、親方が今向かったのもそこさ。材料は僕たちの家の木材を何本か抜いて使ってる」
「どうする気だ……?」
神妙な顔でドクトルは尋ねた。
ベリエは上を向く。
空を見ると、真っ黒な空に無数の星が瞬いていた。
島の若者は呟く。
「僕たちも【ウラガ】を出る」
潮風が、ドクトルの鼻をくすぐった。
ベリエは顔を元に戻し、少年を見つめる。
穏やかに笑っていた。
すべてを覚悟した者の目。
ドクトルはただ真っ直ぐ受け止めた。
「まだ半分も出来てないから、随分後になるだろうけど。いつかきっと……。君たちに追いついてみせるよ」
「待ってる」
水色の目が強く光る。
ベリエの手を掴まえ、再び握った。
その行動に面食らいながらも、ベリエは強く握る。
男たちの手に、女の細い指が重なる。
「ボクも待ってるよ」
パルシアが猫のように笑っていた。
その後、試水は成功し、ドクトルたちの出発は、5日後と決まった。
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