第22話 ~ やられっぱなしかい? ~
お待たせしました。
外伝Ⅴ第22話です。
「い――――。ゆ――――ッ。に――――――ィ! は――――――。だ――――ッ」
奇妙な声が、小高い丘に鬱蒼と茂る密林の中にこだました。
祈術師は手を合わせ、独特の声音を持って、祈祷を続ける。
時に両手をすりあわせ、時に大地に額を当て、時に目の前の樹木の根に接吻を行う。
行っているのは、齢90も届こうかという老女だ。
深く刻まれた皺。とうに張りを失った頬は、だらりと垂れている。
しかし、その動きにはメリハリがあり、年を感じさせない。
彼女は島長の妻だ。
祈術師は代々島長の妻が務める。
この儀式も、子供の頃から教えられたものではなく、彼女が50の時に先代から教わったものだ。
祈術師を取り囲むのは、屈強な海の男達だ。
太陽はまだ西にある。
本来なら漁に出ている時間なのだが、漁師達の手には銛や釣り竿ではなく、石斧が握られていた。
最後に祈術師は、1番近い木の枝を折る。
恭しく掲げると、儀式用の白布に包んだ。
祈術師は皆の方を向く。
すると、男衆一同は頭を下げた。
そして、老女はそそくさとその場からはけていった。
「よし! やるぞ!」
指示を出したのはオルドだった。
男達は「おお!」と声を上げて、石斧を木にぶつけた。
途端、あちこちから「カンカン……」「トントン……」という音が響く。
その音は島のどこにいても聞こえた。
「ご苦労だったな」
祈術師を労ったのは、島長だ。
伴侶は片目を開けると、「ふん」と鼻を鳴らした。
「あたしゃ、自分の仕事をしただけだよ」
「わかっておる」
「しかし、いいのかい?」
「…………」
何が? とは言い返さない。
すぐに意図を察した。
それは60年以上連れ添っているからというわけではない。
昨日からずっと問い続けられ、責め続けられていたことだからだ。
島をまとめる長も、気性の激しい妻には頭が上がらなかったのである。
島長は伏せ目がちだった顔を上げた。
多くの漁師が動員され、貴重な島の木を刈っている。
それもたった1艘の舟を作るためだけにだ。
本来なら、舟は1つの木から削り出して作る。
つまり、1艘につき1本だ。
なのに、今回使う木の数は、4本。
実に、4艘分の木を使うことになる。
前代未聞……。
そう――。
【ウラガ】の歴史はじまっての大事が行われようとしているのである。
それもこれも、あの“黒い妖精”と漂流者の息子のせいだ。
これで厄介者を排除できると考えれば、安いものだという考え方も出来る。
だが、島の物は島民の共有財産だ。
島を代表する者にとっては、自分の子供の命を切り取られるような気さえした。
むろん、誰もこの決定に納得していない。
先ほどの神事を行った妻も、木を切っている男達もだ。
しかし、怒りがポンと頭に浮かぶ度、以前表浜で見た“魔法”の恐怖も同時に浮かぶ。
漂流者の息子はともかくとしても、あの黒い妖精にだけは逆らえない。
あの娘が黒と言えば黒。白と言えば白になる。
それほど絶大な力を有しているのだ。
だが、島長の老成した精神を持っても、煮えくりかえった臓腑を飲み込むことは出来ずにいた。
「やられっぱなしかい? あんた」
「わかっておる」
妻が煽ってくる。
昨夜の繰り返しだ。
杖に握る手が、自然と強くなった。
切った木は、その日のうちに船渠に運び込まれた。
といっても、建物は竪穴式の住居を大きくしたものだ。
木を加工する道具が並び、おがくずがそのままの状態で残されていた。
そこに、今日切ったばかりの樹木が並んでいた。
船渠内は芳醇な木の香りに包まれている。
「結構な頑丈だね。道具も揃ってるし」
近くにあった梁を押したのは、パルシアだった。
船渠内を見渡し、感嘆の声を上げる。
側にはドクトル。
落ちていた道具を拾い上げると、同じ場所に戻した。
少年の腰にもまた似たような道具が並んでいる。
「ここらの道具は使えないな。基本的に削り出すことしかできない。まずは木材にして加工をしないと」
船渠の中には、他にも人がいる。
60過ぎの老人と、その子供ぐらいの若い男。
どちらとも足を引きずっている。
漁をすることが出来ないことから、2人は島の船大工をしていた。
老人がモロ。その弟子ベリエだ。
「一体、どんな舟を作ろうってんだい」
ベリエは嫌な顔をせず、穏やかな顔を浮かべていた。
対して、モロは無表情だ。
じっと、ドクトルとパルシアを見つめている。
「これだ」
早速、ドクトルはワットが残した舟の図面を工作台の上に広げた。
重ねた岩の上に1枚岩が載っているだけの簡素な工作台。そこに島民にはなじみのない帆船の図面が展開された。
「――――!」
目を瞠る。
モロもベリエもだ。
先ほどまで無感情だった老人の顔にも「驚愕」とうい文字が浮かぶ。
当然、隣の弟子も驚いていた。
「これ、ドクトルが描いたのかい?」
「俺は少し手伝った程度だ。ほとんどワットが描いた」
「ワット……? ああ、前に島の北側の洞窟で暮らしてる変な老人か」
ドクトルは頷く。
「で? どうなの? 作れそう?」
「作れないといっても、俺は作るつもりだけどな」
パルシアの問いに、ドクトルは付け加えた。
ベリエはモロを見つめる。
老人は食い入るように図面に視線を走らせていた。
しばらく2人は無言で提示された設計図を見ていた。
顔を上げたのは、ベリエだ。
「たぶん、大丈夫じゃないかな」
「たぶんって――」
「親方がこんなに入れ込んでる。僕にはさっぱりだけど、なんとしても作ると思うよ。ね。親方?」
「…………」
それでもモロは返事をしない。
だが、やがて――。
「ああ」
ぶっきらぼうに返事をした。
「正直にいうと、図面というものを初めて見たよ。最初に見たのが、こんな大きな舟の図面とはね。あ。そう言えば、何かサンプルはないのかな。これだけじゃ、親方はともかく僕はイメージが出来ない」
「それなら良いのがあるよ」
パルシアが差し出したのは、ドクトルの家にあったボトルシップだ。
受け取ったベリエは歓声を上げる。
ボトルを底から見たりしながら、観察する。
モロも反応し、ベリエが掲げたボトルシップを見つめた。
「これはスゴい! これもワットが残したのかい」
「ああ……」
「へぇ……。どう親方」
ボトルシップを渡す。
モロは物珍しそうに見つめた。
何か先史文明に出会った猿みたいに見えて、パルシアは顔をそらして人知れず笑った。
「実はね。……結構、楽しみにしてたんだよ、僕たち」
「楽しみ?」
「黒い妖精の噂は、親方が知ってた。災厄をもたらすけど、文明も生み出す種族だって。それで出てきたのがこれだろう。正直、興奮してるよ」
すると、ベリエはドクトルに顔を寄せた。
「実はさ。ちょっといい気味だって思ってるんだ」
「どういうことだ?」
「僕も親方も、漁が出来ないだろう? でも、その舟を作っているのは、僕たちだ。なのに漁師たちが威張ってて、僕たちを下に見ている。その鼻を明かしたいんだ。僕たちにとっても、これほど気持ちいいことはないからね」
「それって進んで協力するってこと」
「そういうこと……。漁師達は君たちを厄介者に思ってるだろうけど。少なくとも僕にとって、君たちは英雄みたいなものさ。――ああ。そうそう。大陸の方ではそういう人間を“勇者”と呼ぶそうだね」
「そうなのか?」
ドクトルはパルシアの方に顔を向ける。
ダークエルフの少女は肩をすくめ「まあね」と答えた。
「誠心誠意……。取りかからせてもらうよ。ね、親方」
「ああ……」
モロはボトルシップを大事に掲げながら、口だけを動かした。
「俺も手伝ってもいいか?」
「あ! ボクもボクも!」
「もちろんだよ。というか、多分……。君たちがいないと作れないからね」
ベリエは頬を掻く。
こうして船造りは始まっていった。
クライマックスは過ぎましたが、
もうちょっとだけ続きます。




