第21話 ~ なんて顔をしてるんだ…… ~
外伝Ⅴ第21話です。
よろしくお願いします。
ドクトル……。
母さんの声がした。
ドクトルは薄く目を開けた。
一面真っ白な世界だった。
なのに、どこか暖かみのある。
生前、母さんは言っていた。
「ユキグニ」の生まれなのだと……。
そこは【ウラガ】よりずっと寒く、凍った海が広がっているという。
そして「ユキ」というものが、白くふわふわしたものが、空から降ってくるのだと言っていた。それが積もって、すべてが真っ白に見えるのだという。
小さい頃のドクトルは、「ユキグニ」の話が好きで、母さんが体調がいい日にいつも聞いていた。
お伽話のようで作り物ではないお話。
ドクトルは目を輝かせて聞いていた。
もし……。
島を出たら、まず真っ先に「ユキグニ」に行きたいと思っていた。
寒いのは苦手だが、凍った海や「ユキ」を見てみたい。
「ユキ」は食べられるし、それを使って家だって作れるという。
まるで魔法の道具だ。
今見てる景色は、それと似ている。
実際の「ユキグニ」を見たことがないドクトルは、ぼんやりと思った。
何より妙に気持ちがいい。
母さんの寝藁に潜り込んだ時のように温かい。
ドクトル……。
声が聞こえる。
ドクトルは手を伸ばした。
白い世界へ。必死に……。
しかし、次第に遠のいていく。
声も、白い世界も……。
ドクトルは大きく口を開けた。
「母さん!!」
◆
瞼を開けた。
視界がぼやけている。
誰かの顔があった。
大きく何度も声を張り上げている。
瞳は晴れ渡った空のように青い。
なのに、今涙に濡れ、腫れていた。
ポロポロ……。ポロポロ……。
涙滴が落ちてくる。
ドクトルの頬に当たると、すぅーと流れていった。
――なんて顔をしてるんだ……。
薄い桃色の髪は潮に濡れ、くしゃくしゃの紙みたいに顔を歪ませている。
頬も、ピンと立った耳も、真っ赤だ。
顔のあらゆる部分から体液をまき散らしていた。
――なんか不細工だな。
必死に女が呼びかける横で、ドクトルはぼんやりと思っていた。
でも……。
「綺麗だ……」
言葉が吐いて出た。
手を掲げた。
そっと女の頬を触る。
幾筋も流れた涙を丁寧に拭った。
女は息を呑む。
まるで頭突きでもせんばかりに、ドクトルの首に手を回した。
「ドクトル!!」
パルシアは叫んだ。
わんわんと泣いた。
ドクトルはゆっくりと手を回す。
自分よりも大きな背中だ。
そして子供でもあやすように、ポンポンと叩いた。
「パルシア……」
「なに……」
顔を上げる。
涙を払いながら、なんというか――情けない顔をしていた。
初めて見る顔だ。
何か……。そんな些細なことが嬉しかった。
ドクトルはパルシアの目を見て、言った。
「重い……」
「……」
パルシアはキョトンとした後。
次第に顔を隠していった。
手を大きく振りかぶる。
ぱぁん!
赤い太陽が東に落ちようという空に、響き渡った。
◆
「島長……」
声が聞こえ、島長は翻った。
そこにはお付きの2人と、ゴーザ、ミグラ、オルド――計6名が輪を作って立っていた。
「気付いたか。ドクトル」
「ああ……」
大怪魚は?
と聞こうとした瞬間、6人が取り囲んでいるものに目を細めた。
頭から壺に突っ込んだ大魚が、岸壁に打ち上げられていた。
改めて見ると、大きい。
海中で対峙した時は、それどころじゃなかった。
無我夢中でナイフを振り下ろしていたので、大きさの把握などしていられなかったのだ。
「これが大怪魚……」
息を呑む。
今さらだが、こんなものを釣ろうとしていたのだ。
この――まだ未熟な身体で。
「おい」
声をかけたのは、ゴーザだった。
何か手に持っていたものをドクトルに放る。
見事のキャッチした瞬間、ドクトルはその重さに抗えず、転んでしまった。
「ドクトル!」
後ろでやりとりを見ていたパルシアが駆け寄る。
それを見て、ゴーザは「チッ!」と舌を打った。
ドクトルは渡されたものを見つめる。
それは大樹の枝に、大きな黒い石をくくりつけた斧とも槌ともいえる代物だった。
「これ……。黒曜石だね」
「こくよう?」
「とっても硬いってこと。よくこんな高価なものが、島にあったね」
「我が家の家宝じゃ」
割り込んだのは島長だった。
「さ。それを使って、壺を割るがよい」
首を振って、大魚を指し示す。
ドクトルは立ち上がる。
石斧を持ち上げた。
何度か素振りする。
子供でも振れないことはない。
「よし」
気合いを入れた。
大魚に近づいていく。
取り囲んでいた大人たちが、ドクトルに道を譲った。
改めて観察する。
大魚はピクリともしない。
おそらくもう死んだのだろう。
エラ部分には、ドクトルのナイフが突き刺さっていた。
そこから流れたどす黒い血が、漁の生々しさを伝えている。
頭の方に回り込む。
土色の大きな壺を睨め付けた。
思えば、あれほど海底で暴れながら、よく壊れなかったものだ。
石斧を振りかぶる。
そして渾身の力を込め、振り下ろした。
1度目では割れない。
やはり硬い。
何か特別なもので出来ているのか。
ドクトルは何度も打ち据える。
そして10打目。
少年は息を切らしていた。
ふっと1度、大きく呼吸する。
再び渾身の力を込めた。
ヒビが入る。
大きく――。
すると、罠壺は割れた。
バラバラに砕け散る。
ドクトルはさらに打ち据え、残った破片を砕いていった。
やがて大魚の全貌が露わになる。
「――――!」
ドクトルは息を呑んだ。
ゴーザもまた同じく。
ミグラやオルド――お付きの男たちも、大魚の姿に目を瞠った。
島長だけが冷静だった。
深い眉の中から、老いぼれた瞳が覗く。
「え? なに? どうしたの?」
空気を察して、唯一事態についていけてないパルシアが、男たちの顔を窺った。
ドクトルは顔を青ざめさせながら、口を開いた。
「大怪魚じゃない……」
さっと潮風が、その場にいる人間やエルフの間を通り抜けていく。
最初に目を剥いたのは、パルシアだ。
「え?」とかすれた声を上げ、ドクトルを見つめた。
「ああ……。こいつは大怪魚じゃない」
同調したのは、ゴーザだった。
一度、喉を鳴らし、断言した。
「殺人魚だ……」
「ロダ、ニー……??」
ゴーザの言葉を、パルシアは反芻する。
ドクトルの宿敵は、顎についた汗を拭いながら、頷いた。
「でも、ロダニーはこんなに大きくないよ」
反論したのは、ミグラだ。
その横でオルドは、島長に視線を向けていた。
「島長……。これは?」
「案ずるな」
その言葉は威厳に満ちていた。
「それは大怪魚で間違いない」
「だが、この口の形状や平べったい顔――」
ゴーザは言いながら、おかしいとは思っていた。
その予感は、1度大怪魚と戦った時から、感じていた。
開いたあの大口は、確かに殺人魚と酷似していたのだ。
「大怪魚は特定の魚をいうのではない。この近海でもっとも力ある魚に与えられる名称じゃ」
「な――」
知ってたか? というように、ゴーザはミグラたちの方を向いた。
どうやらお付きの2人にはわかっていたことらしい。
島長が世迷い言をいっているわけではないようだ。
「故に、総じて他の魚よりも大きくなったものが大怪魚といわれる」
「こいつは、俺の父さんを転覆させたヤツなのか?」
尋ねたのはドクトルだ。
その質問に、島長は首を振った。
「それはわからん。我々に寿命あるように、魚も命の長さが決まっておる。そうかもしれんし。そうではないかもしれない」
「そうか……」
「父さんの仇を討ちたかった?」
「そんなんじゃない……」
ドクトルはそれ以上何も言わなかった。
島長は手に持った杖で、直下の地面を叩いた。
硬質な音が反響する。
「ともかく、これにて勝負ありじゃ」
まだ幼いドクトルの手を取った。
高々と掲げる。
「ドクトルの勝利じゃ」
その勝ち名乗りは、海に沈む夕日をバックに行われた。
今週ももう1回更新します。




