第18話 ~ 悪魔のような仕掛けだな ~
外伝Ⅴ第18話です。
よろしくお願いします。
時間は遡り、勝負が始まる5日前に戻る。
ドクトルとパルシアの居所は、住み処にしている洞窟にあった。
「よし!」
汗をぬぐい、少年は顔を上げる。
「これでいいか、パルシア?」
指し示したのはずんぐりとした大きな壺。――というよりは、瓶に近い。
底が深く、口も大きい。魚どころか人も入れそうなサイズだった。押し込めば、ドクトルぐらいの背丈なら入ることは出来そうだ。
舟の設計図を眺めていたパルシアもまた顔を上げる。
近づき、中をのぞき込んだ。
瓶の中もまた怪奇な状況になっていた。
いくつもの海草の幕が互い違いに張り巡らされ、無数の釣り針や太い刃が突き出している。ロダニーという殺人魚の口の中に似ていた。
だが、大きさは比べものにならない。
ロダニーは小魚を捕るだけだが、こっちは大魚を飲み込めそうな大きさをしている。
「うん。いいね。さすがドクトル。器用だね」
「少々骨は折れたがな。釣り針は全部使ってしまったし」
「仕方がないよ。……それに舟を手に入れれば、ここからおさらば出来るんだ。漁をすることもない」
「それはダメだ」
ドクトルはきっぱりと否定した。
強い言葉に、パルシアはきょとんとする。
「漁が出来なかったら、魚が食えなくなる。魚が食えなかったら、飢え死にだ」
「…………」
「…………」
ぷっ……。
パルシアは突如、吹き出した。
大きな笑声が、狭い洞窟の中で反響する。
身体をくの字に曲げ、ドレスをヒラヒラさせて笑った。
「あははは……。飢え死にになるか……。くくく……」
「何を笑っている」
なんだか恥ずかしくなって、ドクトルは顔を赤らめた。
「ごめんごめん。そうだね。確かに魚を釣らないと、飢え死にしちゃうかもね」
同意するのだが、パルシアは笑ったままだ。
ドクトルはムスと口を尖らせる。
顔をそらして、すねてしまった。
「ごめんってば。……うん。舟を作った後のことは、おいおい話してあげよう。今は、こっちの仕掛けのことだ」
「そうだ。それはまず説明してくれ」
ようやくドクトルは向き直る。
腕を組み、まだ怒っているようだったが、構わず説明は続けられた。
「ボクはこれを【罠壺】と呼ぶことにするよ」
「【罠壺】……」
「原理は割と簡単。というか、ドクトルがやってることをちょっと大げさにしただけなんだ」
「俺がやっていること?」
「君は釣りの時に、魚の骨を使うだろ? あれは魚が骨についたかすかな体液や肉片に釣られてやってくるということに気づいて、使っているんだよね?」
「ああ。そうだ」
「これも一緒」
パルシアは【罠壺】をポンと叩いた。
「まずこの壺の奥の方に、餌を仕掛けておく。出来れば臭いのキツい――腐ったものがいい。最初は小さな餌がいいかな。……すると、まず小魚が寄ってくるよね?」
「ああ……」
ドクトルは頷く。
「小魚が入っていく。壺の奥へ奥へだ。無数の釣り針が待ち構えているとは思わずにね。そこで魚は知らぬ間に、釣り針や鋭利な部分に身体を傷つけたり、あるいは引っかかって動けなくなる。そうでなくても、壺の中は迷路だ。入ってしまったが、最後――。魚の頭脳では抜け出せない」
「なるほど」
「で――。ここまではドクトルがやっていることと一緒なんだけど、さてここからどうなると思う?」
「魚は壺から出られない。餌を取れなくなる。もしくは釣り針や針で傷つき、そのまま死んでしまうかもな」
「その通り。つまりは、魚の死体だらけになるわけだ」
「悪魔のような仕掛けだな」
嬉々と説明するパルシアの横で、ドクトルは顔を顰めた。
「人道――ん? ――魚道とでも言えばいいのかな。いずれにしろ、確かに悪魔のような罠仕掛けであることは確かだ。でも、沖にいるという大怪魚を岸の近くまでおびき出すには、臭いで釣るしかない……」
「そうか……」
ドクトルは手を打つ。
「壺の中は魚の死骸だらけになる。その臭いに誘われて、他の魚もやってくる」
「そう――。またその魚たちは【罠壺】の中で死んでいく。腐った臭いは、どんどん海の中に広がっていく。すると、どうなる?」
「いつかその臭いが大怪魚に届く」
「大正解」
パルシアはドクトルの蓬髪をかき乱すように撫でた。
同時に女の巨乳が、少年の頬にくっつく。
得も言えぬほど、柔らかかった。
それに良い香り――。
いけない!
ドクトルはパルシアを突き放す。
「あ、あんまり近づくな」
顔を背ける。
真っ赤だ。
パルシアは頭を掻く。
――あははは……。ちょっと刺激が強すぎたかな。
でも、今までの反応とは違っていた。
ちょっと前のドクトルなら、パルシアに迫って「俺の子供を産め」とか言ってたのかもしれない。
――もしかして、ドクトル……。
パルシアは頭を振る。
やめよう――そう思った。
誰かに期待してはいけない。
踏み込んでも一歩手前だ。
自分はダークエルフなのだから。
「ごめんごめん」
なははは、と笑って誤魔化した。
「つまり、それを海中に投入して、大怪魚を待つんだな」
「そうそう。その通り」
「だったら、針は黒く塗った方がいいかもな」
「どういうこと?」
「大怪魚もそうだが、大きな魚は賢い魚が多い。ちょっとした光の反射で針を見つける魚もいる」
「へぇ……」
「そっちは俺がなんとかする。お前は、このデカ物を運ぶ方法を考えていてくれ」
「わかったよ、ドクトル」
ビッと敬礼する。
そうして彼らの準備は次第に整っていった。
そして時間は巻き戻る。
「島長!!」
男2人の声が背後から聞こえた。
杖を突いた老人は、一歩踏み込む。
浜の砂が、指先の中に入っていった。
島長はじっと見ていた。
沖の方だ。
ゴーザが大怪魚に向かう瞬間。
そして敗北した瞬間。
どれも、すべて老いた眼が捉えていた。
ついさっき島長は裏浜に到着した。
彼も漁師だ。
今日の天候……。
日の入り。
凪と波の様子。
生涯をかけた経験則によって、大怪魚が現れるとすれば、昼過ぎ。
夕空になる前だと予測していた。
そして、それは当たる。
ゴーザは勇敢に戦った。
追い込み方。指示の出し方。すべてがベストだった。
しかし、老人の眼は見逃さなかった。
最後の最後。
ゴーザは慢心した。
勝利を確信した瞬間、女神はその袖の下をくぐり抜けた。
今、大怪魚の影は岸へと泳いでいた。
しかも――ちょうど昨日確認したドクトルが仕掛けた壺の方へと向かっている。
「いかん!!」
口では叫びながら、島長は別のことを考えていた。
いや、むしろ……。
ドキドキしていた。
鼓動が早い。
老いさらばえ、どんな物事も平静で受け止めるほどの経験を有してきた我が心の臓が、その生死すら危ういのに壊れた馬車のように、胸を突き上げる。
いつ以来だろうか。
こんなことは……。
子の時か。それとも初めて漁に出た時か。嫁との初夜か。
いずれにしろ、忘れていたはずの感情が蘇り、息が白くなるほど興奮していた。
単純に見たいのだ。
あの仕掛け――。
黒い妖精が知恵を絞り、漂流者の血を引く息子が作ったものを。
なにより――!!
10年以上ぶりになる。
大怪魚が釣られる瞬間を――。
「お。おおおお……」
いつしか島長は唸りを上げた。
両手を掲げ、空に願った。
この戦いが終わった瞬間まで、自分は生きている、と。
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また来週、更新します。




