第12話 ~ 楽しいことを考えてんのさ ~
お待たせしました。
外伝Ⅴ第12話です。
外の喧騒を遠くに聞きながら、ドクトルは牢に入れられていた。
牢というよりは、ドクトルたちが先ほどまで隠れ住んでいた洞窟に近い。
海岸線の横にぽっかりと空いた横穴だ。
そこに大きな石が詰まれ、入口をふさがれている。
なので、どこどう見渡しても真っ暗だった。
「痛ッ!」
頬が傷む。
暗くて自分の姿を確認することなど出来ないが、おそらく相当腫れているだろう。
さすりたくても、両手を後ろで縛られ動けない。
島民たちに殴られた時に抜けた歯の部分から、じくじくと血の味が広がっていくのを感じた。
今、ドクトルの胸に去来しているもの。
それはパルシアのことではなかった。
ただただ悔しかった。
大人たちに殴られ、蹴られ、リンチされたのは、これが初めてではない。
母が床にふせってから、何度もあったことだ。
子供に対する理不尽にして、圧倒的な暴力。
大多数の大人を前にして、やり返すことが出来ない非力な自分。
敵わないことなど百も承知している。
しかし、どれだけ傷つけ、痛めつけられようが、少年はただ「悔しい」という思いだけは殺さないでおこう――そう硬く心に決めていた。
暴力に慣れることが、最大の敗北だと信じていたからだった。
不意に洞窟の中が明るくなる。
石が横に引かれ、浜風が雪崩れ込んできた。
潮の香りがする。それだけで生き返る心地だった。
松明をかかげ、1人の島民の男が洞窟を覗き込んだ。
「出ろ」
短く命令する。
様々な疑問を胸に押し込み、ドクトルは素直に従った。
次いで島民は「来い」と促し、表浜の方へと歩き出す。
とうとう処刑でもされるのだろうか。
ドクトルはそう考えたが、どうも違う。
それは前を歩く男の表情からも見て取れる。
何か緊張しているというか。怖がっているというか。
ともかく大量の汗を掻いていた。
表浜に付くと、2本の篝火の周りに人だかりが出来ていた。
ドクトルの姿を見ると、群がっていた人たちが割れた。
中心に立っていたのは――。
「ドクトル!」
弾けるように人の波を横切って、ドクトルに抱きついたのはパルシアだった。
「大丈夫かい? うわ。すっごい腫れてるよ」
「痛ッ! だったら、触るな……」
「あ。ごめん。……でも、命に別状はないみたいだね」
「海の男はこれぐらいで死なない。それで――。何があった?」
「まあ、色々と……。ボクたちの舟が手には入ったら、ゆっくり話そうじゃないか。ともかく、こっちに来て」
パルシアはドクトルの腕を取り、群衆の真ん中へと連れ出した。
島長と、そしてゴーザが仏頂面で待ちかまえていた。
「やっと来やがった!」
顔を見るなり、ゴーザは吐き捨てるように言った。
周囲に目を配る。
みな同じだ。先ほど、ドクトルを連れてきた男と、似たような顔をしている。
何かに怖がっているのに加えて、牢屋からたった今引きずり出された子供を見ようとはしない。
島民の視線は、常にパルシアの方に注がれていた。
異様な空気の中、最初に口を開いたのは島長だった。
「黒い妖精よ。お前の要望に応えた。……さあ、とっとと出ていってくれ」
「それは、まあ……これから次第かな」
「なんじゃと!」
島長は珍しく声を荒げる。
激しく狼狽しているのが見て取れた。
こんな島長は初めてだった。
「さて、関係者が揃ったところで議論しようじゃないか」
「議論じゃと?」
「まず聞いてみよう。問答無用でボクが島から出ていってほしいと思う人、手を挙げて」
すると、周りの反応を見ながら、おずおずと手が挙がり始める。
中には挙げていないものもいるが、ほとんどが挙手していた。
「大多数のようだね。もちろん、島長も――」
「当たり前じゃ」
「けど、どうやら賛成しない人もいるみたいだよ」
パルシアはその男を正面から見つめた。
ゴーザだ。
逞しい腕は組み、仁王立ちしている。
絶対に挙手しない――そんな強い意志を感じた。
「当たり前だ。折角、女が漂流してきたんだぞ。子が産める――若い女だ。それをみすみす逃していいのか!?」
激昂した。
苛烈さに、一同はビクリと肩を震わせる。
「し、しかしゴーザ。お前も見ただろう。こやつの魔法を」
「だからどうした! あれぐらいここに来る商人の手品の方がもっと面白いぞ」
「手品ね。少々複雑だな。でも、少なからずゴーザくんの意見に賛同している人もいる。これじゃあ、島民の総意とは言えないんじゃないかな?」
島民の総意は島長だ。
島長の意見に我々は従う。
そんな意見が野次と一緒に飛んでくる。
島長も決めかねていた。
ゴーザの意見ももっともだと思ったのだろう。
好機を逃せば、女の漂流者は2度と現れないかもしれない。
奴隷商人と交渉しているが、赤子を産めるような女となると、島すべての貨幣を集めたとしても買えるかどうかわからない。足元を見てくる可能性もある。
もし、子供が出来なければ、いずれ島は滅ぶ。
その時には自分は生きていないかもしれない。
ならば、次期島長であるゴーザの意見を聞くべきなのかも知れない。
老人の頭の中に、様々な情報、思い、未来のことが駆けめぐる。
それが島長を苦しめていた。
「じゃあ、まずボクの意見を言わせてもらおう」
沈黙する島長をよそに、パルシアは語り始める。
「ボクはゴーザの花嫁になるなんて真っ平ごめんだ」
「おい。お嬢ちゃん、はっきり言うなよ! ちょっと傷つくじゃねぇか!」
「事実だもん。君の子供を産むなんて絶対イヤだし、こんな島で一生暮らすなんて拷問に等しい行為だよ。だから、ボクは島を出ていきたい」
「じゃ、じゃから――」
「ただし――!」
「もし、ボクが出ていくなら、それはドクトルも一緒だ」
そう宣言して、パルシアはドクトルの肩に手を置いた。
少年はぽかんとしていて、いまいち状況を掴み取れていない。
一番慌てたのは、島長だった。
「そ、それはならん!」
「え? 島長、それは別に構わないんじゃないのか? ドクトルは漂流者の息子――」
「そういうことではない!!」
群衆の中から出てきた意見を、島長は一喝する。
かなり興奮しすぎたらしい。
肩で息をし、今にも倒れそうだ。
その説明を代わってしたのは、パルシアだった。
「そうだよね。もし、ボクがドクトルと島を出ていったら、島を出ていっていいという“慣例”を作ることになる」
「どういうことだ? パルシア」
ドクトルが水色の瞳を、茶褐色の肌の女へと向けた。
「例えばさ。今回、ボクは船が難破して、ここに漂着したわけだけど、外部の人間がたまたまこの島に船で乗り付けてさ。現地の女か男と恋に落ちて、連れて行きたいってなったらどうする?」
「ああ。なるほど。……他にも連れて行ってくれっていうヤツが現れるだろうな」
「その通り」
パルシアは拍手を送った。
「つまり、ボクがドクトルを連れ出すのを許したら、今後似たような事例が起きた時に、大量に人が出ていく可能性があるかもしれない――と、このお爺ちゃんは危惧してるんだよ。というより……」
パルシアは腰を曲げた老人を睨む。その青い瞳は凄然と冷たかった。
「過去に似たような事件があったんだろうね」
「…………」
島長は黙りこくる。
構わずパルシアは続けた。
「漂流者がこの島で冷遇されるのも、そのためなんだろう。いつか自分たちを攫っていくんじゃないか。まったく……。ダークエルフも相当内向きな種族だけど、君たちも大概だね。これまでよく生きて来れたと感心するよ」
「うるさい。よそ者に何がわかる」
島長はパルシアと目線を合わさず、ぼそりと反発した。
「はいはい。これで少しはわかりやすくなったんじゃないかな。つまりは、ボクがここに残ってゴーザのお嫁さんになるか。それともドクトルとともに、ボクが出ていくか。二者択一になったわけだ」
「待て」
パルシアの弁論を止めたのは、ゴーザだ。
ドクトルを指さす。
「お前はどうなんだ? 嬢ちゃんは島を出ていくといってんぞ? お前はいいのかよ」
「俺はかまわない。元よりそのつもりだ」
「――たく。相変わらず、気持ち悪いぐらい肝の据わったお子さまだぜ」
ゴーザは背中まで伸びた蓬髪を掻き上げる。
パルシアに向き直って、話を続けた。
「つまり、お嬢ちゃんは賭をしたいんだな」
「なかなかお目が高いですな、お兄さん」
「どういうこと? ゴーザ?」
尋ねたのは、群衆の中にいたミグラだった。
「その二者択一で決めようって腹づもりなんだ。楽しいことを考えてんのさ、このお嬢ちゃんは。方法は皆目検討も付かないけどな」
「そうなのか?」
と島長。
パルシアは歯を見せ、悪戯を思いついた子供みたいに笑った。
「ご明察ありがとう。うん。そうだよ」
「それはなんだ?」
「ゴーザも、島長も……。さっき言ってたよね。釣りの上手い人が次の島長になる的なことを」
「ああ……」
「まあ……」
「だったらさ。こういうのはどう? ゴーザとドクトル。どっちかが大怪魚を釣り上げたら、その人の願いを叶えるって」
ざわり……。
途端、島民たちが騒がしくなる。
「大怪魚を釣るだってよ」
「もう10年以上、釣った人間がいないんだぞ」
「それを……。ゴーザとドクトルが?」
「ゴーザはともかく、ドクトルは無理でしょ」
「勝負にならないんじゃ」
口々に言い合う。
すると――。
「俺様は乗った!!」
ゴーザは叫んだ。
顔には自信が溢れている。
「面白ぇ! メチャクチャ面白いじゃねぇか! ドクトルが相手ってのは張り合いがないが、提案としては悪くねぇ!」
「ちょっと待て、ゴーザ。ひとまず落ち着け! そもそも大怪魚なんぞすぐに釣れるもんではない。最近は目撃者すらおらんのだぞ。ずっと勝負をしているつもりか!?」
「だったら、こういうのはどう? 3日以内にドクトルが釣れなかったら、こっちの負けっていうのは」
「み、3日!!」
パルシアの提案に、島長は驚いていた。もう心臓がいつ止まってしまってもおかしくないほど、顔を青くしている。
「じゃ、じゃが……。ゴーザが勝ったとして、お主。本当に約束を守るのか。また我々を脅すのではないのか?」
「疑り深いなあ。……まあ、それに関しては口約束だし。ボクを信じてもらうしかないかな」
「いいじゃねぇか、島長」
「し、しかし、ゴーザ!!」
「ご指名がかかったのは、この俺だ。な、ドクトル。お前も異論はないだろ?」
「かまわん」
「吠え面かかしてやるよ。……よーし、そうと決まれば、早速、銛と舟の手入れだ」
ゴーザは群衆をはねのけると、自分の寝家へと行ってしまった。
皆が狼狽する中、妙に大きく島長のため息だけが聞こえる。
「決まってしまったら仕方がない。解散だ。皆の衆」
促され、島民たちは各々自分たちの寝家へと戻っていく。
浜に残ったのは、パルシアとドクトルだけだった。
少年はダークエルフの方を見る。
「ひとまず第1段階終了ってとこだな」
「だね!」
嬉々として、満面の笑みを浮かべるパルシアだった。
投稿の間隔が空いてしまってすいません。
明日、明後日も投稿する予定ですので、ご容赦を……。
1年近く、作品にお付き合いいただきありがとうございます。
来年もよろしくお願いします。




