第10話 ~ 流浪の妖精ダークエルフにとって笑いの種にしかならないしね ~
お待たせしました。
ちょっと短めですが、外伝Ⅴ第10話です。
ドクトルが赤くなった頬をさする。
まだじんじんと痛んだ。
パルシアはドクトルから距離を置き、ムクッと頬を膨らませている。
雨の音と潮の香りだけが、2人を包んだ。
「ねぇ、ドクトル。訊いていい?」
「なんだ?」
パルシアは横目で見つめる。
怒っているようで、顔はいつもの少年のままだった。
「気になってたんだけど、君ぃ泳げないんだよね?」
「……ああ」
「別に馬鹿にしてるわけじゃないよ。……ただボクとドクトルって海の中に落ちたんでしょ? ボクをどうやってここまで運んできたのかなって」
「…………。よく覚えてない」
「覚えてないの?」
「無我夢中だったからな。……たぶん、その時は泳げないことを忘れていたんだろ」
「ボクを助けようとしてくれたんだ?」
「当たり前だ」
パルシアは鼻を鳴らし、笑った。
「なんだ。気色悪いぞ」
「いやぁ……。これが愛の力かなって」
「だから、その愛ってのはよくわからない」
「実は言うと、ボクもよくわかってない。……でも、他人に対して損得抜きで奉仕する。その力だって、ボクは思ってる。勝手な解釈だけどね」
「……昔、母さんに似たようなことを言われたことがある」
「へぇ……。どんなどんな?」
ダークエルフの女は興味を持ったらしい。
背を向けていた身体を、ドクトルの方へと向けた。
興味津々のパルシアの顔を見ながら、顔を赤くしぼそりと呟く。
「“ドクトルの前に困っている人がいたら、その人を助けてあげて”」
「え? ……もしかして海岸に打ち上げられていたボクを助けたのって、その言葉があったから――とか」
「か、勘違いするな! ……お前が女だったからだ」
「女だったら誰でも良かった」
「そ、そうじゃない!」
ドクトルは思わず怒鳴った。
パルシアはにんまりと笑う。
小さな頭を自分のふくよかな胸に引き寄せる。
鳥の巣のように複雑に絡んだ髪を撫でた。
「ドクトルは良いヤツだね」
――いい子ね、ドクトルは……。
一瞬、母の声が聞こえてきたような気がした。
じわりと涙が浮かぶ。
慌てて、パルシアから離れると、腕で拭った。
「どうしたの?」
「なんでもない! それよりも……。さっきもそうだが、崖の上で見せたのはなんだ? ダークエルフの力なのか?」
「あれね。そう言えば説明してなかったっけ。一般的には古代魔法とかエルフの魔法とか言われてる力だよ。……ボクたちの間では“上位命令”って呼ばれてるけどね。もっと詳しく知りたい?」
「難しいのか?」
「ドクトルは賢いとは思うけど、こればっかり基礎応用学をきちんと理解しないと難しいかもね」
「じゃあ、やめとく。訊きたいのはそこじゃない」
「……というと?」
水色の瞳が暗闇の中でも光った。
「パルシアは言った。知識を提供すると……。それはその魔法というものなのか」
「うーん? ドクトルはいや? そういうの?」
「正直言うぞ」
「君はいつも正直じゃないか」
「あまり好きじゃない。そういうのは」
「だよね」
パルシアは苦笑する。
「心配しなくていい。ボクが提供するのは、頭に中にある知識だけさ」
「なら、いいが――」
「ちょっとホッとしたよ」
「何がだ?」
「君が魔法を拒否したことさ。……確かにボクの力を使えば、大怪魚を簡単に釣れるかもしれない。でも、それは君の力ではない」
「そうだ」
「うん。やっぱりドクトルはいい子だ」
パルシアは再び頭を撫でようとしたが、ドクトルにすげなくかわされてしまった。
「それで……。知識を使って、どうやって大怪魚を釣るつもりだ?」
「算段はついたよ。……あとは舞台セッティングだけだね」
「舞台セッティング?」
「ドクトルは大怪魚を釣った後のこととか考えてないでしょ?」
「釣った後のこと?」
「そうそう。これはボクの勘だけど、大怪魚を釣ったとしても、漂流者の子供がである君の言うことを、島民は聞いてくれると思う?」
ドクトルは諸に言葉に詰まる。
パルシアの言うとおりだった。
全く考えてなかったわけではない。
考えたが、良い解決策を見当たらず、放置していた。
よしんば舟がもらえたとしても、ドクトルが考える帆船は多くの木材を使う。舟に使う木が貴重な島にとっては、大量の伐採は死活問題になるだろう。
それを島民や年長者たちが許すはずがない。
しかも、まだドクトルは11歳なのだ。
「それを解決する方法があるんだよ」
「本当か?」
「嘘なんていわないさ。忘れたかい? ボクもこの島から脱出しなきゃならない。こんな狭い島で余生を過ごすなんて、流浪の妖精ダークエルフにとって笑いの種にしかならないしね」
「で? どうする?」
ドクトルの質問に、パルシアのゆっくりと話を始めた。
朝――。
ドクトルたちは洞窟を出た。
昨夜の雨は止み、雲間から朝日が漏れている。
海はまだ時化っていたが、漁に出れないほどではない。
だが、沖に舟の姿はなく、ドクトルはそれが気になった。
ともかく裏浜へと出る。
すると、そこに見知った人物が現れた。
大きな肩幅を怒らせて、こっちにやってくる。
ゴーザだ。
1人らしい。ミグラの姿はない。
ドクトルは素早くパルシアを前に出る。
ゴーザを睨み付けた。
だが、ゴーザの表情も尋常ではない。
目がすわっている。
もしかして【シケ】を吸っているのかもしれない。
あれを吸うと気持ちよくなる一方、あまりに大量摂取すると暴力的になる効能を持っている――と聞く。
ゴーザはやがて立ち止まった。
「まだこんなところにいやがったのか!?」
浜辺というよりは、島全体に聞こえるほどのデカい声でゴーザは叫んだ。
そして次に発した言葉は、ドクトルにもパルシアにも意外な一言だった。
「逃げろ!!」
「は?」
「聞こえなかったのか!? 逃げろっていったんだよ」
「どういうこと?」
パルシアも動揺している。
ゴーザにとって、若い女は喉から手が出るぐらいほしい存在なはずだ。
その女が生きていて、のこのこと穴蔵から出てきた。
護衛は子供1人。場所は浜辺のど真ん中で逃げ場はない。
たとえ、全力で走ったところで、障害物のない裏浜ではすぐ掴まってしまのうがオチだ。
なのに「逃げろ」という。
何かの罠としか思えなかった。
しかし、ゴーザが言ったその意味は、すぐにわかった。
「見つけたぞ、ドクトル」
しゃがれた声が聞こえた。
見ると、腰を曲げた老人が立っていた。
「島長……。それに――」
ドクトルは息を呑む。
さらに後ろには屈強な海の男たちが立っていた。
その瞬間――。
島民全員に、漂流者のことを確認した。
次回更新は来週になります。




