第9話 ~ たぶん、これが“愛”ってヤツだよ ~
お待たせしました。
外伝Ⅴ第9話目です。
パルシアは「エルフ」という名前の島で生まれ育った。
そこはかつてオーバリアントで繁栄を極めたというダークエルフだけが住む島。
一般的に流浪の民だといわれる【黒き妖精】の最後の楽園だった。
エルフは【古えの揺り籠】と例えられるほど、ダークエルフのお産の地だ。
世界中を旅する雌性のダークエルフは身ごもると、この地で子供を産む。
道すがら、一夜の宿を借りてということもあるのだが、ダークエルフという世界の敵とも言える存在には、あまりに危険な行為だ。雌性はたいていエルフを目指し、ここでお産を果たすのだという。
エルフは穏やかな土地だった。
一年中温暖で、適度に天気が変わり、様々な作物を作ることが出来た。
それもみな、かつてダークエルフが栄華を極めた頃の遺産なのだという。
食う物に困らず、寝むるための屋根もあり、着たいと思えばなんでも着ることが出来た。
まさに楽園だった。
パルシアの母は20年前、そんなエルフから出ていってしまった。
理由は告げなかった。
ただある朝、ふらっと消えるようにいなくなった。
正直にいって、母親の印象は薄い。
“母”を仕事としてやっている――そんな風に幼いパルシアには見えた。
ただ時々作ってくれる服だけは好きだった。
【フリル】といって、ビラビラのふわふわとしたものを服にくっつけるのが好きで、それを作っている時の母親は、母というよりも娘のように若く見えた。
実に変な話だ。
そんな母がいなくなった。
特に感慨は浮かばなかった。
周りもそうだ。
ああ、やっぱり……。
皆、同じような反応だった。
パルシアも気付いていた。
母の視界にいつも楽園がないことを。
どこか遠く。外の世界を見続けていたことを。
それからだ。
楽園の外が気になりだしたのは。
知りたくなったのは……。
そうこうしているうちに、あっという間に20年が経った。
ある時、寝家の整理をしていると、メモ書きが見つかった。
広げてみると、何かの理論と設計図だった。
筆跡から母であることは、すぐにわかった。
非常に難しく、解読は困難を極めたが、パルシアは食い入るようにメモを読み解こうとした。
それは母からの挑戦状のように思えた。
パルシアは頭が良かった。
おそらく人間の学者が10人集まっても、1年で解けるかどうかという難題を、わずか10日でクリアしてしまった。
そして絶望した。
メモ書きに記された理論、そして設計図の意味を。
書かれていたのは、人間を殺す技術だった。
正確に言えば、壊し、別の生物に変異させるために、何が必要か書かれていた。
いわば、生物兵器の設計図。
何より恐ろしかったのは、メモ書きに滲んだ母親の執念だった。
パルシアは楽園の長に、メモを見せた。
その時……。パルシアは初めて知った。
ダークエルフという存在が、如何に外の世界の人間に嫌われているか。
如何にその存在が、人にとって害であるか。
そして、ダークエルフに刻まれた『破壊衝動』について。
聞いた時、心底を恐ろしいと思った。
世界が自分に向けられる視線について。
深く刻まれた本能について。
いつか自分も母のような妄念に取り憑かれ、世界を壊してしまうじゃないだろうか。
パルシアは身も凍るほどの恐怖に襲われた。
寝家のベッドの上で蹲りながら、何日も何日もその事実と闘った。
その果てにパルシアは、1つの決断を下す。
――破壊衝動がダークエルフの本質ならば、ボクは徹底的に抗おうじゃないか。
それを双子の弟にだけは打ち明けた。
弟は尋ねた。
『具体的にはどうするの?』
『そうだねぇ。……愛に生きるのもいいかもしれない』
弟は『好意を寄せる人間もいないのに』と笑ったが、自分で何気なく言った言葉はパルシアにとって実にしっくりくるものだった。
同時に、決意した。
エルフを出ていく、と。
ここにいても、何も見つからないと思ったからだ。
何よりもう1度、母親に会いたいと思った。
真実を確認したい。
そう考えた。
パルシアはそうして島を出ていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
薄く目を開ける。
ぼんやりと視界に人の顔があった。
小さい。どうやら子供のようだ。
徐々に迫ってくる。
ピントが合うと、それは――。
「うひゃあ!」
パルシアは悲鳴を上げて、迫ってくる子供の顔を押しのけた。
「ちょっと! ドクトル、何をしてるんだよ」
「良かった。気が付いたか、パルシア」
「よ、良くないよ! ぼ、ボクにキスをしようとしただろ!?」
「人工呼吸だ。昔、ワットに教えてもらった」
「人工呼吸?」
「ああ、でも昔ワットが言っていたな。人工呼吸はファーストキスに含まないと」
「ワットさん、何を教えてるんだよ。――って、ここは?」
パルシアは周りを見渡した。
狭い洞窟の中だった。岩肌が迫るように近い。
ドクトルの家かと思ったが、あそこよりも数段狭い。立てないぐらい天井が低いのだ。 前の方から光が見える。
潮騒の音が近く、海の香りも強かった。
「岩陰の洞窟だ」
「こんなところあったんだね」
「ああ。俺も落ちてはじめて知った」
「落ち――」
そうか。崖から落ちたんだ。
パルシアは今さらながら思い出す。
フリル付きのドレスがびしょびしょになり、やたらと肌に貼り付いていた。
寒い……。
パルシアは自分を抱くように二の腕をさすった。
「寒いか?」
「だ、大丈夫」
「待ってろ。何か火が起こせるものを探してくる」
「え? なら、ボクも行くよ」
「今ここから出ない方がいい。たぶん、ゴーザは俺たちが死んだと勘違いしているはずだ」
「あ。そうか」
しばらくして、ドクトルは火を起こすものを持ってきた。
持ってきたものは海の近くで拾った灌木らしい。
湿っていて、手慣れているドクトルでも火を付けるのに苦戦した。
「ドクトル。ちょっと下がって」
横で見ていたパルシアが、指示を出す。
「火の元素よ。召し上げろ」
崖の上で見せた呪文――。それと似た言語を口ずさむ。
すると、灌木に小さな火が灯った。
ドクトルは反射的に仰け反る。
「ふふん。驚いた」
「崖の上でも驚いたけど、今のも驚いた」
「だろうだろう」
「どうやるんだ?」
「企業秘密です」
「なんだ、それは?」
2人は火に当たる。
徐々に体温が戻ってきた。
それとともに外が薄暗くなっていく。
天井を伝い、洞窟の入口へと排出される煙を見ながら、パルシアは口を開いた。
「煙でばれたりしないかな。ボクたちの居場所」
「大丈夫だ。風が強くなってきてるし、もうすぐどこの家も夕飯のために火を使う」
ドクトルの言うとおりだった。
さっきから洞窟に吹き込んでくる風が強くなってきている。
突風が舞い込むたびに、小さな炎が揺れた。
「ドクトル」
「なんだ?」
「怪我はない」
「平気だ。お前こそどうなんだ?」
「うん。大丈夫」
「そうか。良かった」
…………。
「ドクトル」
「なんだ?」
「聞かないの?」
「何を」
「ボクが逃げ出した理由……」
「俺がお前を怒らせたからだろ」
「それもあるけど、それだけじゃない」
「そうなのか?」
ドクトルは焚き火に注意しながら、水色の瞳を隣に向けた。
パルシアは両膝を引き寄せ、小さく小さくなろうとしている。
その顔は少し青ざめているように見えた。
「うん」
小さく頷く。
そしてパルシアは話しはじめた。
エルフという島のこと。
何故、自分が島を出てきたか。
そしてダークエルフとはいかなる存在か。
ドクトルは黙って聞いていた。
聞いていてくれた。
話し終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。
風が一層強くなり、岩肌にぶつかる波の音が激しい。
どうやら一晩ここで過ごさなければならなくなった。
「パルシアは世界が滅亡してほしいのか?」
無言のまま首を振る。
「俺は時々思う……。世界を消してしまいたいって」
「え?」
意外な言葉に、パルシアは顔を上げた。
火に向かう少年の姿は、いつも通りだった。
「具体的にどうしようとは思わない。けれど、そういう思いはある。……でも、それってダメなことなのか?」
「そりゃあ。思うだけならいいかもしれないけど」
「じゃあ、パルシアも……。心の中に持っているぐらいならいいんじゃないのか?」
「――――!」
青い瞳が大きく見開かれる。
「俺もこの島が嫌いだ。漂流者というだけで、父さんと母さんを見捨てた島の人間が憎いし、島が滅亡の危機に瀕しているのに、何もしない大人たちはもっと嫌いだ。皆殺しにしたら、どんなにすっきりするかって思う時がある」
でも――。
「何かの手段に訴えようとは思わない。……それはこの島の人間よりも劣る悪だからだ。だから、俺は島を出ることにした。俺の理由はただそれだけだ」
ああ……。
パルシアはドクトルを見つめながら思った。
――羨ましい。
そう断言できるほど、ドクトルはひたすら純粋だった。
ダークエルフの自分には眩しいぐらいに。
「ドクトルは偉いよ。ちゃんと確固とした自分を持ってる」
それに引き替え、自分はどうだ。
まだ迷ってる。その途上だ。
これではどっちが子供で大人かわからない。
「お前の言っていることはよくわからないが、パルシアにだってあるだろ?」
「あるって?」
「ん? お前が言ったんだぞ?」
愛に生きるって……。
「実はその愛っていうのが、俺にはよくわからん。でも、お前はそれを信じて生きるんだろ。それでいいじゃないのか?」
「ドクトル!!」
突然、パルシアはドクトルに抱きついた。
少年の頬の感触を確かめるように、自分の顔を擦り寄せる。
「なんだ? どうした?」
「ボクの体温がわかるかい?」
「あ。まあ……」
「ボクの鼓動は?」
「聞こえる。随分、早いな」
「うん。……たぶん、これが“愛”ってヤツだよ」
「よくわからん」
「そうだね。ボクもよくわからないよ」
パルシアは笑った。
これまでの不安を一掃するように、高らかに……。華やかに……。
元気になったパルシアを見て、ドクトルも笑う。
そして言った。
「じゃあ、セッ○スするか」
途端、スッとパルシアは身体を離した。
先ほどの笑顔は見る影もない。やたらと顔を赤くなっていた。
手を振り上げる。
青い瞳に宿った光は、怒りの炎だった。
「――――!!」
鋭い破裂音は洞窟の中で反響した。
なんか青春小説みたいになってきた。
次回は今週中にはなんとか……。




