第8話 ~ ボクはそっちに行けないよ ~
外伝Ⅴ第8話です。
よろしくお願いします。
大きく盛り上がった力瘤。
岩肌に根を張るように下ろされた足。
何より海の男らしい褐色の肌は、南国の島の太陽を受けて、鈍く光っていた。
明らかに成人の男。
背が高く、パルシアよりも頭1つ大きい。
海風で傷んだ蓬髪をごりごりと掻きながら、近づいてくる。
後ろに、もう1人男がいた。
背は男と一緒ぐらいだが、正対するように線が細い身体をしている。
おどおどしており、如何にも強者の影に隠れたキャラクターを匂わせた。
「ゴーザだ」
締めた魚を籠に入れ、ドクトルはゴーザとパルシアの間に割って入る。
そこでようやくゴーザは足を止めた。
笑顔を浮かべる。実にやらしい。何かを企んでいる顔だった。
「よう、ドクトル。久しぶりだな」
「…………」
「チッ。挨拶ぐらいしろよ。それとも漂流者の息子は、挨拶もできねぇってのか?」
「何しにきた?」
ゴーザの挑発に対し、ドクトルは眉一本も動かさなかった。
面白くないのは、ゴーザだ。
また軽く舌打ちする。
「何しに、か? ……お前の方こそ何をしてんだよ。そんな可愛い姉ちゃん連れてよ」
「釣りをしていた。見てわからないのか?」
「そんなことはわかってんだよ! その女……。漂流者だろ?」
ゴーザは指をさす。
「その女、どうするつもりだ?」
「俺の嫁にする」
ドクトルは躊躇わずに、さらりと言った。
思わず息を呑んだのはゴーザの方だ。
ドクトルの背後では、パルシアが複雑な顔を浮かべている。
ゴーザは大口を開けて笑った。
「わはははは……。嫁にする? お前が? 子供のお前がかよ」
「別に何歳で結婚してもいいだろ?」
「お前、何歳になった?」
「なんでお前にそんなことを答えなきゃいけないんだ?」
「ちゃんとチ○毛は生えてきたか?」
「…………」
「ぶははは! 答えられないでやんの。なのに嫁を取るだって、なあ?」
振り返り、ミグラに同意を求める。
ゴーザの小判鮫的なポジションのミグラは「そ、そうだね」と返事をかえした。
「やめとけやめとけ、ドクトル。その女は、お前にはもったいなさ過ぎる」
「それを決めるのは、お前じゃない」
「だったら決めてもらおうじゃないか。そこのお嬢さんによ」
視線が集中する。
その先にいたパルシアは、呆然とした後。
「ボク?」
首を傾げた。
え? どうしたらいいの? と戸惑っていると、ドクトルと目が合った。
「お前が決めろ」
「ちょ! それでいいの、ドクトル? 潔いというのは、君の美徳の1つかもしれないけど、もしボクが彼を選んだりしたら君は舟を作れないんだよ」
「お前は何を怒っているんだ?」
「怒ってないよ!」
思わず声を荒げる。
そこでパルシアははたと気付いた。
確かに自分は怒っている。
何に怒っているかというと……。
――ああ。もうよくわかんない!
髪を振り乱した。
「そもそもパルシアは、俺のプロポーズを断ってるだろ?」
「そ、それはそうだけど……。あれは唐突すぎて――」
「だったら、今はどうなんだ?」
「それは――」
「おいおい。……じゃあ、比べるまでもねぇじゃねぇか」
ドクトルとパルシアのやりとりに、ゴーザが割って入る。
「だったら、俺に決まりじゃねぇか?」
「そうなのか? パルシア」
再び漂流者の女に視線が集中する。
「――――――――――――――――――――!!」
ギュッと拳を握ると。
振り返った。
「ドクトルの馬鹿! バカ! ばか! 馬゛鹿゛!!」
いきなり走り出した。
元来た山道の方へと走っていく。
「パルシア!」
ドクトルも釣り道具を放って、追いかける。
一体何がなんだかわからず、ゴーザはポカンとしていたが、ミグラとともに追いかけた。
薄ピンクの髪を振り乱した女の背中を負う。
意外と速い。
正直、運動音痴かと思っていたが、パルシアの身体能力は高かった。
あれほど苦戦した山道を駆け上がっていく。
「ひゅ! すげー!」
声が横から聞こえた。
いつの間にかゴーザが横にいた。
「ゴーザ! 今日は帰れ!」
「はん! 夕飯にはまだ早いぞ、坊主。てか、なんでお前の言うことを聞かなくちゃならないんだよ」
「あいつの夫になるのは、俺だからだ」
「なんだよ、それ! 理由にも言い訳になってない、ぞ!」
ゴーザが拳を振り上げる。
裏拳が風を切る。ドクトルは頭を沈み込ませ、回避した。
「――――!」
奇襲をあっさりかわされ、ゴーザは驚愕の表情を浮かべる。
対して、ドクトルは冷静だった。
しゃがんだ瞬間、ゴーザの足を払う。
自分よりも頭1つ大きな巨体が、あっさりと転んだ。
強かに顎を打ち付ける。
倒れたゴーザに、後ろを走っていたミグラが足を取られ、その上に重なるように転んだ。
「ミグラ! てめぇ!」
「ご、ごめんよ、ゴーザ!」
2人のやりとりを尻目に、ドクトルは走り出す。
徐々にパルシアに追いついてきた。
いくら身体能力が高いといっても、フィールドは獣道だ。
順路がわからなければ、追いつくことは出来ない。
それにこのままではパルシアが危ない。
1つ足を踏み外せば、崖から落ちることになる。
ドクトルは手を伸ばした。
パルシアの腕に触れそうになった瞬間。
「私を、律から解放せよ」
聞いたこともない言葉だった。
パルシアは唄うように唱える。
その瞬間――。
「え?」
冷静で、あまり動じることの少ないドクトルも、この時ばかりは絶句した。
浮いたのだ、パルシアが。
直線上に――まるで何かに持ち上げられるように、上へと移動する。
すると、1つ上の崖に降り立った。
「ぱ、パルシア!」
声をかける。
謎の力を行使した彼女は、これが答えだといわんばかりに「べー」と舌を出した。
再び走り出す。
と、その時だった。
踏み出した先の岩壁が崩れた。
体勢を崩したパルシアは、そのまま空中へと放り出される。
「パルシア!!」
ドクトルは手を伸ばした。
瓦礫が落下していく。白い飛沫が上がる。やがて波立つ海にへと消えていった。
「うわ! あ!」
パルシアは悲鳴を上げた。
「下を見るな!」
顔を上げる。
苦悶の表情を浮かべたドクトルがいた。
子供の細腕で、なんとかパルシアの手を掴んでいる。
体重差が明らかだった。
いくら男子でも、パルシアの方が成人に近い。
徐々にドクトルの方が引っ張られていく。
すでに身体の半分が空中に出ていた。
「ドクトル、手を離して!! 大丈夫。これくらいの高さなら落ちても」
「お前……」
「え? 何?」
「結構、重いな!」
「な゛!!」
パルシアは一瞬、顔面蒼白になった。
「ひ、ひどい! ドクトル! それは女の子に一番いっちゃいけないからね」
「そうなのか?」
「そうだよ」
「またお前は逃げ出すほどにか?」
「そ、それは――」
言葉に詰まる。
「俺は女のことはよく知らん。それこそ母さんぐらいなものだ」
「え?」
「……気が付かないうちにお前のことを傷つけることもあるだろう。だから、今の内に謝っておく」
ごめん……。
「もう絶対2度と言わないから……。もう少し俺のことを見ててくれないか?」
「…………」
パルシアはドクトルを見た。
水色の瞳に、吸い込まれるようにして焦点が合う。
顔が熱い。
でも、それに気付かない程、少年に集中した。
――心を奪われた。
その時、ドクトルの身体が引っ張り込まれる。
落下しそうになったが、寸前でドクトルは崖を掴んだ。
しかし片手。すでに指中ほどしかかかっていない。
「ドクトル、離して! 大丈夫だよ! ここからなら」
「嫌だ」
「なんで?」
「もう離したくないからだ!」
「――――!」
――こ、この子はもう!
あまりに正直過ぎる。
だから、いちいち動揺してしまうのだ。
何故なら、そう――。
その生き方はダークエルフとは真逆の生き方だから。
人を欺き、世界を破滅へと針を進ませる存在。
むしろドクトルのような人間が、もっとも騙しやすいと言える。
そうだ。きっと、そう――。
自分が逃げたのは、ダークエルフだから。
もし、この先ドクトルといれば、きっと彼を破滅させてしまう。
それが嫌だったから……。
――嫌? なんで?
ドクトルは漂流者であるパルシアを助けただけ。
ただ目的が同じなだけの一時的な運命共同体。
利害はあれば、そこに感情など不要なはずだ。
どうして“嫌”なんて……。
これほど自分のことがわからないことはなかった。
――ボクはダークエルフ……。
先史時代からオーバリアントに住み着くものの末裔。
創造神の眷属であり、全能の存在。
なのに、自分がわからないなんてことがあるのだろうか。
でも、1つだけ確かなことは……。
このまま少年の近くにいてはいけないということだ。
ドクトルの手が滑り、もう指先しか崖を掴んでいない。
それでも懸命に、少年はパルシアを持ち上げようとしていた。
「全く俺の前でいちゃつくなよ、お前ら」
ふと上から声がした。
見上げると、ゴーザが仁王立ちしている。
「ゴーザ!」
「そんなに睨むなよ、ドクトル」
ゴーザは笑みを浮かべた。
その手が伸びる。
ドクトルの身体が一瞬強張った。
瞬間、崖から手が離れる。
空中へ放り出されるかと思ったが、そのドクトルの腕を取ったのは、ゴーザだった。
「へへ……」
「どういう風の吹き回しだ。お前が俺を助けるなんて」
「別にお前を助けたいんじゃない。いい女を死なせるわけにはいかないだろ?」
「…………」
「だから、そう睨むなって。ほら、しっかり握ってろよ。――て、結構重いな」
後ろで見ていたミグラを呼ぶ。
2人でドクトルの腕を掴んで、引き上げはじめた。
「ドクトル?」
「なんだ?」
「ボクはそっちに行けないよ」
「お前、何を言っているんだ?」
瞬間、パルシアはドクトルの手を離した。
淡いピンクの髪が風にあおられる。
濃い青空のような瞳には、少し涙が滲んでいた。
なのに彼女の顔は笑って――。
「パルシア!!」
ドクトルは絶叫する。
ゴーザの手を振り払う。
あとを追うように落ちていく。
水しぶきが2つ。
時間差で立ち上がった。
ゴーザは水面を見つめたが、結局2人が海面から現れることはなかった。
割と恋愛な感じになってきた?
次は来週更新になると思います。




