第6話 ~ 重い物を持つのは、男の仕事だ ~
外伝Ⅴ第6話です。
よろしくお願いします。
気が付いた時には、浜辺に出ていた。
漂流物が打ち上げられている。パルシアも知らない魚の骨。難破船の一部と思われる木材。酒が入っていたであろう樽――等々だ。
その1つに目を付ける。
「よっこいせ」
と抱え上げる。
壺だ。
陶器で出来ているらしい。叩くと金とも鉄とも違った硬質な音が帰ってきた。
中を覗くと底が空いていた。
パルシアはげんなりして肩を落とす。
「うーん。いい材料だと思ったんだけどな」
「おい」
背後から声をかけられた。
ドクトルだ。肩をトントンと竿で叩いて立っている。
「釣り――しないのか?」
「おお。やるやる!」
パルシアは元気一杯という感じで返事する。
壺は持ったままだ。
ドクトルは怪訝な顔を浮かべた。
「その壺……。どうすんだ?」
「ああ。これ? ちょっと問題あるけど。折角だし、いただこうと思って」
「持って帰るのか?」
「そだけど」
「貸せ。持ってやるよ」
腕を差し出す。
毎日、釣り場に出ているだけあって、固く手ごつごつした手だが、サイズとしてはまだ小ぶりだ。女のパルシアの方が大きいかもしれない。
「大丈夫だよ。ボクが持つよ」
「…………」
それでも手を引っ込めようとはしない。
「結構重いよ」
両手で抱えたパルシアは、底の空いた壺に今一度目を落とす。
するとドクトルは壺の口をむんずと掴まえる。
そのまま強引にパルシアから奪い取った。
両手でやっと持てるほどの重さだったにも関わらず、ドクトルは片手で楽々掴み上げた。
「重い物を持つのは、男の仕事だ」
と踵を返す。
「…………」
パルシアはぼんやりとまだ小さな背中を見つめた。
無意識に頬に手を当てると、熱い。
ハッとした。
――ないない! 相手はまだ子供だよ。ボクよりも3回りも年下なんだ。
でも――。
改めて少年を見つめた。
もしドクトルが大きくなって……。
背が自分よりも大きくなったら。
どうなるのだろう。
パルシアは笑う。
詮のないことだ。
考えるのをやめた。
ふんふんと、珍しく鼻歌をうたいながら、先を行くドクトルに近づいた。
「ふふん」
「なんだ?」
「いやー。ドクトルも男なんだなって思ってさ」
「ん? なんだ、お前。俺を女だと思っていたのか?」
「いやいや、そういうことじゃないよ」
「なんだったらチ〇コ見るか?」
「だだだだから、そういうことじゃないんだってば!」
おもむろにドクトルはズボンを脱ごうとする。
パルシアは慌てて止めた。
しかし、どうしても気になったことがあって、好奇心を抑え切れず尋ねてみた。
「ねぇ……。ドクトルってさ。あそこ……。もう生えてるの?」
「…………」
沈黙が降りる。
しばらく歩いた。
答えはついぞ返ってこなかった。
パルシアはいたたまれなくなり。
「あの……。なんかごめん」
とりあえず謝っておいた。
岩場に辿り着く。
前方の視界がすべて青で満たされていた。
船旅をしていた時に、嫌になるほど見た光景だが、やはり綺麗だ。
特にこの辺りは、透明度も高く、底まで覗くことが出来る。
小さな魚。赤、黄色、紫――たくさんの種類の魚が、岩場の周りを泳いでいた。
「おお。ドクトル、魚がいるよ」
「そうだな」
生返事を返しながら、ドクトルは釣りの準備をしていた。
腰に吊していた丸い籠の中から、次々と道具を取りだしていく。
パルシアはその中の1つを注視した。
それは魚の形を模したものだった。
「それって疑似餌?」
「よくわかるなな。お前の“クニ”でもあるのか?」
「ううん。そうじゃない。今も適当に言ったし」
「適当に言って、当てたのか?」
「そうだよ。ぼくって頭がいいんだよ」
大きな胸を反る。
ドクトルは「はあ」と息を吐くだけだった。
「お前、結構変なヤツだな」
「今さら気付いたの?」
「…………」
返す言葉もなかった。
というよりは、どう返していいかわからなかった。
一通り準備が終わる。
「準備オッケー?」
「ああ。お前がやるか?」
「いい。とりあえず、見てるよ」
ドクトルは頷く。
すると紐を引っ張り、竿をしならせると、疑似餌が付いた糸を投げ入れた。
しばらくして、浮きが海面から顔を出した。
「ねぇねぇ……。ドクトル」
「なんだ?」
「こんなに海が綺麗ならさ。潜ってとってしまった方が簡単なんじゃないの?」
「かもな」
「じゃあ、ドクトルはなんでやらないの?」
「それはな」
ドクトルは竿を動かす。
ピンピンと弓でも張るようにしならせた。
すると、今度は大きく竿を持ち上げる。
飛沫が舞った。
浮きと疑似餌。そしてその釣り針に、生きた魚が引っかかっていた。
「おお!」
パルシアは無意識に歓声を上げた。
釣り主のドクトルは手早く魚を引き寄せる。
赤く、やたらと尾ひれが大きな魚だ。
バチバチと音を鳴らし、最後の抵抗を行っている。
ドクトルは魚の腹を握ると、手慣れた動作で針を抜く。
次に跳ねる魚を足で踏んづけ、完全に動きを押さえると、腰から白いナイフを取りだし、魚の首もとともいえる部分に突き刺す。
一瞬身じろぎした後、すぐに大人しくなった。
「死んだの?」
「ああ」
ドクトルは岩場から手を出して、海水につけた。
赤いというよりは、どことなく紫に近い色の血が、透明な海に溶け込んでいく。
ある程度、血を抜いたところでドクトルは、海水から引き上げ、持ってきた籠の中に入れた。
「わかったか?」
「いや、全然わかんないよ」
「俺は潜るよりも釣る方がずっと上手い。それに潜ると、魚は逃げるからな」
「そ、そうなんだ。……えっと。血を抜いたのは?」
「その方が魚をうまくなるからだ」
「ああ……。へぇ……」
パルシアは少し考える。
おそらくドクトルの経験則によるものだろうが、理には適っている
魚類はストレスを感じれば感じるほど、美味しい成分が分解されると、何かの文献で読んだことがある。だから、釣った直後に殺した方が、その成分が残った状態になるのだろう。
そして血を抜くのは、身に血の臭みが残らないようにするためだ。
「ねぇ、ドクトル。それって誰に習ったの?」
「別に誰にも」
「え? じゃあ、他の島の人は?」
「釣ったらそのまま食べるだけだ」
「へぇ」
――もしかして、ドクトルって結構頭がいいのかな。
たとえば、さっき魚を捕る直前に竿を動かしたのは、疑似餌が生きた魚に見せるためのポーズ。
それならまだわかるが、疑似餌に魚の骨を使っているのも、魚が臭いに敏感であることを知っているからだろう。血抜きを側の海で行ったのも、魚をおびき寄せるためだ。
そもそも疑似餌ということを考え出したのも、この島でドクトルが最初かもしれない。
近代的な文明物は一切なく、学習施設すらない。いや、学習という概念すらないかもしれない。ただ本能のままに生きる未開人の中にあって、ドクトルの頭の中は、一歩も二歩も進んでいる。
――この子……。ちゃんと教育を受けていたら、どんな子に育つんだろう。
パルシアの中で、むくむくと好奇心が沸いてくる。
この子に外の世界を見せてみたい。
そうしたら一体どんなことが起こるだろう。
想像するだけで楽しそうだ。
「おい。パルシア」
突然、声をかけられて、パルシアは我に返った。
ドクトルの水色の瞳が覗き込んでいる。
ぶるぶると頭を振った。
――いかんいかん。そういうのは、あの人で懲りたじゃないか。
ボクは愛に生きるんだから……。
思考を振り払う。
数十年前、忽然と消えてしまった母親の顔は、頭の中から消え去った。
こちらも引き続き頑張ります!




