第2話 ~ 俺と結婚して、子供を産んでよ。 ~
サブタイからクライマックスの第2話です。
長い睫毛が動く。
「う……」
声を上げると、反響した自分の声が耳に聞こえた
瞼を上げる。
ぼやけた視界に見えたのは薄暗がりの空間だった。
上半身を起こす。
筋肉がピリピリと痛い。
どうやら随分長い間、寝ていたらしい。
身体には擦過傷もある。
上半身を動かすと、かさかさと音が鳴った。
地面を見ると、藁が敷かれている。
随分とくたびれていて、地べたに寝るよりはマシ――という程度にしか機能を発揮していない。
辺りを見る。
壁から何かヒラヒラしたものが垂れ下がっていた。
そこから光が漏れ、室内を一定の照度で照らしている。
おそらく外だろう。
空気が動くのを感じる。
何より嫌になるほど嗅いだ潮の臭いがする。
もっとよく見ようと、女は目を擦る。
はたと気づいた。
「眼鏡がない」
頭や胸、腰の辺りを触ってもそれらしき形状のものはない。
周りを見渡しても、それらしきものはなかった。
「あちゃー。弱ったなあ。難破した時に、流されちゃったかー」
お気に入りだったのにぃ、と女は肩を落とす。
ないと死ぬというわけではないが、不便であることに変わりはない。
「大きな国にいけば、ガラス工房はあるだろうから、そこで頼めばいいけど」
もう1度、周囲をうかがう。
これといって、文明の利器といったものはない。
加工品はあるが、骨や木、石を加工したものばかりだ。
天井を見ると、魚の燻製がつるされていた。
随分とここの主は前時代的な生活を送っているらしい。
「おや?」
目をこらす。
つい癖で、今はなき眼鏡を上げる仕草を取った。
如何にも原始的な部屋に不似合いなものを見つけた。
「これって本だよね」
立ち上がり、近づく。
そう。あったのは本棚だった。
どうやら1度水を吸ったらしい。すべてよれよれになっていた。
中身をめくる。
インクがはげてところどころ、読めなくなっていた。
そして驚いたことに、この持ち主は文字を上から書いて、補足している。
なかなか達者な字だ。
「ふうん……」
パラパラとめくる。
どうやら帆船の航海術が書かれたものらしい。
漂着物なのだろう。船の寝房で、新人水夫のベッドの脇に置かれていそうな内容だ。船の絵や機工まで、随分と細かく描かれている。
それでも女にとっては、十分原始的な内容だった。
「あんた、それが読めるのか?」
声が聞こえた。
随分と古くさい言語だが、女の頭には収納されていた。
………。
「あひゃあ!」
ワンテンポ遅れ、素っ頓狂な声を上げる。
弾みで本を取り落としてしまった。
見るといつの間にか、自分の足の近くまで光が伸びている。
現れた人物が入り口のヒラヒラしたものをのけたためだが、声がかかるまで気づかなかった。
本に熱中してしまっていたらしい。
「えっと……。これは……」
しどろもどろになりながら、女は後ずさる。
現れたのは、年端もいかない子供だった。
それでも鋭い目をしている。いくつかの戦地を巡ったことがある――少年兵みたいな目。
この世の絶望を背負っている。
そんな悲壮感と、怒りが秘められていた。
なのに、驚くほど澄んだ青をしているのは、神が与えた皮肉といえるだろう。
――折角、綺麗な目をしているのに。
海原に落とせば一生見つかることがない。
そんな水色だった。
瞳に傘をした睫毛が、ぴくりと動く。
「あんた……。俺たちの言葉がわかるのか」
「あ? ま、まあね」
「珍しいな。漂流者はたいてい言葉がわからないのに」
「原始的な言語だからね。文法も難しくなければ、語彙も多いわけじゃない」
「ふーん」
少年は目を細めた。
疑っている風にも見えるし、感心しているようにも見える。
女は「なはは」と愛想笑いを浮かべた。
しかし少年から疑念が払われることはなかった。
「えっと……。君が助けてくれたんだね」
「ああ……」
「名前は?」
「ワットが言ってた」
「ワット?」
「ここに住んでいたじじいだよ」
「君の保護者?」
「ちょっと違う。前は別のとこに住んでた。ワットが死んでから、ここを俺の根城にした」
「ふーん」
――なんだか複雑そうだな。訊くのはまた今度にしよう。
「で、そのワットおじいさんがなんて?」
「外の世界の人間は、人に名を訊く前に自分が名乗るのだと言っていた」
「あうー。なるほど。……えっと、ぼくの名前はパルシア」
「ドクトルだ」
「そうか。ドクトルか。何歳?」
「たぶん、11」
「そう」
「パルシアは?」
「え? ぼくもいうの?」
「俺は答えたんだから、パルシアも答えるべきじゃないのか?」
「いつからそんなルールになったの?」
「俺よりも大きいから、年上だよね」
「た、たぶんね」
パルシアは苦笑する。
反応の意味をドクトルは掴めず、首を傾げた。
「なに恥ずかしがってるの?」
「べ、別に恥ずかしいわけじゃないんだ。ちょっと年齢をいうと、軽く引かれるっていうか」
「引かれる?」
「つまり、驚くってことだよ」
「ふーん。まあ、いいけど……。パルシアって大人だよね。お尻も大きいし、胸もでかい」
「な――」
パルシアの顔が真っ赤になる。
「ど、ドクトル……。君、ぐいぐい来るね」
「なんで? 褒めてるんだけど」
「そういうの初対面の女の子にいうのはどうかと思います」
パルシアは腕を前に組み、隠すようにドクトルの視線からそらした。
「パルシアは女の子じゃないでしょ?」
「うん。年上のお姉さんにも控えようね」
「そんなもん?」
「そんなもんだと思うよ」
ドクトルは「ふーん」と言った。
微妙な空気が流れる。
パルシアはこの空気から脱出するべく、足下に落ちた本に手を伸ばす。
先手を打ったのはドクトルだった。
「ねぇ。パルシアは子供が出来る女でしょ」
「な゛――!!」
一旦手にした本を取り落とす。
やがてギッギッギッと油の切れた歯車みたいに、顔を動かした。
「今、なんて言ったの? ドクトル」
「子供できないの?」
「いや、まあ――たぶん……。――って、それを訊いてどうするの?」
「そうなんだ。じゃあ……」
俺と結婚して、子供を産んでよ。
ドクトルの言葉は狭い空間に広がっていく。
パルシアは固まった。
脳すら考えることをやめて、停止し、頭の中が真っ白になる。
やがて、ぱくりと口を開いた。
「ちょちょちょちょちょっと! なに言ってるの!? なに、それ? 契約? 結婚なんてまだ早いよ。特に君には!」
「そうかな」
「そうだよ。もうちょっと人生を楽しもうよ。もしかしたら、ぼくよりいいお嫁さんが見つかると思うし」
「ダメだ」
「な、何がダメなの?」
「俺は早く大人になりたいんだ」
「だ、大丈夫だよ、ドクトル。もう2、3年すれば大人になれるさ。毛とか色々生えてくるし、鬚だって」
ドクトルは首を振る。
「そういうのじゃない」
「じゃあ、どういう?」
ドクトルは振り返る。
仕切り代わりにしている大海草を押しのけ、外を見つめた。
薄暗い洞窟のような住居に光が溢れ、潮の香りが一層キツくなる。
「この島では大人として認められないと、舟を持てない。それどころか材料の木ですら、切ってはいけない決まりになってる」
「はあ……」
パルシアは生返事を返す。
どうも要領が得ない。
「大人になるってことは、島にいる大人に認めてもらうしかない。そのためには2つしか方法がない」
「2つしかないの?」
「1つはドーマを釣り上げること」
「ドーマ?」
「凄く大きな魚。ここいらの主だ」
「ふーん。2つめは?」
「結婚して、所帯をもつこと」
「なるほど。それで――。だったら、行き倒れのぼくよりも、島にいる女の子でいいじゃないかな。見たところ、君の容姿は悪くない。それこそもう2、3年我慢すれば、引く手数多だと思うけど」
ドクトルは首を振る。
「それもダメだ」
「なんで?」
「島のめぼしい女はだいたい結婚している。そしてここ十年間、女が生まれたことはない」
「女の子がいないって、それってやばいんじゃない」
島が男だらけになれば、誰が子供を産むのか。
想像すらしたくない。
「だろうな。……村長はなんとか金を出し合って、女の奴隷を買おうとしている。でも、うまくいくかどうか。島民はみな貧乏だし、よしんば金は工面できても、商人に足下を見られるのがオチだ」
「思い切って、一妻多夫にするとか」
「それは村の掟で禁じられている。昔、それで争いが起きたそうだ」
「そうなんだ……」
「でも、俺はこの島のことなんてどうでもいいって思ってる」
水色の瞳を細める。
やはり、そこには深い憎悪が含まれていた。
「俺がほしいのは舟だ」
「舟を持って、ドクトルはどうするの? 沖で魚取り?」
「島を出る!」
パルシアの長い耳がつんと伸びる。
ドクトルの言葉の意味よりも、その強さに驚いた。
「だから、パルシア」
ドクトルは近づいてくる。
肩をいからせた姿は、どことなく猛獣に似ていた。
後退していたパルシアの背中に、冷たい壁が当たった。
ふっと頬の横を空気が動く。
ドクトルの手があった。子供とは思えないほど、発達した筋肉をしている。
それは男の手だった。
パルシアよりも背丈が少し低い少年は、やや上目遣いで睨む。
「俺と結婚してくれ。パルシア!!」
それはプロポーズと言うよりは、獣の咆吼のように思えた。
というわけで、外伝Ⅴはドクトルとパルシアが中心のお話です。
次は月曜の予定です。
→ 新作『元勇者のバイト先が魔王城なんだが』もよろしくお願いします。
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