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その魔術師は、レベル1でも最強だった。  作者: 延野正行
外伝Ⅴ ~ 島の少年と黒い妖精編 ~

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209/330

プロローグ ~ 島と母と少年と ~

ご無沙汰しております。


本当にお待たせしてすいません。

『その現代魔術師は、レベル1でも異世界最強だった。』を

しばらくまったりとではありますが、続けて行こうと思います。


今までとは、雰囲気ががらりと変わった外伝からですが、

お楽しみいただければ幸いです。

「ドクトル、こちらに来なさい」


 母親の声が聞こえる。

 ドクトルは釣り針を研磨していた小さな手を止めた。

 頭を上げる。

 その手も、顔もまだ幼い少年だった。


 木の根と弦を使った粗末な住居。

 天井には乾いた大海草(ページュ)の屋根。夜露程度なら問題がないが、嵐になるとそこらで雨漏りしてしまう。通気性だけが売りだった。


 少しゆとりがある家の床なら、藁もしくはむしろが敷かれているが、ドクトルの家はむき出しの地面だ。

 ただ母が眠る寝具だけは、藁を使っている。もう3年使い続け、くたびれていた。


 藁は貴重なのだ。


 この島では……。


 母が手を伸ばしている。

 枯れ木のようにやせ細った手だ。

 いや、枯れ木の方がまだマシかもしれない。


 ドクトルは作業を止め、針とそこらから持ってきた磨きに良さそうな石を置いた。


「どうしたの……。かーちゃん」


 母は藁から身体を出そうとしている。

 ドクトルはそれを手伝った。


 母は息を切らしながら、やっとという思いで起き上がった。

 激しく咳き込んだ。


 水を持ってこようとしたが、母は止める。

 すでに2日前に切らしていた。


 咳をする母の背中をさする。

 背骨が今にも皮膜を破って出てきそうなほど浮き出ていた。


「よく聞いて」


 落ち着いてから母は声を絞り出した。


 うん、とドクトルは頷く。

 自然と正座になる。

 腹の虫が鳴る。

 もう3日もまともなものを食っていない。


 母は苦笑した。

 そして「ごめんね」とだけ言った。


 すぅと息を吐いて、母は話を始めた。


「あのね。お母さんね。もうすぐお父さんのところに行くの」

「え?」


 水色の瞳を大きく広げる。

 海のようだ、と母が称した目は、不安そうに曇った。


「ぼくもいきたい」


 久しぶりにドクトルはわがままを言った。


 母はわずかに首を振る。

 もうその角度しか動かせない――そんな首の振り方だった。


「ごめんね」


 また言った。

 物心ついた時から、この言葉を聞かなかった日はない。


 親が子供に謝る。

 その行為は、ドクトルの心をすり減らしていった。

 まだ9歳の子供は、「ごめんね」という言葉にすでに疲れていた。


「ドクトルはね。連れていけないの」

「そうなの」

「ごめんね」


 また――。


 何も言わなかった。

 反論もしなかった。

 ただ耳に入れ、あるがままを受け入れた。


 ごめんね――という言葉は、謝罪ではない。

 ドクトルにとって、どうしようもない絶望の言葉なのだ。


「かーちゃんがいなくなったら、ぼくはどうすればいいの?」

「ワットのおじいさん、わかるわよね」


 ドクトルは頷く。


 ワットは島村(とうそん)から少し離れたところに住んでいる老人だった。

 今でも現役の漁師だが、村の人間には嫌われている。

 偏屈な老人で、滅多に人と話すことはないが、母と喋っているのをドクトルは何度か見かけていた。


「明日、ワットおじいさんの所に行って、こう言ってちょうだい。母さんはお父さんのところに行きましたって」

「“かあーさんはおとーさんのところにいきました”」

「そう。だから、手伝ってほしいって」

「なにを?」

「言えばわかるわ」

「それから?」

「ドクトルはもう釣りが出来るのね」


 唐突に話題が変わった。


「うん。4日前、お魚を釣ったよ」


 小魚を……。


「そう。ああ、そうだったわね。おいしかったわ」


 母は夢で食べたかのように瞼を閉じる。


 ゆっくりと上半身を寝かせた。


 母はしばらく何も言わなかった。


 寝てしまったのだろう。

 聞きたいことはまだあったが、起こすのを我慢した。


 作業を再開しようと、立ち上がる。


「ドクトル……」


 今にも消え去りそうな声が聞こえた。


 母の顔を見る。自分と同じ水色の瞳が開いていた。


「なに? かーちゃん」

「あのね。これだけは覚えておいてほしいの」

「うん」

「もし、ドクトルの前に困っている人がいたら、その人を助けてあげて」

「うん。……わかった」

「そう。いい子ね、ドクトルは」


 母は笑った。


 ほんのわずかな間だったが、笑った。

 それは病気になる前。

 母がまだ元気だった頃の笑顔。


 ドクトルが大好きな顔だった。


「もう……。寝るね」


 瞼を閉じる。


「うん。おやすみ」


 ドクトルはそう言って、釣り針を擦り始めた。




 次の日、何度起こしても母は寝たままだった。


 仕方なく、ドクトルは島村を挟んで、島の北側にあるワットの家を目指した。


 浜辺を横切る。

 海の方で数隻の小舟が漁をしている。

 たくさんの釣り糸を垂らして、獲物を待っていた。


「いいなあ」


 ドクトルが見ていたのは舟だ。


 島では自前の舟があることは、一人前の男として認められた証だった。


 沖合に出れば、もっと魚を釣ることが出来る。

 母に、小魚じゃなくてもっと大きな魚を食べてもらうことも可能だ。


 しばしドクトル少年は憧憬の眼差しで沖合に浮かぶ舟を見ていた。

 ふと声が聞こえる。


 島民だ。


 石を積み上げた防波堤の上に立って、何か話をしている。

 指をさされたから、たぶん自分のことだろう。

 子供といえど、予想ぐらいはできる。


 ドクトルは足早に浜辺を後にした。




 ワットの家は島の北。小高い山の頂上にあった。


 道はなく、加えて急斜面なため登るのに一苦労だ。

 腹を空かした子供ならなおさらだった。

 途中、小さな雨溜まりを見つけ、2日ぶりの水分を補給したドクトルは、何とか頂上にたどり着く。


 ワットの家は変わっている。

 山の斜面を掘り、洞窟の中で暮らしている。

 島民はあまり土をいじらない。

 地面はとても神聖なものだ。

 ワットが偏屈なのは、こういうところからも見て取れる。


 天井から垂れた大海草(ページュ)を引く。

 どうやら仕切りにしているらしい。この辺りは嵐になると横風がひどい。

 貧弱な大海草だけで防げるかは疑問だが、ないよりはマシかもしれない。


 入ってすぐにワットはいた。

 棒きれを持って、構えている。

 白髪と白鬚に占拠された顔は、殺人魚の顔に似ていた。


「なんだ? 島の子供か」

「えっと……」

「入るならノックせんか」

「ノック?」


 聞き返したが、ワットは何も言わなかった。


 翻って、地面に腰を下ろす。

 岩壁にもたれると、何か薄い物が重なったものを取り出した。


 以前会った時も同じ物を持っていた。

 尋ねたことがあって、ワットは「本だ」とだけ答えてくれた。


 てっきり魚か何か絞めるための道具かと思ったが、ワットが使っているところを見ると違うらしい。

 薄い本《ヽ》を何度もめくっている(ヽヽヽヽヽヽ)


 ワットの家にはそんな“本”が一杯ある。

 どうしてこんなものを大事に持っているかは知らない。

 どうして彼が集めているのかも……。


 ドクトルは興味津々といった感じで見つめていた。


「なんだ?」


 しゃがれた声が、毛むくじゃらの鬚の奥から聞こえた。


 ドクトルは背筋がピンとなる。

 ここに来た理由を思い出そうとして、しどろもどろになってしまった。


「用がないなら出て行け」


 ワットは強く言った。


 ドクトルはますます慌てる。


「あの……。かーちゃんがいえって」

「かーちゃん?」

「“かあーさんはおとーさんのところにいきました”」


 ドクトルはただ言われた通りの言葉を告げた。


 ワットの目が大きく見開かれた。

 息を吸い込む。


 ただそれだけだった。


「だから手伝ってくださいって……。それだけ言えって」

「そうか」


 ワットは立ち上がる。


「行くぞ」

「え? どこ?」


 ドクトルは顔を上げる。


「お前の家だ」




 ワットはドクトルの家に踏み込んだ。


 地面にはドクトルが手入れをしていた釣り竿が転がっている。

 片付けを忘れていたことを、家に帰って思い出す。


 ワットは釣り竿に目もくれず、くたびれた藁の中で眠る母親に近づいていった。


 側にドカリと座る。

 あんなに大きな音が鳴ったのに、母はまだ起きようとはしない。


 ワットは母に手を伸ばした。


「なにすんだよ!」


 ドクトルは溜まらず叫ぶ。

 母が暴力を振るわれると思った。


 ワットは1度引っ込め、自分の膝に置く。

 口ひげを動かした。


「黙ってみとれ」


 しかりつけるわけでも、怒鳴りつけるわけでもない。

 厳かに言った。


 ただならぬ雰囲気を察して、ドクトルは忠告通り黙った。

 母を挟んで反対側に座る。

 じっと老人を見張った。


 小さな騎士の行動など目もくれず、ワットはそっと母の口に手を当てる。

 優しくだ。


 次に首に手を当てた。

 また優しく。


「そうか」


 何かを確認したワットは、両手を組んだ。

 目をつぶる。

 しばらく、その態勢のまま固まった。


 ドクトルはただ老人の姿を見るしかない。

 やがて少年の視線に気づいた老人は、姿勢はそのままに言った。


「お前も祈れ」

「え? いのれ?」

「そうだ。形だけでいい。私の真似をしろ」

「マネをするの?」


 ワットの命令口調には慣れなかったが、ドクトルはよく観察しながら同じ姿勢を取った。


 そうして老人と同じ姿勢で向かい合う時間が過ぎていく。


 何度か目を開けて、様子をうかがっていたが、老人は微動だにしない。

 何をしているのか、訊いてみたかったが、重い沈黙によって機会を失った。


 先に姿勢を解いたのはワットだった。

 ドクトルも少し遅れて、元に戻す。


 すると、ワットは母の背中に手を入れた。


「なにをすんだよ!」


 さすがのドクトルも激昂した。


 立ち上がる。

 水色の瞳を嵐の海のように濁らせた。


 対してワットは努めて冷静に言った。


「手伝ってほしいのだろ?」

「え?」

「母親にそう言われたのだろ? お前が言ったんだぞ。もう忘れたのか?」

「う……ううん」

「だったら黙っておれ」


 また言われた。

 ワットは母を担ぎ上げる。


「軽いな」


 そう言うと、少し悲しそうな顔をした。




 ドクトルとワットが、母をかついでやってきたのは、浜辺だった。


 島村がある浜辺とは逆。

 人気はない。

 それもそのはずだ。

 村からは結構離れていて、時間がかかる。


 おかげで陽が陰り始めていた。

 空が赤くなっているが、太陽(バリアン)は見えない。

 島影に隠れて見えないのだ。


 ――魚……。釣れるかな。


 そんな事を考えていると、ワットは母をかついだまま海に入っていく。


「ちょっと! なにしてるんだよ!」


 今度こそドクトルは怒った。


 入水していくワットの後を追う。


 だが――。


「来るな!」


 また叱られた。


 それでもドクトルはずぶ濡れになりながら追いかける。

 海の子だ。

 濡れるのには慣れている。


 ちょうどその時、ドクトルを阻むように大波が襲いかかってきた。

 少年の身体と心が跳ね返される。

 さらに慌てていたため足をとられた。海の中でぐりぐりと回転した。


 波はそれだけにとどまらない。


 引き潮がさらに小さな身体をさらおうとした。


「小僧!」


 すべてを察したワットは母から手を離す。

 潮にさらわれそうになったドクトルの手を掴んだ。


 母の身体はそのまま潮に流され沖合へと真っ直ぐ向かっていく。


 ドクトルは「かっ! ぺっ!」と咳き込みながら、少し飲んでしまった海水を吐き出す。


 やがて流されていく母に向かって、手を伸ばした。


「かーちゃん!」


 叫んだが、その姿はすでに小さくなっていた。


 その時。

 ふと何かの映像と重なった。


 見たことあると思ったのだ。

 同じような光景を。


「安心しろ。お前の母は、父の元へといった」


 ワットの声が聞こえた。


 そうだ。

 覚えがある。


 ドクトルがもっと幼かった頃の記憶。


 この浜辺で、同じようなことが行われたことを。


 波間に漂う姿は、母ではなく、あれは父だった。


「そうか。かーちゃんはとーちゃんのところにいったんだね」

「……そうだ」


 ワットは少し顔を伏せ、肯定した。


「ぼくもいつかいっしょになれる?」

「いずれ……な」

「そうなんだ。……なら、いいや」


 ドクトルは手を振る。

 大きく。母に見えるように。


「ばいばーい! かーちゃん! また会おうね!」


 目一杯叫んだ。

 島裏の海岸に、子供の声が響き渡る。


 海水でびしょ濡れになった少年の頬に、一筋の水滴が流れていった。


いかがだったでしょうか?

ちょっとびっくりしたのではないかな、と心配しております。

主人公達は? ドクトルって誰よ! レベルの話はどこ?

色々と疑問がつきないことと存じますが、引き続きお読みいただければと思います。


次の更新は水曜の予定です。

時間はだいたい18時の予定をしておりますので、今後ともよろしくお願いします。

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