第83話 ~ お前が楽しくなければ、オレも楽しめない ~
第4章第83話です。
よろしくお願いします。
翌早朝――。
ライカはライーマードに来てから欠かさず行っている訓練のため、ベッドから身を起こした。
隣を見ると、クリネがスヤスヤと寝息を立てて眠っている。
姉バカと言われるかもしれないが、天使のような寝顔だ。
起こさないように注意し、身支度を整える。
そっとドアを開く。
部屋を出ていった。
廊下に出る。
「あ――」
ちょうど目が合った。
宗一郎が同じタイミングで部屋から出てきたのだ。
「お、おはようございます」
「おはよう。……と――。何故、敬語なのだ?」
首を傾げる。
ライカは少し顔を赤くした。
「いや、ちょっとびっくりして……。き、気が動転したのだ」
しどろもどろになりながら、説明する。
宗一郎はきょとんとして見つめていた。
やがてクスリと笑う。
「ちょうど良かった、ライカ。少し付き合ってくれないか?」
「つ、付き合う?」
いきなり大胆な発言が飛び出す。
思わず背筋を伸ばした。
「都合が悪いか? 先約でも?」
「と、ととととんでもない! 宗一郎に付き合えといわれれば、たとえ火の中水の中……。どこへだって行くぞ! 宗一郎の世界にだって」
「オレの世界? …………ライカ。今日はなんかおかしいぞ」
「そ――そうだろうか」
たははは、と笑って誤魔化す。
我ながら、情けないぐらい動揺していた。
ライカは話題を変える。
「ところで、どこへ行くのだ」
「少し遠出になるがいいか?」
「遠出?」
「ライーマードの外」
「外?」
今度はライカが首を傾げる番だった。
「宗一郎、今だ!」
ライカの声が飛ぶ。
瞬間、宗一郎は弾けるように飛び出した。
向かうは巨大なハリネズミの懐だ。
ドニーボーンと呼ばれるライーマード周辺に出現するモンスターだった。
そのモンスターの体力ゲージは全体の5%もない。
半死の状態……。
この辺りはレベル30以上なければ、倒すことは難しい。
だが、これほど【体力】が減っていれば、レベルが1桁代の宗一郎とて、トドメを刺すことが出来る。
宗一郎は剣を鞘から引き抜いた。
女神からもらった【ピュールの魔法剣】だ。
その切っ先を、ドニーボーンの唯一針のない部分に突き立てる。
頭に大きくダメージ判定を刻まれたモンスターは、身悶えた。
少々哀愁が漂う悲鳴を上げ、ドニーボーンは消滅した。
「ふう……」
宗一郎は汗を拭う。
途端、レベルアップの効果音が流れた。
レベル10に到達。ようやく2桁になった。
目標のレベル30。
まだまだ遙か先だ。
「大丈夫か、宗一郎?」
「問題ない。が――」
「が――?」
「少々侮っていたな」
「侮っていた、とは?」
「レベル戦だ」
疑似的な命のやりとりは、実戦と比べれば遊びでしかない。
宗一郎はそう考えていた。
「だが、考え方次第なのだな。死ねない、リタイヤできないと考えれば、スリリングなものだ」
「宗一郎のレベルはようやく10……。この辺りのモンスターの撃破には30から40は必要になる。いくら私が付いているとはいえ、危険であることは間違いない」
「すまないな。朝から付き合わせて」
「構わない。私も身体を思いっきり動かしたかったところでな」
「……?」
「それにしても驚いたぞ。お前からモンスター退治に誘われるとは」
細剣を鞘にしまい、ライカは腰に手を当てた。
宗一郎も同じく武器をしまう。
「女神の遺言でな。おいそれとモンスターを倒せなくなってしまった」
「モンスターもまた被害者、か……」
先ほど聞いたプリシラの遺言を、自らの口で暗唱する。
深い言葉だった。
口ずさみながら、ライカは宗一郎を盗み見た。
鞘に納まった【ピュールの魔法剣】を見つめている。
プリシラからもらったものだと、ライカは聞いていた。
宗一郎はどこか悲しげな表情をしていた。
ライカは細剣が納まった鞘を強く握る。
気付いたのだ――。
宗一郎の影に、まなかだけではない。
プリシラという女神もいることを……。
「ライカ……。ライカ!!!!」
宗一郎の叫びが聞こえた。
一瞬、誰のことをいっているのか。
何故、叫んでいるのかわからなかった。
だが――。
背中に怖気が走る。
大きな影が女帝を覆い隠す。
ハッと顔を上げる。
銀髪の大熊が立ち上がる。手には長く鋭い爪がついていた。
ペーダーグゥムというモンスターだ。
ライカは慌てて剣を引き抜く。
遅い。
「アガレス……。かつての力天使よ。お前の打ち破る力を、オレに示せ」
高らかな呪唱が聞こえる。
宗一郎は双拳に赤光を握りしめた。
強襲するモンスターに向かって飛びかかる。
その顎に、拳を叩き込んだ。
強大な悪魔の力を借りた一撃。
いかな熊のモンスターでも、吹き飛ばされるのは必定だった。
しかし、1発程度では倒れない。
本来の体力もかなり高いのだろう。
ダメージを追っているのは目に見えている。
それでもペーダーグゥムは立ち上がった。
「ライカ!」
「あ、ああ……!」
成り行きを見守っていたライカは、宗一郎の呼びかけに我に返る。
細剣を振るい、ペーダーグゥムに迫る。
モンスターの攻撃を軽やかに回避。
懐に到達すると、勢いのまま熊の土手っ腹に突き刺した。
赤いダメージ判定が光る。
体力ゲージが、みるみる減っていった。
「宗一郎!!」
トドメを――という前に、現代最強魔術師は踊り出ていた。
ペーダーグゥムの首を刈る。
致命判定――。
モンスターは大きく嘶き、消滅した。
「大丈夫か、ライカ……」
「ああ。すまない、宗一郎。助かった」
金髪を掻き上げ、汗を払う。
「ライカらし……く、な…………」
宗一郎は口を噤む。
呆然とライカを見つめた。
「どうした? 宗一郎」
ライカは視線を合わせる。
宗一郎は慎重に二の句を告げた。
「ライカ……。泣いているのか?」
え?
ライカは慌てて手を目の辺りに当てる。
確かに濡れている。
もっとよく見ようと、細剣の面を自分の顔に向けた。
涙が棒状に頬を伝っていた。
びっくりして慌てて拭う。
「あれ? ……あれ?」
何度も拭うが、涙が止めどなく流れてくる。
瞼を閉じ、必死に止めようとするが、やはり止まらない。
逆に心の中で、我慢しつづけた気持ちが重くなっていることに気付いた。
「ライカ、どうしたんだ? 怪我をしたのか?」
宗一郎は伴侶の手を握る。
ライカは振り払った。
「ライカ?」
「す、すまない」
「本当にど――」
「なんでもない!」
なおも寄り添おうとする宗一郎を、ライカは言葉で弾いた。
だが、すぐ自分がしたことに気付き。
「すまない」
とまるで譫言のように謝罪の言葉を繰り返した。
弱音を吐くわけにはいかなかった。
甘えるわけにはいかなかった。
ずっといてほしい――。
そんなわがまますら言うわけにはいかなかった。
宣言したのだ自ら……。
宗一郎のように――。
意識の高い女になると……。
今、ここで嫉妬に狂えば。
わがままをいえば。
きっと幻滅される。
ライカはそう思った。
一方、宗一郎は口を閉ざしたライカをじっと見つめた。
それはかつて苛烈に――意識が高いことを誇らしげに語った男の姿はなく。
純粋に目の前の女の子のことを気にかけていた。
やがて息を吐く。
その空気の振幅すら、ライカの耳には痛かった。
「今際の際に、プリシラに楽しめといわれた」
「え?」
「それはきっとオーバリアントに巡らされた呪術のことだけではない。……人生を楽しめということなのだろう。オレはそう思っている」
「…………」
「生きることを楽しむことが重要であることは、オレも頭の中ではわかっていた。しかし、自分のやるべきことをやるだけの毎日に、少々忘れていたらしい」
「何を……」
ライカはもう1度涙を払い、傾注した。
「周りが楽しくなければ、オレも楽しくない。そう言いたいのだ」
「え?」
「ライカ……。お前が楽しくなければ、オレも楽しめない」
「…………」
「ライカは――
オレが唯一愛しているといった女だからな……」
「そう……いちろう……」
すでに決壊状態だった涙が、さらに溢れ出ていく。
頬を張らし。
鼻をすする。
不安に震える唇は、歓喜にむせっていた。
自ら腕を出す。
伴侶の……。
宗一郎の胸に飛び込んだ。
「うわ――――」
ライカは声を上げる。
子供のように泣きじゃくった。
宗一郎は金髪を撫でる。
「ライカ……」
「な、なんだ?」
涙に濡れた顔を上げる。
鼻を啜り、美人が台無しになっていた。
それでも艶やかな金髪と碧眼の瞳は、やはり美しかった。
宗一郎は微笑む。
「あの時の約束を果たそう」
何を――とは、ライカは尋ねなかった。
待ち望んでいたのだ。
その言葉を――。
宗一郎がオーバリアント討伐に出発する前。
約束したことを……。
ライカはそっと唇を差し出した。
そして2人は久しぶりにキスをかわした。
2人は幸せなキスをしましたとさ……。
割と初期のプロットでは、ここでライカが嫉妬に狂って、
ダークエルフの甘言に騙されて、最終的な宗一郎の敵となるっていう展開を考えていたのですが、
今にして思えば、どっちが良かったかなあ、と思わないわけではないです。
でも、この2人には幸せになってほしい、ということで、
対決エピソードは省きました。
明日も18時に更新します。




