第76話 ~ 真剣なんだよ。ここで生きる人も、プレイする人も…… ~
第4章第76話です。
よろしくお願いします。
銀髪が清流のように流れた。
プリシラが倒れる。
宗一郎は支えようとしたが、1歩遅かった。
光る床に、女神の身体と髪、そして――血が広がった。
「プリシラ!」
「プリシラちゃん!」
2人の男が叫ぶ。
宗一郎はプリシラを抱きかかえた。
「しっかりしろ!」
倒れた瞬間、半分意識を失っていたらしい。
しかし、女神はゆっくりと瞼を上げる。
青い瞳が日本人の男の顔を捉えた。
「宗、一郎……」
「なんだ?」
「悪いわね。先に私の呪術を完成させてもらったわ」
「ふざけるな!」
「けが人に向かって、ふざけるなはないでしょ……」
叱咤するが、プリシラは鮮血を吐きながら笑った。
「そんなことはさせん! 今、魔術で――」
宗一郎は治癒の能力を持つ悪魔ブエルを喚びそうとした。
だがその指先に、幽鬼のように白い手が重なる。
「プリシラ……。お前……」
「無駄よ。私に魔術は効かないわ。……あんたが呪術に対抗しているように、私もある程度魔術に対抗しているの」
「じゃあ、プリシラちゃん。これ――」
ミスケスが回復薬を渡す。
だがゴールドで作られた回復薬は、ステータス上の【体力】しか回復しない。
実際の傷を治せるわけではないのだ。
ミスケスもそれはわかっているはずだが、完全に気が動転していた。
プリシラはわずかに笑った。
「気持ちだけもらっておくわ……。あんたも悪いわね。巻き込んじゃって。完全に私のミスだったわ」
ミスケスは首を振る。
赤い男の目には涙が浮かび、頬を伝っていた。
2人の男たちに看取られながら、プリシラが嘆息する。
「まったく……。男2人がなに辛気くさい顔をしているのよ。美人薄命っていうでしょ。いい女が死ぬんだから、もうちょっとシャンとしなさいよ」
「死ぬとかいわないでくれ!」
ミスケスは叫ぶ。
「老後に先立たれた夫じゃあるまいし……。情けない顔するんじゃないわよ」
プリシラはそっとミスケスの頬に手を添える。
涙が伝い、細い腕をぬらした。
その手を掴み、ミスケスはぬくもりを感じようと自分の頬に強く押しつける。
しかし――。
「ああ。気持ち悪い……」
無下にされ、引き離される。
プリシラは宗一郎に向き直った。
「死ぬ前に、私の言うことを聞いてくれる?」
死ぬ前の人間とは思えない。
言葉には無邪気な響きがあった。
宗一郎は息を吐き。
「なんだ?」
「言うまでもないかもしれないけど、オーバリアントのこと、ラフィーシャのことを頼むわ」
「ああ……」
「ラフィーシャに唯一対抗できるのは、このオーバリアントであんたしかいない。ラフィーシャについては、アフィーシャに聞きなさい。まあ、素直に口を割るとは思えないけどね」
「任せておけ」
「まだあるわ」
「遠慮はしなくていい」
「前にフラグがどうのこうのっていってた時に話をしていたのを覚えてる?」
「遺言の話だな」
「そう。本当のことになってしまって、我ながらベタだなって思うわ」
プリシラは自嘲気味に笑う。
「お前は、あの時なにを言いかけた?」
「そうね。……私はこう言いたかったのよ」
これ以上、モンスターを殺すなって……。
「…………」
宗一郎はじっとプリシラを見つめた。
「無反応というのも気持ち悪いわね」
「なんとなく気づいていたからな」
プリシラはボス部屋に入る前、モンスターをかばっているように見えた。
何よりずっと気になっていたのだ。
モンスターにも【復活】のサイクルを与えていたことに。
モンスターが駆除するだけなら、わざわざそんな力を与える必要などないはずだ。
「バカじゃなかったってことね。少し安心した」
「何故、モンスターをかばう」
「わからない? 簡単なことよ」
彼らも被害者だからよ……。
「無理矢理転移された異界の生物……。それがモンスターと呼ばれる存在の正体。だから、私は……。オーバリアントの人間と、モンスターを共生させるためにこのシステムを作った」
「その割に、乱暴な気がするが」
「『彼らも被害者ですから、オーバリアントに住まわせてください。ただ無害かどうかわかりません』っていって、すんなりとオーバリアントの人間が納得すると思う?」
「…………」
「乱暴であったことは認めるけど、正直なところ――あの時は、これしか思いつかなかった」
プリシラは天井を見つめる。
あの時とは、60年前の混乱期のことをいっているのだろう。
青い瞳はどこか遠くの方に視線を置き、過去を振り返っているようだった。
「それに――」
「ん?」
「楽しんでほしかった……」
「は――」
「私が作ったゲームの世界を……」
「お前……」
「私――ホントはさ。ゲーム会社に就職して、自分のゲームを作りたかった」
夢見る子供のように笑う。
「でもさ。30年ほど前……。面接で『女にゲームなんて作れない』とかいわれてさ。結局、諦めた」
でも――。
「こんなにも大きな……。きっと誰も作ったことがないスケールの大きなゲームを作ることが出来た。残念ながら、見返す相手はいないけどね」
プリシラは改めて宗一郎を見つめる。
「だから、宗一郎……」
「ああ……」
「あんたも楽しんでよ」
「――――ッ!」
「あんたにとって、このオーバリアントも、ゲーム世界も、直視しがたいものかもしれない。誰かが作った妄想のように思えるかもしれない」
けどね――。
「真剣なんだよ。ここで生きる人も、プレイする人も……」
「…………」
「それだけは認めてあげて」
宗一郎はすぐに返答はしなかった。
ただ――。
「考えておこう」
とだけ言った。
「ん……。今はそれでいい。あと、それと、これ――」
プリシラは道具袋から小さなアイテムを取り出す。
それは古ぼけた腕輪だった。
「お前、これ――」
「そう――。【清貧と慈悲の腕輪】よ」
自分に与えられる経験値を、他のキャラクターに分配するアイテムだ。
「【盗賊の手】っていういわゆる【盗み】のスキルを使えるアイテムがあるんだけど、こっそりあんたから抜いておいたの」
「プリシラ!」
「はは……。わかった? おそらく私が死んで、このボス部屋の状態が安定すれば、あんたにも経験値が分配される。これでレベル1も卒業ね」
「余計な世話を――」
「ふふふ。なんか――あんたにはじめて勝利したような気がするわ」
苦々しく顔を歪ませた宗一郎を見ながら、プリシラはそっと頬を撫でる。
そしてとても愉快そうに笑った。
「私からの餞別よ。……楽しんでね、宗一郎」
「感謝はせんぞ……」
「ふふ……」
目を細め、女神――いや天使のようにプリシラは笑う。
宗一郎は息を呑んだ。
本人の知らない間に、その顔は赤くなっている。
自分と同じ世界の住人の男の表情を見ながら、プリシラは切り出した。
「最後のお願いよ」
ごくり、と宗一郎とミスケスは喉を鳴らす。
「だから、そんな辛気くさい顔をしないでくれる」
「でもよ――。プリシラちゃん」
「ああ! もう、うざい! 切り出しにくいでしょ」
「うう……」
ミスケスは正座し、顔をぐしゃぐしゃにしながら泣きわめく。
対して宗一郎は、死にゆく女神を直視し続ける。
「宗一郎……」
その声はすでに弱々しく、風前の灯火を思わせた。
「なんだ?」
「そろそろ声を出すのもしんどくなってきたわ」
肩口から今もなお血液が流れ出ていた。
すでに抱きかかえた宗一郎の胸は、プリシラの血で赤く染まっている。
「もう少し顔を寄せてくれない……」
言われるがまま、顔を寄せる。
「もっと……」
鼻息がかかるほどの距離まで狭まった。
「役得みたいなものよ」
宗一郎は首を傾げる。
その頬に、血に濡れたプリシラの手が触れた。
「最後ぐらいわね……。私の初――――」
プリシラは引き寄せる。
少し強引に、宗一郎の唇に、自分の唇を重ねた。
男の黒い瞳が、大きく広がる。
驚いた。
それは当然であった。
だが、問題はいきなり口づけされたことではない。
すでにその時――。
プリシラの息がなかった……。
宗一郎の頬にかかっていた手が、だらりと垂れ下がる。
顎が上がり、自然と顔が離れた。
見ると、笑顔だった。
これまで見たことのない満面の――無垢な少女の……。
その時、ボス部屋は一層光り輝いた。
まるでの蛍が群れとなして、頭上へと昇っていく光景が広がる。
気づいた――。
光の中に吸い込まれるようにプリシラが消えていく。
ふと人が立っていた。
美しい女だった。見たことのない形の衣服と、飾りを身につけている。
背が高く、色白で、生気が乏しかった。
ミスケスは驚きのあまり飛び退く。
宗一郎はただ顔を上げた。
なんとなくわかった。
おそらくこれが、オーバリアントにいたというかつての女神だということが。
女神の口元が動く。
声こそ聞けなかったが、宗一郎は唇を読んだ。
――よく頑張りましたね、絹子……。
ふっと消える。
そして気づいた時には、プリシラの姿はどこにもいなかった。
カツン、と硬質な音が鳴る。
プリシラがつけていた大きなヘッドフォンのような耳当てが落ちていた。
残ったのはそれだけだった。
「――――ッ」
ミスケスは喉を引きつらせる。
そして大声で泣いた。
宗一郎も声こそ上げなかったが、赤くなった目頭から1滴、2滴と涙を流す。
流れた涙滴は、抱えた耳当てに伝った。
その日、オーバリアントの女神はいなくなった。
現代世界の名前は甘木絹子といった。
…………。
明日も18時に更新します。




