第53話 ~ 背を向ける者に、勇者はきっと斬りつけることなどしない ~
第4章第53話です。
よろしくお願いします。
「あなたでしたか……。マフイラさん」
独特ともいえる低い声は、梢に染み渡るように響く。
アラドラ・ガーフィールドは墓木に向けていた大きな体躯をマフイラへと移した。
驚いているのか、といえばそうでもない。
また怒りも、何か嘲るような表情もない。
髪も、眉も、髭もないアラドラの顔に、特徴らしきものはない。
それが彼が何を考えているのかわからなくさせている要因の1つといえた。
マフイラは1歩踏み込む。
アラドラは逃げるそぶりも、逆に攻撃的に構えることもしなかった。
ただ2本の足を適度に開け、拳を下げて、自然体で立っている。
不気味なほどに……。
逃げれば追いかけ、戦うのであれば応戦したであろう。
その覚悟を持ってやってきた。
だが、久しぶりに旧友に出会ったような邂逅の仕方をして、マフイラは戸惑っていた。
自分の武器であるショートスピアが届く1歩手前ぐらいで、足を揃えて止まった。
青い瞳で見つめる。
禿頭のひどい火傷を負った男の顔を……。
アラドラと会ったのは、これで2度目だ。
1度目は自らギルドに抗議しに行った時だ。
あの折は、オーガラスト討伐の英雄を『魔女』として告発した副所長の鼻っ柱を折ろうと考えていた。
だが、結局相手にしてもらえなかった。
憎む気持ちもあったと思う。
今は――というと、真逆の気持ちだった。
アラドラ・ガーフィールドという男を追い続けた。
過去を知り、その感情を暴いた。
表情から知ることは難しいが、何を考えているかはわかる。
お互い会う以上に、マフイラはアラドラを理解していた。
そして同情していた。
同じギルドの職員として……。
顧客と、冒険者の間に立って働いてきたものとして……。
だからこそだ。
だからこそ、止めなければならない。
アラドラ・ガーフィールドを……。
「奇遇ですね」
アラドラの言葉に、マフイラは眉をひそめた。
「そうかしら……。私にはあなたがすべてを見通していたように思うけど。ここに私が来ることですら……」
――ふっ……。
笑った? と疑問符がつくほど、わずかな微苦笑だった。
「買いかぶりすぎですよ。周囲は私を非常によく買ってくれますが、私はただ職務に忠実なだけが取り柄でして」
「そうね。あなたを悪くいう人はいなかった」
「有り難いことです。ただし……しいていうならば――」
「?」
「ここに来るのは、あなたではないと思っていました」
「ごめんなさいね。役不足で……。誰ならよかったのかしら?」
「スギイソウイチロウ様です」
いきなり勇者の名前が出てきて、マフイラは絶句してしまった。
少々声を上擦らせながら、反論した。
「あ、あなたが牢に繋いだんでしょ?」
「……あの方なら、あそこから出ることなど造作もないことでしょ」
「わかった上で、牢屋に入れたってわけ? ……どうやら宗一郎様をよく知っているようだけど、あなたに彼の何がわかっているの?」
「すべてとは申しませんが……。以前、仕事で帝都に行った時に、マトー様の乱心事件に遭遇しまして」
「――――!」
帝都での出来事は、マフイラも伝え聞いている。
そこにアラドラがいたとは思いも寄らなかった。
「ソウイチロウ殿は、その時こう言いました」
“自分は『世界の敵』なのだ、と……”
「他人の願望をうち払い、1人で成し遂げるからこそ『世界の敵』になる。だが、それ故に『勇者』でいられるのだ――――私には、そう聞こえました」
「あなたも『世界の敵』になるつもり?」
「それはまだわかりません。叶えようとしてうち払われる――儚い負け犬の1人になるかもしれません」
「だから、あの人を待っていた……?」
「待っていた? …………なるほど。そうかもしれない」
アラドラはようやく頬を緩めた。
やっと人間らしい表情を見せる。
一方で、マフイラの表情はいっそう険しくなっていった。
「アラドラ……。あなたは『世界の敵』にはなれない」
「どうしてそう思われるのですか?」
「あなたは戦っていないから……」
「…………」
「だから、彼は来ない。あなたの前には決して――。背を向ける者に、勇者はきっと斬りつけることなどしないから」
でも――とマフイラは考える。
宗一郎とアラドラは似ていると思った。
宗一郎は自分が冒した罪によって、RPG病を蔓延させてしまったことを悔いていた。
アラドラは顧客と冒険者のために、身を粉にして働いていた。
両者とも、強い責任感を持っていることは間違いない。
故に、アラドラ――いやジェリフ・ハインドが、10年前の暴動で妻子を亡くさなかったら……。
もっと早く宗一郎がジェリフに会っていたら……。
この2人は『敵』などではなく、良い『友人』になっていたのではないかと、思わざる得ない。今のマフイラと宗一郎のように。
ならば、尚更会ってはいけない。そんな気がする。
今の彼らは決定的に違う。
何故なら――。
「宗一郎様が叶えようとしているのは、望みを失った人間の望みを叶えること。あなたの望みは、単に復讐すること」
「――――!」
「国と冒険者から裏切られた復讐心。妻子を失った悲しみ。私に理解できるとは言いません。けれど、同じギルド職員としてあなたに忠告します」
1歩近づき、マフイラは言った。
「ギルドの役目は世界を救うことでも、まして見返りを求めることでもない」
そう――。
“ギルドの役目は人と人を繋ぐこと……。ただそれだけです”
「あなたはそこから逃げてしまった」
「違う! 私は職務に忠実だった。決して、放棄したことは……」
アラドラははじめて激昂した。
マフイラは頭を振る。
「復讐というものに逃げてしまった。あなたはギルド職員として失格です」
「あ…………」
「けれど、私はアラドラ――いえ、ジェリフ……。あなたを尊敬しています。それはあなたの部下を見ればわかる。あなたの奥さんや子供さんはもうこの世にはいない」
けれど――。
「あなたを信じる人はいる」
「…………!」
「もうこんなことはやめて下さい。あなたに復讐者も、『世界の敵』も似合わない。あなたのいるべき場所は、ちゃんとあるんですから」
…………。
沈黙が落ちる。
風が吹いた。
目の前の墓木の梢が揺れる。
それは何かアラドラに訴えているようにも、マフイラの言葉に同意しているようにも見えた。
アラドラはローブをはためかせながら、おもむろに懐に手を伸ばした。
少しマフイラは警戒を強めたが、出したのは武器などではなく、小さな小箱だった。
箱を開ける。
出てきたのは、歯車が並んだ機械仕掛け。その中心には青い宝石が光っていた。
「魔法石?」
それは自然物ではなく、エルフの魔法で作られる石だった。
本来、砂粒程度ぐらいの大きさしかないが、箱の中にあるものは親指よりも大きなサイズをしていた。
「【太陽の手だ」
「――――!」
マフイラは息を飲む。
「どうやら私には無用の長物のようです」
「ジェリフ……」
アラドラは口端を広げた。
「私はアラドラですよ。ライーマードの副所長……。ジェリフ・ハインドという男は、ここにいる」
墓木を見上げる。
その幹には、ハインド家の妻と子供の横に、ジェリフという男の名前が刻まれていた。
「墓碑を刻むためにここへ?」
「恥ずかしながら……。死ぬ前に、一緒にいたいと思いまして。――ですが、違う意味になったようです」
「喜んでますよ、きっと……」
「…………」
アラドラは瞼を閉じた。
木々の間を通り抜けていた涼しい風が、大柄の男を包み込む。
そして満足したように笑みを浮かべた。
風の祝福を受けた後、アラドラはそっとマフイラの手に【太陽の手】を渡した。
「やはり……。あなたが持っていたんデスね」
不意に言葉が聞こえて、マフイラはアラドラと共に振り返った。
神官服を着た女性が、赤い髪をなびかせて立っていた。
いいところですが、今日はここまでです。
明日も18時に更新です。
よろしくお願いします。




