第24話 ~ 帝国を脅すというのか? ~
第4章第23話です。
よろしくお願いします。
「うーん。困りました」
クリネは自分の髪をつまみ上げる。
1本引き上げただけなのに、毛の塊が持ち上がる。まるで糊で貼り付けられたかのようだ。
どうやら猛獣の唾液が渇き、髪の毛が固めてしまったらしい。
おかげで、寝癖みたいに髪があちこち跳ねてしまっている。
少女の様子を横目で見ながら、ジーバルドは黙って付き添っていた。
その藍色の瞳に、1つの店が映る。
「クリネちゃん」
「はい?」
「あそこに入ろうか?」
指し示したのは、帽子屋だった。
「うわぁ……」
色とりどり、様々な形状の帽子に囲まれた店内を見ながら、クリネは歓声を上げた。
「目移りします。あ、これなんか可愛いかも」
クリネは帽子を1つ取る。
赤いハンチングみたいな形状の帽子だ。
頭に深く被る。
「どうですか? お兄さま」
「似合っていると思うけど、ちょっと君には――」
大きいらしい。すぐにずり下がってしまった。
「むむ……」
皇女が頬を膨らませる。
微笑ましい光景を見ながら、ジーバルドは実に楽しそうに笑った。そこに裏表はない。
「こっちなんかどうかな?」
差し出したのは、白地に長いつばがついたクラシカルな帽子だった。花を模した赤いリボンが添えられている。
「ありがとうございます」
クリネは早速被っていた。
今度はサイズがぴったりだ。
店員が持ってきた姿見で、確認する。
赤のリボンがいいワンポイントになり、白の『ワンピっス』とよくあっていた。
「どうでしょうか?」
「似合っているよ」
ジーバルドは微笑む。柔らかく。
クリネの顔がパアと輝いた。
「では、お兄さまにはこれを」
先ほど自分がかぶったハンチングを渡す。
ジーバルドは受け取り、早速かぶる。
姿見を見ながら、笑みを浮かべた。いや、浮かべていた。
「なかなかいいかな」
「じゃあ、これにしましょう。今、お会計を――」
「僕が出そう」
「え? でも――」
「さっき僕を助けてくれたお礼だ。あまり君には借りを作りたくないからね」
「しかし、これ以上ジーバルド様にもらうわけには」
ジーバルドは人差し指を口に当て、「しっ」と静かに声を上げた。
「お兄さま――だろ?」
「…………!」
そして今度は、戯けるようにジーバルドは笑った。道化のように笑った。
空にうっすらと朱がかかった。
太陽が剣呑なチマヌ山脈にかかり始めている。
それは同時に、デートの終了を示していた。
2人は最初の集合場所である噴水前に戻ってきていた。
「あっという間でしたね」
「そうだね」
「楽しかったですか? ジーバルド様」
ジーバルド様――という呼称を聞いて、ヘステラの当主はようやくデートが終わったのだと感じた。
ジーバルドは笑う。いや、いつものように笑っていた。
「まあね。君も楽しそうだったね」
「はい!」
終始、クリネは元気な返事を返した。
ジーバルドはほっと息を吐いた後、珍しく真剣な顔で9歳年下の少女を見つめた。その顔は笑っていない。
「クリネちゃん。1つ教えてほしいんだ」
「なんでしょうか?」
「僕をデートに誘った――その真意はなんだい?」
「真意……? それは約束を――」
「それは建前だろ。……何を言われても怒らないから、話してくれないかい?」
「…………」
「じゃあ、僕の推論を言おう。僕が君たちに協力的ではない理由が、自分にあるのではないか。僕が君をまだ心の底から許してないから――そう思っているんじゃないかな?」
ジーバルドはそう言って、帝国の皇女を見つめる。
クリネは何も言わなかった。
ただ黙って、首を振った。買ったばかりの白いつば広帽子が揺れる。
「じゃあ、なんだい?」
「許すためです」
ぽつりと呟いた。
「許す?」
「はい。私は――――私を許すために閣下をデートに誘いました」
「自分を? ……ふふ。それは随分、身勝手な理由だね。自己満足ともいえる」
「そうです。否定はしません」
「君は随分失礼なことを言っているということを自覚しているのかな? 潔いということが、常に事態を好転させるというわけではないよ」
「わかってます。でも、ある人に言われたんです」
「ある人?」
「自分を納得させなければ、本当の許しを得ることはできない」
「…………!」
「だから、私は色々考えて、あなたをデートに誘いました」
「なるほど。……僕と約束したというのは、嘘だね」
「はい。それについてはお詫びします」
「1本取られたというわけか……。僕もまだまだだな。君のような子供の嘘を見抜けないなんて」
くくく……と、ジーバルドは声を上げて笑った。
対して、終始可憐な少女を演じ続けていたクリネは、帝国の皇女としての顔になり、ヘステラ子爵をじっと見つめた。
「ジーバルド様。お願いします。どうか私たちに協力していただけませんか?」
ジーバルドは口角を釣り上げて笑った。
「ダメだ」
グサリと言葉が刺さる。
空いた穴を埋めるように、クリネは手を胸に置いた。
ジーバルドは話を続ける。
「確かに素晴らしいデートだった。僕も色々考えさせられた。昔、何故君のような小さな少女に熱を入れていたのかということも思い出した」
けれど――。
「僕は商人だ。一時の気の迷いで、商売人としての判断を覆すわけにはいかない。
何故なら、僕は子供でない。ヘステラ家当主だ。商売に感情を持ち込むわけにはいかない」
もう2度と失敗するわけにはいかない。
またあのような屈辱を味わわないように。
家のため、ついてくる家臣のため。
ジーバルドが背負っているものは、決して軽くはないのだから……。
「というわけですよ。陛下……」
突然、言葉を放つ。
噴水の影から出てきたのは、黒の服を着たライカと、フルフルだった。
「お、お姉様!!」
「気が付かなかったのかい? 猛獣を手なずける割に、意外と鈍いんだね。待ち合わせからずっと僕たちをつけてきていたよ」
「そうなんですか?」
「お前が心配だったからな」
観念した割に、ライカの眉間には皺が寄っていた。
怒っているらしい。
その怒気をぶつけるように、ヘステラ子爵に向き直った。
「聞こう……。ヘステラ子爵。そなたの望みはなんだ?」
「そうだねぇ。手始めに元老院にでもいれてもらおうか」
「な! あれは侯爵以上の爵位が――」
「じゃあ、侯爵にしてよ。陛下なら簡単ですよね」
「ぐっ!」
「そんな顔をしてもダメですよ。それとも兵を率いて僕の屋敷を壊しますか? まあ、そんなこと自治区であるライーマードの商人たちが許すとは思えませんけどね」
細い肩を竦め、さらに語った。
「ここの商人を怒らすと怖いよ。それに僕はここに多額の上納金をいれてる。つまりお得意さまなんだ。……何かあれば、帝国といえどただではすみませんよ」
「帝国を脅すというのか? 帝国貴族が……」
「商売に身分も国も関係ありませんよ、陛下。あなたが帝国の最高主権者であろうとね」
「ぐぅううう……」
ジーバルドはあくまで強気だ。
ライカは歯をむき出し、猛犬のように睨む。
女帝が何も言い返さず、何もしないのは、ジーバルドが言うことがすべて事実だからだ。
それにこの後、オーガラストとの戦いも控えている。
橋頭堡となるライーマードであまり騒ぎを起こしたくはない。
ライカは肩を落とし、1つ息を吐いた。
「わかった。考える時間をくれ」
「どうぞどうぞ。僕は急がないので……」
ジーバルドは笑う。それはいつもの仮面のような笑みだった。
「僕はこれで失礼させてもらう」
「ジーバルド様」
食い下がったのは、クリネだった。
踵を返そうとした足を止め、ジーバルドは首だけ皇女に向けた。
「デート、楽しかったよ。……こんな結果になったけど、君が気に病む必要ない。誠意は十分見せてもらった」
「では、何故?」
「これは子供が解決できる問題じゃないんだ。君にはわからないだろうけど」
ジーバルドは歩き出す。
おやすみ、と赤いハンチングを掲げ、別れの挨拶を送った。
ジーバルド、殺す……。
明日も18時に更新します。
よろしくお願いします。




