第22話 ~ 天使が走ってきたのだ ~
第4章第22話です。
よろしくお願いします。
「い、言っている意味がわからないのだけど……」
ジーバルドはようやく声を絞り出した。
珍しくその顔は笑っていない。明らかに困惑している。
「言葉通りの意味ですよ。デ・ェ・ト! デートです」
頭を抱え、ジーバルドはしばし「うーん」と考える。
その顔が赤いのは、のぼせている理由だけではないだろう。
「すまない。……少々ついていけてない。君に誘いを受ける理由など、僕にはないんだけど」
「私にはありますわ」
「もしかして、貢ぎ物のことをまだ罪に思っているのかい? あれは許すと――」
「関係がないわけではありませんが、覚えていらっしゃいませんか?」
「?」
「エピアの靴をいただければ、1日デートいたしますとお約束しました」
「…………」
「本当に覚えがないですか?」
「いや、ちょっと待ってくれ。思い出すから……えっと――――」
両手でこめかみの辺りを押さえながら、必死に記憶の糸を手繰る。
しばらくブツブツと言いながら、考え始める。
「悪いけど、やはり――」
振り返った時、目の前にいたのは黒のスカートをたくし上げたエタリヤだった。
妙に眼光が鋭い給仕は、湯船に浸かったまま主を見下ろす。
そして主に向かって「ちょっとツラかしな」という感じで、手で合図を送った。
顔を近づける。
「エタリヤ、お前! なに――」
「デートの件、受けて下さい……」
「な! お前まで何を!?」
「まだお若いご当主様は何も気付いていないと思いますが」
「なにげに僕を馬鹿にしていないかい?」
「彼女は皇族です」
「もちろんだ」
「わかりませんか」
「何が言いたい」
エタリヤは深いため息を吐く。
主が聞こえない程度の声で「子供が」と呟く。
今一度、ジーバルドに向き直った。
「いいですか。あなたは皇族の方から逢い引きのお誘いを受けたのですよ」
「そ、そういうことになるな」
「あわよくば皇帝の親族になれるということです」
「――――!」
「そうでなくても、皇族の人間とデートをしたというのは、それだけで箔がつきます。皇族と親しいというだけで、どれだけの人材と情報を得ることになるかおわかりですか?」
「エタリヤ、落ち着け。なんかキャラが変わってるぞ、お前」
エタリヤは「こほん」と咳を払う。
「失礼しました。……ですが、ここまで言えば、ご当主様でもおわかりいただけたかと」
「デートというよりは、これもビジネスの一環として受け止めろというのだろう?」
「そうです」
ジーバルドはクリネを一瞥する。
緑色の瞳をこちらに向け、少々困惑気味にこちらを見つめている。だが、純粋な子供のような輝きは、出会った頃と何一つ変わっていなかった。
「ビジネスもそうだが……。あの子が何を考えているかも気になるな」
「そうです。ここは出方を窺った方がよろしいかと」
「しかし、予定が――」
「それはこちらの方でなんとかしておきます」
「あのぅ」
唐突に、クリネは声をかける。
「何かトラブルなら、席を外しますが」
「いいや。結構だ。……わかった、クリネ殿下」
「ふふ……。ちゃん付けでいいですよ」
「ああ。では、クリネちゃん。デートの件を受けよう」
「本当ですか。……では、いつ頃?」
「え? それは――」
「明日の昼から夕方前までなら」
手で耳元を抑えながら、エタリヤは囁いた。
「あ、明日の昼ならどうだ。ぼ、僕も忙しいから夕方前しか時間がとれないけど」
「では、明日の昼に……。待ち合わせはこの屋敷の前に――」
「人目につくところがいいでしょう」
エタリヤの囁きが飛んでくる。
「待て。この屋敷はライーマードの中心地からは遠い。中央の噴水前でどうかな?」
これでいいか? と目で尋ねると、「グッジョブ!」というように、エタリヤはサムズアップで返した。
「わかりました。では、お昼に噴水前で」
失礼します、とスカートを掴んで一礼すると、クリネは何食わぬ顔で浴室を出ていった。
残ったジーバルドは、エタリヤとともに彼女が引いた扉の方を、呆然と見つめていることしか出来なかった。
翌日。
太陽が頂点に向かうところで、ジーバルドが噴水前でそわそわしていた。
ライーマードはファイゴ渓谷から涼しい北風が吹き込むため、年中過ごしやすい気候なのだが、今日はやけに暑い。
いつもの厚手のジュストコールなど着られるはずもなく、薄手のシャツにベスト。膝下丈のズボンに白の靴下。足元は金色のリングが付いた黒の革靴を履いている。
貴族としては少々ラフすぎるが、あまり華美すぎるとスリに狙われる。
エタリヤの助言がふんだんに取り入れられた衣装は、無難にまとまっていた。
「そろそろかな」
いよいよ待ち合わせ時間となって、ジーバルドの行動がさらに挙動不審になる。
噴水の水面に何度も自分の顔を映しながら、セットしてきた緑と赤の髪をチェックする。
すると――。
「ジーバルド様!」
子供の高い声が聞こえてきた。
慌てて振り返る。
――――!!
息を飲んだ。
天使が走ってきたのだ。
柔らかな金髪を揺らし、小さな腕と手を目一杯掲げて手を振っている。
何より白のドレスというのが珍しい。
マキシア帝国の淑女はまず着ない。赤やピンクを好むからだ。
だが、少女のドレスは目も眩むほど似合っていた。
まるで天女の羽衣のようだ、と――商売人であるジーバルドを詩人に変えてしまうほど絶大な効果を示した。
「すいません。遅れてしまって」
少女――いや、皇女クリネは、小さな膝小僧に手を置き、息を弾ませる。
細い腕にかけた編み籠が落ちそうになり、慌てて拾い上げた。
「いや、別に遅れているわけではないと思うけど」
「ちょっと支度に時間がかかってしまって。自分で提案しておきながら、何を着ていいかわからなかったのです」
「……それが迷った末に、白のドレス?」
「あは……。え、ええ? 意見をもらった人に『デートといえば、白のワンピっスよ』って言われて」
「『ワンピっスよ』?」
「今のは忘れてください。……それよりも似合いますか?」
くるりとその場で回る。
薄地のスカートがふわりと舞い上がった。危なく下着が見えそうになる。
ジーバルドは少し頬を赤くした。
「……あ、ああ。よく似合っているよ」
「そうですか。良かった。閣下もお似合いですよ」
「そう?」
「はい!」
クリネは笑みを浮かべる。
満面の笑みには一滴の負の感情も込められていなかった。
「では、早速……」
「ああ、クリネでん――いやぁ…………ちゃん」
「……? なんでしょうか?」
ジーバルドは軽く咳を払う。
「実は、1つお願いをしたいことがあるんだけど。僕たちの関係のことだ」
「はい?」
「そのぉ……なんだ。……クリネ、ちゃんを馬鹿にするわけではないが、19歳の男が10歳の少女とデートしているというのは、世間的にそのぉ――」
ますます顔が赤くなるジーバルドの横で、クリネはポンと手を打った。
「……ああ。なるほど」
「わかってくれる?」
「うふふ……。私は気にしませんよ」
「からかわないでほしいなあ。――で、そこで。兄妹というのはどうだろう?」
「ジーバルド様の妹、ということですか?」
「姉という設定でもいいが、大多数の良識在る大人は信じないだろうね」
「む。ちょっと今の発言は傷つきました」
「それは失礼。……それでどうだろうか。皇女殿下に妹の振りをしてもらうというのは、なかなか忍びないが」
「いえ。逆に面白そうです。ご提案承りました」
「助かるよ」
「では、行きましょうか。お兄さま!」
そう言うと、クリネはジーバルドの細腕に抱きつく。
筋力の乏しい若き子爵は体勢を崩しながらも、おたおたと少女をエスコートし始めた。
なんとも初々しく始まった19歳の若き当主と、10歳の皇女のデート。
それを見つめる2つの影があった。
「どうやら、今のところ健全ッスよ。いきなりホテルに連れ込むと胸熱展開を期待してたんスけど……」
「フルフル殿! 何を言っているのだ! そ、そんなことになったら私はこのデートを強制終了させるぞ!」
ライカは「がああ」とがなり立てる。
その格好はいつもの姫騎士スタイルではなく、黒地のスーツを来ていた。
現代世界でいうスパイだ。金髪の頭には、サングラスまで載り、口元をマスクで隠している。
提供者であるフルフルはニヤリと笑った。
「意味わかってるんスか、ライカ?」
「フルフル殿が言うことは、いつも卑猥なことに決まってる」
「それは心外ッスね」
「ともかく2人を追うぞ。絶対に見失うわけにはいかない」
ライカはジーバルドとデートをすると聞いて、大反対だった。
だが宗一郎の鶴の一声もあり押し切られ、今に至るというわけだ。
ライカはジーバルドを信用していない。
もしかして幼い少女を――言葉にするのも憚れるような行為に及ぶ場合だってあり得る。何せ彼は、まだ6歳だった彼女に恋をしたのだ。
十分考えられる。
父上が亡き今、妹の貞操はなんとしても、姉である自分が守らねばならなかった。
闘士を燃やす過保護な姉を見て、フルフルは肩を竦める。
つと視線を前に向ける。通りを挟んだ向こうの物陰に、ザ・メイドという格好をした給仕が隠れていた。
その視線の先を追うと、クリネとジーバルドの若すぎるカップルに行き着いた。
――どうやら過保護なのは、ライカだけじゃないようッスね。
悪魔はまた肩を竦めた。
「逢い引き」って単語を久しぶりに使いました。
明日も18時に更新します。
よろしくお願いします。




