第19話 ~ 君のことが好きだった? ~
第4章第19話です。
よろしくお願いします。
「何を惚けているんだい」
まさしくクリネは惚けていた。
あっさりとジーバルドから「許す」という言葉が飛び出したからだ。
「え? でも、そんな簡単に……」
「まさかそんなことで謝罪しにきたとはね。思いも寄らなかったよ」
「そんな、こと……?」
「ああ。それとその靴は上げるよ。持ってても仕方ないし。見ての通り、お金は困らない生活を送ってる。あ――――」
「何か?」
「君が履いていたということは、香りが残っているということだよね。それは確かにもったいないかもしれない」
「…………!」
ジーバルドは額に手を当てながら考える。
その横で、クリネは顔を赤くしていた。
「まあ、いいや。とりあえず持って帰ってよ。そもそも君に僕が上げたものだしね」
「でも――」
「頑固だね、クリネちゃんは……」
「私は何か……仕打ちを受けるものかと」
ジーバルドはまた声を上げて、笑った。
「そんなことしないよ。むしろ10歳の子供を説教する時間なんて僕にはないんだよ」
クリネの眉が微かに動いた。
その反応を見ながら、ジーバルドは笑う。いや、ほくそ笑んでいた。
「じゃあ、ちょっとだけお話を整理する意味でも、昔話をしようじゃないか」
「昔話?」
「そうさ。子供が大好きな『むかしむかし』で始まる物語さ。さあ、かけたまえ。……クリネちゃん」
「…………」
クリネは促されるまま元の椅子に座った。
ジーバルドは身を乗り出すようにしてテーブルに両肘を付く。
「君はあれだろ? エピアの靴なんて城1つ買えるほどの高価なものを僕が送ったから、ヘステラ家が没落したと思っているのだろう」
「……そうではないのですか?」
「うん。まずその前提が間違っている。エピアの靴は確かに高価だけど、僕はヘステラ家の金は一切使っていない」
「え?」
とんとん、とジーバルドは自分の頭を指でこついた。
「言ったろ? 僕は子供の頃から商才があった。君くらいの年齢から、爵位だって買えるほどのお金を稼いでいたんだ」
「――――!」
「……驚いたかい? まあ、仕方ないね。大半の人間がそう思っていたようだから。ちなみに言っておくとね。僕は父親に玩具もお菓子も、服だって買ってもらったことがない。全部、自分で稼いでいたのさ」
「な、何故……そんな――?」
「はは……。何故と来たか? だろうね。君の父上――先帝カールズ陛下はとても子煩悩な皇帝だったと聞いている。さぞかし寵愛を受けて、君も甘やかされて育ったのだろう。貢ぎ物の値段すら知らず、さもそれが皇族にとって当たり前であるかのように受け取っていた君にはね」
皇女は、真っ青な顔を下に向けた。
呼吸が荒い。
まるで喉元を蛇に締め付けられているかのように、息が出来ない。
ジーバルドは口角をあげ、弦のような目を一層細めてクリネを見つめる。
蛙の生殺しを観察するかのように……。
「ごめんね。怖がらせてしまったようだね。ごめん。今のなしだ。……気にしないでくれ」
と言うが、明らかにジーバルドはあの時のことを根に持っているようにしか見えない。
「話を戻そう。父親というのは千差万別、十人十色――色々あるということさ。君が父親に可愛がられた一方で、僕の父親は実にケチな相場師だった」
「相場師?」
「聞いたことがないかい? 商品というのは、ある程度市場で適正価格が決められる。一般的にわかりやすいのが、そうこれだ」
皿に盛られた米をクリネの前に差し出す。
「たとえば、米が豊作の時に余りに余るとお米の価値はどうなる?」
「下がりますわね」
「その通り。逆に凶作の時は米が手に入りにくくなるから、米の価値が上がる。するとどういうことが起こるかわかるかい?」
「米の価値が下がっている時に、大量に買い付けて、米の価値が上がった時に売れば、その差額によって利益を得ることできる……?」
「正解」
指をパチンと鳴らす。
「それが相場師さ。ヘステラ家はね。元々は相場師の家系でね。その財によって、爵位を買った一族なんだ。知らなかったろ?」
おずおずとクリネは頷いた。
「……けど、僕にあって、僕の父親にはなかったものがあった。商才さ。相場には色々あってね。たとえばゴールド相場というものがある」
「ゴールドにも相場が?」
「もちろんある。あれも市場では商品だからね。……当たればデカいけど、扱いにはとても難しい商品だと言われている」
「…………」
「新しい種類のゴールドや代替え技術が見つかった瞬間、今まで飛んでもない価値を秘めていたゴールドが、一夜にして屑鉄以下の値段まで下がる事がある」
「お父様は……その相場に失敗した」
「そう……。城と領土の半分を売ったとしても、返せないほどの莫大な借金を抱えることになった」
クリネは思わず同情的な目でジーバルドを見つめた。
終始笑みを浮かべていた顔に、浅く影が差したような気がしたからだ。
「先代カールズ皇帝の――」
「え?」
しばしの沈黙の後、ジーバルドはその大きな口を開いた。
「先代カールズ皇帝の温情により、子爵家はお取りつぶしにはならなかったけど、いっそ潰してくれた方が良かったと思うよ。その後の地獄を思うとね」
ジーバルドは、テーブルに並んだ皿の1つを拾い上げる。エタリヤに命じると、クリネの前に置かせた。
それは草だ。食草かと思ったが、葉は刃のように鋭く、如何にも繊維が硬そうに見える。
クリネが入ってきた時から、ジーバルドの前に置かれていて、実はずっと気になっていた。
「これはね。ガラだよ」
「が……ら…………? あの……?」
よく川辺に生えていて、非常に生命力と繁殖力が高い――いわば雑草だ。
確か――カールズが、宗一郎から教えてもらった『畳』にも、材料として使われていて、非常に丈夫な草でもある。
「これが僕の――僕たちの主食だったよ」
「ガラを食べていたんですか?」
「そうさ」
ジーバルドは口端を広げて笑った。いや、すでに笑っていた。
「何せ食べ物を買える金があれば、借金返済につぎ込む――みたいな生活をしていたからね。ろくなものを食っていなかった。おかげで父親は栄養失調で死に、僕もほら――」
衣服をたくし上げ、あばら骨が出た薄い胸を見せる。
湯殿では見ることはなかったが、胸から腹部まで何か切り開かれた痕があった。
「胃の一部が壊死してね。運がいいのか悪いのか。通りがかりの医者に手術をしてもらって、一命を取り留めた。けど、胃の半分がなくなっちゃった。おかげでよく噛んで食べないと、満足に消化も出来ない身体になってね。……まあ、身体がスリムになったから。逆に良かったかもしれないけどね」
「どうして今の暮らしまでに?」
ジーバルドはまた指を鳴らす。
「うん。いい質問だ。……その医者の薦めでね。帝都にある温泉宿を紹介してもらったんだ」
「あっ……」
「どうやら君も知っているようだね」
「え、ええ……」
クリネは返答に困った。
入ったことはないが、その経営者は知っているからだ。
「あれを見た時、僕の商売人としての魂が震えた感じがした。これは絶対に『うける』ってね」
珍しく細い瞼を見開き、藍色の瞳を光らせた。
「それから、昔商売をしていた頃のつてを使って、温泉が湧き出ている場所がないか探してみた。意外と多くてびっくりしたよ。帝国は今までこんな資源を無駄にしていたかと思うと、憤りすら感じたね」
「そして……4軒の温泉宿を経営するに至った、と――。その割にはお客さんの姿がありませんけど」
「ここはまだ開店してないんだよ。僕がここにいるのは、内装なんかをチェックするためさ」
――内装もですけど、外装もチェックした方がいいのでは。
「うん? 何か言ったかい?」
「いいえ。何も……」
「じゃあ。これで昔話は終わりさ。……ああ、そうそう。このガラを食卓に並べているのはね。極貧時代の苦い思い出を忘れないようにするためだよ。2度とあんな生活には戻りたくないからね」
ジーバルドはパンと手を叩いた。
「これでわかったかな。……僕はもうあの時のことを何も思っちゃいない。というより、君が罪に思うことは何もないんだ。謝罪するしないは君の勝手だけどね」
「でも……。本当は恨んでいるじゃないですか?」
「どうしてそう思うんだい?」
「私はその…………ジーバルド様に多くの寵愛を受けました」
「寵愛というかねぇ……。あれを」
「あなた様はそのぉ――」
「君のことが好きだった?」
「――――!」
クリネの白い頬がぼんやりと朱に染まる。
「有り体にいえば、そうだったと思う。15歳の少年が、6歳の少女に一目惚れをして、プレゼントを貢ぐなんてのは、今から思えば滑稽だった――今ならそう思える」
過去の自分を振り返り、ジーバルドはせせら笑う。いや、もう笑っていた。
「でも、君が最初に言ったと思うけど、若気の至りだったんだよ。僕も君も子供だったということさ」
「本当にそれだけなのですか?」
ジーバルドは深いため息を吐く。
瞼を上げて、藍色の瞳で皇女を睨んだ。
「僕はね。もう大人なんだよ、クリネちゃん。当主であり、そしてこの温泉の経営者である。子供の君に構っている暇なんてないんだよ」
ちくりと胸が痛んだ。
それが何故なのか、クリネにはわからなかった。
しかし自分を蛇のように睨むジーバルドには、すべてを見透かされているような気がした。
「さて用件はそれぐらいかな。……食事はこれぐらいにしておこう。やることが山積みだからね」
ジーバルドは料理を残したまま席を立つ。
「僕は失礼するけど、君は食事を楽しんでいったくれたまえ。君は僕と違って五臓六腑すべて無事なのだから、楽しめる時に楽しんだ方がいい」
「あの――」
「まだ何かあるのかい?」
「はい。実は、ジーバルド様にお願いしたいことが……」
そう言うと、クリネは事情を話した。
オーバリアントが今、原因不明の病魔に襲われていること。
そのためにクリネが勇者と一緒に旅をしていること。
そして世界を救うために、温泉宿の下に埋まっているアイテムが必要だということ。
何も事情を知らなければ荒唐無稽な話を、ジーバルドは黙って聞いていた。
「なるほど。ローレスト三国で変わった病が発生しているという情報は掴んでいた。君の話は信じるよ」
「ありがとうございます」
クリネは頭を下げる。
「ふふ……。なるほど。君が僕の前に突然現れたのは、そういうことだったのか?」
「い、いえ! ジーバルド様に謝罪したかったのは、本当です」
「まあ、そういう事にしておこう」
ジーバルドは顎に手を当て、黙考した後言った。
「わかった。協力しよう」
「よろしいのですか?」
「なあに。クリネちゃんのたっての願いだからね。……まあ、折角新築した温泉宿の床をぶちこわすのは少々忍びないけどね」
「費用は帝こ――いえ、私が靴を売って、その代金で……」
「はは……。子供の君にそんなことはさせられないよ。きっちり帝国に請求するさ」
「でも――」
「それよりも折角、僕がプレゼントしたものだから、大事にしてほしいね。――あっと、もうこんな時間だ。じゃあ、失礼するよ。食事、楽しんでいってね」
ジーバルドは足早に食堂を出ていった。
クリネ、そしてエタリヤだけが残される。
静かになった食堂で、すっかり冷めてしまった料理の匂いだけが、やたらと感覚を刺激したのだった。
しばらくやきもきする展開が続きますが、
よろしくお付き合いください。
明日も18時に更新します。