第18話 ~ 口の上手い女給仕さんをお雇いなのですね ~
第4章第18話です。
よろしくお願いします。
「あなた……」
息を飲んだ。
若草色の髪を一部赤く染めた派手な髪型。弦のような細い目。色白で、口は大きく、常に口角を上げていて笑っている。
長身の体躯は、筋肉はあまりなく、まるでずっと医療棟のどこかで隔離されていたかのように細い。
しかし生気に乏しいかといえば、そうではなく、何より細い目から薄く光る藍色の虹彩は、野心に溢れていた。
正直に感想を述べるなら「誰?」という言葉が正しかった。
クリネが想起していた人物と、今目の前にいる人物は、全く正反対の体つきをしていた。
あれはもっと今の人物よりも身体を3倍含ませても足りぬほどの巨漢だったはず。
だが、この宿にいて、遭遇が予想されるであろう男性などそう多くはない。
しかも帝国の皇女を「ちゃん」付けで呼ぶとなれば、範囲は狭められる。
クリネは思い切って尋ねてみた。
「ジーバルド、様……?」
「ふふ……」
男は笑う。いやすでに笑っていた。
「よくわかったね」
答えを聞いても、クリネは信じられなかった。
むしろ軽く悲鳴を上げそうになるぐらい驚きたかったのを懸命に抑えた。
「ざっと2年ぶりかな……。ああ、その水着似合っているよ」
「水着…………? きゃ――――!」
クリネは悲鳴を上げて、自分の身体を隠すように蹲った。
その時になってやっと自分が、全裸同然の姿でいることを思い出す。
「あははは……。別に恥ずかしがることはないだろう。大事なとこはちゃんと隠している。海洋国家の一部族では、伝統的な衣装だからね」
「この名札もですか?」
「それは僕が考えた。貴族のご婦人方の間では割と好評なんだよ。僕たちはスクミズと呼んでいる」
「こ、こんなとこに皇族である私を呼びだすなんて、恥を知りなさい」
クリネは手から花蕾の杖を取り出す。
胸の辺りを隠しながら、ようやく立ち上がった。
「おっと! 別に辱めるわけじゃない。そもそも会いたいといったのは君の方だろう?」
「それでもこんな場所で――。わざわざこんなものまで着せて」
「裸の付き合いというヤツさ。腹を割って話すにはちょうどいいと思ったんだけどね」
「は、裸?」
クリネの顔がのぼせたように赤くなった。
ジーバルドは笑う。いや、笑っていた。
「相変わらずうぶだねぇ、君は……。そう4年前に会った時と何も変わらない。害虫も疫病も知らない野に咲く一輪の花のままだ」
「世間知らずとおっしゃりたいのですか?」
「癇に障ったなら謝るよ。……ところで、僕の温泉はどうだい?」
「何故、水が赤いんですの? まるで血のよう……」
クリネは脅えるように目を細めた。
「実は血なんだ」
「ひぃ!」
小動物のように悲鳴を上げる。
ジーバルドは声を上げて笑った。
「冗談だよ。僕もよく知らないけど、水の中に細かい鉱物が入っているらしい。でも、この鉱物がとても身体にいいらしいよ。実際、腰痛や肩こりが治ったという証言もあるくらいでね」
「し、信じられません」
「錬金術師たちがそういうのだから、仕方がない。そこにも書いてるし」
浴室の中にある看板を指し示す。
確かに「腰痛・肩こり」他にも色々な症状などに効くとあり、その横には「鉄などを含む」と成分表も書かれていた。
「ああいう風に書いておく方が、お客も安心するかと思ってね。さて――」
ジーバルドは石船から上がる。
赤茶色のお湯が石床に滴った。
一糸纏わぬ殿方の裸を見そうになって、クリネはハッとなり顔を隠した。
何食わぬ顔で、ジーバルドは側にあった布をひっさげ、こちらに向かってくる。
臨戦態勢を整えたいところだが、手をどかすと見えてしまう。
迷っている間にも、水気を帯びた足裏が近づいてくるのがわかった。
音はクリネの前で止まる。
「また後でね。……クリネちゃん」
そっと囁くようにいうと、ジーバルドは通り過ぎていった。
戸車を引く音が聞こえ、子爵は湯殿を出ていった。
クリネはほっと息を吐く。
同時に力が抜け、膝をついて四つん這いになった。
何も出来なかった――ただ脅えていた子供の自分が、許せなかった。
クリネは側にあった水場で泥を落とした。
あんな血のような温泉――しかもジーバルドが入った湯船に浸かるなんて絶対に出来ない。
早々に湯殿を出ると、まるでそれを予期していたかのように着替えが用意されていた。子供用に採寸されたドレス。色はクリネが好きなピンクだ。
用意の良さに、身が震えるほどの不気味さを感じたが、今はこれを着るしかない。
「お召し替えを手伝いいたしましょう」
振り返ると、黒髪の女給仕がいた。
濡れた髪を触られる前に、クリネは睨んだ。
「あなた、嘘をつきましたね」
「申し訳ありません。主からのご命令でしたので」
「…………」
そう返されては、クリネも言い返せない。
黙って、下着を付け、ドレスに袖を通し始めた。
それを給仕は丁寧にサポートする。
髪の乾かし方、梳き方、どれも一級の手並みだ。
嘘つきでなければ、本当に雇いたいくらいだった。
支度を整え、クリネは屋敷の廊下に出る。
「こちらへ。お食事のご用意をさせていただいております」
外を見ると、空が暮れなずんでいた。
夕食にはまだ早い時間だろうが、早すぎるというわけではない。
「結構です。姉を待たせていますので」
「お食事が終わるまで、当主には会うことはかないませんが」
「構いません。別室で待たせていただきます」
窓から視線を外し、クリネは確かな意志を宿った瞳で見つめた。
これ以上、相手のペースに乗せられるわけにはいかない。
食事など以ての外だ。毒や意識を失うような薬でもいれられたらたまったものではない。
ところが――――。
ぐぎゅううううううるるるるるる…………。
「…………」
「…………」
沈黙。
給仕はクリネのお腹へと視線を向け、クリネもまた自分の腹に視線を向ける。
皇女の顔がグラスに入れられた赤ワインのようにみるみる赤くなっていく。
「遠慮することはありませんよ」
「……こ、これは!!」
「それに毒など入っておりません。ご心配であれば、私が側について差し上げましょう」
「そこまで――」
「それに当主はとても食事をゆっくりとられます。場合によって、明日もう一度来てもらうことになりますが、よろしいですか?」
どうやら口では、この給仕に勝てないらしい。
悔しいが、クリネは根負けした。
「わかりました。……あなたもついてきてください」
「かしこまりました」
給仕は頭を下げる。
本当に綺麗な一礼だと思った。
食堂に入ると、白いテーブルクロスを敷かれたダイニングテーブルが目に入った。10人はかけれそうな長いテーブルだ。
その上にいくつか燭台が置かれ、部屋の中はオレンジ色に染まっている。
ここでも高価な絵や調度品が目についた。
1つ1つの芸術性は高いものの、一貫性はなく、ただ置いた――もしくはかけた風にしか見えない。
いちいち腹を立てても仕方ないので、見るのをやめた。
テーブルの奥。入口から遠い位置に、1人の男が椅子に腰掛けていた。
赤と紫の気味の悪い色のジュストコール。側には真っ赤なマントが折りたたまれ、置かれていた。
一部を赤く染めた緑の髪を七三に整え、ジーバルド・プロシュ・ヘステラ子爵はすでに食事を始めていた。
クリネに気付くと、ナイフとフォークを置き、丁寧に口まわりを吹いた。
「やあ、クリネちゃん。よく来てくれたね。食事には出てこないと思ったよ」
心境を見透かしたような発言に、小さな眉間に皺が寄る。
女給仕に椅子を引いてもらいながら、キッとジーバルドを見つめた。
「口の上手い女給仕さんをお雇いなのですね」
「給仕……。ああ、君の横にいるエタリヤのことをいっているのかい?」
――エタリヤというのですね。
クリネは横目で給仕を見つめた。
「そいつ、優秀でしょう。昔から僕のお付きとして働いている。忠実で優秀なヤツさ」
「でしょうね。私の家臣として雇いたいぐらいですわ」
「光栄の極みだけど、それはいくら君の頼みでも聞けないな」
肩を竦めた。
一瞬、昔のことを思い出して、クリネは眉をかすかに動かした。
「それよりも食事をどうぞ。ここの料理人の腕は確かだよ」
パンと手を叩いた。
ドアが開き、次々と皿を持った給仕が入ってきた。
あっという間に、クリネの前に料理を盛った皿が並ぶ。最後にフォークとナイフが並べられた。
「…………」
「大丈夫だよ。毒は入っていない。エタリヤ」
するとエタリヤはちょっとずつ毒見を始めた。
前菜、スープ、肉料理、魚料理、野菜ジュースまですべてだ。
エタリヤは毒味を終えると、唇に残ったジュースの後をペロリと舐め取る。最後にナプキンで口周りを拭いた。
「美味でした」
感想を漏らす。
しばらくクリネはエタリヤを見つめていたが、何かおかしいところも、我慢している様子もなかった。
改めて料理を見る。
確かに美味しそうだ。お付きの料理番に比べれば、幾分劣るだろうが、お腹が空いているぶん、余計美味しそうに見える。
――ダメ!
と心の中で叫び、クリネは頭を振った。
皇女の苦悩を知って知らずか、ジーバルドはすでにサイコロ状に切られた肉を口に入れる。見せつけるようにゆっくりと咀嚼した。
クリネの視線に気付くと、ジーバルドは笑う。いや、すでに笑っていた。
「しかし、君がこのライーマードにいると聞いた時は、さすがに我が耳を疑ったよ。――で、特徴を聞いたら、全くぴったり合うじゃないか。……女神プリシラが僕らを引き合わせてくれたのかもしれないね」
「…………」
「はは……。そんな気むずかしそうな顔をしないでくれ。冗談だよ。……まあ、でも君と会えたのは本当に偶然だけどね」
今度はスープを飲む。
ナプキンで拭くと、改めて向き直った。
「さて、用件を聞こうか。食事中でよければだけどね。こう見えて、忙しくてね。この温泉宿以外にも3軒経営しているから」
「3軒も?!」
「意外かい? これでも商才は子供の時からあったんだよ。そうは見えなかったかもしれないけどね」
「あの……」
「ああ、すまない。どうしてもクリネちゃんの前では多弁になるなあ。まだ酔ってもいないんだけど」
ワイングラスを揺らす。
「一応、衛士から聞いたんだけど、僕に謝りたいことがあるって?」
「そうです。聞いていただけますか?」
「いいよ」
襟元に挟んだナプキンをテーブルに置く。
クリネは膝に置いた手をギュッと握りしめた。
すると突然、靴を脱ぎ始める。
椅子を降りて、ひたひたと素足のまま歩いていく。
ジーバルドの横まで来ると、靴を差し出した。
ジーバルドは見つめる。
靴先がカールし、黄金色の生地に青い宝石がはめられた靴を。
視線をクリネに戻す。
真剣だったが、何故か今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「覚えていますか?」
「…………ああ、覚えているよ」
ジーバルドは細い目を一層細くし、差し出された靴をつまみ上げた。
「僕が送ったエピアの靴だ」
「そうです」
そしてクリネは頭を下げた。
“ごめんなさい……”
「若気の至りとはいえ、こんな高価なものを送っていただき、お礼の手紙すらしたためず申し訳ありません」
「…………」
「しかも、そのために子爵家が大変なことになってるとは知りませんでした。よろしければ、私のお古ですが、子爵家再興のための費用としてお使い下さい」
………………………………………………………………。
沈黙が流れた。
“ぷっ”
「あははははははは……」
ジーバルドは突然、笑い始めた。
「な、何がおかしいのです」
「いやー、ごめんごめん。……そんなことか――と思ってね」
「そんなこと……?」
首を傾げるクリネを余所に、ジーバルドはいつもの顔に戻った。
「許すよ」
「えっ?」
「許すって言ってるんだ。それでいいんだろ?」
ジーバルドは笑う。いや、すでに満面の笑みだった。
現代世界では食器が先ですが、オーバリアントでは食器が料理の最後に置かれるのが
普通のようです。
明日も18時に更新します。
よろしくお願いします。




