第17話 ~ 男というのは、得てして単純な生き物だ。 ~
第4章第17話です。
よろしくお願いします。
一度、宿に戻った一行は、食堂のテーブルを囲んで昼食を取っていた。
全員、注文した料理には手をつけず、じっと真ん中に座ったクリネを睨んでいる。
少し張り詰めた空気の中、クリネは重々しい口を開いた。
「へステラ子爵とは、その…………。社交界で以前、お会いしまして」
「それはありがちな理由だろ? 面識ぐらいなら、私にもあるはずだ。まあ、覚えていないのだが」
「つまり、クリネとその子爵は、挨拶程度では済まない仲ということッスよね」
ライカとフルフルが攻めたてる。
クリネは胸の前で指先をもじもじしながら、しきりに宗一郎の様子をうかがっていた。
「なんだ?」
「いえ……。なんでもありません。そ、そうです。へステラ子爵とは、少し他の貴族とは違った関係にありまして」
「援交とかッスか?」
「エンコウ?」
ガツン!!
いきなりフルフルの頭上に拳骨が飛んでくる。
角付きの頭から、ぷくりと瘤が浮かんだ。
「変な言葉を広めるな!」
「だってぇー。そのジーバルドっていう貴族、結構なお年でしょ?」
「まだ若い当主だが、少なくともクリネよりは上のはずだ」
答えたのはライカだった。
「で。可愛い可愛い皇女殿下に貢ぎ物を差し出していた、と」
「時々、そういうことはあるだろう」
「おしゃべりしたりとか」
「まあ、一般的だな」
「ホテルに一緒に行ったりとか……」
「ほ、ホテル…………とは、宿のことか?」
「そこであーんなこととか、こーんなこととかやるんスよ」
「お前、一度聖油の中につけ込んでやろうか!」
「そ、それだけは勘弁してほしいッス。あれに漬かるぐらいなら、中年男のぎどぎどの油の中に入れられる方がまだマシっす!」
「なら、黙ってろ」
「あいあい」
宗一郎がフルフルといつものように口論する横で、「あの」と手を挙げたのは、クリネだった。
「その、ホテルとかはないのですが……。貢ぎ物ももらいましたし、お話も幾度か……」
「クリネ……。お前は、もしかしてジーバルドのことが好きなのか?」
姉の衝撃的な質問に、クリネは一瞬ぼけっと固まる。
だが、すぐに柔らかい金髪を振り乱した。
「ち、違います。断じてそれは!! むしろ、その……どっちかといえば、気持ち悪い…………」
「?」
「あ――!」
突然、声を上げたのはフルフルだった。
一同の注目を受ける中、悪魔の少女は指さした。
その先を追っていくと、クリネの足下に行き着く。
「その靴……」
「靴?」
宗一郎は首を傾げる。
「しあ●せの靴ッスよ」
「エピアの靴がどうかしたのか?」
「覚えてないッスか? クリネがついてきた時に言ってたじゃないッスか」
『3年前ぐらいに、ある貴族の方から誕生日のプレゼントとしていただいたのですわ』
『その方と誕生日の前の夜会でお話しまして。……エピアの靴みたいな可愛い靴がほしいなあって言ったら、くれたんです』
『はい。とっても太ってて、いつもはあはあ息を切らして、血走った目で私を見てくる熱烈なファンなのですが、とても紳士的な方でしたよ』
――あの時の紳士か!!
「へステラ子爵だったのか!?」
席を立って、ライカは問い詰める。
しばらくして、クリネは小首を前に倒した。
…………。
一同は呆然とする。
「ま、まさかの伏線ッスね」
「私も……。まさか、またこうして接点を持つとは思いもよりませんでした」
「確かクリネの話では、社交界に出てこなくなったと言ってたな」
「そうです。……あまり考えたくはありませんが、私のプレゼントをあげるために、ご無理を――」
「さ、さすがに怒っているのではないか、その男」
「いやー、案外そういうのに限ってしぶといッスよ。……意外とスマイルを浮かべて、昔のよりを戻そうとかいってくるかも」
「そもそも私、お付き合いもしていないのですが――」
フルフルは人差し指を振った。
「チッチッチッ……。男をなめちゃダメっす。そういうのに限って、粘着質なんスから」
クリネの顔が青くなる。
「と、ともかくだ。こうして事情がわかったのだ。クリネと一緒に、私も謝りいかねば」
「ですが、お姉様。これはクリネ個人の問題で」
「いや、これは今後の皇族の品位に関わってくる問題だ。父上なき今、私が代表して謝るべきだろう」
「けど――」
ライカはクリネの金髪に手を置いた。
自分とは違い、やや癖のある柔らかい髪は、ライカの手に戯れるように絡みついた。
「心配するな。クリネは私が守る」
「お姉様」
ライカは妹を安心させるために笑ったが、クリネは申し訳なさそうに顔を俯かせた。
「クリネ殿下ですかな?」
振り返ると、先ほどの衛士が立っていた。
「ジーバルド様がお会いになりたいそうです。どうかご同行願えますか?」
クリネはすっくと立ち上がる。
先ほど不安げな表情を振り払い、覚悟を決めたように衛士を睨む。
「わかりました」
「私も同行させていただきたい」
ライカが願い出る。
衛士は静かに首を振る。
「残念ですが、子爵閣下はクリネ様だけお会いすると」
「それを曲げて頼む」
「もし要求が受け入れなければ、お会い出来ないと申しておりました」
「な、に――――」
ライカは顔をこわばらせた。
「お姉様。私、行きます」
「クリネ! 待て! 私がもう一度、子爵にかけあって」
姉よりも短めの金髪が横に揺れる。
「私も皇族の1人です。自分の不始末は自分で責任を取りたいのです」
「しかし!」
「それにこのままでは、オーバリアントを救えません。一刻の猶予もない時に、時間をかけては、宗一郎様が困ってしまいますよ」
クリネは笑う。
道ばたで懸命に咲き誇る野花のような笑みだった。
「宗一郎様を頼みます」
「お前……。そんな…………」
まるで遺言のような――――。
クリネは進み出る。
衛士を伴い、宿の出入り口まで歩いて行く。
その歩みがつと止まった。
「宗一郎様」
「なんだ?」
「クリネのこと…………。卑賤な女だと思われましたか? 軽蔑しましたか?」
質問をした。
宗一郎は仏頂面のままで息を吐いた。
「なんでだ? オレには頼もしく思ったがな」
「頼もしい?」
「男というのは、得てして単純な生き物だ。……それをコントロールするぐらい、国を統治する一族として持っていてしかるべきだろう」
「――――!」
「はっきり言うが、オレから言わせれば、男が情けない。まあ、オレもクリネのような可愛い娘に言い寄られたら、どうなるかはわからないがな」
「…………。宗一郎様らしい回答ですわ」
少女はまた笑った。
そして心の中で呟く。
――実に意識が高い……。
「では、行ってきます」
クリネの胸の中で渦巻いていた迷いは、この時すべて霧散していた。
衛士に伴われ、クリネは再びジーバルド・プロシュ・ヘステラ子爵の『温泉宿』に戻ってきた。
改めて屋敷を見上げる。
やはり悪趣味な作りだった。帝国の赤を使い、その威信を示しているかのようだが、あまりに稚拙といわざる得ない。子供がデザインした方が、よっぽど立派に見えるだろう。
「どうぞ」
衛士は門扉を開けて、中へと促す。
眉間に皺を寄せ、険しい顔をしていたクリネは、よそ行きの顔に戻ると屋敷の中に入った。
壁の向こうもまた別世界だ。
噴水や観賞用の花が咲き乱れているのはいいが、ところどころ趣味の悪い銅像が建っている。その配置にも、何か意図があるわけでもなければ、芸術性も感じられない。
ただ高価なものを買ってきて、置けば立派に見えるだろう、という購入者の浅はかな考えがバレバレだった。
なるべく見ないようにし、すましていたが、内心では腸が煮えくりかえっていた。
カールズが芸術的なものに興味があったことから、クリネもたしなむようになった。一通り心得があるだけに、余計怒りがこみ上げてくる。
ようやく屋敷の内部に入る。
外とは違って、白を基調としたさっぱりとした内装。ところどころ金や宝石が使われていて、やはり鼻につくが、外よりはマシといえた。
「ここからは私が案内いたします」
待っていたのは、黒のワンピースに白のエプロンをつけた給仕だった。
ここでもクリネの慧眼が光る。
エプロンに何かひらひらとしたものがついていたからだ。
――アフィーシャの服を思い出しますわ……。
にっくきダークエルフを思い出して、ますます気分が悪くなっていく。
今のクリネが何を見ても、好意的に受け取れることはないだろう。
無言のまま軽くスカートを摘まみ、一礼する。
給仕は挨拶もそこそこに翻り、屋敷の奥へとクリネを先導した。
給仕は美しい女性だった。
黒髪をさっと伸ばし、理知的な黒縁眼鏡をかけて、真っ直ぐ前を向いている。
背筋もつんと立っていて、歩き方にも気品があった。
城で雇いたいぐらいだ。
「まずはこちらへ」
指し示したのは「湯殿」と書かれた部屋だった。
つまりは浴室だ。
「え――」
声を上げるのも無理はない。
クリネは風呂に入りに来たのではなく、ジーバルドに会いにきたのだ。
「ここに、ジーバルド様が?」
もしやと思って聞いたが、給仕の答えは「ノー」だった。
「いえ。……主は、現在執務の最中です。お待ちいただいている間に、当宿の温泉を堪能してもらうよう仰せつかっております」
「し、しかし、私は温泉には……」
「見たところ、かなりお体が汚れている様子。我が当主は綺麗好きでして、出来れば謁見前に、汚れを落としていただきたく存じます」
どうか、ご理解を……と給仕は丁寧に頭を下げた。
クリネはしばらく黙っていたが、頭を下げ続ける給仕の姿を見て、とうとう根負けした。
「わかりました。確かに身ぎれいにはしておいた方が良いでしょう」
「ご理解いただきありがとうございます」
給仕はまた深々と頭を下げた。
「温泉に入るのは、初めてですわ」
帝都にて宗一郎が温泉宿を経営していることから、温泉がどういうものかは知っている。父上がこよなく愛していたことも。
発つ前に1度は入っておきたかったが、まさか帝国の東の果てまで来て、温泉に入るとは思わなかった。
だから、ちょっとだけ楽しみではあるのだが、ジーバルドが経営していると思うと、胸中は複雑だった。
「なんですの、これ?」
給仕に渡されたタオルなどが入った桶の中に、皮で出来たひものようなものが入っていた。
広げてみると、足と手を入れるところがあって服のようなのだが、胸や下腹部は隠せるものの、腕や足が生のまま見えてしまう。
そして何故か、胸に当たる部分には、白の布に黒字で「クリネ」と書かれていた。
給仕からは「これを着てお入りください」といわれたが、これでは裸と変わらない。
すでに衣服は給仕がさっさと持って行き、洗濯にかけられてしまった。
「仕方ないですわね」
渋々その露出度の高い服を着る。
「これでいいのかしら……」
服はぴったりと張り付くような伸縮性があったが、一部分だけが違った。
胸の辺りを見ながら、余った空間を見つめる。
「何か理不尽な仕打ちがされているような気がしますわ……」
温泉に入る前だというのに、クリネの顔を真っ赤だった。
気を取り直して、浴場へと向かう。
ドアを開けようとしたが、開かない。
「あれ?」
10歳とはいえ、数々の戦場をくぐり抜けたクリネは、そんじょそこらの少女とは違って、割と筋力がある方だ。
だが、押しても引いてもびくともしない。
鍵がかかっているのではと思い、一度戻って給仕に伝えようとした瞬間、ドアの向こうから声が聞こえた。
「横に引くんだよ」
何か人を小馬鹿にしたような耳に触る声が聞こえた。
聞き覚えがあった。
まさか――。
指示されたとおりにそっとドアを横に引く。
あっさりと開いた。
同時に大量の湯気がなだれ込み、視界をふさぐ。
さらに得体の知れない匂いが鼻腔を突いた。思わずクリネは咳き込む。
「なんですの……? この匂い……」
白い湯煙を払いながら、クリネは一歩進み出る。
水に濡れた石床はひんやりとし、ごつごつとしていた。
つと足を止める。
クリネの視界に映ったのは、赤い色のお湯だった。
湯船の周りには、石のようなものがびっしりと張り付いている。
それはまるで――赤い悪魔が、神に罰せられて入れられたという赤い沼に似て、おどろおどろしかった。
不意に水が流れる音が聞こえる。赤い雫がクリネの小さな足にかかった。
誰かが風呂から立ち上がったのだ。
視界が悪い中、湯煙に隠れて1つの影が見えた。
「久しぶりだね。クリネちゃん」
「――――!」
ゆっくりと湯煙が晴れていく。
クリネの大きな瞳に映ったのは、痩身の青年だった。
スク水とか用意するとか、異世界なのにこの当主は天才かよ!
明日も18時に更新します。
よろしくお願いします。




