第10話 ~ 可愛いなんて何も役に立たない ~
第4章第10話です。
よろしくお願いします。
「ざまあないですね」
目を開けた瞬間、視界に飛び込んできたのは、真っ黒のロングヘアーを垂らした少女だった。
きっちりと揃えた前髪の下には、縁なしの眼鏡。その奥から眼光鋭い瞳が収まっている。肌は白く、なで肩で線が細い。
最後に会った時は、海兵隊員が着るような迷彩服だったが、何故か高校の時のセーラー服を着用していた。
「私の話を聞いていますか?」
冷たい矢のような言葉と、視線が飛んでくる。
ともかく、宗一郎の幼なじみである黒星あるみであることは間違いなかった。
ゆったりとソファに腰をつけ、ガラステーブルには彼女が好きなカモミールティーがのっている。場所も見覚えがあった。あるみの家の居間だ。
幼い頃、そして付き合っていた時にも何度も訪れた場所。
彼女の両親、姉が殺された場所……。
懐かしいと思う反面、嫌なことを思い出す。
そんな場所にあるみは紅茶を飲みながら、真っ直ぐ宗一郎を見据えていた。
……夢であることはすぐにわかった。
それでもあるみに出会えたのは、何か心の中で張り続けていた1本の糸を緩めさせた。
「聞いているよ、あるみ」
ようやく返事を返す
「小さな少女に眠らされるなんて。油断しすぎじゃないですか?」
「言い訳しようもないな」
「それとも少女嗜好に目覚めたとか?」
「言って良いことと悪いことがあるぞ」
「では、言い直しましょう。ロリコンになったのですか?」
「悪化してるではないか!?」
「事実を言ったまでですよ」
「お前、夢の中だというのに、相変わらず辛辣だな……」
「もっと優しい言葉をかけた方が、私らしいですか?」
「…………」
宗一郎は薄く笑みを浮かべた。
「どうしました? 気持ち悪い」
「……別に。お前は、いつでも優しいと思ったのだ」
「異世界に来て、顔だけじゃなくて、どうやら言葉まで気持ち悪くなったようですね」
「…………。顔はともかく、異世界に来て、変わったということは認める」
「そうでしょうか?」
「なに?」
あるみはゆっくりとした動きで、紅茶に口を付ける。
キィン、と音を立て、ティーカップをガラステーブルに置いた。
「なんでもかんでも自分の力でしようとして、結局自滅する。いつものあなただと思いますが……」
「うっ……」
「挙げ句、周りの人間に迷惑をかける。あなたは何も変わっていませんよ」
「お前に迷惑をかけたことは謝る。そして感謝する。……お前なしでは、とてもではないが、現代世界で出来たことは不可能だった」
「夢の中で謝るなら、ちゃんと現実で聞きたかったですね」
「たしかに……」
宗一郎は肩を竦めた。
あるみはおもむろに立ち上がった。
横に座る。
相変わらず、どこかぼうとして朧気な容貌なのに、眼鏡の奥の黒目は強い光を放っている。その顔が息がかかるぐらいまで近づいた。
さほど化粧もしていないのに、女性特有の甘い匂いが鼻先を掻いた。
「宗一郎……」
「なんだ?」
「もう少し頼っていいんですよ?」
「…………」
「最強にこだわるのはかまいません。困っている人を見たら助ける心も、何かを成し遂げたい挑戦心も否定しません。それが杉井宗一郎という男だからです」
冷たい手がそっと宗一郎の頬に触れた。
「独力で手にする最強と、誰かの力を借りて得る最強は違います」
「そうだな……」
「努々それは忘れぬよう……」
「わかったよ、あるみ」
「あなたの愛した人間を信じてあげてください」
「お前から、愛なんて――――」
あるみは宗一郎の口を塞ぐ。
懐かしい味がした。
柔らかく小さな唇が、宗一郎の食むように求めてくる。
口先が激しく突く度に、官能的な刺激が全身を貫いていった。
宗一郎は思わずあるみの頭を引き寄せていた。
黒髪を乱しながら、幼なじみを押し倒した。
「うぅん…………。くち………………。あなたというヒト…………うぅ……」
“本当にロリコンなんですね……”
背景が、暗転する。
宗一郎は自分の覚醒を感じながら、暗い底の中へと落ちていった。
宗一郎は瞼を上げた。
目の前には、顔を真っ赤にし、お目めをぐるぐるにした少女の顔があった。
宗一郎は柔らかいブロンドを掴み、自分に引き寄せると、幼い唇を塞いでいた。
「むぅ――――むもももももももも――――……ムムムム!!!!」
少女は手足をばたつかせながら、宗一郎から逃れようとしていた。
「クリネ!!」
慌てて手を離す。
力が緩んだ瞬間、クリネは引き絞られた弓矢のように後方へと弾かれ、そのままベッドから落ちてしまった。
ズデン、と少々愉快な音が聞こえる。
「だ、大丈夫か?」
布団を蹴って、宗一郎はベッドから落ちた皇女を見つめた。
自分が何故、布団を被って、天蓋付きのベッドに寝ているのか疑問はあったが、今はクリネの方が心配だ。
「……は、はいぃ~。だ、大丈夫れすぅ~……」
床に尻餅をつき、返答をしたが、クリネは目を回し、頭を回していた。
息が止められていたというのもあるが、少女の顔はトマトのように真っ赤で、どっちかといえば感情面で高ぶったことの方が大きいらしい。
「く、クリネ……。お前……。なんでこんなことを」
宗一郎は先ほどまで少女の唇の感触を確認するように、手で触った。
質問はしたものの、クリネはそれどころではなく、相変わらず首を回している。
「と、突然、すいません……。ええっと、そのぉ……」
「とりあえず落ち着け……」
「は、いえ……。その…………何か私に出来ることはないかとぉ……」
「それがキスだったのか?」
「フルフルさんから聞きまして」
「フルフル?」
「魔力を補充するのに、一番効率の良いやり方は、そのぉ…………性接触するのがいいと…………」
「――――!!」
「そのぉ…………私は、まだ生娘でして…………。まだ、子供が出来る身体では、ない……から…………」
「ああ……。もうみなまでいわなくていい」
性行為が出来ないから、キスをしてきたというわけだ。
まだ10歳少女が……。
宗一郎は頭を抱えた。
そしてこちらに視線を向ける2つの双眸を睨み付けた。
ドアの間からこっそりと覗く4つの光。
宗一郎の視線に気付いて、途端に慌ただしくなる。
「出てこい! 2匹とも!!」
静かだが――強い怒気を含んだ言葉が、ドアの外へと放たれる。
カチャリ、とドアが開くと、フルフルとベルゼバブが入ってきた。
「おお! ご主人! 起きたんスね。グッモーニングッモーニン!」
「良い朝ですよ。太陽がまるで輝ける胸板のようです、ご主人……」
「貴様ら……」
しれっと入ってくる従僕たちに、怒りを通り越して殺気を放つ。
途端、2匹の悪魔は顔を青白くさせた。
「お、お2人をせ、責めないでください……。わ、悪いのは、そのぉ……。宗一郎様が…………寝ているすきに………………くち……うば、た…………わたし……」
そのまま反り返るように、クリネは倒れてしまった。
「ぷはっ……」
小さな吐息が部屋に響き渡る。
クリネは飲み干したコップをテーブルに置くと、取り出したハンカチで丁寧に唇を拭う。
だがすぐに、宗一郎とのキスの感触を思い出し、顔を赤らめた。
ローレス城内にある使用人用の食堂に、宗一郎、フルフル、ベルゼバブ、クリネが集まっていた。おそらく多くの椅子とテーブルが並べられてはいるが、今は4人しかいない。
甕の水はしっかりと蓋をされていたため、飲料に問題ないようだったが、腐りかけた食料はすでにベルゼバブが廃棄している。
蠅の王ともいわれるベルゼバブだが、こう見えて綺麗好きな性格をしている。
歪んでいるのは、胸への執着だけだ。
水を飲み一息ついたクリネに、宗一郎は語りかけた。
「落ち着いたか?」
「はい。だいぶ……。ご迷惑をおかけしました」
小さな肩をさらに縮めて、マキシア帝国の皇女は頭を下げた。
「別に気にする必要ないが……。正直、クリネが俺に取った行動は少し感心せんな」
「キス…………したことですか? やっぱりクリネとするのは嫌でしたか?」
「嫌とかそういうわけでは……」
「私は本気なんです!!」
突然、クリネは立ち上がった。
その勢いとは裏腹に、少女の顔は不安げだった。
「フルフル……。ベルゼバブ……」
「あいあい?」
「はっ……」
「席を外せ」
静かに命令した。
ランランと目を輝かせた悪魔の少女と、今にもハンカチを噛んで「きぃいいい」と奇声を上げそうな悪魔の男を下がらせる。
食堂には宗一郎とクリネ――2人っきりだ。
「確かに…………宗一郎様はお姉様にプロポーズされました。その想いもわかっています。……でも、あの時“恋敵”といったのは決して生半可な気持ちでいったわけではありません」
「…………」
「それに私もお姉様のように、宗一郎様をお支えしたい。宗一郎様があんなにオーバリアントを救うことに腐心されているのに。私は何も……」
「お前は十分頑張っていると思うが……。その小さな身体で――」
クリネの濃いブロンドが左右に揺れる。
「お姉様は軍を……。フルフル様やベルゼバブ様だって、病を治すために頑張っておられる。マフイラさんも、ギルド職員という垣根を超えて、街を守ろうとしている。……でも、私は――。私はまだ、世界に……そしてあなたに何も与えていない」
クリネは目線を下ろす。
自分の手と足を見た。
「……それが歯がゆい。この小さな手と足が――。みんな、可愛い手だといいます。けど、可愛いなんて何も役に立たない」
クリネの深い緑の目から涙が落ちる。
頬にさっと筆を引くように落ちた涙滴は、少女の丸い顎を滑り、床に広がった。
そんな皇女の言動を真っ直ぐに見ながら、宗一郎は言った。
「クリネ、今何歳だ?」
「…………? 10になりました」
涙を拭きながら、クリネは答える。
「そうか。……オレが11の時だ。これが初恋だと思う人がいた」
「え……?」
「相手は幼なじみに姉だ。3歳上のな。今振り返ると凄く子供っぽいところもあったが、当時のオレにとって…………凄く頼れる大人な女性に思えた」
「それがどういう……」
「まあ、聞け……。同時に、オレはある目的のため絶対に魔術師になると決意したのも11歳の時だ。今のクリネと1歳違いだが、子供の戯言だと笑うか?」
クリネは再び顔を横に振った。
「そうだ。恋することに年齢は関係ないといったのはクリネだったな」
「はい……」
「オレもそう思う。そして何かを成し遂げることに早いも遅いもない。子供だからといって、躊躇することはないのだ」
クリネの手を取る。
確かに可愛い手だ。大きなものを掴むためには小さすぎるようにも思う。
けれど、軽く握ると、強い力で握り返してきた。
10歳の少女とは思えない意志が、宿っているような気がした。
「クリネはまだ子供だ」
「!」
「だが、子供かどうかを決めるのは己ではない他人だ。そしてそれを変えることが出来るのは、自分自身しかいない」
「私は……! クリネは自分を変えたい! ……そして、お姉様にも負けない強い女の子になりたい!!」
「なら、この可愛い手を伸ばせ――。自分がほしいと思うものに向かって真っ直ぐに、な」
「はい!!」
宗一郎は立ち上がった。
「明朝……出発する」
「私もお供してもよろしいですか?」
「無論だ。……正直、不意打ちとはいえ、オレに眠りの魔法を当てたんだ。戦力として外すことはない」
先ほどまで泣いていた瞳が、みるみる輝いていく。
そして「やった!」と腕を伸ばして喜んだ。
その様は、やはり10歳の子供然としていたが、宗一郎は口には出さなかった。
「ただし、1つだけ条件がある」
「はい。決して無理はいたしません。自分の身は自分で守ります」
「それは心配していない。ただ――」
「はい?」
「……2度と寝込みを襲わないこと。キスするなら、お互い同意の上だ」
「…………」
クリネはすぐに返答しなかった。
ただちょっとだけ舌を出して、宗一郎に振り返った。
「それはちょっと……。保証できませんわ」
少女は小悪魔みたいに笑っていた。
幼女に寝込みを襲われる……。
けしからん(うらやましい!!)
明日も18時更新です。
よろしくお願いします。




