1-8 lots of love 2
昼下がりを迎え、真上にあった太陽が傾き始める。
書店叢雲のバイトをサボって僕が向かった先は、メイドラーメン甘恋だ。
店内では、メイド服の店員がカウンター席で居眠りをしていた。少し離れたテーブル席に座って、僕はその様子を眺めた。
虹林。元同級生だ。勤務態度に問題があると思うが、あれはあれで客寄せパンダとしての効果があるらしく、店の人間は何も言わない。
「幽霊楽団を見ようとして、連日遅くまで起きているのよ。……ほら、超能力に目覚めた人って、あれだけ幽霊が密集していたら、ちょっとくらいは視えるじゃない? でも彼女は視えないの。それが悔しいみたいで」
店長の鼬川さんは僕の正面に座り、まるで親のように虹林の近況を語った。
「視る必要もないと思うけど?」
「視えない人の気持ちは、あなたには分からないでしょうね。それより雨野。呑天駅のホームレスのことだけれど」
「……うん、まあ……鼬川さんの睨んだとおり、超能力者だった。でも大したことはないし、放っておいても問題ないと思いますよ」
メイドラーメン甘恋は、呑天の裏通りにひっそりと存在する奇特な飲食店だ。
元々は普通のラーメン屋だったのだが、味ではライバル店と勝負にならず、歪んだ工夫を凝らした結果、こうなってしまったのだという。
鼬川さんはこの店の店長だ。二十六歳女性であり、超能力者でもある。そこそこの年齢ではあるが、彼女もまた、メイドの一人である。
鋭い眼光が彼女に知的とか冷酷とかいうイメージを付加し、一部で熱狂的なファンを生んではいる……が、大抵は怖がられるだけなので、彼女が厨房から外に出てくることは少ない。彼女と話すには、何か超能力絡みの話題を持ってくるか、あるいは常連になるかぐらいしかない。
奇しくも僕は、別に彼女と話したいわけではないのに、条件を二つともクリアしてしまっている。
「放っておいても……とは言うけれど、大したことないとか、強いとか弱いとか、そういう問題じゃないのよ。超能力者であるなら、原則いかなる場合でも無力化する。ソラガミに奪われる前にね。それがうちのスタンス」
ソラガミ。
それは、天乃宙への畏怖を込めた呼び方だ。多くの超能力者は、彼女のことをそう呼ぶ。愛称のフィアで呼ぶのは、彼女と親しい者だけだ。
僕は、ソラガミという通称があまり好きではなかった。
理由は僕自身にもよく分からない。
「……フィアに奪われたからって、まずいことはないじゃないですか」
「ソラガミ一強はまずいわよ。これ以上、彼女の手数を増やすべきじゃないわ。それが、この店の役割」
「……そう、ですか」
圧倒的な力を恐れる者達がいる。社会の中では、あたかも強い者が悪のように扱われる。だからフィアの存在は悪。
極端に言えば、超能力者界隈はそういう傾向にある。
メイドラーメン甘恋の本性は、超能力者の秩序を管理している……ことになっている超能力者集団である。この店のメイド達は、例外なく何かしらの超能力を持っている。
彼女達の最終的な目標は、ソラガミの無力化。だが滑稽なことに、僕は彼女達にキーカード扱いされている。僕とフィアが友人同士であることを知った上で、だ。
「ところで、具体的にどんな能力なのよ」
鼬川さんが言う。ふと、僕は我に返った。
「……ああ、はい、何でしたっけ?」
「駅前のホームレスの超能力はどんなものか聞いているの」
「相手の感じている味覚を鮮明にコピーする能力です」
「……味覚を……?」
鼬川さんは困った顔をして、視線を僅かに下に向けた。
スケールの小さな力であろうと、犯罪の役に立ちそうなものは少なくない。だが、この能力の危険な使い道を、僕はどうしても思い描くことができなかった。多分、鼬川さんもそうだろう。
「……悪そうな顔をしていたし、注意が必要だと思ったのだけれど」
「だから放っておいても問題ないって」
「……い、いや、念のため、私が消しておくわ」
消す能力。
それが、鼬川さんの能力だ。
対象は物体に限らない。記憶、愛情、才能。あらゆるものを、彼女は消すことができる。彼女はその力で、何人もの人々から超能力を消し、普通の人間へと戻してきた。
あなたの能力が一番危険ですよと言ったこともあるが、彼女が耳を貸すことはなかった。
「それじゃ、報酬は現金と食べ物、どっちで受け取る?」
「現金で」
「じゃあどうぞ、千円」
あまりないであろう、目を使った稼ぎ。
叢雲が廃業した後は、ひとまずこれで食いつないでいこうと考えている。
「ところで、昨日の高校生は何者だったのよ?」
客も少なく暇らしい。鼬川さんはテーブルの、僕の向かい側に座った。
「……僕が問い詰めていたほうですか?」
「違うわ。楽団長を連れていたほうよ」
茅原ではないほう、か。
ギターを背負って、幽霊のほうの栞を連れていた謎の少年。鼬川さんは高校生というが、制服姿だったわけでもないので、実際は職業も不詳だ。霊感はかなりあるようだったが、超能力らしいものは視えなかった。
「何者と言われたって、僕も知りませんよ」
「あら。じゃあ、もう一人のほうは?」
「……僕が興味を持っているのは、彼のガールフレンドですよ」
茅原。
神社脇の広場でしつこく練習していた彼が、ある日を堺にぱったりと顔を出さなくなった。少し周辺を気にするだけでも、彼が野球をやめてしまったことはすぐに知ることができた。
しかしその中で、僕は正体不明の違和感を覚えた。
彼にだけではなく、彼の通っている学校そのものに。
「……鼬川さんって、恋したことあります?」
「それはプロポーズと受け取っても良いのかしら?」
「深読みし過ぎですよ。もしかして焦ってんですか?」
「そりゃ焦ってるわ悪いか!」
真顔で怒り始めた。
「……ごめん」
「もう二十六歳よ! 親もうるさいわよ! 恋人もいない! こんな格好してるから変なファンがいっぱいできるし」
「メイド服は好きで着ているんでしょうが」
「今更引っ込みつかないのよ! 一回掴んだ客をそう簡単に手放せないでしょ!」
フリーターの僕には分からない事情、か。
「それより恋愛の話ですけど……」
「恋愛経験くらいあります! ざまぁ見なさいヒャヒャヒャ!」
たまに壊れるのはご愛嬌。ストレスが溜まっているのか、情緒不安定なところもある。
「……恋心って、持つものですか? 持たされるものですか?」
「そりゃあ、持つものだと思うけれど。……持たされる、ねぇ……。確かに、能動的に持つばかりじゃないわね。自分から恋をするなんて、恋に恋をしているだけなのかもしれないし」
「自己意思で持ったわけではない恋心。それって、どうなんですか」
「そんなの、能動的に抱く感情のほうが珍しいでしょう? どうもこうも……」
確かにそのとおりだ。楽しいも悲しいも、ほとんどは外的要因によってもたらされる感情であって、自分から取捨選択するものではない。だが。
……人を魅了する力。
あの学校で何が起こっているかは、大体分かる。フィアが能力を誰かに貸して、その能力が学校で乱用されてしまったのだろう。
「じゃあ、超能力に与えられる恋心についてどう思いますか?」
「完っ璧に問題アリだわ」
予想どおりの返答だった。僕としてはあなた自身、さっさと能力をソラガミ……フィアに渡してしまえば良いとも思うんですけどね。
◇
メイドラーメン甘恋でゆっくりした後、叢雲書店に顔を出す。
「来たんかい!」
新喜劇のような出迎えだった。
「栞? 何、漫才師になるの?」
「ならんわ! あと残り少ないからってシフトを無視しない! 分かった?」
栞は少々ご立腹のようだった。
「……分かりました」
「残り一時間、レジよろしくね。というか一時間しかないんだからいっそサボれば良かったのに」
「一応礼儀として、顔くらい出したほうがと思って」
「遅刻しないのが礼儀じゃないんか!」
「まあ、そうだけど。……今更、従業員の教育に熱が入った?」
「単なるヤケクソよ! 只でさえ荒んだ心持ちなのに、一人でいるともう酷いもんよ。……カイの顔見てちょっと救われたわ。来てくれてありがとう」
しかし客が来る気配もなく、特に仕事もない。これでバイト代を受け取るのが申し訳ないくらいだった。
「ところで何でそんなにラーメン臭いの?」
「鼬川さんの手伝いだよ。駅にいるホームレスの一人が超能力者じゃないかって言うから、調べて報告しに」
「ふぅん……。バイト代とか、出るの?
「超能力者一人の情報で千円」
「……まあ、副業としては悪くない額か……」
「もうすぐそっちが本業になるけどね」
「いやいや、ちゃんとバイト探そうよ」
常識的には、栞の言い分が正しい。だが。
「――一回、フィアと同じ立場に身を置くのもありかなと思って」
ニートになる必要性を、僕はどこかで感じていた。
「宝の持ち腐れがどれだけ勿体ないかは、フィアを見てきたあんたが一番分かっていると思うんだけどね」
「ここをやめても、鼬川さんの手伝いは続けるってば」
宝? 目ならこれからも使う。人の才能を視るという、僕にしかできないことで報酬がもらえる。スキルを活かして金銭を頂戴する。それなりに健全な社会貢献ではないだろうか。
「あんたの価値は、目に集約されているわけじゃないでしょ? あんたは賢いし、体力もあるし、何でも器用にこなすし。……適応力だけ難ありだけど」
褒め過ぎだ。栞はフィアの眩しい才能を視ることができないから、そんな戯言が言えてしまう。
フィアの前に立つと、己の無力さを嫌でも思い知らされる。
「……そういうお前は、適応力があり過ぎるよ。宇宙人のくせに、何でそんなにここでの常識に染まれるんだ?」
きょとん。空気が固まる。
「……何でだろう? そういえば考えたこともなかったけど、強いて言えば、知らない土地で自力で生きる才能がなかったから、かな?」
自嘲気味な笑みを浮かべる栞の顔を見て、僕は言葉を紡げず、黙った。
バイト終わりに神社に寄った。
高校の制服を着た男が、僕の元を訪ねてきた。
「絶対に叶えたい恋があるんですけど、おれに何か彼女を惹くための魅力みたいなものって眠ってないですか」
軽いノリではあったが、僕みたいな怪しい自称神様に相談しに来るくらいだから、多分、必死なんだろう。男の恋愛相談。ちょっと珍しい。
「……ちなみに相手の名前は?」
「え? あ、えーっと、言ったほうが良いんですか? その、古川楓です。野球部だった茅原と一緒に、よくあそこの広場に来ていたって話ですけど」
またか、と思った。同じような相談が多過ぎる。
恋愛相談。しかも、惚れている相手も同じ。それが一週間のうちに五件も続く。異常事態だ。
古川楓が、フィアから超能力を受け取ったことは明白だ。
多分、茅原の気分を紛らわせるとか、自分に気を向けることで野球を忘れさせるとか、そういう親切な目的があったんだろう。だが大きな力は人を狂わせる。古川が暴走することを、フィアは最初から分かっていたはずだ。
フィアは古川を助けたかったのか? 違う。ゲームがしたかっただけだ。
……そう思い込まないと、僕が動けなくなる。