1-6 GHOSTUNE3
深夜の二時に起床する。
五時間の睡眠を取った。とはいえ、外が暗いと眠気は取れない。
着替えて部屋を出ると、階段の前で行き倒れのようにして眠っている栞さんがいた。白装束でそのポーズは流石にビビリます。俺はちょっと悲鳴を上げてしまった。
「……栞さん。駅前、行きましょう」
「うん? ああ、うん。……そうだ、ギター持ってね。じゃないとあたし動けないから」
「……ピックとかじゃダメですか?」
正直、弾きもしないのに深夜にギターを背負って出掛けるのも辛いが。
「ギターがいいよぉ!」
「……やっぱ、単体で音を奏でられないから無理ですか?」
「というよりテンションが上がらないじゃんか!」
「好みの問題じゃないですか!
「霊体にとってテンションがどれほど大切か!」
……仕方がないのでギターを背負い、久々に自転車に乗る。
夜道。閑散とした住宅地を抜けて、二十分ほどで呑天の駅前に着く。
その間、栞さんは俺に、この辺での危険な超能力者について語った。
「まあ九年前のUFO襲来がきっかけっちゃきっかけっぽいんだけど」
「はぁ」
「ソラガミ、イタチ、仙人。特に危険って言われている超能力者はこの辺かなー。後は本屋の宇宙人と、駅前の楽団長に注意! ね、すごくない? あたしって結構なビッグネームなんだよ」
「あーはいはい。すごいすごい」
「でしょー。あはは照れるなぁ」
街灯に照らされたささやかな駅前広場。バス乗り場に、地下道への入口。西に向かえば、ネットカフェや飲み屋が入った雑居ビルが立っている。東には小さな商店街があるのだが、こちらは少々古臭い。
書店の叢雲に、居酒屋の霞……中古楽器屋の巽。再開発の影響で、営業を停止した店がほとんどだと聞いている。
街は、これから変化していくらしい。
時刻は午前二時半。
幽霊の姿は見えない。
「集合が三時だから、ちょっと早過ぎたね」
「あと三十分ですか。……ん」
静まった駅前広場に、一人、ポツンと誰かが立っている。
女の人。楽団員かとも思ったが、栞さんのようにいかにも幽霊です! というような格好はしていない。
手には缶コーヒー。大学生くらいだろうか。女は俺を見ると、驚いた様子で一歩退き、言った。
「もしかして、幽霊楽団の方ですか?」
栞さんが女の側に立ち、「そうですよー」と言ったが反応がない。
視線は相変わらず俺に向いていて、栞さんの存在に気付く様子がない。
「俺?」
「ええ、あなたに言っています」
「違いますよ。俺は観客です」
「……そう、ですか」
残念そうに言うと、女は額を軽く叩きながらベンチへと歩いた。
栞さんが促すので、隣に座る。
「わたしも観客なんですけど、幽霊はなかなかわたしの前に姿を見せてはくれません。あなたは見たことあります? 幽霊の姿」
「はぁ、楽団は見たことありませんけど、幽霊なら見えますよ」
「え! そうなんですか。人を見かけで判断してはいけませんね」
「どういう意味ですか? ……ちょっと、何してんですか」
栞さんは女を目隠ししたり、膝に座ったり、背中に頭を突っ込んで腹の辺りから突き抜けたりして遊び始めた。
「何か?」
女は訝しげな目を向けた。
「え? あ、いや、何でもないです」
栞さんは女の胸をいやらしく触ったり、幽体離脱ごっこをしたり二人羽織をしたり……とやりたい放題だった。
「どうかしました?」
「いやどうもしてませんよ全然何も。ところで、ここにはよく来るんですか?」
「ここ最近は毎日。……変でしょ、幽霊の姿を見たこともないわたしが」
くしゃり。缶コーヒーが握り潰される。
「別に、そうは思いませんけど」
「素質ないみたいです、わたしには」
「……………………………………」
素質。
「見える人と見えない人がいて、わたしは見えない側なんです。わたしの仲間はみんな見える。それなのに、わたしだけが見えない」
商店街側から、人がぞろぞろと歩いてきた。
暗闇でもよく見える。それぞれの顔が識別できるほど、はっきりと。視覚とは違う何かで見ているような、不思議な感覚。
霊視、か。
意外にも、栞さんほど分かり易い幽霊はほとんどいなかった。シャツとかスーツとか、学校の制服とか。中には血まみれの服を着た者もいる。彼らは全員、楽器を持っていた。ギターやベースを背負う者、手に管楽器を持つ者……。カスタネット、タンバリンなどもいた。総勢で十五人前後。
「……来ましたね」
楽器の構成は色々と意外な感じがしたが。
「うん、来たね」
懐から指揮棒を取り出し、栞さんは女の膝から立ち上がった。
「え、幽霊楽団が? どこ、どこ?」
「そこにいますよ。十五人くらい」
「そんなに! というか、そんな簡単に見えるもんなんですか!」
簡単も何も、見えるものは見える。それだけの話だ。
……要らないなぁ、こんな素質は。
それを欲しがる、この女の気持ちが理解できない。
「もしあんたに幽霊が見えたとして、意味ってあるんですか?」
「ありますよ。趣味にも仕事にも関係してきます」
それは少し意外な返答だった。
栞さんが声を張る。
「みんな久しぶりー! と言っても古参が少なくて新入りが多いね! あたしがいない間にまた多くの霊が成仏して、同時に新たな霊が誕生したってわけだね! というわけで、日々生まれ変わる幽霊楽団の、今日の音楽を聞かせたまえよ!」
――直後、雷みたいな轟音がした。
ギターの音。エレキ。深夜にアンプなんか鳴らしやがるのかこいつら。どこから電力を調達しているのかはよく分からない。霊体には必要ないとかいう理屈だろうか。少し悩んだが、分かる必要もないことだ。
一般人に届かないことが前提になっているからだろうが、音量は予想の数倍音がデカい。思わず耳を塞ぐ。
「ど、どうしたんですか?」
この音量で、聞こえてないのか。不思議そうな顔をする女に対して、苛立ちにも近い感情を覚えた。聞いてやれよ。すごい音で演奏してんぞあの霊達。どうせほとんど誰にも届かないの分かってて、真剣な表情で練習している。
練習か?
だったら本番はいつになるんだ?
これが本番か。……毎回、本番? いいな、それ。
「良い顔してますね、ギター少年さん」
「俺? そうですかね」
「すごく、楽しそうな顔してます」
「……向こうが楽しそうに弾いてるから」
羨ましい、と思った。何も考えずに音を楽しむ余裕が、今の俺にはない。音楽で夢を見ることは、もしかしたら無粋なのかもしれない。……いや、その考え方も、逃げだ。
音を奏でながら、少しずつ薄くなっていく霊がいる。ついには消えてしまった。あれが成仏か? 随分幸せな終わり方だな!
混ざりたいと思ったが、俺のギターは人に聞こえる。アンプにも繋いでいないエレキギターの音量など知れている……が、時間帯を考えれば、外で音を出すのは無謀だろう。
何より勇気が足りなかった。
彼らの横に並んで弾く資格が、果たして俺にあるのか。
一時間ほどで、楽団の演奏が終わった。
いつの間にか、女はベンチに座ったまま眠っていた。仲間を解散させ、栞さんがこちらに歩み寄ってくる。
「ふぅ。……進くん。どうだった? あたし達の音楽は」
「思ったよりは、めちゃくちゃでしたね。特に音量、激し過ぎませんか」
「多分、君ほど鮮明に聞き取ってくれる人は珍しいんだよ。あれでやっと、数人が振り返るか振り返らないかってレベルなんだから」
年寄りの入る風呂がやたら熱いのと同じことか。
「にしてもメンバーの入れ替わりが激しいなぁ。あたしの不在中に、古参のメンバーも何人かいなくなってる。巽の閉店が関係しているのか……それとも、あたし抜きの音楽が楽しくて成仏したかのどちらかなんだと思う」
「栞さん抜きが?」
「大勢の中の一人じゃなく、リーダーをやることでしか、満たされないものだってあるんじゃないかな。あたしがいる限り空かない椅子に座って満足したっていうのは、考え過ぎってこともないでしょ。……成仏するのは喜ばしいことだよ。レベルは落ちたけど、高みに向かうことが音楽の目的じゃないから良いんだ」
「……悟ってますね、栞さんは」
「死んで結構長いからね。てか、その人どうすんの?」
女が起きる様子はなかった。
知らない男の横で、あまりに無防備だと思う。
「どうするも何も放っちゃおけませんよ。引っ叩いてでも起こさないと」
「……甘恋の店員さんだね、その人」
「雨乞い?」
「甘い恋と書いてアマゴイ。見たことない? メイド喫茶とラーメン屋を混ぜた、変なお店だよ。その店の人」
「ふーん。……」
霊視、か。
そっち方面に行きたいわけではない。だが、その素質が保証されているのなら、興味を持たなければ損に思えた。おそらくこの女の生きる環境には、霊視という俺の素質を活かせる機会がある。
「気になるの? メイドラーメン」
表情で推察したようで、栞さんが言う。
「……それより、この人をどうにかしないと」
女の肩を揺する。はっとして女が目を開けた。そして謎の弁解を始めた。
「違うんです鼬川さん! これは眠っていたわけではなく精神統一的なものなんです本当です信じてください別に信じなくてもいいけど……あれ?」
ぱちくりと瞬きをして俺を見て、しばらく考えてから、ようやく状況を把握したらしい。
「……ああ、まだこんな時間なんですね……。おはようございます」
「寒くないですか?」
「平気ですよ。起こしてくれてありがとうございます。……ああ、嫌だなぁ。この後バイトなんですよねぇ……」
女は憂鬱な溜息を吐いた。
◇
帰宅後、遅い就寝。
ニートだからいつまで眠っていても、すぐ困ることはない。起床したのは午前
九時。割と早く目が覚めたほうだ。
俺が起きたとき、栞さんは帰りに拾ってきたというアコギで遊んでいた。ギターも霊体だ。付喪神の成り損ないだとか何とか言っていた。
「おはよう、進くん。できれば起きてから弾こうと思ってたんだけど、我慢できなくなってね。うるさかったかな?」
「案外、気になりませんでしたよ。……上手いですね、ギター」
「ありがとう。人から感想もらうことなんて珍しいからさ、そう言ってもらえると嬉しいね。楽団とは別に、一人で弾き語りすることもたまにあるんだ。見られていない分、失敗しても恥ずかしくないのだぁ」
俺が起きてからも、栞さんはしばらくギターで遊んでいた。
……本当に勿体ない。死んでいなければ、多くの人の心を掴んでいたかもしれないのに。
「栞さん、いつまでここにいてくれますか?」
ギターを触る、その手が止まる。
「多分、ずっとはいないよ。君に飽きた頃、ふらふらっと出ていく」
「そう、ですか」
「ここにいて欲しい?」
「……結婚して欲しいくらいです」
早く出てけ悪霊、とでも言うのが正解だったのかもしれない。
栞さんにとって、この展開は意外だったようだ。口元に手を当てて、視線を忙しく動かしながら黙り込んでしまった。
「…………あー、はいはい……そう来ましたか……」
「自分の気持ちに正直なだけです」
「……ごめんね」
「いえ、別に」
分かっていた結果だ。
大体、合意があっても幽霊と結婚なんかできない。
少なくとも、これで後悔しなくて済む。それだけだ。
「……ほんと、ごめん。十歳で心身が分離しちゃってるし、肉体がないと性欲も別にないしで、恋愛関係で空気読むのがどうも苦手で……」
「友情や尊敬もあります。……栞さん、大きいんですよ」
「胸が?」
真剣な雰囲気は苦手なのだろうか。まさか真面目に言っているわけではないと思うが……。
誤魔化し笑いですっとぼけるところだけは、直してもらいたい。
「存在が、です」
誤魔化し笑いのその額を指で弾く。栞さんは自らの頬を叩くと、深呼吸して、今度はヘラヘラせず、真っ直ぐに俺の顔を見た。
「ありがと。こんな透け透けなあたしに、そんなこと言ってくれるの君くらいだよ」
「……やりますか、打ち込み作業」
直視できず、パソコンに向かう。飽きられる前に曲を完成させて、早く、広く人の耳に届けよう。
今の俺にできることなんて、それくらいしかない。