1-5 GHOSTUNE2
二時間が経過した。
パソコンを動かしているのは俺だが、その俺を動かしているのは栞さん。まるでロボットになった気分だ。
頭空っぽで人の言いなりになるのは案外疲れる。
音選びから、打ち込み、エフェクトなどの細かい数値までも全て栞さんが決めるのだ。たまに意見することもあったが、聞いてくれないので俺は本格的に道具になることを目指した。それは楽しい作業ではなかった。
……が、段々と、曲が俺には到達できないところへと動き出す。
同時に鳴る複数の音が絡み合い、一つの曲を成す。
それは栞さんが指示し、俺がパソコンを操作する度に深みを増していく。
斬新だが親しみを忘れない、口ずさみたくなるような"曲"が紡ぎ出されていく。
――――――……!
共同作業なのでどうしても伝達に時間が掛かり、作業時間の割に出来は遅かった。だが。
死者にしておくには勿体ない。
それが素直な感想だ。
「……すごいですね」
「もっと褒めても良いんだよ?」
「……でも、こういう曲だとは思ってませんでした」
ディスコで流れるダンスのイメージ。
演奏がどうとか言っていたから、現実的に楽器で鳴らせる音を使うのだろうと思っていたのだが、蓋を開ければシンセサイザーの機械的な音だらけ。正直、かなり意外だ。
「てかどうやって演奏してんですか。霊力?」
「いやいや違うよ。メロディはそのままだけど、アレンジは変えてみたんだ。パソコンならではって感じにさ。どうかな? この曲」
「……才能を感じます」
見ていたい。彼女の才能が何を起こすのかを。
今打ち込んでいるこの曲が、一体どこまで届くのかを。
「一言で片付けるか」
「す、すんません」
「いいよ。……でも、そうだね……」
栞さんはほんの少し言い淀み、俺の顔色を窺いながら言った。
「努力の結果だって言ったら、君は怒るかな」
「才能を開花させるためには、努力が必要かもしれませんね」
栞さんは微笑する。
「"あいつ"と同じこと言うんだね。……君って、何でニートになったの?」
「そういう才能があったんじゃないですかね?」
才能に差があるとは思わない。
ただ個性があるだけ……というのが俺の考え方だ。
運動が得意だったり、数字の扱いが得意だったり……。その才能を生かすか殺すかは、行動と環境による。才能を持つ人間が少ないのではない。それを殺さない人間が少ないだけだ。
ヴァイオリンの才能を持つ人間が、必ずしもヴァイオリンに触れる機会があるとは限らない。そういった眠りっぱなしの才能が、この世にはゴロゴロあるのではないだろうか。"超能力を視ることができる人間"でもいない限り、そんなことは確かめようがないが。そういえば、永束には才能に関する二人の神様がいるらしい。一人は才能を持ち、与える神様。
そしてもう一人は、才能を視ることのできる神様――。
「不平を言うつもりもありませんし、努力を全否定する気もありません。でも間違いなく、栞さんには音楽の才能があります。俺より……」
「休んでないでさ」
栞さんの目が、急に冷たく光る。
「……執念で這いつくばるのも、悪くないと思うよ?」
◇
高校をやめる少し前。
俺は西日の差す教室で、二人の友達に相談した。
「へぇ。……その後は? 東京行くの?」
野球部の非公式マネ、古川が言った。俺は首を横に振る。
「いや、移動費や一人暮らしの費用でものを買ったほうが良いと思ってさ。ネットがあるから今どきは公表手段も充実してるし」
「えー? 行っちゃいなよ東京。あたしも都会に知り合い欲しいし」
「いやいや待て待て。あのなぁ、何でお前のために俺が上京しなきゃなんないんだよ。この辺だって都市計画で結構立派になるらしいし、他所に拘るなよ。それに、大事なのはどこにいるかじゃなくて何をするかだ」
「でも大丈夫なの? 何か、楽観的ってーか……卒業してからでも遅くないんじゃないのかなって」
「……最近、義務でもないのにどうでもいいような授業受けるのが、どうしても時間の無駄にしか思えないんだ。だから」
「だって、下手すりゃニートだよ?」
古川の言葉は正しい。悔しいが、俺は口を噤んだ。
多分、俺が親より先にこの二人にこのことを相談したのは、現実的な話をされたくなかったからだ。何も間違ってはいない。
だが、それでも聞きたくない言葉があって……。
「ま、良いんじゃねぇの?」
俺を庇うかのように茅原が口を挟んだ。
「夢追うの、俺はありだと思う」
「茅原、それはちょっと無責任っていうか……」
「デメリットは本人にも分かってるもんさ。男には、黙って応援してもらいたいことが往々にしてあるもんだ」
……よく分かっていらっしゃる。
態度には出さなかったが、俺は感心した。
茅原が窓の外に視線を向けた。視線の先に駅が見える。低い建物ばかりだった駅周辺は、北も南も工事現場だらけだ。
「そういえば音楽といえば、幽霊楽団を見たって奴が、また出たってな」
「……へぇ?」
「四組の男子。怖かったけど、悪くない曲だったらしい」
間接的にしか話を聞かないが、幽霊楽団に遭遇した連中は、全員が幽霊の奏でる曲を誉めていた。
興味はある。だが、俺は深夜に駅に近付くことを避けた。音楽で幽霊に負けることが怖かった。はっきり言ってしまえばそれが理由だ。避けているうちに、いつの間にか噂自体を忘れていた。
実在した幽霊の音楽センスは、俺の持つそれを遥かに上回っていた。
それだけのことで、俺は揺れている。
夢が叶う……気がしていた。
夢を自力で叶える覚悟があったかと言われると、戸惑う。
◇
二日が経過したが、栞さんの曲を打ち込むのは、しばらくサボっている。
「……もうっ! いつになったら再開するつもりなの! このままじゃ退屈過ぎて死んじゃうよ!」
栞さんが騒ぐ。現在、昼一時。俺が置きてから今まで、ずっと同じことを聞かされている気がする。それでも動かない俺も俺ではあるが。
「栞さんはもう死んでますよね」
「体はね」
「……半分死んで、半分生きてるってことですか?」
「そんな感じ。基本的に、体と心はセットで生きてセットで死ぬ。でも稀に、心だけが残ることがあるの。原因は様々。強い執着があったとか、元々精神と肉体の結合が緩かったとか。……誰もちゃんと確かめたことがないから、実際のとこはよく分かんないけどね」
「栞さんの場合は、一体何が?」
ニヤリ、と栞さんが不敵な笑みを零す。そして、
「あたしは特殊だよ。仙人に精神と肉体を分離されたの」
思ったよりぶっ飛んでいて、ちょっと混乱。
「……え、殺されたんですか? 十歳で?」
「ん、まあね。すごいでしょ」
「一体どんな悪餓鬼だったんですか!」
「あたしが悪者みたいに言うなぁ!」
栞さんが腕を振り回す。他のものには触れないのに何故か俺には拳が当たった。痛い。しかし本人は俺への攻撃に気付いていない。
「別に仙人の恨みを買ったわけじゃないよ。たまたま、あたしが死んだほうが都合が良い状況だったのだよ。あの頃のドタバタに比べたら、この辺りも随分と落ち着いたもんだ」
「……楽器関係なく死んだんですね」
器縛霊になる要素が見当たらない。
「ということは生前、よっぽど音楽に未練が?」
「別に、音楽じゃなくても良かったんだけどね。死んだ自覚のなかったあたしは、成仏もせずにダラダラと彷徨ってた。このままじゃいつか消えちゃうなって……そんな頃、巽でギターを見て、憧れて」
巽とは、中古楽器店の名前だ。俺がギターを買った店でもある。駅前の小さな商店街にあるのだが、駅周辺の再開発を機に、残念ながらもうすぐ店を畳むという話だ。
「それで、幽霊楽団に入った?」
「や、作った。巽を拠点にして、幽霊に楽器の宣伝をして回ったんだ。思惑どおり、楽器に依存することで新たな未練を持ち、楽器さえあれば存在できる『器縛霊』が量産されたね」
創設者だったのか。
「今でもあの店に住み着いている団員は多いね。あそこには壊れた楽器も集まるから、あたし達にとっては都合が良いんだよ。死んだ楽器はあたし達が有効活用してんの。生きてる楽器は、あたし達には触れないからね」
「……商店街がなくなるってことは、もうじきお引っ越しですか?」
栞さんは頷いた。
「そうなるかな。まあ、楽器なんて、案外そこらにあるもんだしね。繁華街のほうにも楽器屋は幾つかあるから、近々そっちに移るつもり。……少し寂しいけどね。幽霊楽団は、ずっと巽を本拠地にしていたから」
俺のギターが元々そんな心霊密度の高い場所にあったのかと思うと少々ゾッとしたが、目の前に栞さんがいながら今更そんなことを怖がるのも妙だ。
俺はすっかり霊に慣れてしまっている。
「……幽霊楽団の演奏、見に行ってもいいですか?」
「え? う、うん! 是非とも!」
栞さんの実力に遠く及ばないことはもう分かった。
既に負けた。それは認めなければいけない。だから、幽霊の演奏も、今なら素直に聞ける気がする。